恋姫星霜譚   作:大島海峡

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曹操(十七・終):次なるソラへ

「――中原の騒乱も、ようやく収拾の兆しが見えて参りました。これも陛下の高徳ゆえでありましょう」

 

 かの昇官の議において。

 そもそもの騒動の発端たる曹孟徳はぬけぬけとそう告げた。

 

「まぁそれは当然のこととして……曹操殿の智勇も、少なからず貢献しておりましてよ。この趙忠、感じ入りましたわ」

 それに対して玉座の脇に控える最後の十常侍もまた、素知らぬていにて頷き返す。

 

「その功に報いるには、今の西園八校尉では不足がありましょう。事前の内示の通り、貴殿を然るべき官職を授けたいと陛下は仰せですが……」

 

 無言の帝にちらと視線を寄せつつ、彼女は続ける。

 

「よろしいのでしょうか? 貴殿が望むなれば、大将軍の職もお任せしたい、ともお考えですが」

 ――女狐め。華琳はそう毒づいた。

 誰がこの情勢下で、野心を露骨に喧伝するかのごとき躍進を望むものか。火中の栗など、誰が拾うか。

 

「大将軍の斧鉞は今なお逃亡中の何進の手にございます。それを取り返さぬうちには、畏れ多きことにございます」

 自身の能力の過不足については意図的に言及せず、華琳は頭を垂れた。

「ふふふ、たかが証など」

 袂を唇へ寄せつつ、宦官は言った。

 

「また作れば良いではありませんか。形式にとらわれるとは、風雲児たる曹操殿らしからぬこと」

「いいえ、天に一つしかないはずのものが、二つ別のところにある……それは、後々騒乱の種たる矛盾となりましょう」

 

 ――だが心は、常に上を向いている。

 俯いたままの、愚帝を睨み上げ、言葉を発している。

 

「それに小康にあるとは言え、この都一つとっても騒ぎは完全に収束してはおりませぬ。よって今は兵を方々に発するより、都を固め、政を正すべきかと。ゆえに今の曹操には、土木や政を司る『司空』の位こそ、もっとも頂戴したき職」

「……まぁ、なんと無欲にして健気な申し状でしょうか」

 

 三公の位をねだっておいて、無欲もへったくれもなかろうが、嫌味を承知で趙忠は褒めた。

 

「よろしい。では曹操、貴殿を司空の位に就ける――けれども、一つお確かめしても?」

「は。なんでしょう?」

「かつての何進張譲がごとく、分不相応に天下への野心などはお持ちではないと、その『無欲さ』はそう受け取ってよろしいのですか?」

 

 細められた眼差しに、氷の鋭さと闇深さを込めて、趙忠は曹操へ下問する。

 

「露の一滴ほども、抱いてはおりません」

 そして曹操は黄金の頭を持ち上げて堂々と宿阿を睨み上げる。

 真正面から、天下に向かって虚妄を吐いたのだった。

 

