恋姫星霜譚   作:大島海峡

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孫堅(三):船を編む(後)

 無理だな。そう思った瞬間、波濤の両手より力が抜けた。

それでも脚が萎えなかったのは、最後に残った一片の矜恃が為せる技か。

 玄海の部隊が孫権艦より離れていく。おそらくは失敗したのだろう。本隊には逆に合流することなく、そのまま北へと逃れていく。

 

 それに合わせるかのごとく、諸葛瑾の隊が猛反撃を開始。三の隊を破り、勢いのまま此方へ迫っていた。

 さらには黄祖を振り切った甘寧が背後から迫っているという報も入って、ここにおいて文仲業は抵抗を諦めた。

 

「……申し訳ありません。かえって兵力分散の愚を犯してしまいました」

 

 郭嘉はそう詫びたが、それは結果論というものだ。

 あと一歩、詰めを誤ったがゆえにそこに至るまでの全てが誤ちであったなど、誰が言えようか。

 

「仕方ないわよ。あんなもん、読めるもんですか」

 

 一個の武勇でもって、戦場を覆す。

 あれはおそらく、天の御遣い。それも破格の存在であろう。

 その異能の者たちに対応し切れないこと、政争の生臭さを嫌い自身の派閥と大兵を持たなかったこと。遁走する主劉表らを押し留められなかったこと。

 それら総て含めて、自分の限界だ。

 

「これ以上は付き合うことない。子敬、奉孝、退艦の準備を」

「ちょ、ちょっと!? じゃあ波濤さんはどうするんですか!?」

「劉表軍の武人としてその使命をまっとうする! ……なーんて格好のつくような負け方じゃないけど、頃合いを見て身を処すわよ。それとも、心中でもしてくれるってわけ?」

 

 冗談めかしく顧みると、軍師たちは目を伏せた。

「それで良いわ」

 波濤は笑った。

 

「軍師たるもの、その軍略に殉じ、戦場に散るは良し。けどこんな不満足な状況で泥舟とともに沈むべきような人材ではないわ、あんた達は。だから、生きて真に仕えるべき主そ見出し、その下で才を尽くしなさい。……貧乏性なのよ、あたしは」

 

 自嘲する彼女に、郭嘉が首肯をもって応じた。

 

「……分かりました。我が真名は(りん)。またいずれお会いしましょう、文聘殿」

 

 最後にその将器と気概に敬意を表し、軍師は一礼と共に包を伴い、戦場を去った。

 孤影となって、波濤は息をつく。

 

 嗚呼、と声を伸ばし、嘆ず。

 きっとこの戦場のどこかしらで、敵味方を超えて同じように嘆く者がいるだろう。そうであって欲しいと願う。

 

 ――敵味方に分かれはしたが、同じ旗の下で戦えればどれほどの僥倖であったことか。

 などと。

 

 しかしながら、感傷に耽っている場合でもない。

 

「方円陣を取って周瑜孫権の包囲を突破し、黄蓋に突っ込ませる。その後、蒋欽の部隊が撤退するまで、粘るわよ」

 

 〜〜〜

 

 体勢を立て直し、数を惜しみなく投入した結果、大勢は決した。

 敵の走舸、先登の隊はいずれも取り逃がしたが、文聘は蒙衝でもって守りを固め、最後まで残って奮戦した。

 しかし衆に寡が敵うはずもなしというのが兵理の基本則であり、多少の波乱を生んだこの戦もその原理に帰結した。

 味方艦を可能な限り離脱させたのを見届けた文聘は、残る兵の助命を条件に投降した。

 その後はさしたる妨害もなく渡河に成功。対岸で孫権隊、諸葛瑾隊と合流を果たした。

 

「完璧だ」

 

 実質上の司令官周瑜の呟きを戦術的、戦略的完勝と捉えて、孫軍は沸き立った。だが冥琳は自画自賛をした訳ではなかった。むしろ彼女自身は優越とはほど遠い感情の上に立っている。

 劉表がいま少し文聘たちに兵を回していれば、あるいは勝利は彼女たちのものではなかったか。

 

