恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉表(一):霧の果て(前)

(嫌な霧だ)

 男は長沙城の壁に上り、息を吐いた。

 既にしてここに来て劉表に拾われて孫家と戦を交えることとなり、気づけば秋である。

 この霧では色づく葉を眺めること能わず。そもそも、自分に風流を愛でる生き方などできようはずもない。

 良いものは良い。悪いものは悪い。自身の物差しで国も、人との交流も、大半の事物をそう割り切ってきた。

 否、切り捨ててきた果てに、自分は死してここにいる。

 

(嫌な、霧だ)

 男は再び思った。

 だがそれはこの濃霧に限った話ではない。苦い記憶が、彼にこの自然現象を嫌悪させるのだった。

 

()()()を思い出しますか」

 

 やたら斜に構えたような物言いが、背より降りかかる。

 陣羽織をまとった偉丈夫が、からかうように唇を吊り上げている。

 

 彼に、彼らにしてみれば笑い事ではないのだが、その後悔を緩和せんとするこの腹心なりの計らいであったのか。

 この世界に降り立ち、あてもなく荊州に流れ着いた先に、この男がいた。

 互いに驚き、そして彼にしては珍しく素直な喜びと、そして慙愧を打ち明けた。自身の軍師は、いつもの通りに、屈託なく笑い飛ばしてそれを受け入れた。

 

「別に……過ぎたことをあれこれと悩むのは愚か者のすることだ」

 唇を硬く引き結び、ニコリともせず答える。それが虚勢であることは

 飄々と肩をすくめた男は、自分には到底作れないであろう笑みとともに彼は言った。

 

