恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉焉(一):枯山水

 四川盆地に挟まれた急流を見事に乗りこなし、劉氏新設の小型高速船団は成都へ向けて下っていく。

 間を挟む嶺が剣のごとく峻厳になっていくにつれ、川幅もまた狭く険しいものとなっていく。

 それを巧みに乗りこなしながらも、それを指揮する男は器用に、両腕を枕に寝そべっていた。

 

 行儀の悪い、壮年の男である。

 金色の髪はその生え際が後退の兆しを見せ始めているが一向に気にした様子がなく、伸ばした髭の中でふてぶてしく薄い唇が歪む。

 

「良い時機(タイミング)だったでしょ?」

 

 恩着せがましく言ってのける。だが、妙な愛嬌と色気、渋味があって嫌いになれない。だが、張任(ちょうじん)はそうは考えないらしく、眉をひそめた。

 男とは焦茶の髪を少年っぽく切り揃えた、ようやく小娘の域を出かかった若い将軍である。

 

「貴殿、敗勢を見越して後方に待機していたな」

「まっさかぁ」

「とぼけるな。でなければ、こうも早く動けるものか」

 

 味方の動きにまで届くその戦術眼は見事といえるが、それを直接的に言ってしまうあたりに、青臭さが残る。

 彼女を含め、特に若い女武将や、別動隊を率いる別の御遣いのような道理や礼節を重んじる者には、煙に巻いたような彼の言動はすこぶる評判が悪い。

 

「やめよ、(しゅん)。彼には、アシェラッド殿には予備兵力として待機命令を出したのは俺だ」

 

 劉焉はそう言って助け舟を出した。

 主君が弁護したことがかえって張任()の忠誠心を刺激したらしい。さらに口吻を鋭くさせた。

 

「しかしお屋形様にも非礼を今まさに働いております。いくら天の御遣いとはいえ、威風堂々、誇り高き武人たるロラン殿やセルベリア殿とは似ても似つかぬ横暴の数々、臣としてとうてい看過できる者ではありますまい」

 

 確かに、靴底を向けられてはいるが、無礼を働かれているという意識は薄い。

 自身の傘下に入りながらも、臣とならぬ者たち。そういった者たちと対等に付き合って、今の益州はあるのだから、こういう手合いとの付き合い方は慣れたものだ。

 

賈龍(かりょう)、張氏)

 この巴蜀に平穏をもたらさんと誓った友も、愛した者も、皆最後には自分と袂を別った。

 気づけば、自分ひとりが孤独な支配者になっていた。

 それだけのことだ。

 

「俺が本気を出してないってんなら、そっちのセルベリア嬢はどうなんです?」

 

 追憶の旅から戻ってくれば、口論の場は少し離れた銀髪の戦乙女のもとへと拡がっていた。

 試すように、アシェラッドは凛とした横顔を風に当てている彼女へと視線を投げた。

 

「本当は、もっと力があるんじゃないですかね。あの城に置いてきた仰々しい盾や槍とか、なんのためにあるんです?」

「あぁ、あれな。わしの衝天砲にも似ているが、材質からしてまるで違う逸品であろう。何故使われぬのか」

 

 厳顔(桔梗)の年不相応な無邪気な問いに、銀髪を振って、天の御遣いセルベリア・ブレスは答える。

「否定はしない。そして、当面は使うつもりもない」

 淡々と答えるこの黒衣の女軍人は、若い女の中では唯一、アシェラッドに好も悪も抱いていないような様子が見受けられた。

 

 アシェラッドもまた、一定の敬意と距離とを置いていたようだった。

 公明正大なその人柄や類まれな美貌に惹かれたか。まぁそれはあるまい。そういった甘ったるい憧憬に傾くような人生の送り方をしてこなかっただろう、この海賊まがいの男は。

 では、あるいは彼女が最初に名乗ったヴァルキュリアなる人種の呼称に、何かしら想うところがあるのか。

 

 もっとも、この男がそれを素直に表出させることはないだろうし、こういう手合いは詮索をもっとも嫌う。暗黙の考察を早々に打ち切って、第二の御遣いの言い分に耳を傾ける。

 

「第二の居場所を下さった劉焉殿たちには恩義を感じている。だが銃火器でさえそうなのに、この世界には私の力はさらに過ぎた力だ。むろん、相手の御遣いに同等以上の存在が確認できれば、使用はためらわない。その点においては安心してほしい」

 

 眉ひとつ動かさずに、言う。だが胸襟を開いて話してもらえている、という感触が劉焉にはあった。単に腹芸を得意としないというのもあるのだろうが、貴重な武器を国庫に預けているのが、多少は信頼をしているという証でもあるだろう。

 だが、それゆえに先に伝えた状況以外で能力を開示することは決してしない、という表明でもあった。

 

「オレとしては一発撃って敵の警戒心を煽りたいところですが、まぁ現有戦力で対応可能ですよ」

孝直(こうちょく)

 

