馬騰(一):馬上母過ぐ
長安、陥落。
過去、秦朝漢朝において幾度も首都を務め、軍事、交易の要衝となっていたこの地も騎射部隊と内から切り崩されたことによって幾度目かの落城を迎えた。
そしてそれは、人が欲を捨てぬ限り、これからも続くであろう。
この攻城戦の最大の功労者たる男は、門を内より開けさせた。
守将であった高順を引きずり回し、三百ばかりの部下を伴って外に出た。その少年のごとき肉体、細腕からは想像もつかない腕力で、抗うことを許さない。
それでも暴れんとする虜囚を歯牙にもかけない。
常に笑うがごとく細められた目は、一度も歪むことがない。
「御目当ての人、連れてきましたよ」
そう言って捉えた彼女を、大地に向けてぞんざいに投げつける。
「ただ、軍師には逃げられちゃいました。思ったより抵抗が激しくて」
さほど後ろめたさを見せず、言う。その背にある城内は血潮に満たされている。それを、もう一人の天の御遣いは苦い顔で睨んでいた。
西涼の女王は、そんな彼らの間へと、高順の下へと進み出る。
波打つ甘い色味の髪。光に満ちた眼差し。
下馬し、下問する。
「高順だな」
「殺せ」
諾否もない。陥陣営と謳われた猛将は、ただ黙して短く死を乞う。
「生殺与奪は我にあり」
「ならば、殺せ」
「よくぞ申した。されば、西涼太守
衆人環視の中、
硬骨の士の最期である。惜しむかのごとき目があった。機会あれば諫めようという臣下もいた。むしろ死なせてやることこそが華であろうという腕組みする羗族の姿もあった。
その中で、環手の刀を一気に振り下ろした。
さしもの勇士も、その剣圧に硬玉のごとき目をつぶる。
「じゃ、殺さなーい」
……あっさりと。
あっけらかんと。
馬騰は手を退いた。
董卓軍において第四の武人の処遇に対し様々な反応が向けられていたが、宗族も真価も協力者も、皆この時は一様に唖然としていた。
そんな様子を知ってか知らずか、ヘラヘラと
「いや趣味じゃないんだよなー、戦場の外で血を流すのとか、無駄じゃない? 戦場は殺すかもしれない。殺されるかもしれない。あとは笑って酒を呑む。そんで良いじゃない? 好き好んで涼州の士が戦場以外の場で命を奪い合いをする必要もなかろうに。おばちゃんそう思うよ?」
「いや……わたし、涼州人じゃ……」
「ん? そうだったか。まぁ良いじゃないか、これから涼州人になれば」
「は、母様~?」
さしもの長子馬超の凛々しい眉も追撃に備えた槍の穂先も、脱力とともに下がるというものだ。
子の心、親知らず。虜囚もそのままに呵々大笑のうちに入城した。
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「高順殿は、一応は恭順の意……というか反抗する気も薄れたようで、大人しく房の中に収容されました。後背の『叔母上』はまだ
内外の情報を一通り報告し終えた
「ほんっとに後ろを顧みられる良い子だよお前は。お母さんがご褒美に酪をやるよ」
嬉しいような気恥ずかしいような、それでいてもうちょっと真面目に話を聞いてほしいといった複雑な表情で、
「御遣い殿たちも、ようやってくれた。慣れない土地にも関わらず、獅子奮迅のお働きだ。どうだ、酪いるか?」
褒めると同時に差し出したモノを、それとなく彼らは拒む。どうにも、口に合わぬらしかった。
「……正直、そいつのは褒められたやり口じゃなかったけどな」
翠は険しい顔を、笑う男へと向けた。
(それはまぁ、こうなるだろうな)
西涼人の気風そのものというべき娘たちとこの男とでは、まず噛み合わぬだろう。
「えーっ、僕のおかげで勝ったようなものだと思うけどなぁ」
男が自負し、大言を吐くように、人死には、正面切ってぶつかるよりもはるかに少なかったはずだ。そも、城を落とせていたかどうかさえ怪しい。
「まぁ
