恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁術(二):君の名は(★)

 異音を聞いた。胸やけのするような、慣れぬ臭いが鼻を衝く。

 それが武人から武将へと、霞を引き戻した。

 

「なんぞ、仕掛けよったな。……火攻めか? いや、どうにも(ちゃ)う……もっとえげつないモン使ったな?」

 

 すでに何合も斬り合わせた鉄心も、どこか不本意げにいかつい鼻を鳴らした。

 

「わしも、あれは好かぬ。誰しも等しく人を殺める。あのようなものに頼ったからこそ侍の矜持も意義も見失わせ、その時代を終わらせたのよ」

「ほーう? よう分からんけど、そないなモン使って袁術みたいなドアホに頭を垂れるんか? アンタほどの士が」

 

 刃と刃。視線と視線。そして戦意と戦意。

 それらを幾度となく絡め合い、老剣士は低く言った。

 

「『あの者』の生きた時代には『勝つことこそ本にて候』という教えがある。己の武も含め、使えるものは余さず用いるというのが、彼奴の士道なのであろうよ」

 

 そして、どちらともなく身を剥がす。

 

「――が、わしの剣がそれに負けるわけではない。わしはわしの戦をするのみよ」

 周囲がその両者の(せり)を固唾を飲んで見守る中、鉄心は大上段に剣を構え直した。

 

 胴を晒すか。余裕か、油断か。否、誘いか。

 逡巡する霞の袈裟懸けの一斬が襲った。

 

「っ!」

 ――来た。

 この拮抗する状況を打開すべく打ち出されたであろう、大振りの必殺剣。

 防ぐ。

 残響に鼓膜を侵されながらも、霞は笑う。

 

 凌いだ。これで体勢を引き戻す前に反撃の一太刀を……

 そう思った矢先、右の耳元に風を感じ、背筋に悪寒が奔った。

 

 伸ばそうとしていた偃月刀を引き戻して風音の方角に傾ける。

 その直感と武錬が、彼女を活かした。そうせねば、首は飛んでいただろう。

 

「ちぃっ!」

 

 ――あたかもそれは夜を行く百鬼のごとく。

 互いに息をつかせぬ剣の乱舞。変幻自在に角度と方角を転じさせながら、存分に斬り立てていく。

 

 その一斬が必殺。

 その一刀が不可避。

 その一剣が致命。

 

 もし機と向き読み違えば、たちまちのうちにその剣風に巻き込まれ、間合いに取り込まれて膾のごとく切り刻まれるであろう。

 

 都合十度前後といったところか。

 さすがに自重と攻めとを支え続けてきた脚に、霞は限界を察した。

 

 あえて吹き飛び、転がって距離を取る。

 

「っはぁーッ!」

 歓喜とも嘆息ともとれる息継ぎとともに、手と得物を用いずに即座に起き上がる。

 どうして中々。異界の剣士が、天の御遣いがこれほどの者とは。

 あらためて武器を構え直す。

 

 ――が、対する鉄心はフンと鼻を鳴らすや、その骨太な鞘に刀を納めた。

 あ? と機嫌を一転、険しい表情を霞は作った。

 

「――なんやそれ? もう勝負はついたって言うんか? ド阿呆。こっちはやっと温まってきたとこやぞ」

「阿呆は貴様よ」

 

 老剣士は呼吸さえ乱していない。

 目つきの鋭さはそのままに、袂に手を押し込めた。

 

「貴様の本道は将であろうが。それに、そのような得物でわしに挑もうてか?」

 

 鉄心の指摘はいちいち尤もであった。

 砦の抑え込みには失敗した。ちらと横目を向ければ、背後で、呂布の旗が西へ後退していくのが見える。

 

 何より、激しい応酬は自身の武器にさえもいたり、刃こぼれが無数。

 あと数度、斬り結んでいたら根元からぽっきりと折れていたかもしれない。

 

 霞は完全に熱を冷まし、大儀そうに息をこぼした。

 

「しゃあないか……命拾いしたな、オッチャン」

「貴様こそな」

 

 二人して笑い合う。当惑する兵たちに巻くようにして腕を振り、撤退を命じる。

 

「まぁまた戦り合うこともあるやろ。それまでくだばんなや」

「応、いつでも挑みに来るが良い」

「へんっ、言ってろや」

 

