「あーもう、だからこーゆーのは、本人に聞くのが一番っすよ!」
「や、止めましょうよ姉さん……失礼でしょう?」
「ん? 姉妹そろってどうされた御両所」
「ねーねーオシュっち、聞きたいことがあるっす」
「おしゅ……」
「ん、なんか言いにくいっすね。じゃあオシュトンで」
「さほど略せてはいないように思えるが……まぁ呼称はさておき、某にお答えできることなら、何なりと」
「実は兵たちがウワサしてるんすよ。オシュトンになんか獣の耳とか尻尾が生えてるって。で、実際のところどうなのかなーと思って確かめに来たっす」
「……すみません。根も葉もないことを」
「ははは、構わぬよ。むしろ陰口を叩かれるより、
「で、実際のとこどうなんすか?」
「……いや、そうだな。しばらくは秘密ということにしておこう」
「え、何故でしょうか? そこを否定しないと、もっとあらぬ噂が広がってしまうのでは?」
「いかに口頭で否定したところで、疑惑とは容易に晴れぬもの。文字通り尾ひれがついていようといまいと、我が行い我が戦を見て、諸人には某のことを知ってもらいたいのだ。
「いえ、とんでもない。……むしろ肩身の狭い思いをさせてしまって恐縮です」
「え、証明するとかカンタンじゃないっすか? ……脱げばいいっすよ!」
「姉さん!?」
「さぁさぁ、そんなゴチャゴチャした服とか全部取っ払って、裸の付き合いするっすよ!」
「……む……」
「あ! なんかスーッと良い感じに逃げないで欲しいっす! 待てーっ!」
……調練の最中、眼下で繰り広げられる喜劇のごときやりとりを、丘の上に陣を張る華琳は笑いを押し殺すのに苦労した。
「会った時は息苦しい堅物かと思ったけど、存外になじむじゃない……
そう感想を漏らす彼女の耳元で、可愛らしい咳払いが聞こえてきた。
猫耳の飾りで頭を覆う小柄な少女が、わずかに妬心を滲ませて興味を自身へと引き戻さんとしている。
「あぁ、動静の報告だったわね。
新たに加えた軍師、
「先に申し上げましたとおり、西においては袁術軍……というよりもその御遣いが董卓軍相手に勝利。損害自体は微々たるものですが、華雄を失って董卓軍は撤退し、陥落した長安の奪回に向け転身しました」
「……で、その引き金となった洛陽はどう?」
「不気味なほど沈黙を続けています。四方の勢力のうち、董卓追討の命を授けたのは袁術と西涼閥のみ。直属の兵力を動かす気配もありませんし、あれほどいがみ合っていた十常侍と何進も、今は互いに牽制のみ続けています」
もし
昨今の朝廷にあるまじき、妥当な判断と言えるだろう。
「北は?」
「袁紹軍は勢いに乗る公孫賛に攻め立てられて鄴を放棄。
華琳の目が燃えるごとくに閃く。
桂花はそのことに気が付いたようだが、あえてそこで区切って言及せず、諜報の成果を再び読み上げ始めた。
「荊州においては刺史
「怖いわね」
「恐れながら、いかに有能な士を得ようとも劉表に扱いきれましょうか。遠からず膨れ上がった勢力を御しきれず、派閥争いにより自滅しましょう」
「違う。そっちじゃない。……あの猛虎を前線に立たせず隠忍させる『誰か』が、ついたってことがよ。でなければ、今頃流れ矢にでも当たって横死してるんじゃないかしら」
「……っ! すぐに追加で調査を命じます」
「さらにその南もね」
踏み込みの甘さを自覚し、桂花は顔を紅くした。その姿で眼で楽しみながら、さらなる報告を促す。残りは……もっとも身近な関心。東である。
「――陶謙の邁進は、異様そのものです」
桂花は、いや荀文若であるからこそ、分かるのであろう。
元より陶謙は独立の気風の強い勢力である。
義に篤い人道家として知られてはいるが、その実態はまるで違っている。
帝を僭称する賊などと平然と組み、自分に従わない豪族や他の小領主へその賊徒や彼らにより追われた避難民を『放流』。混乱を起こしておきながら討伐を名目に乗り込み、どさくさに掠め取って直轄地とするという梟雄である。