なはははは、と笑い飛ばすと、少し辛みのあった軍議の場は和みを取り戻した。
「いやー、感謝します、馬騰殿。貴方は理解ある方のようで何よりです」
ただ、と離席の直前、横顔を向けた。
「僕は、歴とした『将』だ」
笑うがごとく目を細めた、幼い顔立ち。だが実際には翆たちよりも一回り以上年上であろう。
その眉間には、ぞっとするような鋭さが潜んでいる。
「今回は必要だからやっただけで、もし同数の兵を率いて勝負するなら、きっと僕がこの場の誰よりも強い」
「……悪かったよ。今度は、董卓が相手だ。嫌でも全力を出してもらわんといかん」
「良いですね、楽しみにしてます」
張り付くような愛想笑いと社交辞令の後、彼は後ろ手に扉を閉めた。
「……不遜なヤツめ!」
「まぁ、当然じゃないか? あいつの出自が
「母様は悔しくないのか!? あたし達馬家だって武門の家柄なのに、あんな男に馬鹿にされて、そんなんだから朝廷にも舐められてこんな風に顎で使われるんだっ!」
「おぉっ、熱いなぁ」
もっとも、あの笑い男は特別馬家を小馬鹿にしたわけではなく、彼なりに客観的な事実を述べただけだったのだろう。
それを知るからこそ、擁護も否定もしない。
「まぁ私は半分隠居の身だ。本当に気に食わないっていうのなら、お前の好きにしたらいい。久々の柔らかい寝台だ。一足先に堪能させてもらうよ。じゃあな、おやすみ」
などと口早に言って、娘の鋭鋒を避けるべく席を立つ。
「――母様は変わられたっ! かつては西涼の獅子とさえ恐れられた武人だったというのに、今は見る影もないッ」
「えー、私は今のお母様の方が好きだなぁ」
「たんぽぽもー」
そんな会話が、壁を通り抜けて聞こえてくる。
「……好き放題言ってくれるなぁ」
特別耳をそばだてたわけではなかった。ただ壁に寄りかかっていたから、それが聞こえてきた。
扉が少し乱暴に開けられたので、碧は軽く慌てて身を起こした。
「あぁ、なんだお前さんか」
現れたのは青髪の斧遣いだ。
じろじろと碧の顔を無言で見つめているので、
「おいおい、夜のお誘いなら娘たちにしてくれよ? なんなら複数でも多分受け入れてもらえるぞ」
「抱きたいわけじゃねぇよ!」
打てば響く見事な反応ではあった。
碧としては三割ほどは本音だ。竹を割ったような快男児で、武勇にも優れている。昔彼の世界で似たような騎馬の民と関わりを持っていたようで、涼州の将士とも短期間でよく馴染んでいたし、娘たちも皆なついていた。
自分とて、もう少し若ければ閨を訪れたいほどの好漢である。
「あー、なんだ……その」
ただこの時ばかりは、その快活な男の歯切れが悪かった。
ひどくもどかしげで、何と会話を切り出していいか困り果てている様子だった。
がしがしと後ろ髪を梳り、やがて意を決したかのように切り出した。
「勘違いだったら悪い、聞き流してくれ」
と前置きしてから、深く息を吸って彼は尋ねた。
「
「……ん~、何のことだね?」
問い返す。その声は、自覚があるほどに強張っていた。
「なら、良いさ」
自分の勘違いだったのなら。
あんたが隠し通すつもりなら。
二重の意味に捉えることのできる短い相槌の後で、肩をすくめた。
「じゃあ勘違いひとつでもう一つ……それがあいつらにとって辛いことでも、早めに告げてやってくれ。突然失って、そして託される方は、たまったもんじゃねーんだ」
この男にも、そういう過去があるのだろうか。
去り際に見せた横顔は、燭によって深い陰影が刻まれていた。
だが背を向けた後の声はカラリとしたもので、「水浴びして寝る」とだけ伝えて手を挙げて去っていく。
ふたたび、碧は首を壁へともたれさせた。
あぁ、と低く見せる天井を見上げる。
「あと十年、いや五年早ければなぁ……」
力ないその独語は、誰に聞かせるまでもない、己自身の嘆きだった。