 さながら密かな逢瀬の後の男女のごとく……という艶めいたものではないが。

 それでも他人の介在できぬ奇妙な縁を結んだ両人は、互いに再会を約し、そして別れていった。

 

 ~~~

 

 すでに、幾度目かの射撃であった。

 それでも、華雄は倒れない。

 彼女らにとってこの未知の兵器を除かんと突撃をくり返し、それに巻き込まれた兵士は死に絶え、自身の肉体は急所こそ外すものの無数の穿孔が開いていた。

 

「どうした、この程度の豆粒で、この華雄を討とうというのか!?」

 

 だがそれでも、前身を止めない。

 挙句、声高に吼える気力と体力が残っている。

 

「……見事なお覚悟」

 闇よりそう称える真田幸村の本質は死兵である。だが、死を望む者ではない。

 仲間たちのため、そして父の意思を継ぐため。なんとしても生き抜く。己が己であるために。

 ゆえにこそ、戦国最後の武士は、死中に活を求めるのだ。

 

 だが、自身の志と信義に殉じようとする者を、幸村は否定はしない。

 先に挙げた両点がなければ、彼もまた本来はそちら側の人間なのだから。

 

(さながら長篠(ながしの)がごとし)

 

 山県(やまがた)政景(まさかげ)馬場(ばば)信春(のぶはる)内藤(ないとう)昌豊(まさとよ)、そして伯父の真田昌綱(まさつな)信綱(のぶつな)

 

 設楽ヶ原(したらがはら)に散った武田の勇士たちも皆、このような鬼気を敵に見せながら散っていったのだろうか。

 

「幸村さま」

 十文字の槍を手に進み出んとする幸村の身を、傍らにあって伏兵の差配をしていた明命の声が押しとどめる。

 

「あとは、私が」

 兵としてではなく、将としては初陣であろう。

 だが、見事に務めおおせた。それでも緊張は未だあるらしく、握る拳は震えている。

 

「――承知した。されば私は(よう)令公(れいこう)の援護に回るゆえ、あとのことはお頼みいたす」

 

 幸村が微笑とともに肩に手を置くと、触れた先の熱によって緊張が溶かされ、震えが止まる。

 

「はいっ!」

 力強く頷き、幸村を見送ってから周幼平(ようへい)は進み出る。

 

鉄砲隊(うちかた)止めっ、抜刀隊、出撃! 残敵を掃討します!」

「抜かせ小兵風情がっ! これしきの雑兵で、華雄を止められると思ってか!?」

 

 そう吼えるは良し。だが哀しいかな、すでに無謀な突撃をくり返した結果、精強を誇った董卓軍の騎兵の姿は見る影もなく、董卓軍指折りの猛将は満身創痍。

 

 麾下を左右に展開させ、明命自身が華雄に対する。

 健常な肉体であれば、まるで歯が立たぬ相手ではあった。だが、互角の状態で立ち合いたかったという思いも確かにあった。

 

 それらを私情として押し殺し、背の剣を抜き放つ。

 華雄が手にしているのは、音に聞こえた金剛(こんごう)爆斧(ばくふ)

 すでに片手が利かなくなっているらしい彼女は、それを右腕のみで振りかざす。

 

 だがその膂力はすさまじきもので、幹を伐り倒してもなお、人体を両断できるだけの威力を伴っている。

 本来長柄物には不向きな閉所をものともしない。刃の嵐が吹き荒れる。

 初撃を地面すれすれに屈んでかわし、振り下ろされた二撃をそのまま草の上を転がってかわす。

 

 起き上がると同時に再び胴狙いの一閃が迫る。

 明命は木を足場に跳ねた。彼女の身代わりとなって雑木がえぐり取られる。

 

「せやああぁぁあっ!」

 裂帛の気合いとともに、振りかぶった長刀。それを華雄は体幹を崩す覚悟で横に避けた。

 当たりはした。だが、切っ先が上腕をかすめただけだ。

 流血もあって、華雄が大きく左右によろめく。

 だが着地した明命もまた、体勢が整っていない。

 

 いずれかが先にくり出すか。それが勝敗を決する。

 先に動けたのは明命だった。刀を右手に握りしめ、突き出す。

 だが華雄の決死の一振りが、それを上から叩き落とした。

 それは片手で支え切れるものではなかった。今度は明命が姿勢を崩してつんのめる。右腕が、痺れている。

 振り上げた斧刃に首筋が晒される。

 

「もらったぁ!」

 

 勝利の叫びとともに華雄が進み出る。

 しかし、明命には元より力比べをする気はない。武器を拾い直すこともしなかった。

 明命もまた、さらに進み出る。腰の後ろに回した匕首。それを左手に持って、華雄の腹部に突き入れた。

 

 驚愕とともに、華雄の足が衝撃によって浮く。

 慟哭にも似た声を振り絞って、総身の体重を乗せてさらに押し込む。

 そして華雄とともに、地面に倒れ伏した。

 

 臓腑をえぐられ、金剛爆斧が物悲しい金音を立てた。

 もはやそれを握り直す余力は彼女にはなく、ただただ自身の吐きだす血に溺れ、むせ込む。

 

「礼を、言う」

 ゆっくり起き上がった明命を、力なく見上げる目はしかし、怨みとは無縁の、晴れ晴れとしたものだった。

 

「みょうな、豆粒にではない。この世の将の刃にかかる、ことができた。……フフ、私の一撃は、重かっただろう?」

「……はい。今もまだ、右手に感覚が戻りません」

 

 当然ながら、今日に至るまで彼女たちにまるで接点などない。

 それでもさながら師弟のごとく、尊敬の念によって目と言葉に湿り気を持たせて少女は答えた。

 

 痙攣する明命の掌を見つめながら、彼女は赤く染まった唇を吊り上げた。

 

「ならば覚えておけ。その一撃こそが、華雄だ。我が名とともに……憶えていてくれ。若き将よ」

「はいっ……」

 

 それが、呂布でもなく張遼でもない董卓軍の勇将の、最期の言葉となった。

 達成感と死闘の悲哀。相反する感情が少女に心の中で涙を流させるが、それを表に出すことはしなかった。

 丁重に骸の腕を組ませ、武器を抱かせると、声高に勝ち名乗りをあげる。

 

「敵将華雄っ、この周幼平が討ち取りました!」

 

 