自分たちにも同様の手段で賊を入れさせられたことは比較的新しい記憶だ。
だがそれは、場当たり的なものでしかない。何か生き急いでいるかのような感じさえしていた。勢いはあっても、兵は弱い。
だが今は違う。
既存の朝廷の物差しを放棄し、自領で定めた独自かつ公正な司法機関を作り、治安を安定。
流民や賊を積極的ではないものの受け入れ、彼らを開墾や土木工に従事させた。
さらには傘下の家臣に所領と裁量を与えて間接的に支配することで指揮系統を明確化。これにより即時かつ大量の兵の動員を可能にした。
ともすれば独立、謀反を招きかねないが、今のところその報には触れていない。
「さらには寿春を速攻で奪い、水運の道を確保。それによりさらなる収入源を得るつもりか……政戦両略……いや戦が政の中にあることを弁えた食わせ者ってところね」
華琳の漏らした感想に、ぞっとしない様子で桂花が首肯を返した。
この天下、その発想に行き着く者がどれほどいるというのか。
「それに関連し、別途報告が。その袁術が我が方へと支援を求めて来ました。陶謙攻めを行うので、疾く参ずるようにと」
文面そのままなのだろう。あからさまにこちらを下に見た物言いに、申し述べた桂花は露骨に不快げだ。
「今更見捨てた連中に詫びを入れる厚顔さは、さすがにないか……」
いや、その恥を持たぬがゆえの袁術か。大方、一度は手放した宛を捨てることも出来ず、かと言って寿春も諦められない、どっちつかずの対応といったところであろう。
「……さて」
大方聴き終えたところで、華琳は背後を顧みた。
「短期間にここまでよく調べ上げたわね」
そう言葉をかけたのは桂花に対してではない。さらにその後背に伸び上がった、男の影に対してである。
すらりとした体格。無駄な筋肉を持たず、無精髭を顎に蓄えてはいるが端正な鼻筋を持った青年だった。
腰に佩くのは片刃の利剣。濃紺の外套をまとい、表情は狷介さと冷徹な為人をよく顕している。
「……約束だ。弟もきっと『ここ』に来ている。それを捜すのを手伝ってもらうと」
「援助はしているでしょう? 貴方に間者と元手を預けて、その教育と組織化を命じた。つまりは弟というのを見つけられるかどうかは、その『牙』をどこまで長く鋭く研ぎ澄ませられるかにかかっている。でしょう? その方が、貴方もやりやすいんじゃなくて?」
「……ちっ、食えん女だ」
舌打ちした男は、一礼も捧げることなく踵を返す。
「待ちなさい、曹操さま相手に、無礼な!」
「捨て置きなさい、桂花」
彼は、『元』義賊だと名乗った。
つまりは権力者や貴族に対して反骨心を抱くものであり、本来であれば覇道に突き進む自分とは真逆に位置する人間ということだ。その狼を縛るには、その鎖をある程度長く伸ばしてやる必要がある。
その影が見えなくなったあたりで、あらためて桂花に尋ねた。
「内については、どうか」
と。
「あいつ以外にあらためて確保した二人の御遣いですが、『ビゼンノカミ』だの『オーミ』だの言ってた方は恭順の姿勢を見せています。もう一人は……」
「まだ、話せる状態でさえない?」
桂花は珍しく口に濁した。
あの異人を拾い上げた時、傷ついていた。
肉体がではない。もし生前の傷を引き継ぐようであれば、ほぼすべての御遣いは天から堕ちた時にすでに骸であっただろう。
だが、彼は、あれはすでに、心が死んでいた。
何を語り掛けても反応はなく、自分が置かれた状況に、生前に行われたであろう仕打ちに、すべてに絶望し、打ちひしがれて食事さえ満足にとれずにいた。
ただ時折何かを思い出すらしく、首を撫でさするしぐさをする。それのみだった。
「……もう一方の境遇にも相通じるところがあるらしく、あの者の懸命な語り掛けでようやく回復の兆しが見え始めたところです。といっても酒を痛飲しては、自分のせいで殺されたという母や妻の名を呼んではメソメソと女々しく泣きわめく始末で……正直に申し上げても?」
