「失礼します」
宛城執務室。
本来の主たる袁術の留守居を預かるエルトシャンは、すでに紅き軍装を纏っている。それを目の当たりにした満寵こと海防は、
「おや、すでに聞いてましたか?」
と首を傾げた。だが、彼女を見返した獅子王の顔もまた不思議げだ。
その海防の眼差しが自身の装束に向けられていることを察した彼は、袖口をつまみ上げた。
「……あぁ、この格好か。どうにも気が逸ってしまってな」
そう苦笑する彼の美貌の陰影には、如何ともしがたいやるせなさが潜んでいる。その由来を知る彼女は、高い背を折って「心中お察しします」と言った。
「それで君の方は? なにか急報か」
「はい。黄忠殿より伝令です。董卓軍、上庸を出て東進を開始、再度この宛城に向かって来ています」
自分がこうして報告に来るより先に、すでにその報せがエルトシャンの下に届いていたがゆえにそのいでたちか。その誤解から生じた行き違いだった。
「董卓軍か……すでに反攻の余力は残されていないと思っていたが」
「はい。彼我の情勢を鑑みれば、降伏あるいは逃散、籠城しかないと」
にも関わらず、選んだのは玉砕か。士として、華々しい散らんと。
ふと脳裏に浮かんだのは、海賊たちの毒矢の雨に晒された旧友、という想像図。
苦いものを呑み下してから貴公子は嘆息した。
「大勢は決したといえ、守備軍単独で当たるべきではないな。援軍の要請は?」
「はい。徐州の幸村殿にはすでに。それと曹操軍……いえ、朝廷からは丁奉殿と朱桓殿が。それと」
一瞬言い淀んだ海防は、どことなく重たげな空気を纏うエルトシャンを推し量るように見ながら続けた。
「……孫家からは、孫堅殿自ら御出馬とか」
「……ここでは、兵を出して来るのか」
「彼女と董卓はかつて西方の反乱鎮圧で轡を並べた仲です。その縁でせめて己の手で、と考えているのかもしれません。あるいは、それを名目に董卓を捕らえ、後日涼州を攻め取る名分を確保しておきたいとか」
「いずれにしても、あざとさを感じないでもないな」
清廉実直な彼らしからぬ険のある反応。その悪感情の所以を海防は汲み取りつつも、それとない感じで
「その孫堅軍の黄蓋殿より、合流に先立って是非にも渡したいものがあると、これが」
と言い、厚手の麻布で出来た包みを背後の侍官より受け取り、エルトシャンの前で解いた。
その中にあったのは、鞘に収まった一口の両刃の剣。
拵えは簡素ながらも瀟洒で、軽さと質量を併せ持つ、地に足のついた造りが刃を抜かずとも伝わってくる。
本来の愛剣ミストルティンほどではないにせよ、名ある工匠の作ではあろう。
「例の故人が遺された、『
「……そうか」
「この城に着到の予定ですが、直接物言いをする機会を設けるべきでしょうか」
「いや、良い。会えば虚心でいられる自信がない。すまないが、代わりに応対してもらえないだろうか」
「分かりました」
詫びを伝えることさえおこがましい。それほどの負い目があればこその、言葉少なな謝罪であろう。
会えば戦前にわだかまりを生じる。連携を欠くわけにはいかないという計算は、流石に元国王であるがゆえに存在していた。
が、銀剣に伸びかけたその手は、中途から動かなかった。
友を弊死させた者ら。皇城を急襲しそれをもって天下を簒奪した者。
それと組み、信念のもとに果敢に挑みかかる騎士たちを摘み取らねばならないのか。そんな逡巡が海防の観察眼からは見て取れた。
「……鉄心殿は、どうなされている」
「すでに大刀を引っ提げて、着の身着のまま物見に出ました。常在戦場、とはあの方のようなことを言うのでしょうね」
それで貴方はどうするのか。長身を屈めて剣の高さを整えつつ、満伯寧は上目遣いに暗に尋ねる。
ふぅ、と一度天に吐息を零したエルトシャンは、
「武人だな……彼は」
と呟いた。
如何な時代や環境の変遷にも、揺らぐことなくおのが心と刃の置き所を定めている。
その姿勢には、好悪や善悪を超えて敬意が持てる。
風説に聞けば嬉しい先に援軍も駆けつけたオシュトルもまた遥か北方にて頓死した友を偲び、その従姉の涙を胸に戦場に赴いたとか。
同じ御遣いとして、その辺りにこの騎士王が想いを馳せないわけがない。
「――出撃の支度を! ただ籠城するだけでは足らない! この地の安寧のため、これを機に三勢力で一気に覆滅するッ」
気萎えた様子から一転、眦を絞り、獅子は吼える。
友の遺剣を、その手に掴み上げて。