 ~~~

 

 華雄の訃報が、風に乗って流れてくる。

 本陣に在ってそれに触れた詠は、指揮を奮っていたその両腕をだらりと垂らした。

 

「何よ、これ……なんなのよ、この状況は!?」

 

 小勢を追っていたはずの彼女たちは、側面に襲いかかってきた大兵あり。

 それは本来、呂布、張遼、華雄が抑えておくはずであった敵の『本隊』。『令』の旗。

 それでも絶対数においては、自分たちが勝るはずだった。

 だが、騎兵を主体としたその用兵は精妙にして狡猾。ずるずると先手を引きずり回したかと思えば、騎兵をもってその伸びきった首を討つ。

 

 完全に他の部隊と切り離され、こちらの数ばかりが減らされていく。

 機動力はともかくとして、攻撃性と即断が段違いに速い。

 

 ――自分たちが、進もうとしていたのが荊の路であったことは覚悟していたことだ。

 帝を廃し、劉協を守り立て、月を相国に任じさせそれをもって袁家を挑発。挙兵を誘いその与党を炙りだして、勅のもとに一網打尽にする。

 それが当初の計画であった。当然、諸勢力を敵に回すのだから包囲され追い詰められて負けることもあっただろう。

 

 ――だが、今自分たちは一勢力に負けつつある。

 それも、袁術ごときに。その捨て石であるはずの軍に。

 

 幸いにしてその後、呂布、張遼と徐栄が合流し、取りあえずは兵をまとめ直した。

 敵もそれに合わせて退いた。

 

 さらなる凶報が舞い込んだのは、退き時を見失って、互いに決めてを欠くがためにいたずらに対陣していた時のことであった。

 

「も、申し上げます! 西涼軍閥、我らが領へ向かい東進開始!すでに安定(あんてい)が占拠されました!」

張繍(ちょうしゅう)将軍、降伏!」

鳳徳(ほうとく)が敵方に参陣!」

「さらに長安城を包囲。高順(こうじゅん)将軍、荀攸殿がこれを防戦中、救援を乞われております」

「西涼は城攻めに疎い! 籠城に徹し時間を稼ぐように伝えよ! 韓遂(かんすい)殿に、当初の約定どおりその背を衝くよう依頼して……いや、そもそもそこまでなってるのに何故動かない!?」

「そ、それが……蜂起した五斗米道の討伐のため韓遂殿は漢中に駐屯中につき、兵を動かせぬと」

「長安では斧遣いの異人が先陣に攻め立て、さらには荀攸殿いわく、城内に敵の客将と思しき男が忍び込み、闇討ちによって部隊長が重点的に被害に遭っており、統率がままならず……落城は時間の問題かと」

「……何よ、それ……陥陣営が陣を陥されるなんて、笑い話にもなりゃしないじゃない」

 

