恋姫星霜譚   作:大島海峡

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董卓(三):誉れなき勝利

 双刀で攻め立てていた敵将の手が、止まった。その笑みの陰影に潜む魔が抜けた。

 同時に、救援として対していた霞も気が付いた。

 関の前に立ち上っていた圧倒的な闘気ふたつ。

 その片割れが、消失したことに。

 

 一騎打ちにおいて恋が敗ける道理がなく、かつ万一にそれが起こっていれば、その驚天動地を目の当たりにしていれば、前線はたちまちのうちに崩壊していただろう。

 となれば、勝敗は明らかであろう。

 

「……もう良えやろ」

 

 剣を交えていた敵将に、剣を下ろしてそう告げる。だが勝利の優越とはまるで無縁の表情で。

 霞とて、戦うのは好きだ。武の道を志した以上、戦場にては切り替えもする。

 だが同郷相食む死闘の苦しみは、并州生まれの彼女とて痛ましさを感じずにはいられない。

 

「……まぁね」

 

 天の御遣いと思しき男はそれを否定しない。何か名残を惜しむかのごとく、自分が落ちてきたであろうその天を少し見上げて、そして怪鳥のごとく、剣を水平に持ち上げたままに馬首を返し、凄まじい速度で引き上げていく。

 

「あ、そうだ。次に戦う時は、ちゃんと長物を用意しておきなよ」

 と、言い残して。

 

「なんや。バレとったか」

 

 罰が悪そうに紫髪をかき、苦笑する。

 先の老鬼との戦いによる損耗は、彼女自身ではなく武器の方が酷かった。

 なので今は打ち直していて万全ではないことを、彼はその手癖から見抜いていたようだった。

 

 奥で気を張り詰めていた月が、脅威去りし後に崩れそうになる。それを、詠が支えていた。

 それほどに、あの敵の突破力は脅威であった。もし本腰を入れてかかられていたら、どうなっていたことか。

 ややあって、軍容を立て直した透も、荀攸を連れて戻ってきた。

 

「なんだ。もう終わってるじゃないですか」

 馬上の天才児は開口一番、まるで他人事な感想である。

 

「このアホ、本陣崩されとったほうがよかったっちゅうんか」

「いえいえそうではなくてですねホラ、霞姉さんだったら『ヒャッハー! 強者じゃ、一騎討ちじゃー!』とか言って形勢そっちのけで延々敵と殴り合ってるんじゃないかと」

「尚更気分悪いわ!」

 

 とは言え完全に否定できないところに、自分の性分の悲しさがある。

 

「……しゃあないやろ。華雄も逝ってもうて、ただでさえ指揮官が足りん。自分抑え込んでそれ相応の陣固めせんとな。変わらんといかんやろ、軍全体も、ウチ自身も」

 

「へぇ」と、愛馬の鬣に頬を寄せるようにして、上体を倒しながら、透は笑った。

 

「笑いたきゃ笑えや」

「まさか、評価してるんですよ」

「上から目線やな」

 

 不本意げに鼻を鳴らす霞に、透は姿勢をそのままに言った。

 

「自分より、月さんより詠姉さんより、ともすれば恋姉さんより……霞姉さんは、遠くに上にいける気がするんですがね」

「は? なんやそれ」

「さぁてね。ふいに頭の中に浮かんだんですよ」

 

 透は言葉に隠しているのではなく、ろくに考えの整理もせず率直に所感を口にしたに過ぎないのだろう。

 霞は呆れつつも、飾り気のない彼女の『神託』を誇りとともに胸に刻んだのだった。

 

 〜〜〜

 

 勝つには勝った。いやむしろ完勝とも言って良い。

 だが、詠や月にとっては、失う物があまりに多すぎる勝利であった。

 

 華雄の死。そして今また、涼州の烈士が死んだ。

 

(紅葉……)

 

 恋は名など覚えてはいないが、音々音がその名を記憶していた。

 新たに主人に加わった武勇伝を誇らしげに喧伝する少女を、表面上は褒め育てつつ、複雑な心境であった。

 

 詠の生地は涼州武威郡。馬家との交流はなかったが、鳳令明とは旧知である。いずれ新政権を打ち立てた時、武官として参画して涼州中央の仲介役をしてもらう未来図もあった。

 

 その勇者の死を、公的には呂布の殊勲としつつ、詠も月も一個人としては深く悼んだ。

 

 だが、()()は別だ。

 回収された骸。呂布が討った重装の異邦人に向けて、詠は冷ややかに睨みを落とした。

 

 ――こんな奴らが現れたから!

