恋姫星霜譚   作:大島海峡

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馬騰(三):修羅の刻(★)

 しかるべき者に紅葉の亡骸を譲り渡した碧は、その場にしゃがみ込んだ。

 無言で、何時も、戦闘の最中に。

 

 ややあって、立ち上がった彼女は言った。

 

「この首ひとつで、董卓は許してくれるかな」

「なっ……お母様!?」

 

 それが投降を意味する言葉であることは、あえて明言する必要はなかった。

 独語とも諮るともとれるような茫洋とした調子の彼女に、すぐさま反論に応じる者はいなかった。

 

 紅葉の死に続いての、衝撃発言である。その意味を吟味し、答えを出す方がおかしいというものか。

 だが、言ったところですでに、碧はゆるゆるとその決意を固めていた。

 

 もはや、良かろう。

 これ以上の戦いに、老体が意地を張るのみの戦に何の意味があろうか。

 この身と魂は、その愚戦に決着をつけるために捧げる以外の、何の用途があろうか。

 

 そう思い、碧は口を開く。

 

「門を開け」

「門を開けろ」

 

 別口より、だが明らかに彼女とは別の意味合いを強く含めた同音が、隣より響く。

 脇を見れば、勇壮な斧の武者が並立していた。

 

「俺と輪虎が出て時間を稼ぐ。あんたは撤退の指揮を執れ」

「……これ以上、無駄な血を流したくないんだがね」

 

 そうぼやいた瞬間、ヘクトルは彼女の頬を平手で打った。

 客分とはいえ、臣に等しい者が涼州軍閥の総領を殴ったのだ。その衝撃はいかばかりか。

 他の者は、ざわめきとともに硬直していた。

 

「……鳳徳の流した血は、無駄か?」

 

 厳しい目だった。鈍い痛みだった。きっと紅葉も戦中にそうして翠をぶって諫めたのだろうと思った。

 

「心中は察する。たしかに、志半ばでその道が絶えてしまうことほど、無念なこともない。それが見えてしまった時もな。それで投げ出したくなる気持ちもな」

 周囲に聞こえない程度の声量で言う。

 

「だが、それでも……其方は、当主であろうが。あの娘たちの、母親であろう」

 

 背格好には似合わぬ物言いと優しい語調であった。

 目を細め、口元には笑み。

 止まりかけていた心の臓が、それで吹き返した心地であった。

 

「ならば、生きよ。最後のその時まで、人の上に立つ者の姿と、親の背をあの者らに見せてやれ。その道程は、我が子にとっては無意味なものとはなり得まい」

 

 そう言って、碧の前へと進み出る。

 閂を自身の一人の手で、外した。

 

「行くんだ?」

 その脇で、双剣を背に負う輪虎が声をかける。

「悪いが、付き合ってもらうぞ。……その呂布って化け物は俺が引き受ける。お前は敵中を引っ掻き回して撤退の機を作ってくれ」

「ハイハイ」

 

 肩をすくめ、碧に代わり、ヘクトルの隣に並び立つ。

 その背後に、麾下の騎兵が並び立つ。この混乱においても、不気味なほど静寂を保った精鋭である。

 

「で、実際のとこどうなんだ、お前」

「何が?」

「いっつもはぐらかしてきたが、この家の人らに何か思うところはないわけか」

 

 ヘクトルは、あえてそれを皆の前で言わせようとしていた。

 んーと伸びをするかのごとく声をあげ、即答を渋っていた輪虎であったが、ついに勘弁したかのように答えた。

 

「明るい人たちは、嫌いじゃないよ。馬鹿も含めてね。僕の主と同胞たちが、そういう人たちだった」

 

 そうか。そう呟いたヘクトルが、輪虎の肩をしばし抱く。

 力強く。だが、引き離すにしても未練を残さず。

 何か感じたり、思い起こすことがあるのだろうか。この不敵で過剰なほど誇り高い男が、その間されるがままになっていた。

 

「なら、今はそれで良い。……後を、頼む」

 

 ヘクトルはそう言って完全に門を圧し開いた。

 次の瞬間、閃光のごとき戟の一突きが、その隙間より彼を襲った。

 

 鉄の音が響く。だが、肉の音は聞こえない。

 斧の柄が、その不意打ちの威力を殺していた。

 

「よう、小娘」

 苦悶に満ちた、だが多少の笑みを含んだ声を、異世界の勇者は門を挟んだ先に入る赤髪の鬼神にかけた。

 

