恋姫星霜譚   作:大島海峡

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馬騰(ニ):武王の門(後)(★)

 関より出た敵の騎兵五千。突出してきたそれを前に、董卓軍師、賈駆の指令は簡にして素にして冷酷を極めた。

 

 命じて曰く、「殲滅」の二字。

 大略無用。ただ一撃をもって鏖殺し、速攻をもって駆逐せよと。

 無為無策に言ったわけではない。先陣を切る馬家の直属部隊と、豪族との連携の乱れ、その間隙を認めたがゆえ。勝利を確信したがゆえ。

 

 だがその攻勢は単純な力任せではなく、巧妙を極めた。

 こと、脇を固める徐栄の動きは機敏かつ柔軟、あえて表現するなれば庭を駆け回る溌剌な童女そのものといったいった様子で、敵の騎兵を足止めしつつ、騎兵ひしめき限られた空間を遊撃部隊として有機的かつ流動的に戦闘を展開していた。

 

 もちろんそれは、最硬度にて中軍を固める張遼の助攻あってのものであることは捨て置けまい。

 ただ単純に、先の敗戦を猛省したというわけではなかった。

 自分たちと異なる世界の技術、あるいは先取りされた戦理を前線に手目の当たりにして、彼女らは意識するしないにかかわらず、それを学びとして自らの内に取り込んでいた。

 

 唯一変わらぬ存在があるとすれば、それは言うまでもなく、すでにして頂点に立つ者であろう。

 呂布、奉先。

 汗血の悍馬にまたがって戦場を疾駆する突然変異の并州人と、同様に西域馬にまたがって猛る涼州の武の体現者。

 

