恋姫星霜譚   作:大島海峡

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詠は絶え、月沈む ~次の乱世へ~
董卓(五):上庸評定


 董卓軍居城、上庸。

 赴任の太守を追い出して手に入れた仮住まいたるこの古城において、ここ数日の流れはほぼ似たようなものである。

 

 主だって弁論を展開するのは、賈駆である。

 その見識考察は四海の動勢に及び、弁舌は鋭く、吐く意気は猛る焔が如し。

 まさしく新進気鋭の謀士、賈文和の面目躍如といったところであろう。

 

 ――ただ自分たちにまつわる展望が今のこの現実の身の丈にあっていないという点を除けば、だが。

 

「……というわけで、曹操がまぐれ勝ちにて中原を制したようだけど、その急進がゆえに領内の統制もままならないはず。そして幸いなことに、劉協様も無事に離脱することができたとの風聞。そしてあの方はボクらの同志だ。きっと遠からず、憂国の忠臣たちを率いてこちらに合流してくれるはず。そして殿下に今こそ万乗の君として君臨していただく。まず袁曹に離間を仕掛け互いに争わせて地盤を揺るがし、その間隙に、洛陽を解放し、新帝による正当な漢王朝の軍として堂々たる凱旋を果たす!」

 

 といった具合に強弁を振るう詠ではあったが、それに反し、僚友らの反応は薄い。活気の塊のごとき霞でさえ、腕組みしたままムッツリと押し黙って天井を仰いでいる。

 

「……おい、どうした!? 何故、この構想に気炎をあげない!?」

「構想? 妄想の間違いだろう?」

 皆の不興不安を流石に感じ取るものらしく、不平を鳴らす詠。その議席の二次的なあたりから、すかさず揶揄が返ってきた。

 

「いい加減、聞こえの良いことばかりを言って皆を振り回すのはおよしよ」

 そこに座っていたのは、李傕であった。

 娘、と呼ぶには多少の抵抗のある年頃の女で、西涼人らしからぬ焼けた肌はどこか不健康的で、目元には陰の気配が口には揶揄が常に滞留している。

 どう見ても潔癖なる賈駆や董卓が、好ましく思うべくもない悪相だが、年長者かつ今の董卓軍においては貴重な有能で勇敢な将帥である。

 名将徐栄亡き今、その地位は自然繰り上がり、それに比例して態度も増上していた。

 

「……聞き捨てならないぞ、どういうことだ李傕」

「おや、この程度の言葉の意味も理解できないほどに頭も劣化したのかい。これ以上は無駄だ、って言ってんのさ」

 

 そう言いつつ座を蹴って立ち上がった彼女は、首脳陣の間を、その眼前をこれ見よがしに練り歩く。

 

「噂じゃ張譲が死んだ。何進や欲深なその妹も職と都を逐われた。これ以上何の成果を求めるってんだい」

「……その曹操が愚帝を擁したままに天下の一切合財を裁断する。そんなことが許されるものか」

 詠が声を殺意の中から絞り出すと、けたたましい笑い声が返ってきた。

 

「それは戴く頭が違えこそアンタらがまさにやろうとしたことじゃないか。自分らが居るべき場所に、他の誰かがいる。要するにその嫉妬だろう?」

「黙れ! お前の浅薄な口からボクらの気高い信念を語るな!」

「じゃあ、それ、座ってばかりのお人形ちゃんにも訊いても良いかね?」

 

 と、遮る詠の帽子を、李傕の視線が飛び越えて月へと向けられた。

 

「いちいち確かめるまでもない! 増長するなよ、李傕! お前ごときがそんな舐めた口を叩いて良い相手じゃない!」

「増長はアンタだろう? いつからそんな命令が出来る立場になったんだい、武威の小娘風情が」

「貴様!」

 

 激昂した賈駆は、李傕に掴み掛からんとした。しかしすでに彼女は腰の剣を抜いている。このまま行けば互いに接近する勢いのままに、彼女の肉体は李傕も切っ先に貫かれていただろう。

 だが両者の間に、双璧が立ちはだかる。

 呂布と張遼。今や陣営にとって欠かすべからざる二人が、それぞれを目で制す。

 恋は戟を李傕に突きつけてふるふると首を振り、詠の肩を掴んで霞が無言で諫める。

 そして音々音はそんな両者の陰から猫のごとく丸めた手をしきりに空を突く。

 

 ――が、そんな彼女たちもまた、列席していた他の中級指揮官たちに取り囲まれていた。

 

「アンタら……」

 低く霞が呻くのと同時に、李傕は眼前の呂布に怖じることなく冷ややかに放言した。

 

「これがアタシらの総意ってもんでさぁね。もう革命ごっこはおしまい。むしろ奴らを後ろ盾に、涼州なり并州なり帰る時が来たんじゃないかね、と。あるいは、益州のゴタゴタで宙吊りとなった漢中を経由しても良い」

「ごっこだと!?」

「ねェ、いつまでお友達に代弁させてんのさ、お人形ちゃん」

 怒りに打ち震える詠の冠越しに、あらためて李傕は声を届かせた。

 

「アンタ自身はどう考えてるかってハナシさね。退くのか、進むのか? アンタらのご大層な大義名分に付き合わされたアタシらに、想うところはないのか。どう責任を取ってくれるのか? そこんとこ、ハッキリしてもらわないと困るんだけどねェ」

 

 顔を上げた月に、絡むような嫌味に晒される。重圧が彼女にのしかかる。

 揶揄の視線が、言い逃れることを許さない。返答が彼女自身の口から出るまで待つ、という強硬の姿勢である。

 

