恋姫星霜譚   作:大島海峡

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孫堅(三):船を編む(中)

「潘璋殿、敵後尾を捕捉! 乗っているのは総大将孫権の模様!」

 

 その報を受けた時、してやったりと周囲は沸き立ち、波濤は首脳陣は複雑な様子だ。

 狙っていたのは周瑜、孫権両名の拿捕。だが実際は、手足のみならず頭を二つに分けてきた。

 

「さすがは周瑜。偶然かもしれないけど、それでもこれ以上の付け入る隙がありゃしない」

 

 孫家の血脈の一条を絶つことだけでも大殊勲と言えなくもないが、欲をかきすぎたということか。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、の好例とはなりたくないものだ。

 

 結果本隊は二方に敵を受け持つはめに陥り、一方で黄蓋、孫権が孤立した。

 だが、包や郭嘉の策がしくじったと思えない。物資や兵力の乏しさを考えれば、これが最善手、いや必然の道であっただろう。

 

「この戦い、勝敗によって、後世の史家の評が分かれそうなところね」

 

 と冗談ならぬ冗談を飛ばし、防衛軍総大将文聘はみずから銅鑼を打ち鳴らした。

 郭嘉の二の矢である。

 文聘本隊もまた七、三の割合で船を分けた。諸葛瑾に相手に時間を稼ぐには三にて充分。

 七隊にて、合流せんと動く周瑜の艦隊に並行追撃を仕掛ける。

 

 ~~~

 

 切れるような兵力配分と指揮に、冥琳は舌打ちを隠さなかった。

 よほど鋭い軍師がついているらしい。そして、その指揮が文仲業の戦を実像以上に際立たせている。

 

 船戦の移動というものは、言うまでもなく至難を極める。

 陸とは違い、進むにしても風と帆、水流による推進あってのもので、それに逆らって垂直に、後退に転換することなど出来ようはずがない。

 

 前進以外の何をするにしても、迂回行動が要る。

 周瑜隊が現在進行形でやっているのも、まさにその行動の最中である。

 だがその船が生んだ潮流に、文聘はしつこく乗って来る。

 当然、主家筋の、義姉の愛する実妹の危機を思えば、関わっている場合ではないのだが、

 

「冥琳」

 

 真名で呼ばれ、『彼女』が荒波に揉まれて激しく上下する船首に進み出た。

 黒曜の瞳の見つめる先に、敵の伏兵に押されつつある孫権の姿がある。

 

「僕が、行こうか?」

 矢が飛び交う戦場の中、まるで買い物でも請け負うような言葉の軽さで、彼女は言った。

 

 どこからと(方向)は、尋ねなかった。

 どうやって(理由)は、問わなかった。

 できるのか(可否)は、聞くことさえ無粋であった。

 

 ただ一言。命令ではなく、一期一会にて知己を得た異界の仲間に、

 

「任せた、御遣い殿」

 とのみ告げる。

 

 だが対するその言葉に、見返り美人はどこか不服そうだ。

 

「その御遣い殿っていうのは堅苦しいなぁ」

「すまないな」

 

 冥琳は苦笑とともに詫びた。

 彼女なりに理由あってのことだった。

 

「だが、なじみの薄い響きゆえに口が中々に慣れてくれなくてな……アレクサンドラ=アルシャーヴィンというのは」

 

 言えてるじゃないか。そう言いたげに半月状に瞳が細められる。

 だが文句の代わりに彼女は

 

「サーシャで良いよ。親しい人たちはそう呼ぶ」

 

 おそらくは自分たちにおける真名のごとき通名を明かし、そして大きく飛び上がった。

 

 ~~~

 

 久しく感じたことのない、冷たい風だった。いや、元来水を含んだ風とはそういうものなのだ。

 彼女が統治していたレグニーツァも、水の商都ではあったが、晩年は気軽に外を出歩けるような肉体ではなかったし、かつては自分の愛剣たちがその冷たさを忘れさせてくれた。

 

(バルグレン)

 その剣たちを、無二の戦友たちを一瞬、だが強く想う。

 おそらくは歴史に則って他の戦姫を主として選び取っている頃だろう。そこに寂寥も未練もない。むしろ、満足に遣ってやれなかった自分によく仕えてくれた。ただあの子たちに幸あれと祈るのみだ。

 

 ゆえに自分は、戦場を再駆する。

 ささやかな願いのために。星がくれた二度目のチャンスを掴み取るために。

 

 敵の主力艦……冥琳によらば『楼船(ローセン)』であったか。

 そのうちの一隻へと甲板の上へと身を躍らせた『刃の舞姫(コルティーサ)』は、一気に駆け抜けた。

 

 ――船を乗っ取るつもりか?