 両陣営最鋭の衝突は、いわば避けられぬ必然であったかもしれない。

 

 ~~~

 

 ただ、一個の騎手であれば良かった。

 一本の槍であれば良かった。

 一頭の悍馬であれば良く、一人の武人であれば良かった。

 

 それが、馬孟起の根幹である。

 命ぜられれば駆けて義がために敵を討つ。用兵など無用。政などもってのほか。

 単純ではあるが、それがゆえに勁い。

 

 自身も、それで良いと思っていた。だが、頭首であった母の堕落が、衰退が、そこに留まることを許さなくなってきている。一抹の迷いが浮かぶ。

 

 ――考えるな。

 考えるな考えるな考えるな。

 留まるな、退くな。

 

 ただ目先の敵を討てば良い。

 

 武関より出でて久しい。

 何人突いた。いくつの陣を貫いた。

 気がつけば、妹たちの制止の声が絶えて、単騎。だがその甲斐あって、目当ての武人に邂逅を果たすことができた。

 

 自分よりも上位の武。そして自分と同様、一個の勇。

 

「呂布だなっ! あたしは馬超、涼州の獅子の娘だ!」

 

 翠は誰かへの当て付けがましく名乗りをあげる。

 呂布は応じない。ただ一斬をもって返答する。

 斬撃というよりも重圧、粉砕という似合う一撃は、なるほど呂布の名乗り等しい。その愚直さが、むしろ一層に好ましい。

 

 自身の直槍を握りしめて突き出す。それは刺突というよりかは射撃に近い。速度と質量を伴って打ち出されるそれは、手数においては呂布の重撃を凌ぐかもしれない。

 

 人中の呂布。

 されど、それは人の範疇にあることと同義である。

 ならば倒せぬ道理がない。加えて、馬上においては自分に一日の長がある筈だ。

 

 が、憶測も楽観も虚名も、等身大かつ圧倒的な現実の前には、塵に等しい。

 呂布の吸う息は歳相応の少女の如く。吐く息は荒き獣の如く。

 

 刹那、光と風が翠の視界を覆った。

 それを正しく認識する前に、本能が総身に退却を命じる。

 内にある武の神が在り、かつそれに突き動かされるかのごとく、少女の肉体は落馬し、その寸毫の間を一閃が通過する。

 

 己に代わり、悍馬の胴が切り落とされ、両断された。

 血のしぶきさえも突き抜けて、地へと鉄刃が突き立てられた。

 十年そこらで体得した小手先の技芸などものともしない、天性の暴力。

 

 ――これが、人中? 人の範疇だと?

 

 それによって、数年来の友が、今斬り倒された。

 剥き出しの股に粟が立ち、背筋に瘧がはしったのは確かだ。

 

 だが、愉しい。

 

 ただただに個と個の競り合い。それを余すところなく、自身の命さえも質に差し出して、翠は堪能していた。これこそが、自分の求めるべき姿。探していた戦場だ。

 

 なお戦意を喪わず、むしろ前進を続ける翠と対峙しつつ、赤毛の豪傑は鞍より下りた。

 手綱を、必死に追いついてきた軍師らしき緑髪の小兵に投げ渡す。

 

 歩兵となった自分に対し、正々堂々を重んじ対等の条件となるか。

 否、違う。

 乗馬、徒歩。集団戦、尋常の立ち合い。どのような状況でも、彼女の個人的武勇が頂にあることは変わりないのだ。

 単純に、ここで生まれた高低差がわずらわしいというだけなのだろう。

 だが、負けるわけにはいかない。何よりも、かくも至高の戦場に、背を向けろというのか。

 

 ――馬孟起、俗世のわずらわしさを超越し、修羅道に突入せん。

 

 そう意気込んだ矢先、頬を強い衝撃が張った。

「この……ッ、馬鹿翠が!」

 鈍い痛みとともに、厳しい叱責とともに、戦友の姿が目に飛び込む。

 

「この状況を見てみな!」

「あ!?」

「これが戦場と呼べるものかッ!? 自分の立場を思い出せ!」

 今まで自分が見て見ぬふりをしてきた光景が、その少女、鳳徳の指摘をもって蘇る。

 すでにして押し包まれて、歩騎いずれも一方的な蹂躙のもとに倒れ伏している。

 

「蒲公英たちは」

 できることは、わななく声で

「妹たちと一緒に退かせたよ。あんたも退きな……といっても」

 

 苦笑とともに、自身の得物たる筆刀を掲げ持ち、紅葉は苦笑した。

 

「素直に退かせてくれそうにもないけどね」

 呂布は、この喧嘩を看過していた。それは温情ゆえではない。いつでも殺せるから。

 

「はー、しょうがない。手伝ってやるよ」

「……お前、本当は戦いに来たんじゃないのか」

 翠は呆れながら、どこか楽し気な紅葉に悪態をつく。

 

「それでもあんたほど、自分を見失っちゃいないし、おふくろさん泣かせじゃない」

 そう言うや、示し合わすでもなく、紅葉は飛び出した。

 翠もそれを受けて、彼女とは左右対称の方角と動きに跳躍した。

 

 蛇行しながら再接近を図るふたりの姫将に、呂布の表情がはじめて煩わしげに動く。

 彼女の間合いに、踏み込んだのは、紅葉が先であった。

 一瞥もくれず、戟が振られる。

 紅葉はそれを屈んでかわす。凡百の武将なれば、その風圧のみで吹き飛んでいただろうが、野鹿のごときその脚が踏みとどまる。大刀を投げつける。呂布はそれを首をそらすのみで避けた。

 

 ――なんたる判断の速さか。

 だが、鳳令明の武運は、そこで尽きるほど甘くはない。それを信じて、翠も続いて間合いに入った。

 その槍穂の狙いは呂布の身柄に非ず。その画戟。さらに言えば月牙と呼ばれる、側面の鋒刃の隙間である。

 

 そこに穂先を押し通すと、叫声とともに我が身もろともそれを押し込んだ。

 呂布の武器が、自身の槍とともに地面に縫い止められた。

 

「今だっ!」

 

 翠の示唆を受けて、紅葉は呂布の上へと飛んだ。

 その棺の蓋が開き、中から弓と矢がまろび出る。その箱、ただの飾りじゃなかったのかと翠が驚きあきれる一方で、それを起用につかみ取った紅葉は数本の矢をつがえて地上へ射落とす。

 

 鳳徳ほどの弓馬の達者、あえて狙いを絞る必要もないほどの距離である。

 ――()った。

 自分たちの勝利を確信したその刹那だった。

 

 拳が、飛んできた。

 翠の側頭部が、思い切り殴りつけられた。めきめきと、嫌な音が外からではなく頭蓋から響く。

 硬い地面に叩きつけられ、そして中空へと一度跳ね上がってから墜落する。

 

 思えば、単純なことではあっただろう。

 武器を止められた。ならばその柄から手を離し、徒手で倒せばよい。

 

「なっ!?」

 驚く紅葉の前で、封じられていた方天戟が呂布の手元に戻っていた。

 

 一閃。

 必死の矢が、ことごとく吹き飛ばされた。

 そして、一突。

 天へと衝き出された矛先は、その紅葉の肉体を磔刑のごとく貫いた。

 

「くれ、は……」

 降り注ぐ友の血を浴びながら、西涼の勇者は意識を手放した。

 

 ~~~

 

 恋が、ぞんざいに長柄を振るう。

 串刺しにされていた赤毛の敵将が解放された。弓を握りしめたままに、地面を滑って血の轍をつける。

 

 見事、という賛辞さえ呑み込んで、音々音はその威に打たれていた。

 一方で、自分もこの勝利に貢献したという手ごたえを感じていた。

 

