恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁術(七):運命の断崖(後)

「孫、文台……」

 

 詠は凍り付いた声で、その名を呼ぶ。彼女だけではない。むろん、後続でその兵たちが続く。

 まさか、もう突破されたのか。指揮官は離脱したとはいえ、皆死ぬつもりでここまでついてきた精強なる西涼兵たちが。

 

「久しぶりだな。辺章(へんしょう)討伐以来か?」

 およそ追い詰めた敵に対するものとは思えない気安さで、人虎は語り掛ける。

 まるで詠などその場に居ないかのように、歯牙にもかけない。たとえ彼女がその先回りして月を庇う位置につこうとも、視線さえも合わせない。

 

 逃げるにしても、すでに包囲は済んでいる。退くにもあるのは断崖と激流。

 元より天朝に背きし身。たとえ降伏しても、待っているのは首を刎ねられる命運。

 

 ――ならば。

 詠は、臥した李傕だったモノを、そっと見つめた。

 そして、彼女もまた、嫌っていたかの悪女に詫びた。

 疑ってごめん。見損なっていてごめん。そして……命を使って稼いだ時間さえも、無駄にしたことへの、謝罪。

 

 詠は月の手を握る。力強さがある。だが、泣きたくなるなるほどにか細く、柔らかい。

 

「ごめんね、月。ボクが、不甲斐ないばかりに」

「ううん。私の方こそ……辛い役目をさせてきたよね」

 

 ……果たして、次の()()は、なにに起因するものだったのか。

 求めていたのは万一の生か。あるいは自らの手での幕引きか。

 

「これからもずっと、友達だからね」

「うん」

 

 いずれにせよ、感傷的であり衝動的であり、それが互いに、双子がごとくに同調し、強調し合ったことは言うまでもない。

 

「待っ……! 早まるなァ!!」

 軍師らしき孫家の女の制止などもはや耳にも入らない。

 

 儚く微笑み合った少女たちは互いの手を握りしめて、そして崖下へと身を投じた。

 

 〜〜〜

 

 落下の音も、着水音も、紛れて聴こえない。

 それだけ、渭水の流れに連なるこの瀑布は荒れている。今日に限って、一層に。

 

 炎蓮は、差し伸ばした手を静かに引っ込めた。

 まるでそれが己のものではないかのような無機質な目つきで、見下ろしていた。

 感情の読み取れないその様子を、従者たちは怖気と共に見守っていた。

 

「祭」

「は、ははッ」

 さしもの宿老も、そんな大殿に呼ばれれば声も肩も、否が応に萎縮するというものだった。

 

「帰るぞ」

「さ、さりとて」

「あるいはッ、幸運にも生きているかもしれません! どうか、下流を捜索することお許しください!」

 そう進み出た冥琳に、つまらなさそうに睥睨しつつ、

 

「家族になることを拒み、立ち向かってくることもせず命を諦めるヤツなんざ、もうどうだって良いだろう」

「し、しかし……追い詰めすぎたのも予期せぬ乱戦となったことも我らの手落ち! なればこそどうか挽回の機をお授けください!」

「あぁあぁ、言いたいことはまぁ分かる。董卓の身柄を抑え、益州涼州奪取の旗頭とする。それが公瑾(きさま)や興覇の天下二分構想……だったな?」

「……如何にも」

「じゃあそっちは後回しだ。まずは東からカタァつけるぞ」

「揚州、ですか」

「ちょうど良い手駒を得たんだろう。いい試金石じゃねぇか」

 血塗れの女王は、臣下たちの前で袖を翻した。

 

「……虎の牙には、窮鳥さえも止まらぬてか」

 などと、低く嗤い声を立てながら。

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