恋姫星霜譚   作:大島海峡

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初の評価付与を頂きました。
ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。
このまえがきを含めて色々と試行錯誤でしくじりばかりの本作ですが、今後ともよろしくお願いできれば幸いです。


袁術(三):王城一の強弓、洛西一の奇才、そして盲夏侯(後)(★)

「つまらぬ」

 船体と船員を比喩でなく削り合う激戦の中、平教経の吐いた言葉が、それである。

 現状、中軍の横腹を突かれ分散。我が方苦勢。それは理解できる。

 前方の敵、兵器を持ち出しそれを用いた鬼手によってこちらを翻弄。敵将は上将なり。それも肌身で感じている。

 

 だが、それと武士としての面目はまるで違うものだ。

 もし己が沈んだ海の先、何かしらの未練を残して亡者となって再び世に浮上したというのなら、その未練というのは一つしかあるまい。

 その一つのために、自身は死に切ることができずまだ戦っている。

 その唯一無二のために、自分は再び死海に立っている。

 

 軍法の妙を得て、兵法の粋を究めてもなお、手に入れられぬものがある。

 

 敵方より攻め来るには火球と矢のみ。我こそはと率先して乗り込まんとする者はなし。

 

 この世にも強者は無きか。

 落胆と怒りのままに表情を鬼のごとくに険しくさせた、まさにその時だった。

 

「てっ、敵の本艦っ、吶喊してきます!」

 雷撃のごとき急報。急接近する敵の軍船。

 あるいは、早くに察知して避けることができただろう。そうでなくとも素早く指示を飛ばせば、回避は可能であっはずだ。

 だが教経はそうしなかった。あえて正面から受け、船頭にあって勇ましくこちらの艦へ飛び移った女武者と対峙する。

 

「天の御遣い平教経とやらだな!? 我が名は夏侯元譲、曹孟徳の剣として、その首、掻き切りに来てやった!」

 

「面白い!」

 そう甲高く名乗る彼女に、この世界に来て初めて教経は笑みを見せた。

「よくぞ申した! いかにも我こそが教経よ! この首取れるものなら取ってみせろ!」

 

 そして互いに得物を肩へと担ぐようにして構えた。

 最初に膠着を破ったのは、夏侯惇であった。

 

「教経さまっ、何も御自らこのような敵を相手に戦っては……!」

「賢しらな口を聞くなっ! つわもの相手に退く道理があるというかッ」

 

 と随員と悶着を起こしたそのわずかな間隙を突いて、というより踏み込んではいけない空気などまるで読まずに、大刀を打ち込んでくる。

 だが片手間に、左手のみでそれを捌く。

 獣のごとき眼が、ギョロリと彼女へ向けられる。

 

 背の裏で閃光が疾る。

 彼の二股の切先が刺突……否、射出とも言うべき速度を伴って風を穿つ。

 その裂け目の部分に、夏侯惇は剣身を潜らせた。

 

 刃が鳴り散る。耳をつんざく余韻が尾を引く。

 交錯し、互いの位置を入れ替えた後、夏侯惇はさらに二度打ち込むも、身の丈にも等しき長さを持つ武器を、振り回すその剛勇は、曹操幕下随一の猛将をも退ける。

 

 しかも、右腕のみである。左腕は石突に添え、その技の軌道に微妙な調整を加えるのみである。

 

 さしもの夏候惇もそれを防ぐことは能わず。ただ退きと避けとに徹するのみである。

 だがその行動に逃げはない。相貌に、微塵もその気配がない。

 女だてらに剛の者ではないか。

 

 猪突のきらいはあるが、武人としての矜持、背負う何物かを見失ってはいない。

 決して賢しらに船を飛び回って味方を裏切らせいくつもの禁じ手を犯す、戦に水を差すがごとき真似はしない。

 

 ――その愚直さが、好ましい。

 

 教経は改めて周囲の兵に厳命した。

 

「手を出すでないぞっ、この者は、我の敵ぞ!」

 

