恋姫星霜譚   作:大島海峡

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南陽の大盤狂わせ
袁術(一): ジェネラル・ルージュの参戦(前)


「ぐぬ……グヌヌヌ」

 南陽(なんよう)郡。(えん)城。

 王宮もかくやという政庁、玉座にも等しき首座。

 そこから小ぶりな身を離し、右往左往。

 

「……って負けておるではないかっ、そして攻められておるではないかーッ!?」

 

 袁術公路(こうろ)は叫びにも似た金切り声をあげた。

 

「いかな屈強な西涼(せいりょう)騎兵であろうとも、函谷関を抑えておれば疲弊すると、そういう話ではなかったのかえ!? 何故に一瞬で負け戻って来たのじゃー!?」

「うう……申し訳ありません。御使いの皆さんがあまりに不甲斐なく」

 涙ながらに張勳(七乃)は主人に詫びた。が、誰がどう見たところでそれはあからさまに偽りの涙であって、しかも全責任をそれとなく他の両将に押し付ける悪辣さである。

 

「ええい、せっかく拾ってやったというに、頼りにならぬ連中じゃ!」

 

 彼らにも言い分と矜持はあるが、何も言わなかった。

 理由としては、所詮は小娘の癇癪と取り合わなかったのがまず第一。

 第二に、もしあのまま対峙していたとしても敵わなかったという事実ゆえ。

 そして、名誉を挽回するにも、汚名を雪ぐにおいても剣によってというのが武人の考えであるがゆえに。

 

「えーと、というわけで……敵軍が迫ってきています。長安を出た董卓さんご自身を総大将に、呂布さん、賈駆さん、張遼さん、華雄さん、徐栄さん……ってうわー、完全に主力じゃないですか」

 

 七乃の諜報がもたらした報が袁術軍幕僚の顔を青ざめさせた。

 読み上げられた名は、それを音として聞いただけで、魂の抜けそうなほどに圧倒的な軍容であった。

 

「つまり敵は完全にこちらを叩きのめし、後に勅によって布かれるであろう包囲網に穴を開けようという肚でありましょう」

 

 そこに、毅然と進み出る士がひとり。

 元の板金は良かろうが、いかにも歴戦の傷でございと言わんばかりに大小の損壊が見られる真紅の鎧。

 ぼさぼさと伸びた蓬髪に黒々とした鬚。精悍と言って良いが夜出くわす獣のごとく恐ろしい眼光。

 

 みずからの下に参じる天の御遣いは彼女の美意識とは真逆の無骨者(ハズレ)ばかりだが、この男は極め付きだった。こうして相対すると息が詰まりそうになる。子飼いの諸官や将軍も、呂布の名を聞くときにも似た委縮ぶりを見せていた。

 

()()殿()()()()()()()()、関では大した損害も出さずして撤退することができました。要所こそ失陥いたしましたが、むしろこれは我らにとって幸い。兵力を温存させ、かつ敵に思考させる暇を与えたことにより、かえってこちらは迎撃の準備を整えられております」

 

 ドスの利いた調子で、かつ適度に七乃も立場を取り持ちながら男は一笑だにせず続けた。

 

「さらに言えば、敵が総力を以て攻勢をかけてくること。これは裏返せばそれほど我らに時をかけられぬことでありましょう。事実、彼らがその側背を衝かれることはいずれ時間の問題。よって我らは、これを待ち受けます。凌ぎ切れば、敵の瓦解は必然であるかと」

「ほぉー」

 

 壮年の天の御遣いに賛同したは、またもむさい顔の男。鎧の拵えこそまたこの中華のそれに似ている。ここから遥か後の中華より来たなどと戯言を抜かしていたことが記憶の片隅に残っていた。

 

 (アメ)のごとき、だがどこか底冷えしたような声音でもって、袁術は、美羽は相槌を打ち、そして足を投げ出すようにして再び着座した。

 

 実のところ、彼の語る兵理のことなどそれほど戦機に疎いわけではない――少なくとも彼女はそう自負している――がその関心は別の場所に、方角で言うなれば東へと移っていた。

 それでもあえて、皮肉を込めて問う。

 

「で、勝てるのかの? 呂布や張遼相手に」

「勝てぬまでも、負けぬ戦は出来ましょう。勝手ながらすでに、そのための準備は進めております」

 

 真紅の将軍はよどみなく答えた。

 それを聞き、美羽は頷いた。

 

「ま、良いじゃろう。其方ら、手勢はすでに預けてやったであろう。その兵力を以てそこな落ち武者に助力してやるが良いぞ」

「ちょ、ちょっと美羽様!? よろしいのですか?」

 

 軽く慌てた様子の七乃。そんな彼女を指で呼び寄せ、そして耳打ちする。

 

(別に戦いたいというのであれば好きに戦わせてやればよかろう。どうせ知れ切った負け戦よ。ああいう戦馬鹿どもがせめて敵の追手を食い止めている隙に、妾たちはその間に揚州に帰るのじゃ)

 

 どうせ中原の政争は様々な勢力が入り乱れて荒れに荒れる。

 それを対岸より傍観しつつ力を蓄え、諸勢力が疲弊しきったところで天下に号令すべくふたたび上洛する。

 それこそが袁家百年の計である。

 

(さすがお嬢様! そういう人を人とも思わぬ小狡いところ、痺れます憧れます!)

(うむ、さもあろうさもあろう)

 

 敬愛の念をもって七乃は褒めたたえ、美羽はそこに微妙に含まれた棘に気づかぬままに称賛を受け入れる。

 

 ……袁紹と袁術。いずれも名門の出であることに過剰な自意識を持ち、かつ互いに競争心を持ち合わせた令嬢ではあるが、彼女らを隔てるものがあるとすれば、()()であろう。

 

 袁紹は、妾腹の子であるという微妙な負い目ゆえか。従妹よりもより強く、四世三公の名家であることを意識して、かつそれを表出させる。

 彼女の想う優雅さを体現した高笑いもその一片。搦め手や禁じ手を好まず、兵を動かすにも正々堂々、威風堂々を旨とする。

 

 が、袁術(美羽)は、違う。

 平然と卑怯な手を遣う。さりげなく張勲が酷評したかのごとく、ためらいなく人を酷使し、迷いなく民から搾取し、憚ることなく私腹を肥やし、傲然と女王蜂として蜜が運ばれてくるのを待つ。

 

 それは、袁安(えんあん)以来の名門の矜持を喪ったからではない。

 あえて正嫡として生まれし彼女には、あえてそれを振る舞いとして見せる必要がないのだ。

 自分が生まれながらにして特権を持っているからこそ、人を顎で遣うのは当然。民や兵が己に貢ぐのが当たり前のことだし、いかなる非道に手を染めようとも貴族を弾劾する者などいようはずがない。

 

 これこそが美羽の人生の基本則だ。

 それが悪事だとは彼女自身は思っていない。誰にとっても幸福かつ当たり前のことだと、幼稚な精神のままに信じ切っている。

 

 だがゆえにこそ彼女は、よしんば他人が思い及んでも決して容れない手段をごく普通に取り、敵味方問わず多くの諸侯を悩ませることになる。

 

 

 

 ――ゆえに袁公路は、強いのだ。

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