恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁術(七):運命の断崖(中)(★)

 李傕は薄く笑んだままに、すらりと腰の物を抜いた。

 それは武人、というよりも無頼漢や樵が用いるような、まがまがしく反り返った山刀。握りしめる手の内に強く爪が食い込むほどに、力が入る。

 

「阿多」

 と、彼女は相棒の幼名をあえて呼んでから、

「悪いね」

 と呟くがごとくに詫びた。

 

 なんのことか、と訝しむがゆえか。それとも背後に回った同輩の気配が、尋常のものでないと咄嗟に気づいたがゆえか。

 

 いずれにせよ、振り返った時にはすでに手遅れだった。その身は、李傕の凶刃によって貫かれた。

 

「な、何故……っ!?」

 信じられぬ、という目つきを彼女に向けたまま、蹴り飛ばした反動で刃を抜かれた郭汜は、崖を転がり落ちていく。

 

 悪かったのは、刺しどころか落下の最中の頭首の打ちどころか。

 いずれにせよ、地上、詠の前に滑り出た時には、彼女は絶命していた。

 

「――っ、敵襲、敵襲ーッ!」

 『友』の骸に驚き、嘆くよりも先んじて、董卓軍軍師は異変を部隊に告げた。

 

 予期せぬ事態に狼狽したのは、詠らのみならず、孫堅軍も同様だったことは言うまでもない。

 

「誰じゃ!? 先走りおったのは!?」

 まさかそれが董卓軍の同士討ちの結果だとは予想すべくもなく、祭は声を荒げ陣中に怒喝を放った。

「四の五の言うな! もう仕掛けるしかないだろう!」

 

 と勢い良く進み出たのは、劉表軍降将の魏延である。

 むしろこの状況を望んでいたが如く真っ先に殴り込んで行った彼女に引きずられて、老将たちは額に手をやり、

 

「たく、これだから青二才どもは!」

 と、常套句をもって嘆く。

「でも、もう他に手はないわよ」

 粋怜は呆れたように、だが焔耶を援護すべく自らの伏したる場所より討って出た。

 

 かくして、董卓を地上頭上より押し包んだ孫家軍は、そのまま一気呵成に攻め立てた。だが、その様相は当初の、

『一撃の下に董卓の身柄を確保し、そのうえで離脱する』

 という構想とはまるで違って、敵味方入り乱れての交戦となってしまった。

 敵襲を事前に気取った董卓軍も、決死の抵抗を示す。

 

 だが、兵力差と地の利は覆ることなく孫家に分がある。

 南方の蛮兵らが奇声とともに突貫すれば、董卓の近衛は帷のごとく引き裂かれ、その内より熱病に浮かされし姫君が顕わとなる。

 

「そこかッ、逆賊!」

 真っ先に切り込んでいった焔耶が、一番にそれを発見した。

 力を込める得物は、鈍砕骨(どんさいこつ)。外気を取り込み、その噴出による推進力にて加速。穿つ。技術体系を頭五つ分は飛び越したような怪作だが、その理屈を解さぬまま使いこなす焔耶の器量は、未熟なれども未知数だろう。

 

 そしてその特攻を阻むことは、いかな精強な兵たちであっても能わず。この地形では騎兵も満足に機能はしない。月の名を鋭く詠が呼ぶ。

 だが、その声が届くことはない。風を唸らせる鉄槌が、董卓の頭蓋めがけて天罰が如くに振り抜かれる。

 

 だが、一騎の駿馬がその僅かとなった間合いに割り込む。

 金音。交錯。流血。

 焔耶が荒々しい舌打ちとともに飛び退く。晒された二の腕に、紅き線が引かれている。

 

 その一騎、李傕は車駕に腕を伸ばし月を掴み上げる。

 そのまま小脇に抱えて馬首を切り返した。その騎影を唖然と見送っていたのも束の間、

 

「あいつ……っ!」

 と切歯した詠は、猛追を開始した。

 

 不退転の兵士たちに後に残された道は、鏖殺のみである。

 

 〜〜〜

 

 眼下に激流がしぶきをあげる。落ちれば、ます泳ぎの達者な者でも五分は助からない、と思えるほどの。

 李傕が行き着いたのは、その天然の険を壁とした、袋小路であった。

 

「おのれ李傕ッ、この機を狙っていたか、火事場泥棒め!」

 追いついた詠は、憤りのままにそう罵声を浴びせた。

 だが、その李傕の背が大きく揺らいだ。落馬し、あわや崖下へ転落するところだったし、月も頭を打ち付けるところだった。

 

「月!」

 

 だが、李傕自身の身柄が緩衝となって、月がその身を損なうようなことはなかった。

 しかして李傕は……口端より血反吐を噴きこぼしていた。

 肋の辺りは外傷こそないものの、どす黒く染まっている。

 

