恋姫星霜譚   作:大島海峡

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董卓(再・終):迷い子たち

 ばちり、と割れるがごとく(たきぎ)が爆ぜる音で、月は目を醒ました。

 天を仰げば夜。いったいどれほど眠っていたかさえ明瞭とせず、ただ落下による骨折の熱と痛みで気絶と覚醒をくり返していた気もした。

 

 竹林の中、焚火の手前。

 呆然としていた月ではあったが、その前にぞんざいに、衣装の類が投げ渡された。

 見るからに凶暴そうな男が、火を挟んでどっかりと座り込んだ。

「起きたらさっさと着替えろ。その衣じゃ襲ってくださいって言ってるようなものだ……いろんな意味でな」

 あらためてみずからを顧みれば、手足への応急処置はそれなりに手慣れたものとはなっているが、自らがかつて政府高官であったことを示す朝服はすでに擦り切れて、使い物にならなくなっていた。

 しかも肌着一枚の上から、それを褥がわりに宛がわれていただけで、実際は裸も同然であった。

 

 あわてて我に返り、飛び火しないうちに新たな衣を悲鳴とともにかき抱く。そして身を屈して貞操を守らんとした彼女に、

「襲わねーよ、そんなシュミはねぇっ! 犯る気だったら最初からしてるっつの」

 ともっともな怒喝を返した。

 

 愛想は悪い。その無頼の風に卑しさはなく、着替えの最中に逸らした視線からは、むしろ不器用ながらも気遣いのようなものを感じる。そんな異国の青年だった。

 

「で? なんでおまえ、あんなところに倒れてた?」

 そして当然そこに行き当たるだろう。

 すでに天下の大逆人。生きていることが知れれば、たちまちに刑場の露と消え、その骸は京師に晒されて灯火を突き立てられてもおかしくない身上だ。

 

 だが、月は、その問いに着替えながら訥々と素性と、そこに至った経緯を説明していった。

 もとより一度は死んだ身。詠は、きっと蘇らなかった。今更己ひとりが生きてなんの甲斐があるというのか。

 

 それに、ふしぎと彼にそこをごまかすことは、悪手に思えた。

 この青年が、我が身惜しさや欲で、少女を差し出すような下劣な人間には見えなかった。

 そしてせめて誰かに、偏見なく自分たちを見てくれる誰かひとりには、知っていてほしかったのだろう。

 

 決して、私利私欲のために起ったわけではなかった。

 己のことはともかく、詠、恋主従、霞、華雄、透、李傕……

 星が流れ落ちるように、霜が春の陽気に融けるように消えていった、数多の同胞たち、そして敵将。

 彼女らは、悪ではなかった。純粋にその武と機略を天下に捧げたのだと。

 

「――なるほどな」

 男の感想は、それだけだった。武関での、あの天の御遣いの斧遣いと恋との一騎打ちには、何故だか少し……煩わしげな反応を示しこそしたが、自分からその感情の由来を口にすることはしなかった。

 

 彼がそれ以上の興味と感慨を持たなかったことには、少し落胆しつつも、安堵もしていた。

 

「私を朝廷に突き出せば、恩賞は望むままでしょう……覚悟はできています。如何様にも」

「馬鹿か。おまえが凶状持ちってこと自体は、拾う前から察しがついてた」

 

 試すようにそう言った月に、つまらなさそうに鼻を鳴らして膝を立てた。

 それを承知で、己は面倒ごとでしかない月を背負い込んだのだと。

 

「――負け犬が、今更何にありつくってんだ」

 と自嘲をしながら。

 

 相手には語らせつつ、青年は己自身のことは多くを伝えなかった。

 名をライナス・リーダスということ。他よりずっと遅れながら、最近になって自身が天の御遣いとしてこの異世界に落ちて来たことを人口より伝えられたこと。

 そして、おそらくこちらに呼ばれている兄を、捜しているのだと。

 

「それで、これからどうする気だ?」

 もたつきながらやっとのことで侍女の装束に袖を通した月に、ライナスは直截に尋ねた。

 確かなアテがあるわけではない。だが、

「馬騰殿のところへ」

 と月は答えた。

 

 上党から落ち延びた劉協……白湯が逃れるとすれば、消去法で勤皇の想い強い彼女とその軍閥を頼るはずだった。

 

「そりゃ、あのヤロ……そいつらの仲間ふたり、やっちまったんだろ? いくら同郷ったって、すんなり受け入れてもらえるのか」

 意外な物覚えの良さでライナスが疑念を示すのに、月は淡く微笑んで

「殺される、かもしれませんね」

 と素直に返す。

 

 だが、今なお曹袁に道理があったなどとはどうしても思えない。彼女らが手前勝手に布いた法の下に殺されることに、強い拒絶の念がある。

 殿下の御前で非力を謝し、鳳徳の仇として葬られるのであれば、まだ納得がいく。

 

「――後悔してるのか?」

 火を挟み、正面から睨みつけながらライナスが尋ねる。

「自分のしでかしたことに」

 

 それについて、振り返りつつ月はしばし無言でいた。

 意を決し、挙兵に及んだ当初であれば、義が我らにありと断言できたはずだった。

 だが今の自身の唇からこぼれ落ちたのは、

 

「分かり、ません」

 と消え入るような逡巡の呟きだった。

 

「あの時正しいと信じて疑わなかったことが……すべてを喪った今、そうは思えなくなっている」

 思い詰める前に、ほかに方法はなかったのかと、崖下に転落するずっと前から、気が付けば自問していた。己の悪癖だと知りながらも。

 

「……ちっ」

 野犬のものらしき遠吠えが聞こえて来て、ライナスは燃え木の一つを取ると立ち上がり、残るすべてを砂の中へ埋めて消した。

 

「あ、あの?」

「獣どもがおまえの血の臭いに気づき始めたらしい……もう体は温まったろ。さっさとここを抜けるぞ」

「……いっしょに、行ってくれるのですか?」

 

 あ? と、青年は怪訝そうに眉をしかめた。

 そして、己が申し出されてもいない同行を進んでしようとしていたことに気が付いたらしい。

 重たい吐息とともに、

 

「こっちだって、土地勘なんぞあるわけもなし、どこへ行ったら良いのかわかんねーんだよ。人と情報が集まる場所があるなら、そこへ案内しろ」

 などと、もっともらしいことを言って、背を向けた。

 

 月がよろめき、青竹を頼りにしつつ立ち上がるのを待っていた彼は、

「……『正しいと信じて疑わなかったことが』、か」

 と呟き、

「嫌なこと思い出させやがって」

 そう、毒づいた。

 一瞬、嗤っているかのように思えたが、それは炬火の揺らめきが見せた幻か。

 横顔は、相当に苦り切ったものだった。

 

「す、すみません」

「なんでおれに謝る。相手が違ぇだろうが」

 反射的に謝罪を口にした月だったが、相手の威圧感に怯え、また詫びんとした己の口をあわてて閉ざす。

 

 当然、月の歩行はおぼつかない。だが、それを補助するライナスではなかった。

 しかしそれでも、歩幅を狭め、足並みを揃えてくれてはいた。

 そこに、不器用ながらも配慮を感じ取った月は不満など口にするべくもなく、凝り固まった頬をほんのわずかに緩ませながら、雛のごとくついていく。

 

 消えたと思われた月は、どうやら雲の中に隠れていただけだったらしい。

 闇の竹林を抜けたあたりで、ちらりとその燐光を覗かせていた。

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