恋姫星霜譚   作:大島海峡

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???(一):剣の先

 一人の男と、五千の将兵がいた。

 漢中の太守代行として与えられたその兵数に、公人としては賛意を示しつつ、一個の野心家としては内心で舌打ちした。

 

 だが、それは彼の端麗な横顔に顕れていたらしい。

 一見して無骨な武人ではあるがこまやかな気遣いの取れる彼の副官は、少し顔を近づけて言った。

 

「如何なさいましたか?」

「守る分には問題ないが、天険の地に攻め込むには少々数が足りないか。大方あの成公英という小娘の差し金だろうが、放任主義の主と違っていちいち小賢しいことだ」

 

 いや、だからこその謀であるか。

 

 陣中である。

 自身は高みの幕の内にあって戦況を眺望しつつ、火線を敷いて敵の戦線を圧し崩していく。

 

 その、最中の独白であった。

 生前より仕えた彼にのみ打ち明けた不満であり、その彼もまた変わらぬ心配性を言外に見せていた。

 

 彼の嘆きは続く。

 

「それにしても我が身の滑稽さはどうだ? 今頃はヴァルハラの門の内に迎え入れられていたというはずなのに、かつては数百万の将兵を指揮したこの俺が、五千足らずの兵とごく少量のマスケット銃(骨董品)を持たせてこんな閉ざされた未開の土地で原住民と争っている。生前の行いが大神オーディンによほどの不興を買ったらしい。それとも俺が先に送ってやった連中が、この者不義の大逆人につきこの『地獄』に送るが相応と彼に言上したのかもしれんな」

 

 毒のあるジョークとともに一気に吐き出した彼は、言っても詮無きことと苦笑。表情を翳らせながらも直立する部下を見上げて気遣った。

 

「卿も、俺などに付き従わなければ、今頃は軍に復籍していたか、あるいはヴァルハラにて旧主と再び見えていただろうに、気の毒なことだ」

「いえ……いいえ、元より両提督亡き王朝に未練などございませんでした。小官は閣下と再びお目見えし、こうして共に戦えること、望外の喜びとして噛みしめております。閣下もお嘆きにならず、何に縛られることもなく、存分に采配をお執りください」

 

 これ以上は余計なことを言うな。本当に言いたかったのはこの言葉ではなかったろうか。

 確かに、前世の厄災は多少の陰謀が絡んだ結果とはいえ、元を辿ればすべて己の言動がその源流ではなかったか。

 そのために自分の仕えた者にも、無二の友にも無用の迷惑をかけてしまい、果てには我が身を滅ぼした。

 どこぞの寄生虫ではあるまいし、せめて死後ぐらいはその振る舞いも改めようと思わないでもないが、生まれついての性分で、困ったことのそれを持て余しているのは他でもなく自分なのだ。

 

「スケールが小さくなればなったなりに、それに相応の好敵というものもございましょう。現に目の前にいる敵将の面々も、女だてらに中々の用兵巧者と見ました」

 それとなく副官は話題を逸らした。

(まるで駄々をこねているところに動物園の象やショーウンドウの汽車の模型を見せられている子どもだな)

 男は黒い右目と青い左目を歪めた。

 

 だが否定はすまい。

 現に敵右翼。丘陵に陣した敵兵の動きは見事である。技巧の問題ではない。おそらくは信仰心に近しい類の強さである。

 銃把を執り、先頭に立つ銀髪の戦乙女(ヴァルキュリア)の存在が、それを可能としていた。

 そうした非合理的な観点を好まないが、他とは明らかに雰囲気が違っている。異物感と言って良い。おそらくは同類。

 それも五十歩百歩には違いないが、自分たちと技術体系や文化がもっとも近い。

 

 その存在を視覚的に除いても、相手は銃器に手斧で挑みかかってくるような西部劇のインディアンではない。歴然と、その進退に指向性を持たせた軍隊である。

 

 なるほどハードウェアの進歩は人間の精神性の向上には一切のかかわりがないことが、自身の耳目をもって証明されたというわけだ。

 人は変わらない。歴史の流れはくり返される。いつの世でも、どこの世界においても。

 

 しかし、その抵抗も、終息に向かいつつ、男が向かわせつつある。

 

「ベルゲングリューン」

 男は自身の参謀長の名を呼んだ。

 

「敵の右翼に砲火を集中して牽制。敵の兵が寄ったのを見て、中央突破を図る」

「承知いたしました」

 

 すでにその命を読んでいたのだろう。

 彼は用意させた西域馬にまたがり、集結させた一隊を率いて攻勢をかけた。

 元の上官たるジークフリード・キルヒアイスに不足しがちであった勇の部分を担当していた男である。銃器に弓騎兵、それぞれの機能を最大限に活かし、献身的に戦術的な課題をクリアしていく。