「……ドサクサに良いの貰っちまった。あの若造、良い腕と負けん気してやがる」

 その衝撃で揺らいだ眠り姫の意識は、その自嘲じみた独語によって覚醒した。

 

「え……あれ……李傕、さん……なんで」

 まだ状況に頭が追いついてはいないようだったが、自身の下敷きとなった女の、その咳音が、呼吸が、尋常のものではないと、まず気づいたはずだった。

 

 詠もまた、落ち着きを取り戻した智者としての視点から、気づくところがあった。

 

「……お前、ボク達を助けたのか」

 忠告したとて信じないから、郭汜を殺害して骸を落として警鐘とした。

 それによって孫家の伏勢を予期せぬ乱戦へと巻き込み、月の離脱の機を作った。

 

 やり口としては下劣そのもの。多くを犠牲にしてきた。だが、そのおかげで月は窮地を脱した。

 逆に月のために手を汚すも厭わぬと放言しながらも己は、結局汚れ仕事など何一つしてこなかったのではないか、と彼女は重く認めた。

 

「はっ……霞もアンタも公達も詰めが甘い。獣に人の道理が通じるものかよ」

 などと嗤う李傕は肯定も否定もしない。だがその挺身が、偶然や過失ではなく、敵将の打撃から月を庇ったがためであることは明らかだった。

 

「なぜだ」

 絞り出したのは、覚醒したばかりの月と同程度の、朴訥とした問いかけ。

 主人を主人とも思わぬ、傲岸な女。笑いながら主命に逆らい、不穏分子を煽り立て、月を人形と面罵した。

 そんな奴輩が、なぜ今更自分たちを救うのか。

 

「はん……ッ、ヒトの機微が分からんオンナだね。裏切る気なら、そもそもこんなとこまでついてくるもんかい。よくもそれで軍師が務まったもんだ」

「……なんだと」

 

 反発しかけた詠ではあったが、返す言葉もない。

 もはや認めるしかない。不遜であれ残虐であれ、李傕の忠節は本物だった。

 荀攸の件もそうだ。

 

 ここまで、少しでも己らの正義に違反したものを、排斥してきた。

 自身の理外にあるものを、分からぬままに遠ざけてきた。

 その意思統一こそが最強の軍勢、最良の国家の基であると信じて。

 

 それが、間違っていたとでも言うのか……?

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい!」

 董卓が泣いた。涼州の覇王が落涙した。

 

 力が及ばずしてごめんなさい。

 こんな惨めな最後を迎えさせてしまってごめんなさい。

 武才を活かしてあげられなくてごめんなさい。

 夢を見せてあげられなくてごめんなさい。

 

「なにも出来なくて、ごめんなさい……っ」

 その陳謝は、統治者としては決して言ってはならないことだった。だがその面が割れた時、今までその奥で必死に押し殺してきた慚愧(もの)が露わとなった。

 

「函谷関からすべてが間違った方向に進んでいって……! そのせいで、華雄さんや令明さん、透ちゃんを死なせてしまってっ、でも今更後には退けなくて! 詠ちゃんに無理をさせて、そして今、恋さんや貴女まで! でも私は、私だけは、のうのうと生きてて!」

 

 溢れ出した告白に、詠もまた己の不甲斐なさを恥じ、眦を絞る。

 目を細めてそれを正視していた李傕は、

「……やっと、ハラ割りやがって」

 と、苦み走った咳を落とした。

 

「らしくもない役を負って立つから万事が歪むのさ。分相応に生き直すことだね……アタシは、そう生きてこれから死ぬ。悪党らしくね。アンタ亡くして生き延びたとして、どうせロクなことしないやな」

「そんな……でも、私は」

 なお頬を伝う月の涙に、節の立つ李傕の指が触れようとする。

 だが、苦笑

「そう、何もしてない。だから……まだ真っ当だ。このイカれた大乱世でね。結構なことじゃないか」

 

 そう嗤いながら、李傕はよろめきながら月を押しのけ立ち上がる。

 そして林の向こうの闇に目を凝らすと、

「じゃあね、小さな月。アタシたちの可愛い、お人形ちゃん」

 

 別辞を述べるとともに、悪党は疾走する。

 逃走ではない。武器を携えたまま、横顔は悲壮そのもの。そのまま棒立ちの詠の脇をすり抜け、闇へと向けて斬りかかる。

 

 ……その闇の向こう側で、銀光が閃く。

 李傕の腹背を貫くは、南海覇王。幾度も豪傑を露と消してきた剛刀。

 現れたのは虎の女王。その褐色の肌を、返り血が彩る。

 

「よう、董仲頴」

 

 破滅の現実が人の形、軍勢となって華奢な少女たちの前に立ち塞がった。

 

 

【李傕/恋姫(オリジナル)……戦死】

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