「なにかしら?」
「無能無用の者を養う余裕はありません。御遣いだか何だか知りませんが、二、三人抱えておくだけで喧伝としては十分でしょう。氏素性の知れない、ともすれば騙りかもしれない野良犬を過度に拾う必要を、感じません」
桂花の弁はある程度筋の通ったことではあった。大元の理由としては『それらに関心が向かうだけ、自分の寵が薄れるのではないか』という不安なのだろうが。
華琳は桂花を手招きする。彼女の『子房』は、その意図を察して足下に屈した。
「『自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑を得る者は存し、自ら謀を爲して己に若くこと莫き者は亡ぶ』」
謳うがごとくに唱和したそれを耳にした桂花は、意外そうな眼で少し顔を持ち上げた。
「荀子ですか……儒はお嫌いかと思っていました」
「別に儒そのものは嫌いじゃないわ。上下関係を明確にする教導としては、たしかに道理が存在する。憎むべきは、それを言い訳に時代が前進することを阻む連中」
かく言う荀彧こそがその荀子の系譜であるが、もし今この時華琳が厭うと言えば、祖父以来の教えをあっさりとかなぐり捨てるであろう。
「この曹孟徳の師たる者、友たる者、臣たらんとする者はみずから光を放つ才人でなければならない。だから野良犬だろうと御遣いだろうと、才あれば重く用いる。貴女も、そしてその男にも才を見出したから採った」
「――曹操さまの深謀と大志を推し量れず、無礼を申しました。お許しくださいませ」
「真名を許す。華琳と呼びなさい、桂花」
「……はいっ! 華琳さま!」
爪先を持ち上げると、喜色満面、陶然とした様子でそこに唇をつける。
このふたりの歪ながら何者にも侵しがたい関係が生まれた瞬間であった。
「――さぁ、おしゃべりはおしまい。兵を動かす。……どこを攻めるべきか、分かるわね?」
「無論です。まずは北の始末をつけるべきかと」
華琳が立ち上がりかけると、唇を名残惜しげに離して桂花は即答した。
公孫賛は自らの汚点を払拭するかの如く、苛烈に版図を広げているが、体力面でも兵站面でもその軍事行動には限界が近づきつつある。そこに付け入る。
「その間に南と東西を引っ掻き回してくれるというのなら、袁術との盟もやぶさかではない。ただし、条件に例の『鉄砲』というのを貸与してくれるよう盛り込んで。
「ご心配なく、すでに」
御遣いの登場とともに、どこからともなく流れ着くようになったその新技術に、眼をつけないわけがない。
そしてその優位性にあの小娘が気づいているかどうか。それによって長期的に組むかどうかも判断がつくというものだ。
――だが、しかしとも思う。何気なく下した視線が、オシュトルのそれとかち合う。
たしかに桂花の懸念も正しい。おそらくは今までこちら側に引き込んだ天の御遣いたちは皆、それぞれに信念や思惑があって自身に従っている。他の者のように心腹したわけではあるまい。
(けどそれが良い)
『自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑を得る者は存し、自ら謀を爲して己に若くこと莫き者は亡ぶ』
だが実際はどうだ。
自分の器量と予測の中に、敵も味方も収まっている。仕えた者は誰もが心酔し、明確に否を唱える者がない。
それが常の不満だった。
そも、彼女は野心あって天下をうかがい、覇道を往くのではない。
自分の敷く道こそが皆にとっての最善だと信じているからこそ、彼女は進む。
自分の導く答えこそが天下にとっての最適解だと考えるからこそ、彼女は行う。
だがその裏で、渇望もするのだ。
それ以外に道があるなら示してみせろと。
それ以外に天下の姿があるなら、見せてみろと。
おそらくその渇望は、延々と覇者の中で疼き続けるのだろう。
覇者なればこそ、臣ではなく心のどこかで友を求めている。
――頭脳に絶えず差し込む、痛みとともに。