恋姫星霜譚   作:大島海峡

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孫堅(八・終):騎虎からの独立

 護衛、という点においてはある意味魚沼宇水は適役だっただろう。残忍性を伴う本人の気質さえ無視すれば。

 

 挑発的な物言いで相手の意識を引き、好戦的な姿勢で護衛対象への注意を外す。何より守勢に長けた武術家としてのセンスと、自身が暗殺者であるがためのノウハウとが活きる。

 

 ……その宇水が、停まった。

 潰れ覆ったはずの目をその客人たちに向け、開いた上顎の裏に舌を張り付かせて。

 

「ね? だから言ったでしょォ? 宇水もこっちに来てるって」

「あぁ、女の勘ってのも存外に馬鹿にはできないな」

 

 立場と務めがおのずとわかる、鼻にかかったような女の声。せせら笑いそれに同調する男の声。

 それを聴くたび、宇水の身体は硬くなる。そして、心なしか小さく縮こまってさえいるように思えた。

 

 この三者に如何なる因縁があるかはさておくとしても、宇水のその委縮ぶりを、雪蓮とて容易に咎めたり、嘲ることは出来ようはずもない。

 白帯をまとったこの怪人を、前にしては。

 

 同じ部屋にいるだけで、身を焦がすかのごとき覇気。武というよりは暴ともいうべき気配の塊。

 強者とあれば悦び猛る雪蓮ではあるが、この妖鬼、志々雄真実と対するとなれば、無心でそうはありえない。

 

 ろくな供回りをつけず、左右に侍るは一部首脳陣。彼らも背に立たされ、みずからの情婦の細腰に片手を回す。

 それは油断かと問うことがあれば、彼は余裕と返すだろう。

 そして、有事の際にはこの由美なる女を襲いかかる雪蓮ごとに貫くことさえ躊躇しない。そんな気配がある。

いや、実際雪蓮がそう思案を過らせたことを、気取っているかさえ思える。

 

 ――だが、益州新興勢力に志々雄あれば、対面するは孫家の裔たる母、孫文台である。

 

「で、何をしに荊州まで来た? まさか婢と睦み合う様を見せびらかせに来たわけでもねぇだろ」

 似た者同士、ということか。母の佇まいは、志々雄の傲然たるそれと近似している。

 

「なに、ウチもようやく国一つ盗ったところでな。隣の先輩にご挨拶をと思ったまでさ」

 む、と雪蓮を始めとする武人たちが、その言葉に眉根を寄せる。

 益州の顛末は漏れ聞いている。韓遂の分隊と争う劉氏の隙を突いて漁夫の利を得たと。

 一方で、たしかに己らは荊州を奪いこそしたが、それは防衛戦の延長線上での、正々堂々たる智と武の応酬によってである。それと先方との非道とを同類視されることは我慢ならない……が、曲がりなりにも外交の席である。

 そしておそらく……正面からやり合っても、彼らは劉焉に勝っただろう。

 

「お互い、やることの多い身だ。互いに関わってる暇なんざ無いはずだ」

 その志々雄の言におや、と意外の念を覚えた雪蓮は、

「物々しい殺気で乗り込んできたから、てっきり宣戦布告にでも来たのかと思ったけど、不可侵協定か、盟でも結びたいってことかしら?」

 と、思わず口を挟んだ。

 

 彼女に向けられた、燃えるような双眸は揶揄とともに凶猛に(ひず)む。

 

「盟? そんなもん、俺たちの間で何の意味がある? 誓詞血判なんざ、クソの役にも立たねぇよ」

「なぁ!? 志々雄様!?」

 

 近侍する志々雄の懐刀らしき男が、驚愕とともに瞳孔を開く。

 その反応から察するに、おそらく本来の用向きはまさしく雪蓮の推察した通り、結盟。それをこの主が土壇場で翻したのだ。

 だが、対する孫堅は容易に姿勢を崩さず、むしろさもあろうと言った具合に首肯した。

 

「たしかに、必要ねぇ。互いに噛み合う時ではない。今は、まだな」

「さすが江東の虎。話が早くて助かる」

 

 諸葛瑾ら、同席する文官の多くが青ざめながら

(訳が分からぬ)

 と、謎かけが如きその応酬に顔を顰めた。

 

