恋姫星霜譚   作:大島海峡

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陶謙(二):紅蓮の弓矢と野獣の咆哮

 落されかけた本丸にはただただ震える童女あり。その癇癪をなだめる腹黒い側女あり。

 兵の大半は至弱。糧食不足。軍馬とそれを養う飼葉不足。武具は錆びつき矢も足りぬ。

 外には後詰め。

 

 ――問題なし。

 機械的に味方の観察を終えたその武者は、そう判断した。

 元より『惰弱な主君』がために常に機を逸していた。それでもなお、戦術を繕い、あと一歩のところまで魔王を追い込んだ、はずだった。

 

 真紅の具足を打ち鳴らし、兜の前立ての鳳を揺らし、怯える袁術の前に膝を折る。

 

「殿、機は熟しました。これより紀霊殿および後詰めと共に敵を打ち払って参ります。後事は何事も周泰殿の差配に従ってくださいますよう」

 礼は整い、言葉遣いも慇懃にして淀むところがない。

 だがその眼光、その語気の強さ、冷気にも似た武気は決して親愛の類を新たな幼君には見せることがない。

 それがなおさらに美羽を不気味がらせていた。

 

「なっ、なんじゃと!? そちは前線ではまともに働きもせなんだというに、今になって戦うと申すか」

 だが、最低限の矜持による虚勢が、そう怒鳴り声をあげさせた。だがそれにも山の如く動じず、底冷えするような調子で答えた。

「あの敵軍に本隊のみでは勝てませぬ。しかし盧江に退き守城に持ち込めば真田殿の援護を得やすく、勝機を得られます。そして今こそがその時です。我ら窮鼠となって敵の喉笛に食らいつき、そして怯んだ敵の背に大鷲が食らいつきましょう。これこそ我らが秘計『鼠鳳挟撃の計』にござる」

「……どうなんですかね、その名づけ」

 

 七乃が眉をひそめてぼやいた。

 

「まぁこちらとしては脱出の糸口さえつかめれば良いだけですし? 大口叩くぐらいならその退路の確保ぐらいはやってくださいね。……こっちはこっちで存在自体が暑苦しいですし」

 

 そして傍らに立つもうひとりの御遣いに視線と声を投げた。

 異相の巨漢である。

 厚みのある肉体と唇。常に笑みのごとき何かを目と口元には蓄えているが、感情の所在は彼以外の何者にも理解しえない深みに沈めてある。

 

 腰に手を当てたままの恰好で、他を圧する闘気を放っている。ともすれば露骨に刃を向けられるより、恐ろしさを感じる。それこそ、この歴戦の武者からしてみても、はるかに上位の武人と見た。

(だがなるほど)

 武事に疎い者からしてみれば、そのあからさまな人として、将としての位格の違いも若干の息苦しさにしか感じないわけか。

 

「私に、『児戯』に加われと?」

 重層な、だが不思議と色艶のある声の調べである。

 

「このような『お遊び』は、童同士で存分に楽しめば良いでしょう。ねぇ、山崎?」

 山崎、と名をかけられた顔を覆い隠す鬚の総面の奥でも表情を歪めない。

 確かに男には、自分の武も策も、それと対するこの包囲軍の戦略も遊びと嘲弄するだけの力量を持っていると見受けられる。

 より大規模な武略の応酬。天下を分ける大戦。より強大な敵手との競り合いこそ、この男の舞台には相応しかろう。

 

 だが袁術や張勲のごときにはそれが理解できようはずもなく、

 

「もうっ、まーったく図体と口ばっかりなんですから!」

 などと見当違いの恐れ知らずもはなはだしいことを所感を口にしていた。

 本来であればこの時点で主従ともども首が飛んでいてもおかしくないのだが、この男にしてみればそんなものは小鳥のさえずり、野良犬の遠吠え、あるいは能狂言の端役の科白ぐらいにしか聞こえていないらしく、

「ンフフフ」と怪鳥のごとき独特の響きで甲高く笑い飛ばし、無視を決め込んでいた。

 

「されば、童の児戯、高みにてご覧いただきたく」

 そう言うや山崎は外苑に留めた駿馬にまたがり、自身の組下を率いて死地へと赴く。

 

 児戯。その言葉を噛みしめる。

 芸術とも自負すべき己の戦術が児戯か。なるほど確かにまだまだ詰めが甘い。その甘さがゆえに、己は勝てるはずの戦を取りこぼした。

 

 だが、それがなんだというのか。

 幾度貶められようとも、仕損じようとも、命を落とそうとも、武士とはそれでも刃を振るうもの。

 

(我は、死してなお、戦う者なり)

 

 鼻を削がれて後、戦場に在って何度も唱えた信条を抱え、彼はこの異なる唐土(もろこし)でふたたび弓を手に取る。

 異形の弓である。否、槍でもある。

 弓筈の先に、銀穂が光る。

 