 

 自分たちの構想が狂っていった。

 方々に散ったこんな化け物どもが、地方の軍政を好き放題に作り替えるからこそ、力の均衡が崩れ世は乱れた。

 無用の者たちに、要らぬ野心を植え付ける。

 結果、流れるはずのない血が流れた。

 

 その悪魔の一頭は、どことなくやり切ったとでも言いたげな、晴々とした死相を浮かべている。それが尚更癇に触る。

 そんな表情を、許してはならない。尊厳を保ったままに、弔ってなどやるものか。

 

「……この死体の首を切れっ、手足をもげ!」

 賈文和は周囲に鋭く命じた。

 

「そしてその肉片ことごとくを天下の往来に晒し、このような凶徒が迎える末路を他の御遣いを名乗る愚者ども、それを匿う賊どもに見せつけるのだ!」

 

 だが、この鋭利な軍師の命に、即応する者はいなかった。誰もが、感情が追いついていない。

 

「止めて」

 

 月が、その袖をそっと掴んだ。

 悲しげに睫毛を伏せて、

「これ以上、惨めにさせないで」

 と短く言う。

 

「惨めにって……」

 親友のまさかの言葉に、空気が喉に詰まる。

「月の言う通りや」

 次いでその肩を押さえたのが、霞であった。

 

「……もしそれをやったら、引き返せんようになるぞ」

 

 華雄なき今、名実ともに軍部の二番手となった武人の冷視は、さしもの詠にも堪えるものがある。

 

 そのためこの場は自身の発言を一時の気の動転として撤回したが、それでも根は残る。

 

 今の天下には、余計なものが多すぎる。

 天の御遣いしかり、宦官しかり門閥しかり外戚しかり豪族名士しかり。

 

 新帝劉協の賢徳による親政があれば良い。

 その下で董卓の敷く法制があれば良い。

 さらにその下に張遼、徐栄の将器、呂布の武、自分や陳宮の智略があれば良い。

 

 かくも明確な線引きがされたのなれば、世は自分にとって……いや、月にとって生きやすいものを。

 

 〜〜〜

 

 長安城まで退いた西涼軍閥。

 その目下最大の懸念は、董卓軍の追撃の有無よりも次期馬家当主の生死にあった。

 

「驚異的な生命力ですね。運も良い。あと少し打ち所が悪ければ、生きていたとしても日々の暮らしにも支障が出ていたことでしょう」

 医師はそう評した。

 

「……たしかに、悪運だけは強い娘だ」

 碧は寝台に寝かしつけられた翠を見て、そう苦笑した。たまたまこの医術者が城都を訪れていなければ、どうなっていたことか。

「それで、そう断じるからには助かるのか」

 娘たちの中では蒼にもっとも近い、豊かな髪量の中にその眼を伏せて、あらためて尋ねる。

 

「……本人の気力次第と言ったところでしょうが」

「必ず助けてほしい」

 

 と言ったが、それは親心ゆえでも温情でもない。

 むしろ、このまま目覚めることがない方が、戦の高揚の中で死ねて幸福であったろうに。

 だが、それでも生かす。

 

「鳳徳も死んだ。そしておそらくはヘクトルも……おのれだけ死に逃げることは、許さん」

「……お母様……」

 

 そう、おのれだけ。同じく死にたいぐらいの罪を負ったのは、この母とて同じなのだ。

 それでも、同胞の血を吸ったからには自分たちに逃げは許されない。

 打てるべき手はすべて打ち、限られた命数はすべてそのために使い果たす。

 

 少なくとも、この新たなる馬家当主が本当の意味で目覚めるまでは。

 

「董卓と停戦する」

 碧はそう命じた。えっ、と蒲公英が頓狂な声をあげるのを、眼で制す。

 

「向こうとて、なお中原を諦めてはいないだろうし、この連戦だ。それに特定の拠点を持たん。落ち着ける場所と時が欲しいところだろう。それに、こちらもあいつら()()()関わっている場合ではなくなった」

 

 そう言って、娘たちに受け継がれた光輝に満ちた瞳を、かの医師へと振り分ける。

 その師より譲り受けたという白い外套。それに劣らぬ絹糸を拠り合わせたかのような頭髪。やや医療に従事するには不釣り合いな豊かな胸と尻。細い腰。男を篭絡するにこれ以上ないほど適格な肢体は、かつて益州の王を篭絡させたという母親譲りといったところか。

 

「よくぞ訪れてくれた……といいたいところだが、漢中の王たる貴殿が領地を捨てここにやって来たということはそういうことだな? 『張師君』」

 いまいち年齢の読めない彼女は、しずしずと頷いた。

「はい。韓遂軍閥により、五斗米道は解散。貴方の義妹は、返す刀で西涼を席捲しつつあります」

 

 

 

 この者は、医者か。

 否、それを技術として会得しているだけ、彼女の本質はすぐれた民政家である。

 そして、万を超す信徒を従える教祖でもある。

 

 統治者としていくつもの顔を持つのが、『五斗米道』師君、張魯(ちょうろ)であった。

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