張燕(黒羽)さんが偵察から戻ってきました。ようやく孫堅さんがお出でになったみたいですよ」

 

 ~~~

 

「やっと出て来たか! 腕が鳴る!」

 

 そう勇んで拳を打ち鳴らしたのは魏延(焔耶)である。粗野で男性的な性格を持つが、他と同様に顔立ちの整った娘となっている。

 黒白がきっちり分かれた特異な髪型をしているが、彼はもっと奇抜な髪をしている問題児を知っているので驚くには至らない。

 

 今回の戦においては黄忠(紫苑)とともに目付役となっている。

 大方は今後重用すべきは何者かを、見定めることが役割と言ったところか。

 だがその本分を忘れ、単身で出撃しそうである。これもまた、先に思い浮かべたのと同じ人間を想起させる。

 

 だが、他の人間はそれほど軽率ではないし、馬鹿でもない。

(もっとも、色物には違いない)

 男は苦笑とともに顔ぶれを窺う。

 

 老将、というよりも成熟した色気を持つ黄忠。

 先に偵察を終えたばかりだが溌剌とした活力に満ちた黒山(こくざん)よりの賊将、張燕(ちょうえん)

 後世、その彼女よりもはるかに勇名を馳せることになる、紫髪を結わえたとある美将。

 

 平懐者とかつては揶揄された、自分の主。

 彼と同様に、終始ブスッとした様子の、創面の異人。

 

 ――そして、

 

「大将殿のお考えは?」

 紫苑が柔らかな声音で、青髪の青年に問いかける。

 青髪の、若くもそれなりに成熟した年齢と精神性を持つ勇者である。傍らには、その家臣だという胡瓜のごとき緑髪を角張った顔の上に生やした、大鎧の巨漢がいた。

 自分たちとは違う世よりの、そして自分たちと同じ落人。

 

 彼は何も言わない。

 明指揮能力は今日に至るまでの実績を見れば判るが、明確に戦意を持っていなかった。

 

「司令官としての役割を果たして貰わねば困る。ただ黙して城に身を置き日和見を決め込む大将など、張子より劣る」

 

 主君は辛辣に自分たちのまとめ役を非難した。

 だがその重臣という巨漢が睨んで凄んだだけで、青髪の大将自身は瞑目したまま何も言わない。

 

「貴様、珍しくマトモなことを言ったではないか。ようやく大魚が釣れたというのだ。それを叩き潰すことこそ本懐!」

「馬鹿か貴様は。誰が貴様の猪突に同心すると言った?」

「あ?」

「討って出るにせよ籠城して劉表本隊を待つにせよ、そこの男に断を下して貰わねば困るというのだよ。この程度のことも分からぬものに、『マトモ』な言葉など通じるはずもないだろうがな」

「……なんだその言い草はぁ!?」

 

 正論にせよ、横柄極まりない。

 今日に至るまでに焔耶が彼と会話してはしばしば激発するのも無理らしからぬ。

 

 どうしたらそこまで悪意もなく罵詈雑言や皮肉の類が自然に出てくるのかと、すでに慣れた付き合いながらも、それを支える者にとっても永遠の疑問であり、悩みである。

 

 内心でため息をひとつこぼし、偉丈夫が代わりに前のめりになって自身の考えを述べた。

 

「たしかに吊り出せた。だが問題は、こちらの挑発はのらりくらりとかわしてきた敵さんが、どうして今になって出て来たかってことです」

「それは、いよいよ痺れを切らして出てきたということだろ。江東の荒くれ者どもであれば、総大将自ら先陣争いに加わったところで不思議ではない」

 

 それをあんたが言いますか。そう思いながらも彼は主と違い、あえては口にしない。

 

「……かもしれませんが、おいそれと城を空けるわけにもいきません。ひとまず、先に黒羽(ヘイユィ)さんには文聘(ぶんぺい)さんの水軍にツナギをつけてもらって、江上より監視を強化してもらいました」

 

「どれほど要る?」

 青髪の男は立ち上がって問う。

 きちんと聴く耳は持っていたらしい。

 

「軍師殿、出撃のうえで野戦にて敵を迎え撃つとして、その攻め手と守り手の兵力はどれほどの配分とするのが良い?」

「……半々と言ったところでしょうな。もっともこれは撃滅するんじゃなくて、追い返すのに必要な数です。もし、孫堅さんを討ち取りたいのであれば、劉表さんの本隊を含めた総軍で一挙にかかるべきです」

「分かった。むやみな殺生は私の好むところではない。その数で行こう」

 

 そう言った青髪の大将は諸将に顔を巡らせた。

 

「私は愛する人を奪われ、目の前で仲間を焼き尽くされてここにいる」

 凄惨な過去を、物語る彼の目からは、光が喪われていた。疲れ切った男の目であった。

 それに付き従う巨漢も、こころなしか暗澹たる表情で眼を逸らしている。

 

「その絶望の淵にいる私を、劉表殿に拾われた。あくまで客分ではあるが、この軍を任された以上すべきことをする。迎撃軍の指揮を私が、守将を黄忠殿にお任せする」

「はい、謹んで承りました」

「お前も、守備にあがってくれ」

「……とほほ、ここでもこういう役回りか」

「そして貴方は、城方の補佐として後方支援を」

「……了解した」

 

 命ぜられた主は、不承不承の体で答えた。

 彼としては前線に加わりたいところであろうが、如何せん戦才と人望の無さを本人が一番自覚しているだろう。

 

「迎撃軍、先陣を魏延殿に」

「待った」

 

 しゅばりと風音が立つほどに勢いづけて、諸将の中から手が伸びる。

 

「そこな猪武者とか絶対孤立しますって。チョコさんに任せてもらえませんかね。最高の先手働き、見せてやりますよ!」

 

 チョコさん、と名乗った紫髪の少女は、やや大仰な身振り手振りで己を誇示してみせる。

 それを見た焔耶は「あ?」と目で凄み、狂犬のごとく食ってかからんばかりだ。

 

 やれやれ、と偉丈夫はそのふたりを見る。

 ……ある程度付き合ってみてわかったことだが、どうにもこの世界の武将の相性というものは、自分の知る史実に準拠しているらしい。

 

 たとえばともに劉表、そして蜀漢に仕えた黄忠、魏延は正反対の性格ながらも互いを損なわずに引き立て、張燕と『チョコさん』もまた、同時期に曹魏に降っている正史の流れに則すかのごとく、連携した機動戦を展開できている。

 

 逆にその『チョコさん』は、黄忠、魏延と反りが合わない。

 たしかに自儘が過ぎるきらいがあるが、進退自在、粘り強い戦をする名将であって、本来はそこまで嫌悪するほどのことではないのだが、彼女らは生理的にこの河北からの亡命者を遠ざけている。

 

「わかった。では、二人に両翼の先陣を任せるので存分に競ってほしい。そして中央には私が。その補佐に軍師殿を預けてもらいたい。張燕殿は遊撃として変に応じた攻め方をしてもらいたい。その時機(タイミング)は一任する。細かい動きはこちらが合わせる」

「わかった!」

「ま、良いでしょう」

「了解! 飛燕の戦ぶり御覧じろ、ってね!」

 

「後衛には……」

「俺も残っていいか」

 問うたのは創面の男である。おそらくは彼に任じるつもりだったのだろう。遮られた後、大将の口が止まる。

「戦争に、もう疲れちまった。そのせいで、どれだけ無茶攻めをしても当たらなかったはずだった弾に当たった。だから、俺はここにいる」

「充分に若いだろう。そもそも貴様が傍観しようとも、いずれ敵は攻めてくる。ならば働け」

 

 主が踏み込んで詰る。

 その語調がカンに障るのだろう。その眼光は、とても一線を退いた者のそれではない。

 その眼が、彼自身の右脚へと移る。

 

「若い肉体を取り戻した。脚を取り戻した。だが、魂は老いた馬のままだ。走り方を、忘れちまった」

 

 そう言って大儀そうに椅子にもたれる。悄然とした彼の様子に、誰も声をかけられなかったが、

 

「私もだ。戦争には、もう飽き飽きだ」

 青髪の大将はそう言った。

 

「だからなおのこと、こんな因果な仕事を誰かに押し付けるわけにはいかない。君がそのタマとやらに当たる前に、せめて自分自身の運命を、まっとうしてほしいと思う。

 

 創面の男の目に、肯定も否定もない。

 ただぼんやりと天井を見上げ、

「『君』、か」

 とだけ呟く。

 

 それによって冷えた空気が、ふたたび温かみを取り戻す。

 

(……上手い)

 軍が組み立てられていく一連の流れを、舌を巻きながら見つめる。

 異界からの来訪者に、史実のことなど分かるよしもなし。だが正確に軍の性格や諸将の特性を見抜き、瞬く間にほぼ忘我に近い状態から陣立てを整えてしまった。

 『生前』は、よほど多彩な色を含んだ混成軍を率いていたのだろう。

 

 異論を差し挟む者は誰もなく、その編成を基本案として作戦が煮詰められ、そして出陣と相成った。

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