 一方で雪蓮は曲がりなりにも虎の子である。理ではなく、肌身の感覚で以て母らの意を汲んだ。

 

 用心なく背を向ければ斬りかかる。

 迂闊に喉笛を晒せば喰らいつく。

 無様に疲れを見せれば、殺す。

 

 さりとて肉食の獣は、種を異としても、言葉を交わすまでもなく、自然互いの縄張りを心得ているもの。

 手近な獲物を喰らうべし。

 孫家は荊南の蛮族ならびに揚州を。

 志々雄一派は巴蜀に割拠する旧権力の残党の駆逐と中原への進出を。

 

 やがて渇望が肥大化し、互いの領域を侵して殺し合う、その時まで。

 

「うちの馬鹿娘が温いことを抜かし、失礼したな」

「なに、構わんさ。馬鹿なぐらいが、後々楽しみが増えるってもんだ」

 暗黙の(うち)に互いの了解を納めたと見え、二人は立ち上がった。

 

「ふん、狂犬ぶりはこの世界においても健在のようだな……だがひとたび陣営が分かれた以上、後腐れもなく貴様を殺れるというものだ。覚悟しておくがいい」

 いささか調子を取り戻した宇水が、去り行くその背に強い言葉を浴びせる。

 鷹揚にその盲武人を顧みた志々雄は、その殺害予告を不敵な笑みを称えたままに受け止め、

「あぁ、その時は……愉しく殺ろうぜ」

 と返した。

 

