恋姫星霜譚   作:大島海峡

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涼州相剋
馬騰(ニ):武王の門(前)


「まさか俺が使番なんざすることになるとはなぁ」

 男は、かつてオスティア侯弟であった。

 放蕩者、変わり種。そんな風評が付き纏う。

 兄の急死によって正式に侯爵となり、やがて長じてリキア同盟の盟主となった。

 

 それがヘクトルという男で、要するに貴種には違いない。

 自身の生前の家格がこの国の官職に言い換えるとどれほどのものになるかは不明だが、誰かの雑用だの使いっぱしりなど、放蕩時代にもやった記憶がない。

 

 が、困惑こそあるが、別段嫌というわけでもない。元より、立場や責任はともかくとして、身分差などはまるで気にしていない。

 それを抵抗なくさせるのも、あの女、馬騰の人徳というのもある。

 

 その女に、娘たちを呼んできてくれと言われた。

 あるいは、どちらかと言えば閉鎖的な馬家と御遣いの距離を縮めようという打算でもあるのだろうか。

 

 城より少し離れた草原で、彼女たちが調練をしている。

 そこまで行き着くと、仮舎がいくつも点在している。サカの民もよく用いていたテントだ。ここではパオというらしいが。

 

 その中でもひときわ威容を示す柄の宿舎を訪れる。

「よう、蒲公英(たんぽぽ)

 

 その前に立って身繕いをしていた碧の血縁者に、手を挙げる。

 年頃のわりにやや発育の良い肢体。他の馬家の者たちどうように結わえた挑発に、やや濃いめの眉。

 馬岱なるその少女を真名で呼ぶと、少し嬉しそうにはにかんだ。

 

「あれ、ヘッ君じゃん」

「そのヘッ君っての止めろ。……翠はこの中か? おふくろさんから召集だ」

「うん、そうだけど今は」

「今は?」

「あー、うん。なんでもない。入ってみれば?」

 

 一瞬見せた逡巡、そして一転、にぱっと満面の笑み。

 そこに作為的なものを感じ、ヘクトルは小首を傾げつつも、そこに邪気のようなものは見えない。

 

 つい反射的にノックをするかのごとく、拳を握っていたがそもそも叩くドアがない。

「おう、入るぞ」

 やむを得ずそのまま幕内へとくぐり抜けると、白い肌が目に飛び込んできた。

 少女が、上着を脱ぎかけたまま固まっている。ヘクトルも硬直させた。

 せめて向き合う形ではなく背を向けていたことが幸いか。

 だが引き締まったその背筋と、運動の後ゆえにつたう汗が、描きかけた名画のごとく芸術的な美しさを持っている。

 というか、そうでもなく、まずは、だ。

 

「あー……まぁ、その、なんだ? 悪い」

 

 そんな気まずげで、我ながらどこか感情のこもらない謝罪が、止まっていた時を動かす切欠となった。

 その少女、馬超の白皙に血色が戻る。というよりも、過剰に血が結集して紅潮する。

 

「……詫びる前でさっさと出てけーっっっ!!」

 

