恋姫星霜譚   作:大島海峡

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徐州の興亡
陶謙(一):星月夜(前)


 徐州、下邳郡(かひぐん)

 そこは早朝の時点で既にして盛況の様相を持っており、人の出入りの激しさにその隊商の護衛頭はハァと呆気に取られた声をあげた。

 

 国境の関、城市の門においては戦乱から逃れてきた流民。保護を求める小豪族などが列を成しており、しかもそれが停滞することなく確実に処理されていく。

 それでも並ばねばならぬのは、速さに勝る流入量であるからだろう。

 

「か……かの『鏡殿』にお取り次ぎいただきたい……我は、東呉の徳王……ガクッ」

 

 何やら素性の怪しげな者もいたりしたが、そういった手合いも、あとついでに自分たちも、厳しい取り調べもなく入ることができた。

 

 注文の革製品や米などを納品したのは、徐州随一の豪商、麋氏の邸宅である。

 元より徐州の重鎮かつ資産家として知られていたらしいが、昨今とみにその実入りは好調らしい。

 というのも、揚州の一部を切り取ったことで商いの幅が広がったためと言われている。

 

 さらに言えばその後も寿春一帯を切り取られた袁術は孤軍で挑んだがその守備に立った男が、強い。

 指揮の強さではなく、剛腕で敵をねじ伏せていくという。

 熊を思わせる粗野な巨漢で、獣のごとき咆哮をあげては大斧を振り回しては、城への突入を防ぐこと三度だそうだ。

 

「……さんね、で、こっちは同じ用心棒の」

「単なる福と言います」

「ハイハイ、単福(ぜんふく)さんねっ」

「いえ単なる……まぁこの際どうでも良いよ」

 

 当代を取り仕切るのは糜竺、糜芳の姉妹であり、小動物的な彼女たちみずからの歓待を受けた男は、荷下ろしの傍ら、ふと気になるところを率直に尋ねた。

 

「あまり大きな声じゃ聞けねぇけど……道中に露店みたいなほったて小屋があったろう。ありゃあ、ひょっとして盗品市かい?」

「違うよー!」

 

 妹の糜芳が、それに対して可愛らしく憤慨してみせた。

 

「あれは、働き先を差配する窓口! 行き着いたみんなを募集をかけている農地に送り込むんだよ」

「はぁ、なるほどねぇ」

「働かざる者なんとやらってね! お兄さんもここからの仕事がないなら、行ってみると良いよ!」

「ハハッ、そいつぁ助かるや。どれ、ちょいと後で顔でも出してみるかね。単福さんよ」

「……それ、帰ってからも定着させないでくださいね」

 

 恨みがましそうな少女剣士の視線を風に流し、用心棒はさらに質問を重ねた。

 

「ここ最近この徐州が羽振りが良いってことだが、何ぞあったのかい。それとも、病に伏していた陶謙様が本復でも?」

 

 そう言うと、姉妹は顔を見合わせた。

 そしてどことなく誇らしそうに、憧憬を馳せるように、一人の男の名を挙げた。

 

 ~~~

 

 その夜、打ち上げのために下邳一番の規模の酒屋に足を運んでいた。

 付き添いの商家の者、護衛の武人。それらの隔たりを取っ払っての無礼講。どんちゃん騒ぎである。

 

 その中心にいたのが件の頭で、まだ少女の域を出ない『単福』は、そうした輪から外れてもくもくと肴に手をつけていた。

 

 それにつけても、繁盛している。活気に満ちている。

 つい先年の年明けまでは枯れた土地、定住するより町村を捨てて逃散したほうがまだ生きやすいとさえ酷評されていたほどであったが、今となっては過去の与太話となっている。

 物の値は他の裕福な地と比較すれば割高ではあるが、それでも人の入りは昼夜を問わず激しいものだ。

 

「にしても、ここは特に騒がしいねぇ」

 大騒ぎもひと通り堪能し、あとは若い衆に任せて一人酒としゃれこんでいる男は、そう独語した。

 

(めし)と酒が、あるからだろうね」

 その独語に、私見を呈する者がいた。

 

 大頭巾の下から、つややかな黒髪と黒鬚がのぞく、壮年の男である。

 白い衣に紫衣を覆い被せ、顔立ちから気品さえ感じられる。そこから判断するに、どこぞのお大尽と言ったところか。

 同じ心境であるのか、少し離れたところで、わずかな供回りとともに酒を呑んでいる。

 

「……だっはっは!」

 少しの沈黙の後、用心棒は大笑した。

 

「たしかにそりゃそうだ! 飯と酒さえありゃあ、そらァもう言うコトなしよ!」

 頭目の痛快は笑い声に、引きずられていくように部下たちもどっと沸き立つ。

 そして彼自身は座をそのお大尽に寄せていく。色めきだったその側人たちを手で制し、酒器を傾ける。

 

「第一声から気に入ったぜ旦那。俺はウコンってケチなもんだが、そっちは?」

 少し考えた後、鬚の下で唇が動いた。

 

「そうだね、五郎(ごろう)とでも呼べば良い」

 

 ~~~

 

 そしてまた、馬鹿騒ぎが始まった。

 盃に口をやる所作ひとつとっても、『五郎』の居住まいは貴種そのものと言った様子で、始めこそ近寄りがたい雰囲気だったが、かと言って偉ぶった様子というものがない。

 