 劉焉は自身の謀臣を字で読んで顧みた。

 波打つ濃紫の髪。陰気を多分に含んだ、隈の濃い眼窩。蒼白な顔は生まれつきだが、船揺れのためかさらに血の気が失せて、船べりにしがみついている。

 

「あの敵と戦えば必ず負けましょう。なので、戦わなければ良い。軍を正と奇の二手に分けて、敵の目を分散させ、一方で失地を取り返しつつ後方を脅かします。もしそれさえも敵わぬ場合であっても、あちらには劉璋様がおられます。一方が滅ぼされたとして、劉氏の血は残せます」

「成都も、都さえも時と場合によっては棄てると?」

「成都のみが城ってこともねぇさ。この益州そのものがオレらの堅城ってことさ、姐さん」

 

 桔梗の危惧に、軍師法正は一切の淀みなく答弁する。

 見た目は華奢な少女なのだが、有り余る才気とそれに裏打ちされた乱暴気味な語調は身の丈一回り以上大な桔梗や隼の硬骨に勝るとも劣らぬ。

 

「うわははは! 相変わらずか、そういうところは!」

 大笑とともに肩を抱き、老臣は遠慮も悪意もなく法正を称えた。

 

「……揺らさないでくれ……うぷ」

(よい)

 顔面蒼白になって、決死の力で振り解いた彼女に、劉焉は真名を持ち出し、問う。

 

「今は亡き賈龍のためにも、勝たねばならぬ。尽力してくれるか」

「……何故、今更にあの方の名を持ち出したんです?」

「深い意味はない……だが、せっかくだ。この際問うが……恨んでいるか? 俺を」

 

 ただ、久方ぶりに思い出した旧友の面影が、そうさせたのかもしれない。

 多少の血の色を顔に取り戻した少女は、居住まいを正して答えた。

 

「益州を衰亡の兆しを見せる漢室から切り離し独立国としようという殿。あくまで朝廷の臣たらんとした賈龍のオジキ。この両者の衝突いわば必然の儀礼。そこ勝敗と生死が伴うのも自明の理です」

「では、養父の仇を討たんとする気はないと? 何なら、今こそ機であろう」

 

 そう言って両腕を広げた劉焉に、一同緊張した面持ちで視線を注ぎ、法正は、宵は視線を落として言う。

 

「まさか、そんなことをすれば桔梗の姐さんや隼に叩き殺されますよ。……たしかに、殿を仇と思ったこともありました。でも、今は違います。オジキも承知の上で、あなたに挑み死んでいったのでしょう」

 

 そして、陰は強いがこざっぱりした様子で、笑って見せた。

 

「復讐なんて馬鹿らしい。過去の恨みなんて、さっさと洗い流すのに限るというのが、オレの信条ですよ」

 

 だがその軽やかな笑みが、アシェラッドの側よりは見えないような身体の向きになっていた。

 

 〜〜〜

 

「すまんなアシェラッド殿。部下が不調法なことを言った」

「いいえ。気にしちゃいません。張任殿の疑念はもっともなことでしょう」

 

 安全を確保して船から降りる時、劉焉はアシェラッドに一言詫びを入れた。

 おそらく、自身の言動が不審を招くことは十二分に承知しているのだろう。実際、気にした様子を見せてはいない。

 

「俺としちゃあ、ここはけっこう気に入ってるつもりなんですがね」

「本音であれば嬉しいことだ」

「険しい大地がどことなく故郷に似てますし、何より貴方を含め、人物揃いだ」

「ほう、だが貴殿にも仕える明君がいたと聞くが」

「けど、周囲はロクでもないのばかりでしたよ。飽きもせず戦いや掠奪を繰り返して、戦い抜いた先に楽園に導かれて、そこでもまだ戦えると無邪気に喜んで死にに行く。救いのねぇバカどもです」

 

 ――知れば知るほどに、語らえば語らうほどに、複雑怪奇な雄である。

 辛辣に旧知を嗤っておきながらも、その眼差しにはどことなく懐かしげで、楽しげな影がある。

 一方で、冷酷で無慈悲な非難も間違いなくそこにある。

 

 だが、そうして冷笑する彼こそが、再びの戦に身を投じているのだから、皮肉というほかあるまい。

 そして益州の安寧を願った、己も気が付けば何度となく血でこの国を濡らしている。

 

「耳が痛いな」

「いやぁ、別に劉焉殿のことを言ったわけじゃ……国に安寧をもたらすという明快極まりない信念のため兵を動かし、謀を巡らせる。結構なことじゃないですか」

 

 本心かどうかわからない賛辞を、アシェラッドはにやつきながら送る。

 返してやれるのは苦笑ばかりである。

 

 劉君郎(くんろう)は、灰峰(はいほう)は川水を耳で感じて、その流れに目を遣る。

 かつてと比べてその質はよどみ、かつ水位も心なしか下がっている気がした。

 

「賈龍」

 今度は、口にして友の名を呼ぶ。言葉を返す者は、誰もいない。

 それでも、滔々と碧水は流れていた。

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