曰く、用兵巧者には、戦場において浮き足立つ箇所が澄んで見えるという。
例えば兵の弱き備。例えば将の質が低い部隊。例えば士気の低下した軍団。
「あー、まさかいきなり戦に駆り出されるとはなー」
例えば、まだ帰順した勢力に馴染めず、他との連携が取れていない新参者。
「姐さん、しょうがないっすよ。陶謙軍だと、その働きに応じて所領を任せられるってハナシなもんで、ここで頑張らないと兵も養えない」
「姐さん言うな、徳王と呼べ。……弟とは恨みを買ってた豪族どもに襲われてはぐれちゃうし。はぁー、どうしてこうなった」
「劉耀攻めたからじゃないっすかね……ん?」
まさにその最後者の例に当たるのが、厳白虎と山越の残党であった。
彼女らは、包囲西側にあって、自分たちに猛然と迫る二種の騎兵軍の集団を目の当たりにした。
「なっ、なんだぁっ」
それこそが曹純と幸村の部隊であった。
両者は轡を並べるかのように、あるいは競り合うように、二筋の縦隊となって真一文字に駈け入り、猛攻を仕掛けた。
だが、その軍としての在り様は大きく違っている。
自ら十文字槍を引っ提げて陣頭に立ち、誰よりも速く槍を突き入れる幸村隊に対し、曹純は部隊の中核である。自分たちの偶像、あるいは姫を守らんとして、高い士気を維持しつつ一つの塊となって敵陣に投じられる。
「ぐえー!」
「厳姐ー!!」
馬蹄によって蹂躙された厳白虎。その後備が動く。
崩れ立った味方を、左右の味方が援護すべく推移していく。
さながら、潮浜に掘った穴を波が埋めるがごとく、陣容は元の厚みをあっという間に取り戻していく。
俗人は言う。
包囲網は弱きところより打ち崩すのが常道であると。
だが、戦を知る者は言う。
さにあらず。戦とは流動物である。
将士とは人であり、戦とは彼らの思考の集積体である。
したがって、敵とて自身の有利不利は把握しており、それを埋め合わせるために敵の弱り目が定位置にあろうはずがない。
つまり、包囲陣の抜き目とは、まず弱きところを攻め、然るのちに隣接した陣などに生じた隙を突く。これが常道である。
合図を送ったのは虎豹騎の最後尾に在った一書生である。
家に籠っていたところを無理やり戦場に引き摺り出された『次子』は、自身の兵も旗も持たず、曹純の保護下にあった。
だがその的確な時機に、曹軍よる夏候惇と曹仁が、袁術軍より鉄心、満寵が動く。二の矢となって、厳白虎隊を両脇より抜けようとした。
だが、それを遊撃する二部隊あり。
伏兵のごとく、味方の間隙にて息を潜めていた麋竺、糜芳の姉妹である。
「でんでんでーん!」
「ジャジャジャジャーン!」
奇妙な掛け声と銅鑼の音で耳目を惹きながら、彼女たちは軽業師のごとく方々に跳ね回る。
「おのれ小癪な!」
夏侯惇が吼える。衝動のままに猛追する。
だが、幸村も満寵も止めない。曹姉妹も止めない。
後者は問題多くともそれを上回る美点を持つ従姉であれば、あの程度の敵には敗れないことを知っている。
前者は呼吸だとか兵法の則を図らぬ、ガムシャラな追走をさせることで、逆に遊撃部隊への掣肘とした。
幸村は敵軍の性格をほぼ正確に見抜いていた。
軍隊としての、集団としての強さが向こうのほうが上であろう。一部の異才の采配に、疑いを持たず兵たちは従っているのが見て取れる。
だが、えてしてそういう軍は突破力に欠ける。枠組みから逸脱した結果を生むことがない。そこにこそ、この老練の猛将は間隙を見出した。
乱戦の中、曹仁、鉄心隊は脇目もふらず突っ込んでいく。
「うわははは! ぬるいぬるい! その程度でこの儂が斬れようか」
愛刀大黒生とともに修羅となって斬り込む鉄心の向かうところ敵なし。まさに当方不敗と言った様相であり、曹仁さえも驚き呆れた。
「うわっ、めちゃくちゃっすね。あのお爺ちゃん」
だが足を止めて思わず注意が逸れたその側頭部に、流れ矢が飛んだ。
それが彼女の頭蓋を射抜く直前、満寵の投げつけた円盾が防いだ。
いかな術理を持ったものか。それはいくつかの兵士を跳ね飛ばした後、反動でふたたび彼女の手首へと引き戻される。
「気をつけて。将はともかく兵の練度が高い。ヘタを打てば雑兵に討ち取られる、なんてことになりかねないから」
それとなく毒を混ぜて諫める
「おおっ! どうもありがとっす! 足とか手とか、引っ張らないよう気をつけるっす!」」
曹仁もまた、そんな彼女を憎からず思っているらしく、少し軽はずみなきらいはあるものの、素直に感謝と反省を見せた。
しかし、と海防は背中合わせに揺れ動く金髪の編み込みを顧みて思う。
攻と防。動と静。
恐れ知らずの曹仁が半ば強引に突破口を開き、自身の部隊がそれを維持する。
真逆の性質にも関わらず、いやだからこそ表裏一体となって上手いこと連携が取れている。
いっそのこと、気味が悪いほどに。運命さえ感じるほどに。
――同じ旗の下であったのであれば、いかな難局でも跳ね除ける、絶好の組み合わせとなっていただろうに。
「……っと、危ない危ない」
