恋姫星霜譚   作:大島海峡

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董卓(九・終):宿業

 やがて霞もまた丘陵に上がった。上がらざるをえなかった。

 それほどまでに、伏兵に叩かれて以降の袁術軍の追撃は慎重で、周到で、そして執拗だった。

 荀攸の縦横無尽の術策は、それなりに奏功したものの、確実に兵を減らされるたびに、採れる選択は徐々に狭まっていく。と同時に、戦線も縮小せざるを得なかった。

 

 ――本当に、この指揮に切り換えた者は、性格が悪い。

 

 そして時とともに、旗は乱立し、その軍兵は増えていく。

 まるで陸地を静かに満たす洪水のようであり、まさしく自分たちが陣する南糸の丘陵は、孤島であった。

 そこに乗り切れなかった魏続、侯成、宋憲の、影武者の任を負った三将はじめ多くの忠臣らはその波に呑まれて姿が見えなくなった。

 

「おうおうおう、狗どもがぞろぞろと」

 と嘯く霞ではあったが、疲労と苦境から背には汗が伝う。

 

「おなかが、空いた」

 と、ここに来て恋の消耗も限度が近い。地面に頬をつけて、ぐったりとしている。

 むしろよくこの大飯喰らいがここまで我慢をしてくれたものだと誉めてやりたいぐらいだ。

 

 音々音もその側で尻もちをついてへたり込んでいる。

 唯一顔色を変えてはいないのは、霞に並行して働いているはずの、荀攸である。

 

「で、今着いたのは誰と誰や? 両方とも『黄』でよー分からん」

「多分長江筋から来たのは黄祖、反対に西側から来たのは黄忠ですねー。旧荊州組も、あらかた着到したようです」

「打つ手は?」

「ここまで来たら、もう軍師の役目はナイナイです」

「そうか……」

 

 一つ頷いて見せた霞は、そのまま軍師を後ろ蹴にして吹き飛ばした。

 あー、と間の抜けた断末魔とともに、裏手の坂道を転がり落ちていく彼女に、

 

「アンタに最後まで伴させられん。完全に包囲されるまえに落ち延びぃや!」

 と、強制的かつ一方的に突き放す。

 そして自身は愛刀を無数の敵へと、あらためて、ゆっくりと傾ける。

 

「ねね、アンタらも、動けるんならその図体引っ張ってでも逃げや。無理なら大人しう降れ」

「なっ!? ……霞は、どうするのです?」

「決まっとるやろ」

 

 もっとも戦場を駆けずり回ったはずなのに、ふしぎと己こそが一番元気である。

 おそらく、手足の感覚も、生に対する執着も、死への恐れも、麻痺している。

 

 ならば、武人ならば、窮してもなお動く限りはひたぶるに前進あるのみ。

 その一身に主君らの業を宿し、己が身の整理をつけるのみ。

 

「張文遠ここにあり! 手柄欲しさに群れる雑魚ども、どっからでもかかって来いやァッ!!」

 

 制止の声を振り切って。

 総身をぶち当てるがごとく。

 霞は、雲霞さながらに押し寄せる敵勢へと斬り込んでいった。

 

 〜〜〜

 

(なーんて、カッコつけたはいいものの、か)

 

 嗚呼、如何ともしがたく。どうしようもなく、救いようもなく。

 生きている。

 どこをどう切り抜けたかも定かではないが、月夜の下、さびれた森をあてもなく歩いている。

 

 しかして満身創痍。一時でも油断すれば、そのままあの世へと旅立ってしまいそうだ。

 あるいはすでに、亡者となって魂魄のみで彷徨き回っているのかも、と思ったが、どうにもそうではないらしい。

 恋ほどではないにせよ、腹が減る。

 この身は、生きたがっている。

 

 何故、生き残ってしまったか。斬り死にしなかったのか。

 呪いがごとく、天命に抗うがごとく。

 魂に、刻まれているのだ。

 

『だから姉さんは生きて』

『生き残って、そしていつか見せてください』

『兵の差、器量の差、ありとあらゆる不条理を覆すような奇跡の戦を、張文遠の、大舞台を』

 

 圧倒的不利な中、手練手管を尽くして月と詠を逃がした。

 己も、味方も、命を使い果たして存分に戦い抜いた。

 それで良いではないか。良い戦ではなかったか。まだ、十分ではないというのか。

 

「……死んでもなお、欲の張ったやっちゃな……透」

 苦笑とともに、晒の上より胸を掴む。

 

 だが、死の刻限は近づいて来る。どうしようもなく、目に見えるかたちで。

 黒生鉄心という、老剣鬼の姿を成して。

 

「……よう」

 気だるげに、手を挙げる。

「アンタが、最期の相手っちゅうわけか」

 

 対する鉄心は、どこか不興げに夜天を仰いだ。

「偶然よ。ただ月を愛でに来たところに死にぞこないが現れたまで」

 月。なるほど確かに、木々を抜ければ松明など必要ないほどに、明るき満月である。

 

 納得しながらも、未だ握る偃月刀に力を籠める。

「やめておけ」

 と、鉄心はらしからぬ慈悲を見せた。

「憐れむなや」

 霞は気を吐いた。

「何度も刃交わした敵と味方が出合い頭。そらもう死合うしかないやろうが」

「ほざくな負け犬が。勝ち負けを論じるまでもないわ」

 それは霞とて分かっている。今の状態で挑めば、まず負ける。

 

「……わしが、先の世で最後に剣を交わしたのは、実の息子であった」

「……」

 

 月天の下、絞る眦に忌々しげな光が宿る。

 

「行き違い極まりて、ついには互いに勢力をぶつけ殺し合う間柄となった。多くの者を死なせた。が、わしはついには奴めを斬り損ねた……その後のことを想えば、斬るべきであったのか。和するべきだったのか。未だ答えが出ぬ」

「そんなお涙頂戴の昔語りなんぞ意味あるかボケ! やるんか、やらんのか!?」

「意味なく半可通を斬るのには辟易しておる、と申したまで。さりとて、向かうてくるなら、斬らざるを得ぬ」

 

 それを聞いて霞は安堵した。これで存分に斬り死にできる。透の遺言はともかく今更、生きて何とする。恋も音々音ももはや生きてはいまい。あるいは月たちでさえ、生死は半々だ。あそこには孫家はいなかった。あるいは回り込ん捕縛しているのかもしれない。

 何としても、その責任に報いねばならぬのだ。それも、己で首を刎ねるより、誇りある敵手との立ち合いによって。

 

「――だが、貴様には別の迎えが来たようだ」

 

 鉄心は、鬚の下の口を不敵に歪めて哄笑するや、樹木の闇へと溶けていく。

 あ? と訝しむ霞はしかし、横合いから飛んできた小柄な影に、一瞬対応が遅れた。

 その一瞬で、間合いは詰められ、霞の脇腹には短槍の石突がめり込んでいた。

 それでも、往時の彼女であれば容易に迎撃できたのだろうが。

 

 襲ってきた相手。それは、知らぬ間ではなかった。攻撃の際に漂う、何かが焼け焦げるような異臭も。

「破城……アンタ、なんで……」

 高順。

 元、董卓軍の少女は、揺らぐ霞の身柄を肩に担ぐと、

「せめてあなただけでも、助けに……人を降らせておいて、お一人だけ良い恰好ができると、お思いで?」

 というが早いか。

 意識を手放した霞を伴い、腰元の火薬を破裂させた推進力をもってその場を離脱したのだった。

 

 

【董卓……滅亡】

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