「わ、たし……は」

 

 か細い声を懸命に振り絞り答えんとした月ではあったが、にわかに、波打つその髪がふわりと宙へと軽く浮き上がった。額が机上に落ちて、そのまま突っ伏したまま起き上がらなくなった。

 

 ――断末魔にも似た詠の金切り声が、議場に轟いた。

 

 ~~~

 

 主君中座という尋常ならざる締めくくりの後で、詠と、彼女の代わりに月を寝台へと寝かせた霞は、沈痛な面持ちで、その汗ばんだ友人の赤ら顔を覗きこんだ。

 

「……軽い発熱のようだけれど」

 

 と、詠は自らを安心させるかのような調子で言ったが、あくまで経験にもとづく素人目である。

 貴人の脈をとる医師など、流亡の敗軍にいるべくもない。試行錯誤の応急処置以上のことはなんともしてやれない。その苛立ちもあって、

「李傕のせいだ」

 と吐き捨てた。

 

「あいつが、月に余計な圧迫をかけなければ……ッ」

「あいつ一人に責任おっかぶせるのは、ちょい無理と違うか」

 

 およそ味方に向けるものではない剣呑な言葉と表情の詠をたしなめるように、霞は言った。

 病状は定かならずとも、その大元が過労にあることは明らかだ。

 おそらく体調不良を承知で、月は軍議に臨んだのだろう。李傕の横柄な態度はあくまで切欠にすぎない。

 

 それに李傕の雑言についても、少なからず幕僚たちが抱く懸念ではあった。

 かつてはそうした不平は、空気も読まず華雄や徐栄が発していたものだった。そして彼女たちだからこそ、それは刺々しいものとはならず、自然諫言として詠らも受け入れていたものだったが。

 軍才武勇以上に、喪って初めて分かるその影響力たるや。

 

「いいや、そもそも月が無茶をしてるのだって、数少ない物資を皆に公平に行き渡るよう、心を砕き身を削ってきたからだ。それを、あの恩知らずども!」

 なお納得がゆかぬらしく、そう口吻を鋭くさせる。

 その横顔を盗み見ながら、霞はため息ひとつこぼし、

 

「……まぁ、ちょうどえぇ機会と違うか」

 と言った。

「なんだと?」

 訝しむ詠に、霞は即答はしなかった。月の傍を離れ、戸口に耳目を寄せて気配を確かめて後、

 

「――詠、アンタは月を連れて城を出ぇ」

 ……その瞬間の、軍師の顔の歪みようは、霞が想定していたものを上回るものだった。

 

「もう限界やろ。前後不覚(こないな)状態やないと、月は自分からよー退かんわ。おぶってでも、今夜にでも上庸を出ぇや」

 

 そう言ってのけた霞の袖ごしに、詠は腕を掴み絞った。痛みは感じずとも、その細腕渾身の握力であることは皮膚を通して伝わる。

 

「……いくら霞でも、冗談には限度ってものがあるんだけど」

 眼鏡の奥に怒りをたたえ、少女は睨み据えて来た。

 

「冗談でこないなこと言うかい。自分でももうわかっとるやろ。名前も破れた望みも捨てて、身一つで落ち延びや」

「ふざけるな! そんなマネをしたら、天下の恥さらしも良い所じゃないか!」

 詠がそうがなり立てるのを、霞は自虐も含めて一笑した。

「目処もつかんままに節操無しに荒らし回った方が恥や。そもそも、もうだーれもウチらのことなんか気にしとらん」

「まだだ、月が立ち直ればまだ回天の手立てはある! まだボクらは負けと決まったわけではない! まだ殿下という一手がある! まだ、諦めてはいない。まだ、まだ……っ」

 

 詠の声は次第に湿りを帯びてくる。目と肩の力が抜け落ちていく。そのまま膝を崩すようなかたちで、霞の晒に目元を埋める。

 

「ボクらはまだ、何もしていない……ッ」

 

 悲痛な声をみずからの胸襟の内に落とす娘を、霞は痛ましげに見下した。

 震えたその上半身をそっと押し戻しつつ、また一つ、吐息が漏れる。

 

「ウチが『限界』言うたのはな、アンタや、詠」

「え……?」

 

 意外なのは、声をかけられたこと自体か、それとも己を名指しされたことか。

 顔を上げ、見開かれた目に自らの顔を映し込みながら、霞は続ける。

 

「鏡見てみ。ヒドイ顔しとる。月も大概やけど、アンタも相当気張っとったの、丸わかりや」

 あえて観察するまでもなく、緑の髪は艶を喪いバサバサとまとまりを欠き、眼鏡の奥底では双眸が落ちくぼんでいる。

 

「言うとくで、詠。アンタが思ってる以上に、月は強い。今かて、逃げるに逃げられんようになっとんのは、周りの眼とか世間体が怖いからやない。強情張っとるアンタを見限れんからっちゅうのがあるやろ」

 

 だからこそ、詠が折れなければ、月もこの破滅の一途から下りることがない。

 二人は、常に一個。どちらが欠けることも許されない、尊き二輪の華だ。

 

「正直者がバカ見て殺されてく世の中を、どーにかせんとってアンタらは起ったんやろ? なら、その最たる月やアンタが、バカ見て殺されてどうすんねん」

「霞……」

 

 一度だけ詠の双肩を強く抱いた後、己よりかは小さな躰から霞は距離を取った。

 そして背を向けながら、悲壮さは感じさせない自然さで、しかして絶対的な覚悟を込めて告げた。

 

「後の露払いは、ウチらがやっとく」

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