 あらん限りの怒号がヘクトルの鼓膜を破らんほどに轟き、パオを突き破って大地を揺るがし、そして従妹の笑いを誘発させた。

 

~~~

 

「無思慮、覗き魔、破廉恥漢、色情大魔人」

 

 足早に城への帰途を先行する翠は、繰り言のように呟いている。

 それら不名誉な呼称がすべて自分に向けられていることを、道中にさんざん聞かされたヘクトルは痛感していた。

 

「だからわざとじゃねぇって……というか槍まで投げてくるか? ふつう」

「うるっさい!」

 

 これは何を言っても、激怒を返されるだけだろう。

 重く溜息をつくヘクトルは、傍らを連れ歩く蒲公英をジロリと睨み返した。

 

「企んだな」

「え~? なんのことかな~?」

 と知らん顔。まったくいい性格をした娘である。

 

「おはようございます。……何かあったんですか?」

「ヘクトルさんがお姉様の着替え覗いたの」

「だから違うっていうかお前のせいだからな!」

「うわー……あ! でもでも、そういう状況オイシイかも」

 呆れているうちに鶸と蒼とが合流し、さらなる賑わいを見せる。

 

「美味しいって何が美味しいってんだ、食い物じゃあるまいし!? だいたい、何でそんなに平然としてるんだよ! あ、あたしが勝手に馬鹿みたいに取り乱してるみたいじゃないか!」

「馬鹿なんじゃない? 実際」

 

 そこに、張り付いた笑顔が飛び込んできてヘクトルを軽く驚かせた。

 

「うおっ、お前いたのかよ! っていうか、お前仮にも主人の娘相手に」

「僕の主は別にいるよ。僕はその人に飛ばされた槍だ。それが、こんな遠い時代の西の果てに飛ばされた。そう思うことにした」

「……そうかい」

 

 こいつも、この輪虎(りんこ)という少年のような男もまた、いろんな意味で良い面の顔をしている。

 呆れ、と同時に認めざる得ず、ヘクトルは肩をすくめて仲間たちと連れ歩く。

 

「ね、ヘクトルさん」

 

 その矢先に、蒲公英が指で招き寄せて耳打ちした。

 

「ほんとにお姉様の裸に、何か思うところはなかったの?」

「あ? 思うって、何が」

「もうっ、鈍いなぁ! せっかく気を利かせてあげたってのに」

 

 やはりわざとか。首筋まで赤くなって早歩きになった翠に思うところがあるよりも先に、まずその従妹殿に一つ苦言を呈したくなるところである。

 

(思うところと言っても、()()()()()()()のヤツを見てもなぁ)

 彼らの間を草原の風が吹き抜ける。こうして仲間たちと連れ歩く雰囲気も相まって、どこか懐かしい。

 先を征く翠の髪の結び目が揺れる。その後ろ姿が、風に乗って左右に流れる髪の一房が、どこぞの誰かの緑色の髪の少女を想起させた。

 

 と同時に、胸に軽い痛みをも覚える。

 

「……妙なことになっちまったもんだなぁ」

「はぁっ!?」

 

 ノスタルジーじみた感傷をごまかした呟きは、その翠に拾われた。

 妙とは自分のことかと嚇怒し、振り返る彼女はしかし、身を翻した拍子に肩を硬い方形の物体へと打ち当てた。

 

「いった!?」

 いい塩梅にその鋭角に肌を刺した彼女が悶絶すると、

「おい、気をつけなよ」

 と、筺体の向こう側で声がかかる。

 見れば、鳳徳が横顔を覗かせていた。

 長安戦の後に去就を決して馬家の陣に加わった少女ではあるが、その馬家とは旧知の間柄で、特に翠と親しい。

 そしてどちらとも男勝りではあるが、翠よりもイガのついた部分が取れた、しゅっとした立ち姿が魅力の美少年然とした娘だった。

 

 その少女が、腰に巻いた束帯(ベルト)に携行しているのが、翠が肌を刺した件の箱である。

 

「なんだよ、紅葉(くれは)。その妙な函は」

「棺桶だよ」

「……随分、小さいみたいですけど」

 

 もちろん、腰に巻いてある国は、過ぎた大きさではある。

 死体を入れるには、という条件を鶸はかろうじて呑み込んだようだった。

 

「なに、心構えの問題だよ鶸。こうしていつも死の象徴を背負っていれば、覚悟はいつでも出来できる。うちも騎馬の民だ。死ぬときは野ざらしだよ」

 

 からりと言ってのけるあたり、この女も相当に変わり者らしい。西涼の民というのは、皆こうなのだろうか。

 

「で、どうした? 

「あぁ、お姉様が裸でヘクトルさんとどうこうっての?」

「なに!? ついにやったのか、翠、ヘクトル!」

「やっない! 紛らわしい言い方をするなッ」

 

 拳骨を飛ばさんとする翠を避けて、蒲公英はぐるぐるとヘクトルの周囲を巡ってきゃっきゃとはしゃぐ。

 そうしているうちに、城から出てきた馬上の大将、馬寿成がのほほんと顔を出した。

 

「おいおい、早く来なさいよ」

「母様……ごめん」

「で、何か楽しそうな話してたけどなに?」

「母様!?」

「あぁ、一つ屋根の下ヘクトルさんとお姉様が、ちょっと……ね」

「ほう! 詳しく……説明してくれ。今、お母ちゃんは冷静さを欠こうとしているよ」

「話すたびに盛るんじゃねぇよ!」

「その前に曰くありげに言葉を切るな!」

 

 ついにヘクトルも声を荒げた。翠も顔を並べて同調した。結果、ふたりの呼吸はぴたりと合った。

 そのことを自覚した瞬間、翠はふたたび赤面してそっぽを向いた。やれやれとヘクトルは苦い顔を持ち上げた髪の分け目を撫でつける。

 

 が次の瞬間、背に死神を感じた。

 風に乗って、死が、暴威の前兆めいたいやなざらつきが運ばれてくる。あるいはかつて、竜と対峙した時と同じ心地かもしれない。

 知らず、首が南に向いていた。

 

「お姉ちゃん……?」

 

 ふしぎそうに蒼が尋ねる。鶸も疑問符を浮かべているようだ。

 ということは、翠も羞恥も照れもすべて吹き飛ばしたかのごとく、似たような反応をしているということだ。

 

 そして同様に感じ取ったのは、棺の模型を握りしめた鳳徳。笑みの掘りをさらに深くさせた輪虎。そして、静かになって豊かに波打つ髪を逆立たせた、碧であろう。

 

 その碧が呼んだのも、この死の先触れに関することであろうということが、この時点ですでに察せられた。

 

 

 

「董卓軍が帰って来る。狙いは長安の玄関口、武関(ぶかん)。敵先鋒は、呂奉先だ。袁術との敗戦に怒り狂って、こちらに全力で八つ当たりにくるぞ」

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