 敵軍も、そして御大将自身も知覚してはいなかっただろうが、呂布軍が行ったのはただの包囲ではない。

 この呂布の唯一無二の軍師は、先に宛での戦で敵将が自分たちに行った戦術がこの平地においても応用できないかと考えていた。

 

 掎角のごとき、攻守と正奇入り混じった、あの策を。

 すなわち呂布自身を城と見立て、その武威に誘われた強者とそれに率いられた敵兵を、徐々に深みへと引きずり込んで側背よりすり潰していく。

 

 これは呂布を不落の人間城塞と信じて疑わず、かつ未だ発展途上で自信家であった陳公台ならではの吸収力といったところであろう。

 

 それを知る者はおそらくここにはいないだろうが。己のみが誇れば良い。

 そう考えて、音々音は促した。

 

「さぁ恋殿。この鼠賊めらに止めを」

 恋は頷き、地に濡れた刃をもって馬超を断頭せんと振り下ろした。

 

 その矛先に、金属音が響く。

 見ればもう一方の、援兵として現れた者が矢をつがえて射放っていた。

 

 意識がそちらへ向いた呂布の脇を転がるようにすり抜け、血の泡を吹きながら馬超を抱きかかえる。

 目覚めぬ旗頭に苦笑をこぼすと、切なげに言う。

 

「……ほんっと、次は命を大事にしな。あんたはうちらの、馬家の錦なんだから」

 

 そして、掠れた勇声とともに、第二射を放つ。

 だが、万全でも敵わなかった無双の武人、呂布にそんなものが届くわけがなかろう。

 

 しかしそれは、恋を狙ったものではなかった。

 勇み足とともに敵を追わんとしたこちら側の騎手。その眉間を射抜き、落馬させた。

 撃ち尽くした弓を投げ打ち、空馬となって近づくその馬の轡を取り、足を止めさせないままにまたがる。

 棹立ちになったのも束の間、ふたりを乗せた馬が、新たな主を乗せて陣を突っ切っていく。

 

「ええい、しぶとい! 恋殿、今度こそ引導を渡してくだされっ」

 歯噛みしつつ、音々音は弓を持ち出した。

 弓を取っても天才的な主人ならば、十分に射程に収めている距離だ。

 

 だが、恋は首を振ってきびすを返した。

 

「れ、恋殿……?」

 まさか虫に情けをかける方でもあるまい。

 その意図を汲みかねている軍師に、彼女は

 

「意味がない」

 

 と短く言い置いた。

 

 ~~~

 

 敗兵をまとめた蒲公英と馬家の二姉妹が、関へと退き返してきた。

 駆け寄り、長女の安否を問い質す碧に対し、申し訳なさそうに首を振る。

 圧倒的な董卓軍の智勇。それに触れて、皆が色を喪って、満足に息を整えられずにいた。

「お姉ちゃんは、最後に呂布と戦ってたのは見たけど」

 蒼がらしくもない暗澹たる表情で言葉を紡いだ時、もはやその生存に期待をかける者はいなかった。

 

 そして、誰もが顔を地に向け、すすり泣きさえ聞こえてきた時、ヘクトルが何かに気が付いたように声を張った。

 

 見れば地平と戦場の向こう。一頭の馬とそれに揺られたふたりの少女の姿が見えた。

 その追っ手を関の上より矢を射て追い払いつつ、彼女らを招き入れた時、やや軍中は活気、というよりも生気を取り戻した。

 

 馬上でぐったりとしている翠を下ろし、その呼吸を確かめる。

 

「生きてる、生きてるよぉ!」

 喉元に耳を当てていた蒲公英が顔を上げ、声をあげる。

 周囲にいた兵士たちが安堵の息を漏らし、勝利のごとく喚声を発した。

 

 が、頭からの出血がひどく、予断を許さない状態には違いない。

 すぐに抱えられて軍医に見せることとなった。

 

「……すまん。苦労をかけたな紅葉」

 碧は、それを見届けてから、馬上の紅葉にねぎらいの言葉をかけた。

 

 

 

 ――出立に際し感じていたあの爽風が、彼女の内から絶えていた。

 

 

 

 手は力なく手綱を握りしめたまま、眠るように項垂れていた。

 ヘクトルが目をそらす。鶸が口元に手をやり呼気を震わせその場に崩れる。

 

 碧は、その指を解いてやった。

 天命を使い果たした少女の肉体は、常に見るより華奢で軽く、碧の胸の内にするりと落ちてくる。

 

「――すまない……紅葉……ッ」

 今一度、詫びる。それしか、かける言葉が見当たらない。

 肉体を貫通して穿たれた空の棺。そこに魂の残滓を感じて、碧はそっと撫でつけた。

 

 

 

【鳳徳/紅葉/恋姫(オリジナル)……戦死】

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