 ――それをもって、総大将を救いに行こうとでも。

 

 動揺を隠しきれないままに向かい来る敵の水兵らの目に、信じられないという色が覗える。

 それこそまさかだ。独りで漕げるわけでもなし。

 行き交う無数の剣刃をすり抜けて、ただ最短の道を作るためだけに必要最低限の剣を奮う。

 

 触れる者、触れんとする者。捕らえようとする者、害さんとする者、犯さんとする者。

 なべて、その肌に触れる前に二筋の剣閃に絡め取られ、血の華を咲かせて道を開ける。

 十重二十重に囲もうとも、彼女の妨げにはならなかった。

 

 サーシャは余裕とともに苦笑する。

「艦隊戦で燃え尽きた命が、艦隊戦で始まるのか。皮肉と言うかなんというか」

 そして取るべき手段もその再現だ。

 ゆえに狙いもすでに絞れていた。

 孫権の艦との中間に位置した船。そしてある一点が、激戦によってある程度の損壊を受けている船。

 それが今、たどり着いたこの艦、この地点だった。

 

「うん、まぁここかな」

 角材のごときその部位に入った亀裂を見つめながら、黒衣の戦姫は自身の見立てが間違っていなかったことを確かめた。

 

 その背に、追い抜いていた敵兵が反転して迫ってくる。

 

 孫呉軍閥の自由な風は肌に合う。剣も、最上の逸品を打ってくれた。

 ――それこそ……半壊した帆柱程度であればたやすく両断できるほどの。

 

 彼女は挟むがごとく、双剣を振り抜いた。

 硬い感触が腕に返るが、問題はなかった。信じられないぐらい、不安になるほどに身体が軽かった。

 

 その帆柱が、支えを半ばえぐり取られて傾く。孫権艦の方向へと。

 生じた傾斜に、サーシャは足をかけた。その重からぬ体重でまた柱が傾き、足場と化す。

 

 その上を、彼女は駆けた。

 船体まで届かずとも良い。完全な橋である必要はない。ただ跳ぶまでの距離と助走を稼げれば。

 そして周囲が唖然とするなか、戦乙女は再び飛翔する。

 

 飛んだ先、その甲板で我らが総大将は敵将とおぼしき金髪の女と相対していた。

 それどころか、剣を鉤縄のような暗器で絡め取られ、あわやという時であった。

 どちらが敵でどちらが味方かは容易に見分けがつく。

 

 が、あえて中間に着地する。彼女らを結ぶその縄を、利剣でもって断つ。

 さながら競技のごとく、綱の引き合いをしていた彼女らはその反動で正反対の方向へと飛び下がった。

 

 立て直したのは敵将が先だが、彼女はもつれた縄を腕に巻き取っている。

 その隙に、転がった孫権へと手を伸ばす。掴むかどうかはこのお姫様の自由だ。

 

「……推し量っていた。そして、今なお半信半疑だ」

「何が?」

 要領を得ない孫権の述懐に、サーシャは小首をかしげる。

 

「貴様がだ。真に孫家の臣たらんとするならば、その武勇をもって血路を開いてやってくるものと」

 戦姫は面食らう。

 つまり、化かされて試されたというわけか、自分は。

 あるいは負け惜しみかもしれない。だがいずれにしても、騙されたという感覚はない。むしろその意固地な態度が好ましい。ある意味ではこれも人徳という奴か。

 

 手は借りず、未来の王は自力でもって立ち上がる。

 そして、それとなく背を預け、剣把を両手でつかみ、直ぐに刃を立てる。

 柔軟性には欠けるが隙の無い構えを見れば、敵将とさほど力量の差があるようには思えない。あながち自分を試したというのはまったくの嘘ではないのかもしれない。

 

「そもそも僕はあくまで客将(ゲスト)であって家臣ではないんだけどね。まぁそれはともかく、僕は孫仲謀殿の目に適ったのかい?」

「武のほどは申し分なし、機転も利く。だが、その透かした態度と物言いは変わらず好きにはなれん」

「やれやれ、可愛げがあるんだかないんだか」

「うるさいっ」

 

 真っ赤になって怒鳴られた。その間、敵将はとうに武器を引き戻しているにも関わらず、どこか面白そうにやりとりを眺めていた。これもまた、相当の変わり種であろう。

 

 だが、武器は破損し、敵総大将を捕らえる千載一隅の好機を逃した彼女に、これ以上この場に居座る意味はない。むしろ逆撃の危険さえある。

「また会おうぜ」

 不敵に笑むや、戦格(船壁)に足をかけて飛び降りた。部下もあっさりと剣を引いて彼女に続く。だが、水音はしない。おそらくは船が待機していたのだろう。

 

 そして孫家水軍は、次子権の大号令の下に立て直しを図り始めた。

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