 言われずとも出せる状況ではない。すでに斬り結ぶこと数合。その都度に苛烈を極め、助太刀どころか一矢撃つことさえ能わなかった。

「夏候惇将軍!」

 そして向こうも、上背のある女が声高に呼ばわる。牝牛のごとき女が、無茶をするなと制止する。

「構うな! 私が、曹孟徳の剣たるこの夏候元譲が! 盧江ではまともに働けず、今また甲斐なくおめおめと退くことなど出来ようか! この敵は、私が討たねばならんのだ!」

 そして同様に突っぱねて、さらに攻勢を烈しくさせて教経の懐中に飛び込まんとしてくる。

 

 いや、さにあらず。単純に間に入る入れぬの話にあらず。

 古今、船上での一騎打ちなど例がない。それを目の当たりにし、かつ足場の不安定さを感じさせない武人の応酬。戦場に咲いたその華を摘むほどの無粋さが、彼らにはなかったのだ。

 

 だが、ふいに大きく船体が傾いた。

 おそらくは、戦局の、そして敗色濃厚な夏候惇を援護せんという水師の悪戯であろう。

 一度大きく離れた敵船が、わずかな迂回とともに今また突撃を敢行してきたのだ。それがための衝撃であった。

 

 しかし、それで揺らぐ教経ではない。

 むしろその傾きを逆用して弾みとし、大きく跳躍した。

「セアァッ」

 大股を開いて遠近感を狂わせつつ、その間より大得物を唐竹割に振り抜く。

 対する夏候惇は、その言の通りに退かない。

 

 敢然と挑みかかる。

 ――通常、人の、生物の性として眼前に突起物が向けられれば、目を守るべく背けるのが常である。

 しかし夏候惇は、のけぞりさえしない。最後の一瞬まで敵を捉えんと、逃すまいと頑として睨み続け、やがてその切先が左眼を掠めることとなっても、その前進を止めない。

 

 互いを捕捉。教経はそのまま頭蓋。夏侯惇は首。それぞれに最善手と見た一撃を打ち出すべく、得物を振り抜く。

 

 やがて、その影が交錯の後、甲板を強く踏み締めた。

 

 ――手を抜いたつもりはない。十分すぎるほどの手ごたえを感じた。

 夏候惇の身体が、大きく傾く。

 

 ――だが、ふと思いが掠めたことは事実だ。

 動揺に揺れた船体に対し、身体を持ち直す気力も残ってはいなかった。

 

 ――あぁここで討たれねば、次にいつこのような機が与えられるともしれぬ、と。

 そしてそれと同時に、教経の頚の脈が破れて血が吹き出た。

 

 それもそうか。

 それを想えば、負けか。

 

 まるで遊び疲れた子どものごとく、安息にも似た呼気とともに、教経は船縁に寄った。

 あの時もそうである。

 自分はまた、船で死ぬ。戦で死ぬ。

 

 あの時は、際限なく沸く有象無象に囲まれた。

 斬って斬って斬り潰して、どれほど声高に名乗りをあげようとも、強敵を招こうとも、ただ弱卒ばかりが群がるのみである。武ではなく、時代の趨勢と物量が自分たちを圧殺した。

 やがて詮無きことをするなと、従兄にたしなめられた。

 無念の臍を噛み、まとわりついた雑兵どもを道連れに、海の藻屑となった。

 

 ――だが、だから、似ているようで、違う。

 低く笑った。

 

「見事」

 ひゅうひゅうと空気を漏らしながら、この好き敵を称える。

 そして海面へと我が身を投げ入れ、ふたたび白波に沈んだ。

 

 

 

 供はもはや要らぬ。此度は、我のみで死途に就く。

 

 

 

「……貴様もな」

 残された夏候惇の、春蘭の左眼で、一拍子遅れて滂沱のの涙のごとく血が溢れ出した。ぶつりとその視界が絶えたことを自覚した。

 

 あえて来歴を語るまでもなく、出自を詳らかに照らし合わせたわけではなかった。

 それでも、一門を武で支えた者として、武人たちは敵味方の別なく感応していた。

 

 

 

【平教経/義経英雄伝……戦死】

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