 その後に、宇水の返事が続くことはなかった。

 

 ~~~

 

「今の、どういうこと?」

 全てが終わった後、雪蓮は炎蓮に尋ねた。

「見ての通り……だろう。我らは益州と手を組む」

 

 代わりに答えたのは、孫静である。

 日頃不気味に思っている宇水が苦る姿に気を良くしているのか。いつもより態度が肥大して見える。

「幼台、言葉は慎重に選べ。盟じゃねぇと言ったはずだ。伯符、貴様もすでにテメェの肚のうちで理解してるもんを、いちいち口にするな」

 だが、姉に睥睨されて、慌てて引き下がった。

 

「笑っちゃうぐらいの詭弁ね」

 だが雪蓮の方は、下がらない。

 母の前では萎えがちな勇を決死の覚悟で奮い立たせて、その炎渦巻く双眸に自身の虎眼を向き合わせた。

 

「孫家の武とは、民草を困窮より救い、天下にその矜持を示すものではなかったか。何故それが、袁術がごとき小娘に媚びへつらい、曹操の暴挙を傍観し、そして今また無道の掠奪者と迎合するようになったのか」

 

 一武人として、一義人として志々雄との関係に留まらずここまでの鬱屈を暴君へと傾きつつある家長へぶつける。

 

「策殿! 口が過ぎまするぞ!」

 祭が鋭く彼女を諫止した。しかしその身体は若殿へと並び立ち、その目は主へ向けられる。

 

「さりとて、我らもまた気持ちは同じ……」

「左様。盟を形にせなんだことはまだ良いとしても、あの手の暴虐は長くは続かぬが世の常……その滅びとともに、奴輩の関係を持ちし我らは後世まで嘲りの種となりましょうぞ」

 と、雷火も和同する。

 

「……いや、私は良き手と存じます」

 が、それらの背を言葉で打った者がいる。

 孫策の盟友たる、周瑜であった。

 

「冥琳……!?」

 いや、彼女だけではない。その隣で俯く程普、諸葛瑾もおそらくはその賛同者だ。

 

「よしんばあの者らと敵して益州を攻めたとて、敵の強さ、彼の地の要害に比して実入はあまりに少ない。天下二分計において、揚州荊州の基盤、涼州という足がかりを得て、巴蜀は初めて壁として機能する。現状荊北を袁術もとい黄祖に接収され、涼州の顔役たる董卓の確保に失敗した今、西を攻めたとて利はない。むしろ、北と西に曹操の南下を防ぐ緩衝、あるいは壁が出来たと考え、まずは雍州の劉耀攻めと荊南の地固めに注力すべきと考える」

 

 滔々と流れていく自身の軍師の主張。まったくもって盤石の正論だ。孫家の安泰のみを考えれば。

 

「……つまり、義と名を捨て、目先の餌と保身に奔るというわけ。はっ、それこそ獣の理屈じゃない」

「いちいちうるせぇ仔犬だな」

 首を揺らして骨を鳴らしながら、炎蓮は言った。

「貴様のようなひよっこが、一丁前に孫家の武について語るな」

「あら、分かってるつもりよ。少なくとも、今の母様よりね」

「なら、そのご大層な言い分を、何故会談の場で発さなかった?」

「……」

「貴様だって所詮は獣よ。戦う時と場と、そして相手を選んでいる」

「……どうあっても、この決定もその振る舞いも、改める気はないと?」

「くどい」

 

 低く一喝する母を前に、そう、と一つ相槌を落とし、雪蓮は自らの長髪を梳いた。

 だが、次の瞬間彼女の脚が、両者の間にある机を蹴り飛ばした。

 会談に用いられた什器の類が散乱するのを、雪蓮の不意打ちを予期していたらしい炎蓮はたやすく首のみ動かして躱す。

 

「じゃあしょうがないわねっ! 今日をもって、孫家は代替わりよ!」

 構わず拳を握り固め、雪蓮は母に挑みかかったのだった。

 

 〜〜〜

 

「……で、しっかり負けていれば世話ないな」

 担ぎ込まれた医局、その寝台の上で、うぐぐ、と雪蓮は切歯した。

 腫れた頬の治療の後、介抱に当たっているのは、女房役たる冥琳である。

 

「まぁ親子喧嘩に加減をしてくれる程度には、まだ人の心があるようでよかったじゃないか」

「よく言うわ、この裏切り者」

「その裏切りで戴くべき我が王を諫止出来たのだから、褒め言葉として受け取っておこうか猪武者殿」

 

 と、互いに悪態を軽く吐き合う。

 言わずもがなこの場合、王とは孫文台に非ず。伯符である。

 

「まぁ流石に言い過ぎやり過ぎとお考えか。揚州攻めの総大将はお前と決まったよ。軍権を剥奪されてもおかしくなかったろうに、良かったな」

「どうかしらね……体の良い厄介払いな気もするけど」

 

 不貞腐れたように寝相を変えて背を向ける。

 しばし考え込んでいた彼女だったが、やがてその考えや想いをまとめないまま口を開き、

 

「志々雄の幕僚の中に、見知った顔がいた」

「張郃か?」

「そっちは……まぁもう何度生き返ってもふしぎじゃないわ。陸遜よ。私が滅ぼした、陸家の娘。それが敵に回った。張郃にしても、崖から斬り落とした後死んだものと思い込んでた」

「……それが?」

「だからどーだってハナシじゃないけどね……そーやって考えなしに因縁を増やして、いったいどこへ向こうってのかしらね、私達は」

 

 最初は、自身の土地と、家族と誇りを守ればそれで良かった。

 他に攻め入るも、天下に気概を示すため。