 門を開く。高々と棹立ちにさせた馬が、驚き身を退く敵兵の頭を踏み砕く。

 細い息を戦意とともに吐き出し、駈ける。

 その陣形は車輪のごとく。いわゆる車懸かりの陣法にて敵を巻き込み、屠っていく。

 まず矢をつがえて撃つこと数度。敵先鋒の眉間に一矢漏らさず命中させ、崩れ立ってところでしならせる。迂闊に近づいた頸の血脈を裂傷させ、さらに包囲を遠巻きの者とさせる。

 

 その機において、彼は今度は天頂を穿つがごとく、真紅の鏑矢を射放つ。

 鳥が鳴くがごときその音こそ、逆撃の合図であった。

 

 敵の旗印を見る。

 ――丸に二つ引両。今川。今川治部(じぶ)大輔(だゆう)

 相手にとって不足なし。

 

「良かろう、体裁こそ河越夜戦が如し。されどここは貴様の二度目の桶狭間よ」

 

 かつてその天敵たる魔王を追い詰めた自負とともに、山崎(やまざき)新平(しんぺい)俊秀(としひで)は戦場を疾駆する。

 

 ~~~

 

 にわかに城方の動きが騒がしくなった。

 と同時に、輿に在って義元はそれによって異変を察知した。

 それは第六感や勘働きといった類によるものではなく、五感と経験とに基づくものである。

 

 顧みれば、地平の先にちらつく影。めくれ上がる土の臭い。

 

「良き、臭いじゃ」

 思わず発した言葉に、傍らの紫陽花色の髪色の美少女が反応した。

 副将として、かつ実際に軍を動かす指揮官として抜擢した丁奉(ていほう)である。

 戦略はともかく、戦術においてはいささか脆弱さを見せる自分を補うために。

 

「来るのは想定通り。けれども思いのほか、多いわ」

 指と指とを打ち鳴らし、苦い顔をする。それは余裕のなさ、落ち着きのなさのためではなく、彼女の癖だ。それで頃合いを図り、戦を差配する。

 年若いが、その天稟の感性ゆえに、熟達した指揮が可能となるのだ。

 

「外円の糜姉妹を。押しては退き、退いては攻め、包囲軍から遠ざける。城内の敵の逆寄せは遠巻きにやり過ごし、袁術を擒とすることにのみ専念せよ。この戦はそれのみが目的だ」

 

 それからややしばらく、拍子を刻んでいた丁奉の、旋律(せんりつ)の指がはたと止んで、その指示を伝令に復唱した。

 人と方針は義元が決める。時と場合は旋律が決める。

 そう住分けることで、陶謙軍の陣容は成立していると言っても過言ではない。

 

 その後、果たして敵の騎兵が突破を狙った。

 それは槍衾にて迎え撃ち、ついで迫る歩兵は糜竺らの軽兵でもって翻弄していく。

 

 内外より挟まれてなお、その布陣は盤石ではあったが、なかなか決め手に欠けるというのもまた事実であった。

 

(本丸を落とすのに時がかかり過ぎている)

 そう思う矢先、その城内より壁を越えて声が響き渡る。

 

「笑止な! 貴様らのごとき未開の猿どもに、この俺が討てるものかっ!」

 

 熊のごとき体躯から発せられる大音声を想像し、義元の口元に有利不利を超えた感情から笑みがこぼれ落ちる。

 旋律が、わずらわしげに眉間を寄せた。

 

「相変わらず粗暴な野人……あれ、本当に我々よりはるか先の世から来たんですかね。美しい音曲を奏でる今川様とは、大違い」

「本人曰く、そうらしいね」

 

 にしてはやたらと『当代』の甲冑が良く似合い、蛮勇蛮声とともに大斧を振りかざす姿がサマになっている。人を殴り殺すために、あるいは挽き潰して肉塊とするかのように生まれてきた大男である。

 

 そこもまた、義元からすれば愛嬌ではあるのだが、それにしてもおそらくは周りや戦局などまるで顧みず、城方の陽動に思う様に振り回されているのだろう。

 

 いくら盤石といっても、包囲陣も着実に削られつつある。

(あの時と同じだ)

 桶狭間。運命の氷雨を思い出す。

 万全の戦略を組んだとて、鉄壁の方陣を組んだとて、感情の爆発、欲への衝動の前にはいつか綻びが生じ、その一穴の破綻が全面的な崩壊を招く。どうやらその怒涛の洪水こそが、乱世が選ぶ流れらしい。

 

(将が足りない)

 こと、突破口をこじ開けるだけの、あの城内の野人ではなく個人的武勇ではなく戦術的に攻勢をかけられる人物が明確に不足している。

 

 あのラヴィニスなる異人の女部隊長を連れて来ればよかっただろうか。否それでもまだ足りないし、『盟友』袁紹への備えのために残さねばならぬ。

 それ以上に、巷説違わぬ綺羅星のごとき将星が、敵に多すぎた。

 

「重ねて厳命する。もし敵の新手が城内に踊り込むようなことがあれば、城攻めを諦め、寿春へと撤退せよ」

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