 時折冗談めかしく街の様子を語ってみて、それにウコンは気の利いた洒落を返してみせれば、一目寄るほどに豪快に笑って見せる。

 かと思えば団子を宙へと放り、それを鯉のごとく一口で頬張ってみせたり、なかなかに器用な芸達者ぶりで、宴もたけなわと言った頃合いには、すでにウコンはますます好感を抱いて入れ込んでいた。

 

「なぁ、ゴロウさん」

 と酔眼とともにウコンは言った。

 

「昼間に聞いたんだが、この国をデカくしたのはここに落ちて来た御遣いらしいね。えーっと、なんだったか」

「『鏡の申し子』『月のごとき御仁』……そう呼ばれてるらしいね」

「そうそうそれだ。なんでも鏡みてぇに人の心を照らし、月のごとく柔らかな光で民草に恩恵を与えるってな大層な御方だそうじゃねぇか」

「それと似たような男なら我も聞いたよ。なんでも、曹操殿の幕下に在るとか」

「……へぇ、どんな?」

 

 どれほど呑めども醒め渡り、澄み切った眼をしている。すべてを映し出す鏡面のごとく、ウコンを見定めていた。

 

「曰く、天を行く者、天駆ける星。その仁は鋭さと静謐さ、清さを併せ持ち、時代の前途を切り拓いていくとか。過日、藏覇(ぞうは)殿を降した先陣働きも、大したものであったとか」

「へっ、それこそ小っ恥ずかしくなるほど大仰な気もするがねェ」

 

 ウコンは酒に手を伸ばし、一気に呷った。

 

「でも、その月だか鏡だかの申し子さんだがね、ちょっと思うところが無いわけじゃないんで」

 

 ほう、と酒気とも相槌とも取れる調子で、『五郎』は息をついた。

 

「気の遠くなるような果てから来たってのに、たまたま行き着いた国を立て直し善政を敷く。そりゃご立派なことだと思うさ。けど、他人の領地を掠め取るってのは、どうにもいけねぇ」

「……それは、国境の諍いが発展し、図らずともそうなっただけさ」

「だがその後の兵力の迅速かつ大量の動員による寿春城の一挙制圧。見事すぎだ。明らかに仕掛けただろう。……だから、そこだけは合点がいかねぇ。こんな富める街を作っておきながら、どうしてまだ領地を拡大する必要がある? あるいは殿様が余計な野心を剥き出しにしてそう命じたってのかい?」

 

 貴人は机に肘をかけ、その指先を頭巾の縁に這わせる。それが何かを思考すりがゆえか。あるいはこちらの意図を探っているか。

 

「米と酒があるから」

 ふいに、彼はそう切り出した。

 気がつけば、彼らの周囲のみが切り離されたかのごとく静まり返り、単福がウコンの背を守るように立っていた。

 

「と先に言ったがね。それにしても物価が高い。そうは思わないかね」

「……」

「それは、この地が痩せた土地であるからだ。(はい)陳登(ちんとう)殿を招くなどして農政改革には努めているが、それでも今夏の猛暑にそれに伴う旱魃、不作だ」

「それでも、銭回りは良いじゃねぇか」

「そう、その銭という奴が厄介でね」

 

 ふいに袂より取り出した硬貨を手に取り、『五郎』は苦笑した。

 

「上手く回っているうちは良いが、一度動かし方を誤れば、たちまちに財政は破綻し、物も食も滞る。人々は困窮する。それに流民の受け入れも限界に近い。陶謙殿は侠者として名を売っておられるゆえ、拒むこともできないのさ」

 

 そう言って、彼は銭を再び袂に戻した。

 

「……だから、そのためにさらなる領地を得て銭を回し続ける必要があると?」

 声色をまったく別人のそれに転じて、ウコンは問いを重ねる。

()()()としても、織田弾正忠のごとく金に重きを置いた政は好まぬのだが」

 

 独白に近い調子で返した貴人はしかして、やがて声を大に笑い始める。

 

「ワッハッハ! ……などと格好をつけて申してみたが、その者にとっては面白いかどうかだろうね」

「は?」

「かつて、我には遠き縁者がいた。その者、未踏の荒戎(あらえびす)の地に下向し、恩人を輔弼してやがては国を奪いて一円の首座に立った。そしてこう仰ったそうだ」

 

 その者の真似事なのか、拳を挑まんがばかりに天へと突き上げ、そして声を作って言った。

 

「『乱世とは、果てるまで命を燃やす遊び場である』と」

 

「……そいつはまた、随分とブッ飛んだご先達で」

「また、こうも言ったそうだ。『自分が遊んでばかりで申し訳ないゆえ、民を救いたい』とね。その御遣い殿も、似たような心境なのかものぅ」

 

 ウコンはただただ打ちひしがれて、すっかり醒めてしまった。

 花酒を以て酔いを戻しながらも、上目遣いで探る。

 果たしてこの者、天より遣わされし救世主か。それとも世を混沌に陥れる魔か。あるいはそれらを超越した鬼神か。

 

 ただ一つ確かなのは、この男が、心地の良い明るさを備えた仁者であるということであった。

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