恋姫星霜譚   作:大島海峡

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董卓(六):左袒

 背に回した部屋の中から幽かに聞こえるすすり泣きの音。それをあえて聴こえないように振る舞いながら、霞は廊下の闇を睨み回した。

 

「――おるんやろ? どうせ」

 

 何となしにかけた声に反応し、のっそりと影が現れた。それ以前に、夜の獣のごとき気配は、千里を隔ていかに隠形の術を得ていようと紛らわせるものではない。

 

 呂布奉先。恋。そしてその影にへばりつくお付きの軍師、陳宮公台。音々音。

 他にも、見知った面々が顔を覗かせた。先に彼女らと諍いを起こしていた武官の顔もちらほらと見える。

 

「アンタもや、副軍師」

 

 そしてなお往生際悪く身を隠している娘に、霞はぞんざいに声を投げた。

 バツが悪そうにだらしなく相好を崩す荀攸が、ひょっこり角のあたりから現れた。

 

「聞いての通りや。月っちらはここを出る。天下に無様さらしたウチやけども、それでも主君やダチのため命張れんほど落ちぶれとらん……あいつらを案じてここに集まった者も、同じと信じる」

 

 あらたまった調子でそう告げた霞に、一同の表情が締まったものとなる。

 まったく張文遠らしからぬことをしている、と彼女は胸中に苦笑を落とす。武に生きる者が、弁舌をもって己を誇示するなど。

 

「……おどれらッ! 無茶を承知であいつらの正義に従ったんやろ! 月を慕ったんやろ! 自分の(チカラ)に自負があるからここまで残ったんやろうが! だったら最後まで意地と仁義、貫き通さんかい!!」

 

 だが切った啖呵は、紛れもなく彼女自身の魂魄より放たれたものである。

 それに応じる諸将の、気炎の雄叫び、突き上げた拳もまた。

 

 曰く、前漢の周勃(しゅうぼつ)は、朝廷を私物化する奸臣の討滅にあたり、同調する将兵らに左に肩脱がせて誓わせたという。

 

 

 その故事を武人一筋の張遼が知っていたかは微妙なところではあるが、自然、彼女の中の侠気(オンナ)がその格好をさせた。

 そして声を上げる皆の中にも、衝動のままそれに倣う者がいた。

 ……おそらくはこれが、董卓軍としての最後の輝きであろうと覚悟しながら。

 

 〜〜〜

 

「ちゅーワケでな。詠の知恵借りられん以上、戦運びをよろしゅう頼むで、軍師殿」

 めいめいが軍備に向かう中、その輪から抜けて独り退散しようとした荀攸。霞はその肩を捕まえて居残らせた。

 

「アンタが誰のためにここに来たのかは、察しがつく」

 と耳元で囁くと、荀攸のたおやかな佇まいに僅かな固さが生じた。

「さすがに曹操の軍師の親戚が、縁もゆかりもない董卓軍で冷や飯食ろうて……考えてみればこないなるまで義理を立てる理由もそうはあらへん。詠は僻目で正鵠を射とったてコトで……曹孟徳の間者で良ぇよな?」

 

 細められた智者の目から、陽の気がするりと抜けていく。

 荀公達は、その表情のまま、

「その答えは、半分ほど不正解ですね」

 と耳打ちし返した。

 

「たしかにおばちゃんには曹操さんとこに招かれましたけどー、手土産がないまま行くのもどうかと思いまして、こうして至強の軍に混じりてあれやこれやと糧とし、情報収集していたわけでして。あ、もちろん事の次第によってはこのまま董卓殿にお仕えするのもヤブサカじゃなかったですよん」

 

 至強の軍。事ここに至っては、なんとも虚な賞賛ではある。

 

「まぁそっちの都合とかはぶっちゃけどうでも良ぇ。肝心なんは、アンタがその集めた情報とやらを曹操や袁術に漏らさんかったこと。最後までここに居残ったこと……その気骨は、信頼できる。頼む、(チカラ)貸してくれ」

 

 などと格好はつけたが、実際は犬だろうと猫だろうと引っ掴んで戦力として手元に置きたいというのが正直なところだ。

 その真意を汲んでか。どこか同情めいた苦笑をわずかに浮かべた彼女は、

「合点承知。では荀攸が戦術、最後に披露といきましょうかね」

 と応えた。

 

 

 

 そして、その事の始終を、さらに奥底で見つめる影がある。

 李傕である。

 荒々しい作りの革鎧を纏う彼女は、大小の戦傷にまみれた肌の広くを、すでに外気に曝している。左に肩脱ぐ衣などあるべくもない。

「……フン」

 冷ややかに鼻で笑った彼女はそのまま背を向けて、闇の奥底へと消えていったのだった。

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