恋姫星霜譚   作:大島海峡

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???(一):炎立つ

「ぎにゃー!」

 

 猫を手裂きにしたような悲鳴があがる。

 密林が焼ける。獣が燃え散る。禿竜(とくりょう)洞主(どうしゅ)兀突骨(ごつとつこつ)自慢の無敵の藤甲兵部隊が、油で固めたというその性質がためにかえってその延焼を手伝っていた。

 

 逃げ惑う獣に扮した南蛮兵の中心で、逃げ遅れた総指揮官徐盛(じょせい)はその異様な敵将に吊し上げられていた。

 

 白い帯で総身を隠し、その奥で皮膚が焼け爛れている。

 手には無数の刃こぼれを起こした刃が握られ、それは掠めただけで摩擦がために激痛がはしり、男自身の尋常ならざる発熱に呼応して炎熱を引き起こす。

 

「終わりだ」

 

 紅蓮をまとう(かいな)が爆ぜる。

 炎に巻かれて身悶える女の絶叫が、耳をつんざく。

 

「お待ちを」

 彼がトドメを呉れてやらんと焦土を転げ回る彼女に近づいた時、その軍師が、特徴的なその眉一つ動かさずに進み出た。

 

「生きている以上、まだ使い道があります。後の処理はお任せを」

 

 進言すると、フンと鼻を鳴らして男は鞘に刀を納めた。

 もはや、敵将徐盛には目も遣らなかった。

 

 彼の思考思想は単純明快だ。

 気骨の折れた弱者など、もはや歯牙にかける価値さえない。好きにしろと背を向ける。

 

「どうせ、お前のことだ。先の先まで段取りつけてんだろ」

「はい。程なくして、入蜀の準備は整いましょう」

 

 それ以降、異形の男は何も言わない。

 だが短い予測のその後の沈黙こそが彼なりの信の証のようで、その時こそが参謀としての至福の瞬間でもあった。

 

 彼はコートを翻し、『百識』と号するみずからの智、指揮能力の欠点を補う軍師衆の元へと足を運んだ。

 

 〜〜〜

 

(ふう)ちゃん、いい加減起きなさい」

 美しい呼び声に従って、重い瞼を薄く開く。起きれば、あの男の情人の膝の上である。

 ほぼ単騎で南蛮を制圧していった、あの恐ろしき天災の、恋人。

 

「……おぉ~、終わりましたか」

「残念ながら、アンタたちの仕事は今から始まるみたいよ。あのムッツリが近づいて来てるでしょ」

「なるほどなるほど。ではまたイカ飯いかめしいおじさんが来たときに教えてください。ぐぅ~」

「……いや、だからそろそろ重いんだけど」

 

 緩慢な口調。ぼんやりとした風貌。どれも鈍重に見えるが、実際のところ頭の回転は凡人のそれとは及びもつかぬ。

 ただ本音をそれによって韜晦し、陰惨な光景に対しざわめく心に、錠をかける。

 程立(ていりつ)のそうした言動は、拉致同然に連れてこられたこの陣中においては半ば、自己防衛と処世術に近かった。

 

 艶やかなその女、駒形(こまがた)由美(ゆみ)と膝を並べて自身の頬をすべすべと撫でていた陸遜(りくそん)も戦とは不釣り合いな穏やかな所作もまた、そんな彼女の自己操心術に倣ってのことだろうか。……体形は、まるで正反対であることを別として。

 

 だが、この光景から目を向け続けていた者が、いない訳ではなかった。

 いたのだが、

 

「ヴォおぇぇぇぇぇ……」

 

 ――思い切り、吐いていた。

 叢に屈みこんで、平素とは異なる野太い慟哭と吐瀉物を絞り出している。

 

 風は両手を伸ばすようにして、自身の矮躯を持ち上げた。

 丸まったその背に近づき屈みこみ、よしよしと小さい手で撫でつける。

 

「ううう……申し訳ないでおじゃる」

 

 天の御遣いの言葉は(たま)を帯びていて、自然その意志が万民に伝わるようになる、というのが通説ではあるが、それにしても奇妙な訛さえも翻訳されている。

 いや、というよりも異質さ加減ではいい勝負である。

 

 顔立ちは若く端正なようだが、なぜか白塗りの化粧をしている。

 こぎれいに分けた黒髪にはやや物足りないほどの小ぶりの冠。何より仔犬のごとき獣の耳と尾があり、しかもこれは肉体の一部であるという。

 同道の際、つい興味本位でさわって悲鳴をあげられたことがある。

 

