恋姫星霜譚   作:大島海峡

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孫堅(一):虎の城

 その女が軍議の場に現れると、一同は皆一様に身を正した。

 年齢を感じさせぬだが十分に(しし)を置いた豊満な肢体を浮き彫りにした、その覇者の装束こそ風紀的とは言えないが、総身から漲る生命の鋭さがそうさせるのだ。

 

「先に仕掛けてきたのは、連中だ」

 

 沓音を鳴らし、すらりと足を伸ばして進み、女は言う。

 

「家を奪われ露骨に田舎武者と舐められ、挑発され、追いやられた武陵(ココ)で、据わりの悪い椅子にケツをつけてる」

 普段は宗族だろうと臣民だろうと表裏なく接する女傑ではあるが、一方で分け隔てがないからこそ、狂猛な本性をも惜しみなく剥き出しにする。

 こと、不機嫌であればなおのこと。

 

「だのに()()は、反撃はよせとか抜かしたな」

 

 その据わりの悪いという椅子に腰を下ろし、正面に立った黒髪の若武者を冷ややかに見つめた。

 

 淡麗な白皙を持つ容貌は柔らかく、されど戦場においては鬼神のごとし。

 彼の友人を始めとした同志たちはかつてそう評した。

 現に孫呉陣営に迎え入れられてからは、区星の討伐などで並ならぬ武功を挙げている。

 だが、そんな彼であってもこの場においてはさしもの彼も背に額に冷汗を覚える。

 

「何だったけか。劉表とコトを構えてオレが無茶攻めをすりゃあ、伏兵に遭って死ぬ? 歴史がそうなってるだ? 腑抜けたこと言いやがって」

 

 ギシギシと椅子が軋む。それは体重のためではない。それを指摘すれば殺されよう。

 静かに溜められる怒情が、過剰な負荷をそこに与えているのだ。

 

 一度座りはしたものの、慣れぬ座にてやはり心地が悪いらしい。

 女帝が、孫軍閥が長、孫堅文台が起つ。その真名のごとく炎蓮(いぇんれん)が双眸に閃く。

「問う」

 歩き出して青年の前に寄り、抜いた剣先を喉元へ向ける。

 

「貴様は呪い師か? それとも天の御遣いだから、先のことが判るというのか」

 

 下問。恫喝じみたその語気に触れれば、並の人間であれば意気が彼方へ消し飛ぶであろうが、そこは耐えた。

 

「それは私が、私であるがゆえに」

 しばらく考えるような時間の後で、彼は汗を拭わず答える。

 

 かつて、彼は一大決戦の将帥としてある地に立った。

 敵方の将の裏切りを機と見て、周囲の懸念を押し切って攻勢に出た。

 だがそれは、罠。偽りの投降であった。

 今にして思えば、裏切るはずのない重鎮。寝返りなど起きようはずのない戦況、そして兵力差だった。

 

 だが、名に溺れ、紛い物の希望に縋った。明徹な友への軽からぬ嫉妬も手伝ったのかもしれない。

 結果、相手の望む状況に引きずり込まれ、武門の誇りは銃火器によって一方的に消し飛んだ。

 己を生かすために多くの士が討たれ、結果弱体化した家は衰退し、敗亡した。

 

 すべてを諦めていた己が身を異界に在るは、おそらくその悔恨ゆえに。

 

「……闇の中にひとりでに見える道というのは、総じて易き道です。あえてそれを見せる何者かが潜んでいます。どうか孫呉の当主として、それを」

 

 言葉を遮ったのは、炎蓮の手であった。

 若者の髪を遠慮もなく掴み、首を反らせて喉元を曝す。

 

 慌てた娘たちが進み出ようとしたその時、

 

 

 

「上出来だ」

 

 

 

 と、炎蓮はニヤリと笑った。

 

「虎にとって一番強い時ってのは餓えてる時よ。つまり今こそがそれだ。さぁ、今まで溜めに溜めた鬱屈の牙、劉表の喉笛に突き立ててやろうじゃねぇかぁ!」

 

 鶴の一声ならぬ虎の一咆。

 嫡子孫策(そんさく)以下、猛者たちが鬨の声を挙げて柱を震わせる。

 若者にしても、名軍師周瑜(しゅうゆ)の差配のもとに軍法究れり、戦機は十分に整ったと見たゆえに、もはや何も言わなかった。

 