「少し、力比べといこうぜ」

 彼はそう言うや、渾身の力を手足に込めて踏み出した。

 門が完全に開き、そして呂布は……門の外へと押し返された。

 

 ~~~

 

 戦場全体を凍らせるほどの残響の尾を引いて、関門の前でふたりの豪傑は打ち合っていた。

(なんて剛腕だよ……っ)

 かつて人外の者たちとの死闘を繰り広げていたヘクトルをして、慄然とさせる天性の暴威。

 そしてそれをしのぐヘクトルに対してもまた、董卓軍の将士、そして呂布自身も驚きを見せていた。

 

 鎚を打つがごとく、鉄音が繰り返される。

 その間隔が次第に狭まり、一つの破裂音となって聞こえるようになる。

 

 間合いを詰めないままに、無理を承知でヘクトルは呂布を追い立てていく。

 ひとつにはそうやって肉薄することで、周囲の敵の援護射撃を防ぐため。そしてもうひとつは、方戟と戦斧とのリーチをあって無きものとするため。

 

 いずれも、特定の師を持たぬ我流である。

 だがその経験の差からヘクトルは、呂布の繰り出す攻撃を読み、その出鼻を挫く形で防いでいく。

 

 十全に腕の伸びきらない攻めは、脅威ではあってもヘクトルを討つまでには威力が出ない。

 そのことを、呂布とて痛感しているのだろう。

 

(焦れている)

 

 ヘクトルはそう捉えた。

 攻勢はさらに苛烈に、だが単調に。そして明らかに集中力を欠き始めていた。

 

 そう感じた直後、敵軍の背後より声が沸いた。

 見れば、本陣と思しき後方のあたりに、切り込む縦隊の姿があった。

 

 輪虎。

(あいつ)

 二刀の部隊長に苦笑する。攻めるは徐栄、張遼で良かったものを、無茶攻めを承知で、サービスでさらに上を狙ってくれたということか。

 我を見よとばかりに真一文字に突っ切って、衆目を浴びる。

 まさに、天下を資する胆力の持ち主と言えよう。

 

 そしてそれは、呂布の龍眼さえも動揺させた。

 

「月」

 感情の乗った幼い声が、この無双の者より漏れた。意識が寸分、ヘクトルより離れた。

 

 ヘクトルはその機を見逃さない。乾坤一擲、大技の構えを取る。

 頭上で斧刃を旋回させ、地に一度叩きつけて気を充溢させる。

 そして鎧の重量などまるで度外視したかのような高い跳躍をもって、そして背のマントを巻き込むようにして肉体を翻し、呂布を瞠目せしめる。

 

 狙うは脳天。次点で肩口。

 加減のできる相手ではない。現にすでに迎撃の体勢を取りつつある。

 だが、焦りすぎた。急いで突き出した矛先がヘクトルの右手を捉えた。二の腕を突き立てられたが、武器は取り落とさない。そも、そちら側にはすでにない。

 

 マントで作った死角で左手に斧を持ち替え、呂布の眉間目がけて振り下ろした。

 

 

 

 

「ある時を境に、戦が怖くなった。人の死が、怖くなった」

 

「自分の命に限りが見えた時、あぁこの若者にも先の人生があろう、この者にも残した家族や恋人もあろうとか考え、手にかける兵士に心を寄せるようになっていった」

 

「彼らと争わぬ手立てはないかと考えるようになった」

 

 

 

「笑えよ、ヘクトル」

 

 

 

 ――嗚呼、畜生。

 笑えない。まったくもって、笑えるものか。

 

 結局、つまるところ。

 それなのだ。自分が命を落とした理由は。

 

 そして、今もこの少女の目を見た時、想ってしまった。

 彼女を。同じ年頃に育った娘を。

 

 

 

 刹那の追憶が、斧を寸手を止めた。

 その寸手が、寸刻が、一瞬ただそれのみであった勝機を喪失させた。

 そしてそれは、彼の命脈をも消し飛ばした。

 

 一瞬の交錯。斧は彼女の耳の側をすり抜け、代わり迫る方天戟の月牙はヘクトルの装甲の隙間を呆気ないほどたやすく貫通し、腹を抉り抜いた。

 

 生きていくだけに必要な血潮がこぼれ落ちる。

 その身は赤き海に沈む。その魂は暗い闇に沈む。

 

「リリ……ナ」

 

 今際に紡ぐ言葉は、娘の名。

 されども閉じる瞼に浮かぶのは、ここに来てからの短くも楽しき日々。

 祈るのは、この世界で息づく一家の安泰。

 

 

 

「あばよ……手のかかるじゃじゃ馬ども」

 

 

 

 口端に笑みを浮かべながら、彼は二度目の生に幕を下ろした。

 

 

 

【ヘクトル/FE烈火の剣・封印の剣……戦死】

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