「まったく、情けないお公家様だね。こんなんで私たち、いやあの人と同じ御遣いとやらなの?」

 

 その風貌は獣の部分を除けば由美の元いた世界における文弱の徒と類似するらしく、よくそう言って揶揄する。

 

「はぁ……醜態をお見せするでおじゃる」

 文化は異なれど意味合いは伝わるらしい。酸い胃液の異臭をかすかに残す唇を、無念そうに尖らせる。

 それでまた催したらしい。残る腹の内容物を余さず吐き出し、またそれを見て風はよしよし。遅れてきた陸遜……(のん)もそれに訳は知らないままにとりあえず加わった。それを見て、またもや由美は呆れ顔。それでも唇をゆがめ、見下して嘲ったりなどはしないところに、悪道に寄り添えども染まり切れない人の善さを感じさせる。

 

 ――が、かの悪鬼の軍師はどうか。

 高い背と鼻筋。特徴的な髪型。腰には銃。

 佐渡島(さどじま)方治(ほうじ)が、風たちの前に背骨を伸ばすようにして立ち止まる。

 

 

「軍師衆……と、そこな御遣い殿の国では『采配師』であったか。お待たせした。早急に戦後の処理と、孟獲(もうかく)一派の追討。南蛮の諸氏の調略と従属した民の戸籍の作成に取り掛かってもらいたい。陸遜殿には、引き続き益州への接触(アプローチ)を続けていただく」

 

「ヴぉ……おおおお……」

「ぐぅー」

「よしよし~」

「…………」

 

 が、三者三様に聞いているやらいないやらといった様子。方治の眉間と口元の険が強くなる。

 「よろしいなッ」と強く念押しする彼に、風は挙手して尋ねた。

 

「次の狙いは巴蜀と伺いましたけども、かの天険の地を攻めるにあたっては、長期戦が予想されます。となれば、本拠の交州との中継地点はこの南中(なんちゅう)。その地歩を固めず兵站線をぐいぐいと伸ばしてしまうのは、いかがなものでしょうか」

 

 風の指摘はのほほんとした調子ながらも的確なものであっただろう。その温度差に、他の者は面食らったようである。

 

 対する方治は、その問いが出たこと自体に満足した様子で「うむ」と首肯する。

 

「兵站が伸びきるは元より危惧していたこと。よって交州は放棄し、三江(さんこう)城を新たに我らの拠点とする。幸いにして火の神祝融(しゅくゆう)の土着信仰があり、本日の火計火剣による勝利はその神の再来を想起させるものとなろう。抵抗はそれほどあるまい。成都を落とした暁にはそこを新たな本拠とし、漢中、涼州を落として中原を窺う」

 

 まるで蝗害のごとし。そう言いたいのをこらえる。

 机上の空論だ。そう反抗するのもためらわれる。

 

 ――おそらく、この男ならばやる。

 戦闘指揮や戦術構想は今一つ。だが、外交能力と兵站管理、組織化と運営能力、その他大小の事務処理能力のきめ細やかさ。

 それらにおいては屈指の才幹を持っている、この男であれば。

 

 何故これほどの智者があの無道の男の国盗りに加担するのかと思わないでもないが、覇王項羽(こうう)における范増(はんぞう)しかり、当代に伝え聞く鬼神呂布と陳宮の取り合わせしかり、ともすれば暴虐ともいえる圧倒的な武とそれに心酔する謀士というのは、そう珍しい取り合わせでもないのかもしれない。

 

 そして指揮能力の不足を自覚すればこそ、それを埋め合わせるべく、戦乱によって知己や土地からはぐれた自分たちは連れてこられて智を貸す羽目になったのだ。

 

 あのぅ、と今度は穏が進み出た。

「まだなにか質問が?」

「あぁいえいえ、そうではなくですねぇ」

 

 風よりも輪をかけてのほほんとした調子で間を詰めると、方治の外套に手を飛ばした。

 

「お召し物の留め金が外れかけてますけども……よければ繕いましょうか~?」

 

 若干空気を読んでいない申し出ではある。風は、怒る方治を想像した。

 だが彼は、ほんのわずかな時間なれども、固まっていた。

 見開いた目が、穏の向こう側に、したっ足らずなその言葉の裏に、何者かの影を見ていたような気がした。

「豆」

 一瞬、何かを言いかけた。

 