 詠は忘我とともに再び呟いた。

 完全に故郷からも見捨てられた。陣中の端から端まで、重苦しい空気に包まれている。

 

 完全に万策が尽きている友を見かねてか、ついに月が口を開いた。

「撤収します。その準備を」

 袖を払って立ち上がった彼女を、詠は見上げた。

 口調こそ峻厳に取り繕ってはいるものの、元々心優しい性根の少女からは、すでにどこか諦めのようなものが感じ取れた。

 

 ~~~

 

「はぁ~? 勝った?」

 馬車に揺られて夢見心地であった美羽は、関係者の誰よりも、ともすれば近隣諸侯よりも遅く、その勝報に触れた。

 

「はぁ、どうにも馬騰さんが長安へ偶然攻め込んだらしくそれで慌てて敵さんが引き返したらしいですねぇ」

 ――それも、又聞きの又聞き、思いっきり歪んだ形でである。

 

 居留していた幸村らの奮戦なくして宛は守り切れず、また西涼軍閥は帰ってくる董卓軍を警戒し、本腰を入れなかっただろう。

 だがそこまで配慮を飛ばせるぐらいであれば長江づたいに廬江を経由して地元に帰ろうなどとはしてはいないだろう。

 

「おのれ彼奴ら、妾のおらぬところで勝手に勝ちよって」

「いや、お嬢様が責任ブン投げたからですけどね」

 

 そうむくれる少女の内面は、人形のごとき愛くるしい外見とは真逆のものではあったが、その不均衡、歪さをこそ、相乗りする七乃は愛している。

 

「それで、どうしましょう? こっちも宛に帰って労ったりとかします?」

「無用じゃ無用。妾はもう知らん。董卓がまた来ても、知らん」

「……拗ねちゃったよこの人」

「何ぞ言うたか? ……まぁ良い。勝ちは勝ちゆえ、早う我が家に帰って宴を開こうぞ! 菓子と蜂蜜も忘れずにの!」

「はいっ、そうおっしゃると思いまして紀霊(実三牙)さんを先に向かわせて準備させてますのでご安心を」

「そうかそうか」

 

 ホホホ、と機嫌を持ち直して哄笑する美羽ではあったが、その馬車が突如大きく揺れてその小柄な身が浮いた。図らずも、向かいの七乃に抱きつくかたちになる。

 

「な、なんじゃ? 急に止まって、大きめの石でも噛んだかえ?」

「美羽さま」

「ぎゃあっ!?」

 

 その帳を払って、強面の女が現れた。

 今少し表情を緩めれば見れた多少は見れた顔になるだろうが、番犬のごとき雰囲気は、やはり親しみに薄い。

 

「あれ? 実三牙(みみが)さん、こんなところでなに油売ってるんです?」

 

 さらに強く縋りつく主をまんざらでもない様子で抱きすくめながら、七乃は紀霊を糾弾する。

 それを睨み据えながら、というよりもそういう顔しか出来ないのだろうが、重たげに、厚みの足りない唇を開く。

 

「申し訳ありません。奪われました」

「奪われた、何を?」

「城です」

「城って、どこのじゃ?」

「寿春が」

「なっなんじゃとー!? というかそれを早く言わぬかこの駄犬め!」

 

 この時ばかりは正しい指摘のもとに実三牙を叱責し、膝を屈して詫びの姿勢を見せる彼女に改めて詳細を求める。

 

「そ、それで、妾の城を奪った愚か者は誰ぞ!? 劉曜か、曹操めがついに本性を表しおったか!? それとも董卓の別動隊か!? あるいは麗羽めがそこまで勢力を拡大しおったのか!?」

陶謙(とうけん)です」

「……は?」

 

 挙げられたのは、また微妙な名である。

 脱力感さえ覚える。

 

「陶謙って、あの今にも死にかけの、風が吹けば飛ぶような雑魚じゃろ? 徐州(じょしゅう)の」

「はい」

「……お主、そんな者どもに負けたのかえ?」

「恐れながら、弁解をお許しいただきたく」

 

 さらに形相険しく、膝を擦って実三牙が進み出る。

 軽く怯える少女に向かい、愚直な忠臣が申し述べた。

 

 

 

「陶謙はかつての陶謙ではありませぬ。そこに行き着いた天の御遣いが兵制、法制を独自に改善。近隣の商圏を丸め込んで基盤を立て直し、(はい)(ちん)親子がこれに恭順。今や東方随一の大勢力となっておりまする」

 

 

 

【華雄/恋姫……戦死】

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