戦場でそんな可能性に思いを巡らせることと、その仮定をすることの意味。
二重で少女は空恐ろしくなって、ただ無心となって『三の矢』のための道を作る。
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仮面の士、オシュトルは振り分けられた兵に抜刀を命じた。
武の補佐をするロイド、智の輔けを申し出た徐庶をはじめ、解体された後に行き場を喪った黄巾残党を組み込んだ、いずれも恐れ知らずの兵士たちである。
「作戦は?」
ロイドが魔性を帯びた愛剣を鞘から奔らせて問う。
「なにも」
オシュトルは答えた。
「事ここに至った以上、ただ一心にて華侖殿らが開いた口を突き抜け、城に入る。ご一同、風となって続いてもらいたい。露払いの一切は、この右近衛大将……否、ただオシュトルがお受けいたす」
足の具合、土の加減を確かめる。
多少湿り気があるが、徒歩の走行には問題なかろう。
『ウマ』を使っても良かったが、この世界のそれは自分たちの
――この距離であれば、徒歩にて十分である。
そう判断するや、オシュトルは地を踏みしめて駆けた。
少し遅れて兵たちが続いたが、みるみるうちに間が開いていくばかりである。唯一彼に追いつけるのがロイドであって、徐庶はその後で兵をまとめつつ続く。
だが彼らを孤立させるべく間に割って入ったり、行く手を遮る者はなかった。
先の、宣告どおりであった。
蒼さを帯びたオシュトルの剣閃は、文字通りの血路を開いていく。
何者が割って入ることも寸時たりとも遮ることも許さない。
一太刀が数人の列を屠り、その一斬が隊伍を崩す。
行儀が行き届いた一方で貪欲さに欠ける兵たちが、自然間合いを取るようになる。
それを見透かした徐庶……剣里の号令一下、決死の剣士たちはさらに速度を上げていく。
そして完全に敵を振り切った後、城門へと至る。
その跳ね橋が落ちるように懸かり、空堀の上に彼らの前途を作る。
見上げれば、真紅の甲冑をまとった士が、城壁に足をかけていた。
(城壁を奪回したか)
おそらくは袁術方の天の御遣い。自分と同じく面をかぶり、その奥で油断ならぬ眼光の鋭さを帯びているが、この状況ではそれぐらいの恐ろしさを持った方が頼りがいがあるというものだ。
城内に突入するも、まだそこでは乱戦が続いている。いや、拮抗とはなかなかに言い難い部分がある。
如何せん、兵の質という質が違い、局所的で袁術方勝利は得ているものの、やはり全体的には押されつつある。
「……先を急ぐぞ」
麾下の結集を少しだけ待った後、オシュトルはそう低く命じた。
その首元に、冷たい気配が奔る。
とっさの反応は、剣里の方が速かった。
突き出した撃剣が、オシュトル目がけ飛んできた匕首を払い落とす。
「あいやー、失敗失敗」
「……どこかで感じた気配かと思えば、あんたか」
剣里が呻くように言う。
鈴が鳴るがごとく金属音が響き、そのすぐそばから、音もなく紺衣の少女が降り立った。
「兇徒胡車児。河北で御遣いに雇われたって聞いてたんだけどね」
「まぁそれはそれ。これはこれ。陶謙殿には、侠者として世話になりましてね」
どこか道化じみた所作とともに、だが表情には何も浮かべず刺客が言う。
どうやら剣里と旧知の仲らしいが、寝ぼけたような面で続けた。
「こちらとしても、意外でしたよ。まさかのまさか。こんなところで『宵闇の剣姫』と出会えるとは」
――ぴしり、と。
空気が、主に剣里の周りを軸として凍り付くのが分かった。
「宵闇……?」
「あ、それともその次に名乗ってた『黒光の斬滅』の方が通りが良かったですか」
「オシュトル殿、ロイド殿」
オシュトルの追及をぴしりと遮るように、剣里が早口で言った。
「この者の相手は、私が務めます。みなさんは、袁術殿の安全を確保してください」
「いや、だがしかし」
「『私』? 昔は『ボク』でしたよね」
「疾く」
有無を言わせない力強い語気とともに、剣里がずいとオシュトルの面に目元を寄せて圧迫する。
「……分かった」
何か拠無い事情、秘事というものがあるのだろう。
釈然としないものがあるものの、気で押し出されるかたちで、オシュトルと何事かを察したらしい兵士たちは連れ立ってその場を後にした。
一瞬とはいえ、オシュトルの不意を打った相手である。
多少、気がかりがないでもないが……
「いやー、懐かしいなぁ。全身黒ずくめのカッコウ、止めちゃったんですか?」
「……」
「お、構えも変えたんですか。昔は二刀流でしたよね。順手と逆手持ちで」
「…………」
「あ、出すんですか? ほらアレ。何やらの構えとか、必殺剣ホニャララとか、ナントカの呼吸とか」
「………………」
「ちょっとー、なんで怖いカオしてんですか。やっぱりどこかお加減が悪かったんです? 良く言ってましたもんね。『くっ、
「………………よし、殺すっ! お前を殺して私も死んでやるーっ!」
「…………まぁ、あの調子なら平気か」
オシュトルもまた、何となく見てはいけない気がして、全力で目を背けつつ先を急ぐことにした。