 

 それを見届けた男は、前線へと打って出た。元より貴族としてのたしなみとして乗馬は心得ていたし、陸戦戦闘においても退けを取らない自負がある。それに、惜しむべきほどの命でもあるまい。

 

 元より戦線の維持でやっとのことだった敵は、最大の機に打撃を与えられてたちまちに崩れた。

 

 それを追い立て河まで追い詰める。

 だが、そこで『韓遂軍益州方面独立部隊』は足を止めて渡河を諦めた。

 

 橋は焼かれ、軍船が敗軍の一部を収容し、悠々と彼らの眼前を去っていく。

 のみならず、その船上に女が立っている。

 やや歳は重ねているようだが、女の扱いには酷なれども長けた男をして、十分に美しいと思える顔立ちをしているし、体格も他よりもしっかりしている。

 その彼女にさえ持て余すような巨砲を抱え、その口を追撃部隊の先手へ突きつけた。

 

豪天砲(ごうてんほう)、発射ァ!」

 

 中央に身を置いていた男の耳にも届くような轟音と豪声。

 勢い余って突出していた騎兵の一部が、曲線を描いて落下した砲丸とその衝撃で潰された。

 

 その混乱に乗じて、軍船は離脱した。

 勝ちには勝ったが、足は止められた。そのうえ橋を落とされたとなれば、迂回するか再架橋するかのいずれになる。

 だがもし道を逸れれば、それこそ地の利を生かしたゲリラ戦術を仕掛けてくるだろう。となれば、時間をかけてでも前者を選び、街道を注意して進むしかあるまい。

 

「やられたな。艦砲射撃とは、あれも天の御遣いとやらということか」

「……さぁ、『厳』なるアジア圏の文字による軍旗を掲げていましたので、何とも。しかしながら、韓遂の情報では劉焉陣営に艦戦に長けた武将は元よりいなかったと聞いていますので、操船していたのはおそらくはその類ではありましょう」

「戦いながらそれぞれの性質を探り当てていくしかない、ということか」

 

 そもそも、名を聞いたところでそれが何者であるのかを知る由もない。

 何しろこの並行世界は、服飾技術や食文化が現代並みにも関わらず今なお矢が槍が戦闘の主流を務めているという、異様な文明の体系なのだから。

 

「如何なさいますか。韓遂から離れたということは、軍閥として独立を?」

「別に今すぐに反旗を翻すというわけではない。もしこちらの動きを掣肘するようなことをされたら、どうなるか知れんがな」

「では、その今後の活動のためにも、閣下の本望をお聞かせいただきたく存じます」

 

 それについては、男は意図的に聞き流した。

 そもそも明確な目的があるわけではない。現状においては益州を制し、天険の国を得る事であるが、それさえも元は何のためなのか自分自身でも分かっていない。

 

 ただ、怒っているのかもしれない。憎んでいるのかもしれない。

 

 動乱の時代において地の利に安穏と潜んでやり過ごそうというこの国を。

 自分をこんなところにまで引きずり込んで、不本意な戦争をさせるこの世界を。

 何より自分を叛将、梟雄、野心家などと同一視するあの狂った女を。

 

(あるいは)

 どことなく苔がかったような天を仰ぎ、彼は想った。

 

 自分においては至上の御方。唯一無二の主君。挑もうともついに届くことのなかった皇帝(カイザー)を、極小の規模ながら追体験でもしようというのか。

 

 雌伏を時を費やし、国を盗り、ついには外敵を打ち滅ぼして覇者たらんという。

 

 そんな自身のナイーブさを、男は哂った。

 女々しいことだと自分でも思った。

 

「卿はどうだ?」

「小官は、先に申したとおり不満はありません。ただ閣下に従うのみです」

「ほう、ではもし仮に、ジークフリード・キルヒアイス提督が我々と同じ夜に星となってこぼれ落ちていたとしたら、どうか?」

「……お意地の悪いことをおっしゃらないでください」

 

 泣き言を吐くかのような調子で、ベルゲングリューンは言った。

 

「すまない。益もないことをつい訊いてしまった」

 男は、心より反省した。

 まったく無益なことだ。

 あの時と同じく、僚友に恵まれぬ。梯子は外され、余計な真似をさせまいと見積もられた現有戦力でもって事態を打開せねばならない。

 なのにその自身が生前より持ち越したものの中で唯一誇れる者の忠誠心を試して、なんとするというのか。

 

 ――人は、変わらない。同じ過ちを繰り返す。

 その轍からは、今まさに己の悪性に苦笑するこの男、オスカー・フォン・ロイエンタールをもってしても容易に抜け出せるものではなかった。

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