「……くー」

 そしていつの間にか蚊帳の外に追いやられていた当の帝は、寝息とともにその冠を頭上からこぼれ落としたのだった。

 

 ~~~

 

「しかし聞くだに腹の立つ趙忠の横柄ぶり……勝ち組を気取るあのような寄生虫をいつまで放置しておくのですか」

 

 早速に割り当てられた司空府の一室。口吻鋭く吐き捨てる桂花に、華琳は苦笑を思わず漏らした。

 謀才の多寡はさておき、妄信ぶりは似たり寄ったりだろうに。同族嫌悪ではなかろうか。

 

「放っておきなさい。董卓と組んでいたという噂を信じるならば、あれは玉座にさえ興味がない。あの帝の生活と生命が安泰であれば、人畜無害ないきものよ」

「……はぁ」

「それよりも、客人がようやく到着したようね。通しなさい」

 

 と、外に控える李衣に声高に命じて、執務室の戸を開けさせる。

 丁奉に伴われ現れたのは、小柄な影。だが顔から下の肉体は、その場の誰よりも女性的な魅力に富んでいる。

 

「あっ、おばちゃーん」

「誰がおばちゃんか! いや間違ってないけど、あんたの方が年上でしょうが!」

 

 と、桂花が客人に怒り出しかけるのを咳払いで制し、

「荀公達か」

 と、華琳は誰何した。

 

「あい~、いかにも荀攸にございます。ご挨拶が色々と遅れまして」

「上庸あたりでずいぶんと寄り道したらしいわね」

「はて、なんのことでしょうか」

 

 いかにも無垢らしく小首を傾げる。その面の皮を、厚手の衣服ごしに剥いでしまいたい凶暴な悪戯心に駆られたが、今日はもう化かし合いには辟易している。

 

「まぁ良いわ。出来れば手土産の一つぐらいは欲しかったけど、その代わりに、さっそく仕事をしてほしい」

「韓遂の件です?」

 

 さすがは董卓の殿軍を指揮した戦術家、と曹操は満悦とともに舌を巻く。

 見かけの愚鈍さに寄らず、道中の情報収集ひとつ取っても抜け目がない。

 

「そう、あのおば様、お株を取られて相当頭に血が上ったようね。潼関に向けて自ら本隊を率いて進発中よ」

 旧知であるがゆえに、その為人、もとい気性習性は、華琳もよく知るところである。

 よって、あの叛骨の怪物が、何に腹を立てているか。理解できずとも把握はできる。

「本隊、というと。別働隊もしっかり用意されてます、っと。迎撃軍の背後を伺う精鋭が」

 華琳は黄金の二房を揺らして頷いた。

「すでに我が同族の曹仁・曹洪に二軍を与えオシュトル、徐庶を副将にして関に入れている。貴女は『この者』とともに、先行する曹休と合流。その別動隊の抑えに入って頂戴」

 

 そう言って、開けっ放しの戸口に、華琳は再度首を巡らせた。

 入って来たのは、また骨細の少女である。

 ――否、『他』と較べれば華奢には違いないが、もはや骨細とも言えまい。まして、少女とも言えまい。

 この数月で、背も伸びたし、肩や脚つきなどもしっかりしてきた。それに合わせて、髪の後尾を切り落とし、服飾も男のそれに代わっている。

 

「なっ……!?」

 それを女だと信じ込んでいたらしい桂花が、声を漏らした。

 その反応にさしたるものも返さず、少年は手を拱く。

 

「司馬仲達、まかり越しました。兄司馬朗の喪も明けたことゆえ、本日をもって復職し、装いもあらたに曹操殿の、いえ華琳様が覇業がため、一層の忠勤に励む所存です……もはや、兄の悪趣味に付き合うこともありますまい」

「悪趣味、ねぇ」

 

 いかに恥ずべき悪癖であったとしても、血を分けた故人に対して散々な言いぐさであろう。

 果たして届け出どおりに『病死』であったのか。疑うべきところではあろうが、無用の詮索でこの天才を失うのは己の主義に反する。

 

「さっそくではありますが……僭越ながら、先の言葉を盗み聴きしてしまいました。その韓遂の報、華琳様には早い段階で察知していたように推察いたします」

「根拠は?」

「夏候惇、夏侯淵両将軍に豫洲近郊に回し、ヤン殿を青州都督の任を解いたうえで旧袁紹軍を益州の警戒に当て、意図的に司隷を手薄に見せかけることで、韓遂の侵攻を誘ったのでは? そこまで派手な交代ともなれば、信頼するに足る情報筋から事前に密告があった、ということではないかと表出した事績のもとに理論を組み当てたまでのこと」

 

 そして、以前ならばここまで踏み込んでは来なかった。

 身辺が片付いて、良くも悪くも心境の変化があったということか。

 

「長安の馬家よ」

 事もなげに、華琳は答えた。

「馬騰が隠居願をしてきたついでに、義姉妹の暴走を教えてくれた。もっとも馬家自身は長安に籠ったまま、韓遂を素通りさせる様子だけどね……何がしたいのやら」

「我々と韓遂とを争わせ、漁夫の利を狙っているのでは?」

 司馬懿――青狼の考察と競り合うかのように、桂花が進み出て言った。

「いえ、馬騰はともかく、馬超の性質から敵の背を撃つのは良しとしないかとォ」

 とその姪が反論する。

 

「時間稼ぎ、ということも考えられます」

「何に対してのよ?」

 みずからが嫌う男と知れたからか、あるいは競争相手であるがゆえか。青狼に対する桂花の語気(アタリ)は、かつてよりもきついものになっている。

 

「――たとえば、何に取りても守らねばならぬ物を抱え込んでしまったがゆえの、慎重さ、とか?」

 ぽろりと、何となしに荀攸の告げた考察が、その場の知恵者たちの視線を招き寄せた。

 

「青狼」

「……至急、ロイド殿に探らせます。過度に刺激しない程度に」

 

 知れ切ったような呼吸で、青狼は主君の命をよく汲み、それがまた桂花の妬心を誘う。

 華琳としては、何かにつけて他人には(から)く当たる彼女より、天の御遣いに近しい司馬懿や徐庶の方が彼らの扱いを心得ているという判断からで、個人的感情などではないのだが。

 

「しかし、その思惑に乗ってでもなお、韓遂は排除すべきと?」

「今は両方を相手にしている場合ではないということよ……関中方面は、早急に整理しておきたい」

 

 敵は韓遂のみに非ず。否、そちらが本命である。

 益州の野獣、志々雄真実。

 奴輩が中原を侵掠するよりも先んじて、少なくとも韓遂だけは。

 

「そのために此度は堅実に行く。私と桂花は都の固めに入る。仲達、公達、『二達』で文烈を支えてあげて頂戴」

「あい~」

「承知しました。さりとて、その別動隊の敵とは?」

「あなた達賢者に相応しき相手」

 

 と、華琳はあえて曰くありげに笑った。

 

「敵は、天の御遣い竹中半兵衛と、その弟子姜維――戦場は、おそらく五丈原(ごじょうげん)

 

 ~~~

 

 風の如く、時代を駆け抜ける英雄がいる。

 林の如く、時代を窺う賢者がいる。

 火の如く、時代を侵す悪鬼がいる。

 山の如く、時代に君臨する王者がいる。

 

 少女はそれを記す。

 時代を、人を。その興亡を、その光芒を。

 

 傲慢ともいえ、矛盾ともいえ、願う。

 今を生きる恋姫たちに、幸あらんことを。

 かつて死んで蘇った星霜たちが、悲願を掴まんことを。

 

 この世界は、そのためにこそあるのだから。

 

 ――さて、どこへ行こうか。

 ――誰を、記そうか。

 

 みずからの月旦評(デバイス)を閉じて、観測者は軽やかに飛び上がった。

 次なる時代(そら)へと。

 

 

【恋姫星霜譚】――閉幕

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