 完璧と評したのは、その好敵、文聘の進退である。

 おおよそ考えられる最悪の条件の中で智勇を尽くして敵の心胆を寒からしめ、武運拙く戦機を喪ったと見るや、自暴自棄にならず付き従った味方を生存させ、そして生き残った直属の部下をも救わんと首を差し出す。

 まさしく語源となった藺相如のごとく、彼女はおのが『壁』を完うした。

 

 将とは、人とは、勝っている時より負けている時にその価値が問われる。

 降将とはかくあるべしと無言のうちに冥琳は称賛した。

 

「彼女を決して粗略には扱うな。王者の軍たる者、制しても辱めるな」

 冥琳は部下にそう厳密に言い添えた。

 

 さて孫権である。

 危地をサーシャとともに脱した彼女は、江陵城に至っても憮然とした様子だった。

 また御遣い殿と悶着を起こしたのか、と思いきやそうではないらしく、

 

「物資を奪われた」

 

 というのが不機嫌の理由らしい。

 どうやら奇襲部隊は蓮華の命を狙ったばかりでなく、その備蓄庫に侵入。金品や鉄器の類を物色すると、どさくさに紛れて後方に控えていた雷火の隊も襲撃。そちらにも少なからぬ被害が出ていた。

 

「潘文珪と名乗っていた。錦帆よりタチが悪い」

「潘……業突く張りの潘璋でしたか。それは災難でした」

 

 自身の頭の中に在る有力者目録を紐解き、冥琳が応じた。

 蓮華は不快げだが、奔放、豪放な為人と聞いており、孫呉との相性はそれほど悪くはないはずだ。今回は、先んじて劉表が金で囲い込んでいたというだけの話だ。戦が執着すれば、あらためて話をしてこちら側に誘うというのも

 

「お呼びかい?」

 

 ……手で、あったのだが。

 頭上より声がかかる。

 

 仰ぎ見れば、無人のはずの城壁の上。すでに暮色にはある江陵城の壁には篝火が焚かれ、弓兵が詰めている。

 そしてその中心に、自分たちの頭上に、金髪の少女が足を組んで腰を下ろしていた。

 

 ほぼ、不意打ちである。その気になれば、矢の雨を降らせることもできただろうが、それをしなかったということは、敵意のない顕れか。

 

「……もう一戦を所望ということか」

 

 だが蓮華の思考は一度敵とした相手には極端に頑なになる。

 傍らの祭に、射るように碧眼が示唆しようとしていた。

 

「ナメんな。その気になりゃあ最後の一兵まで戦い抜いてやる」

 鋭い眼差しが頭上から返す。決してそれは誇張ではないだろう。弓をつがえる兵の眼光もまた、主人の戦意が浸透したかのごとく揺らぎがない。

 そして彼女がその選択をした場合、自分たちにとっては都合が悪いことになる。

 

「ただここで時間をかけりゃ、あんたらがせっかく封じ込めた長沙軍が動き出す可能性がある。それに外聞も悪いだろ? ……良いのかねぇ、それで。でも劉表にそこまでやる義理はないしねェ。金払いも悪いし」

「……ではなにが、目的だ」

 

 指で城壁の傷をなぞり、埃をすくいとるかのような手つきを作り、その口調は迂遠そのもの。

 呻くように問い質す蓮華に、

 

「なに、簡単な商談(ハナシ)じゃないか」

 と、歯を見せて潘璋は笑いを返す。

 

「江陵城とそれを攻める時、そしてあたいの腕……全部ひっくるめて、いくらで買う?」

 

 ――完全な日没までに、江陵城はあっけなく開放された。

 ともすれば、今回の勲功を得た者の賞与よりも高額の銭と引き換えに。

 

 それに従い潘璋とその部下は孫呉の軍列に加えられた。蓮華の冷視を飄々とかわしながら。

 だが、文聘は主を替えることを潔しとせず、説得にも応じなかった。

 やむを得ず冥琳は軟禁したままに彼女を義姉らの下に護送することにした。むろん、いかに戦い、潔かったかという添え書きも忘れずして。

 

 かくして荊州の戦線は、孫家軍閥の圧倒的な優勢のままに一時の小康状態となったのだった。




お待たせしました。
次回、やっと登場人物の整理です。

そして、ここから乱数君が本気出したのでどんどんお亡くなりになっていきます。
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