 ――もし「自重すべし」という進言が、なまじ知恵者や占い師のごとく見識ぶったものであったのであれば、たとえ同じ発案であったとしてもその者の首は無かったに相違ない。

 

 いかに周瑜の同調があったとは言え、この若者なればこそ、孫堅を押しとどめられた。

 戦を知り、激情で軍を動かす危うさを知る、愚直な彼なればこそ。

 

 覇王が自分の至近より去り、息をつくと同時に、今までの労苦が若者の一身にのしかかる。

 (くずお)れかけた彼を支えるべく腰に手を差しいれたのは、孫呉が宿老黄蓋()である。

 

「おい、大丈夫か、(ボン)?」

「大事ない。黄蓋(こうがい)殿、お気遣い痛み入る」

「まったく、見てて寿命が縮んだわよ。あっ、私のことはもう雪蓮(しぇれん)で良いからね」

 

 ()()()()()()()()()()()()、笑えない冗談を片目をつぶって飛ばし、孫策は快活に微笑む。

 母とよく似た髪の色、質感。そして覇気と眼光。否が応にも孫武より続く武神の血統を感じずにはいられない娘であった。

 

「で、実際のとこはどうなのよ? これで母様が死ぬ運命とやらは回避できたのかしら? と言っても、私はそこまで信じてないけど」

「……実のところ、分からぬ」

 

 おいおい、と(さい)は表情を翳らせ、

 彼女にとっては己が命よりも大事な主君の去就である。

 

「私はあくまで武士。あくまで教養として触れたのみで、さほど故事に通じているわけではないからな。それに」

「劉表方は大量の御遣いを抱えている。敵侵攻軍の主力は彼らで構成されている」

 

 会話に、周瑜(冥琳)が割り込んできた。曲に誤りあれば周郎顧みるとのことだが、こと戦話においても興が乗ればその美貌を突き出してくるらしい。

 

「奴はいくらその名が割れようとも、予備知識がない状態ではな。現状に至るまで、互いに目隠しして殴り合っていたような状態だ」

「そうなのよねぇ、そこが難しいところでもあり……」

「でもあり?」

「楽しみでもあるのよねぇ……!」

 

 ふふふふ、と少女めいた哄笑を浮かべる雪蓮に、盟友は苦い顔をする。

 

「もしその未知の敵に取り囲まれて孤立しても、助けないからな」

「あら冷たい。とんだ女房殿を持ったものね」

 

 容赦も呵責もない毒舌の応酬。だがそこに相手を傷つけるようないやらしさはなく、乾風のごとくあっけらかんとした小気味よさがある。

 その陽気は周囲に伝播し、笑いが広がる。

 つられて、若武者も笑った。

 

(幾久しく、こう言った日々とは無縁であったな……)

 だからこそ、彼は願う。そして微力を尽くさんと願う。

 己がその輪に入れずとも、弥栄(いやさか)にこの『虎の家』の営みが続くようにと。

 家族を、友を、家臣を、民を、土地を、すべて手放した自分に出来ることと言えば、一将として槍を振るうことぐらいなのだから。

 

「でも、『今までは』、なのよね」

 ずらした本人によって話題が本道へと立ち戻る。

 若武者は少し笑みを引きしめて応えた。

「……あぁ、私のかつての食客だった男が、劉表方に与しているのを見た。同じ師を持つ相手だ。その優劣はともかく、互いに手の内は知っている」

「それ以外の者についても、素性は知れずともここまでの交戦で敵の戦術癖は察しがついている。あとは天命次第と言ったところだろう」

「さっすが私の冥琳(めいりん)ね」

「何が『私の』でどう『さすが』なのかはさておき、準備があるので先に出る」

 

 今回の策戦の総軍参謀は、苦笑とともに踵を返した。

 

「……()()()()()()、借りていくぞ」

 

 そう告げて、部屋の片隅にいた黒髪の少女の肩を掴んで伴って。

 

 

 

「やーね、浮気?」

「ははは、策殿ばかり相手にしておっても肩が凝りましょうて」

(……こういうところは、未だ馴染めない)

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