 だが今、狂った虎に跨った孫家の行き着く先は……柄でないのを承知で、悩み、抱え込みそうになる。

 

「耳の痛い話をしているな……」

 と、端正な顔立ちを複雑そうにしかめつつ、勝頼が見舞いにやってきた。

 

「あら四郎。何か用かしら? ……耳が痛いって?」

「いや、こちらの話だ」

 自らを不祥の息子と過小評価しているがゆえか、勝頼はあまり己のことを話したがらない。打ち明けたのは、初戦での孫堅の勇み足を諌めた時ぐらいであった。

 

「それよりも、孫権殿が例の御仁をお連れしたぞ」

「例の御仁?」

「私が呼んだ。揚州攻略に、何より今のお前に必要な人材だ」

 

 上背の高い勝頼の背後から蓮華が、そして見覚えの薄い、青髪を短く切り揃えた娘が現れた。

 だが、その特徴と気骨は、直に彼女と対面した冥琳から伝え聞いている。

 

「文仲業です。ようやく旧主に見切りをつけたとして、従軍を願い出ています」

「あぁ、例の劉表配下の……」

 興が湧いてきた雪蓮は、身を起こして彼女を眺める。

 存外に小兵であった。

「でも大丈夫なのかしら? 貴女のお仲間、東興ではさんざん足を引っ張ってくれたけど」

「その汚名を払拭したく、陣借りを願い出た次第……家族ごっこにうつつを抜かし、腑抜けて不貞寝をしている方より余程頼れますよ」

「……言ってくれるじゃない」

 

 文聘は降将とは思えぬ骨の太い、辛辣な返しをする。

 正論ゆえに腹は立つが、その正直さは小気味良い。

 少なくとも、雪蓮を起き上がらせるに、何よりの薬となった。

 

 それにしても意外なのは、蓮華の沈黙である。

 以前であれば、文聘の発言に一番に目くじらを立てて話を遮ってきそうなものだが。

 

「仲謀、貴女の意見は?」

 そこで雪蓮は彼女と対峙した者として、妹に問う。

 この新参者に、異心有りや無きや、と。

 

「はい。言い方は多分に不遜ながら、なればこそ戦場で背を撃つような真似はしないかと。その将器も保障します」

 

 おや、とあらためて雪蓮は蓮華を視た。

 加入してきた者たちを頭ごなしに疑って保守に奔りがちだった彼女が、旧敵を公平な目で見、その言動を受け入れる柔軟さを得たようだった。

 シグルドの死、凌統の裏切りが、自省と成長のきっかけとなったようで何よりだ。

 

「だが、孫静殿は襄陽の統治。祭殿たちは炎蓮様、小蓮様と江陵の守備に就いたままだ。本来なら、志々雄と事を構える必要がない以上は、比重をライコウへと向けるべきなのだが……」

「文句があるなら他人(おや)の手を借りずに独り立ちしてみせろ、ってことね」

 

 冥琳より無言のうちに手渡された編成表を眺めながら、雪蓮は毒づく。

 侵攻軍は孫策を総大将に、周瑜、佐将に勝頼と文聘。

 そしてライコウに対するは、孫権を大将に据え、諸葛瑾、三成が参謀。甘寧とサーシャが武事を司る。

 兵力の多くは後者に割かれ、本来ならより多くの兵力を要する揚州側はいささか不足しがちである。

 その名簿を突き返し、意を固める。

 

「……決めた。母様がそういうつもりなら、そうしてやろうじゃない」

「というと?」

「私は、劉耀を降して揚州を手に入れる。その領地も、太史慈や赤毛の大将含めてそっくり頂く。そのうえで、自分自身の勢力(くに)を作る」

 

 もう虎の威を借りず、畏れる必要のないように。

 もうその反応を、おそらくは事前に察知していたのだろう。冥琳に驚きの色はない。

 

「お、お待ち下さい! それは……母様を裏切るということですか!?」

「向こうが暴走しないうちは、手向かいしないわよ。ただ、選択肢は多い方がいい。母様の暴力に従うか。それとも、私とともに別の道を探るのか……貴女は、どうする? 蓮華」

 

 と問うたところで、すぐに答えの出るものでもあるまい。

 そう構えていた雪蓮ではあったが、また彼女の予想を裏切って、すぐに次妹は口を開く。

 

「私の中では……未だ答えが出ません。今の母様へ盲従はできない。でも、ただ、真正面から逆らうだけで答えが出るほど、姉様のようには強くもなれない。だから……私は南へ向かいます。かの御遣いたちと戦い、あるいは語らうことで、自分なりの答えを探したい」

 

 自らの迷い、弱みを曝け出しながらもしかし、真っ直ぐに碧眼を向けて、偽りも飾りもない率直な想いを言の葉に乗せる。

 あの何処か劣等感から鬱屈していて、孫家がために気負い過ぎて頑なだった妹が、よくぞここまで……

 その躍進が喜ばしい一方で、寂しくもある。

 

「そう、だったら貴女のしたいようになさい」

 その空虚を埋めるかのように、雪蓮は自然、吐息とともに胸の下で腕を組んでいた。

 

「……ごめんなさい」

「良いのよ。ほら、顔を上げて」

 そう促して自らは腕を抜き、掌を開いて掲げてみせる。

 その仕草の意図を、一拍子遅れて悟った妹は、遠慮がちに、それに倣った。

 

「今度会う時は天下よ。蓮華」

「はい、姉様」

 

 そう固く誓い合った若き虎たちは、互いに手を打ち、重ね合ったのだった。

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