「……無用に願いたい。軍務と外交に専念するように」

 だが、すぐに我に立ち返り、方治は咳払いとともにその申し出を振り払った。

 

「なんか怒らせちゃいましたかねぇ」

 悪気もなさそうに小首を傾げる彼女に合わせ、風もまた同じ角度と方角に頭を傾けていった。

 

「……放っておきな。あんな不器用な男」

 由美には思い当たるフシがあるのだろうか。やや苦み走った表情とともに背を向け、自分の伴侶の世話をすべく小走りに遠のいていった。

 

 ~~~

 

 悪鬼の従者たちが去っていったことにより、ひとまずの心の安寧を取り戻した。

 はふぅ、とあくびに交えて安堵の息をこぼす。

 

 本調子を取り戻していないのは、例の『お公家様』である。

 背を丸めたまま、撫でられるがままになっている。

 

 荒療治を承知で、ぴこぴこと揺れる尾を握れば、活気を取り戻すだろうか。

 と言い訳づけて好奇心が芽生えたその時、

 

「風殿には出会った時より迷惑をかけっぱなしでおじゃるなぁ」

 介抱される老人のような塩梅で、しみじみと男は言った。

「いえいえ、袖フリフリもタショーの縁と申しますので」

 風は残念に思いつつも、死角より手を引っ込めた。

 

 慰めつつも、正直言って面倒のかけられ倒しには違いない。

 あの頃には星、稟などがいて、彼を拾い上げた。

 公孫賛のもとへ星が身を置くことになり別れ、そして荊州の騒乱に巻き込まれて稟とはぐれ、その後二人で旅を続けていたが、体力的に限界が来た彼が動けなくなり、仕方なく車付きで御者を雇い入れて運ばせた。

 だが、こんな異質きわまる風体の獣人などすぐに面が割れて目がつけられ、同じく揚州の難を逃れていた穏とともに交州で士氏を族滅せしめたこの反乱軍に捕らえられたというわけだ。

 

「それにしてもぉ」

 その背を撫でさすりながら穏が言った。

 

「あんまり無理しちゃ駄目ですよ~。身体強くないんですから」

「はぁ……まぁこの場合は肉体的に、というよりもマロの心の問題でおじゃるが……」

「と言いますと?」

「マロ、炎にあまりいい思い出がないでおじゃる」

 

 弱々しい告白は、風にとっては少し意外だ。

 実のところ、公言はしていないがこの御仁は火球を操る鬼道を心得ている。

 なのに、自分の領分の事象に対して引け目を感じているとはこれいかに。

 

 答えは、ほどなくして彼自身の口から語られた。

 

「友が断行した苛烈な所業、己がしてしまった愚行……いずれにも火が関わっているのでおじゃるよ」

「では、寝てればよかったのでは? 風みたいに」

「……もう、眼を逸らすのは嫌でおじゃる」

 

 そう言って、青年は、マロロは顔を持ち上げた。

 

「その両者とて、元をたどればマロが自分の気持ちからも友の気持ちからも、逃げ出したことが原因でおじゃった……だから、ここでもう一度逃げればいよいよマロは愚かな道化でおじゃる……」

 

 か細い声で懸命に、言葉を紡いでいく。

 

「この軍を止める事、マロのごとき者では到底できぬでおじゃる。なればせめて、少しでも無用の犠牲を生まぬよう、内部から立ち回ることしかできないでおじゃる。……お笑いくだされ、天の御遣いとやらと言っても、マロと彼らとでは雲泥の差。せせこましき者なのでおじゃる」

 

 そう自嘲するマロロに、風は首をゆるやかに振った。

 

「マロさんは、強いと思いますよー」

「……にょほほ……慰めでも嬉しでおじゃる」

 

 風のそれはゆるやかな物言いだが、本心からの言葉だった。

 彼は、一見して頼りなさげに思えるが、この場にいる誰よりもきっと辛いものを見てきて、かつそれがゆえに強い心を持っていると。

 

 自分の弱さに正直で、そこから目を背けることがない。

 あの男のように、自身の欠落を欠落として認めず、弱肉強食などという歪んだ思想をこの世の真理と憚らない者よりもはるかに。

 

 

 

 ――あの悪鬼、志々雄真実よりも、ずっと。

 

 

【南蛮……滅亡】

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