恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁紹(三):魔術師の帰還

 流れ者たちを取りまとめたとある小集団が、誰に与するわけでもなく丘の上に陣していた。

 流民。敗残兵。あるいは中原に兵力として招かれたまま指揮権が宙づりとなった少数部族。それら玉石混交の軍を取りまとめているのは、ふたりの武人であった。

 狷介そうな大将を旗頭、そして短く黒髪を切りまとめた腹心は袁の水軍が相打ち、片方が破られたのを見た。

 そして、その内にかつての見知った武者の姿が在って、その者が散った様さえも。

 

「……教経め。敵ながら見事な最期であったわ」

 憎悪を超えてそうこぼした主君に、感情の動向はともかくとして副将は頷いた。

「それで、如何なさいますか。このまま傍観を?」

 問うた後で、副将はその問いの無意味さを悟った。この良くも悪くも迅速果敢な大将が、そのような腰の引けた去就を選ぶわけもない。

 

 果たしてその読みは当たっていた。

「知れたこと。勝ちの決まった戦になど興味はない」

 などと気を吐いた後、すぐに名駒の腹を蹴った。

 いずれへの加担を決めたのか、それさえも部下たちには明らかにしないままに。

 

 やれやれと首を振りつつ、共に駆ける様をどこか楽しみにしている自分がいる。

 その奔放な武勇を信奉すればこそ、この集団は成立していることも事実である。

 

 やはりこの方の本質は戦場に在る。

 思う様に野を駈けてこそ、その真価が発揮される。

 再びその日が巡って来ることを、我も、彼も待ち望んでいたのだ。

 

 ~~~

 

 突如として弓騎兵に襲われた袁紹軍本陣は、ものの見事に虚を突かれて浮足立っていた。

 その隙を突いてかの敵軍は懐深くにまで入り込み、麗羽のすぐ足下に、矢が突き立つほどの窮地に追い込まれていた。

 

「袁紹様、危険です。ここは万億殿にお任せし、ひとまず身の安泰をお計りください」

 そう袖を引く円を、麗羽は毅然と振り払った。

 

「名門袁家の嫡たるこのわたくしが、どうして矢を恐れて退かねばなりませんの!? 皆のもの、その名家の威信にかけて華麗かつ勇猛に戦いなさいっ!」

 

 らしくもなく蛮勇を誇りつつも、それによって味方が元気づけられ、持ち直したことも確かであった。

 

「下郎、何者か知りませんが、せめて名を名乗りなさい」

 麗羽は敵の先頭に身を置く将に誰何した。

「やれやれ、鈍さもここまで行くと堂に入ったものだ」

 空色の髪を短く切りまとめたその指揮官は、嫌味ではなく妙に感心してしまったらしい。

 弓を構えて礼の代わりとする。

 

「すでに面識があることかとは思うが、我が名は夏侯妙才(みょうさい)。曹孟徳が左腕にして、此度は袁術殿の手伝い戦としてご挨拶に伺った……が、そこまで姉妹喧嘩に首を突っ込むのも野暮というものだ。これにて失礼させていただく」

 

 その飄々とした物言い同様、さっと部隊を取りまとめて退路が閉ざされる前に退き下がって北へと抜けていく。

 

「逃がしませんことよっ! 皆さん、追いかけてぎったんぎったんのけっちょんけっちょんにして縛り上げて、あの金髪くるくる娘に突き返して差し上げなさい!」

 

 やや擬音過多な命を下す袁紹に、

「いけないっ!」

 と声をあげる者があった。

 

 それは沮授でも李通でもない。

 例の、無用者とされていた男であった。

 思わず叫んでから、彼は自分の染みついた性分を呪った。

 

「……いけない、と言うのは?」

 水を差されて不興を露骨に見せる麗羽に代わり、円が尋ねる。

 もはや勘違いでした出過ぎましたで引き下がれる状況でもない。この令嬢の機嫌を損なっただけに足る、明確な理由が求められていた。

 ため息とともに、男は答弁した。

 

「敵は、こちらの中央を打ち破った後、残った前軍と後軍を各個に撃破しようとするのが目的と思われます。あの奇襲部隊の動きがまさにそれで、彼女たちを追って顔良殿たちの部隊を引き離されれば、ますます合流が困難となります」

 

 円は軽く頷いて、切れるような所作とともに踵を返して袁紹に言上した。

 

「わたしも彼と同意見です。まずは前軍との距離を埋め、その軍勢を取りまとめてこの攻勢を跳ね除け、しかる後撤退を図るべきかと思います」

「前軍の心配なら無用ですわ! 真直さんのこと、すでに何らかの手を考えてなんとかしてくださるでしょう。だから」

「……申し上げにくいことながら」

 

 あえて主君の言を遮って、円は続けた。

 未だ鎮静化しきれていない軍中にあって、つとめて平静を装っているようには見えるがその唇からは血色が喪われている。かすかに呼気も震えていた。

 

「彼女が健在であれば、その仰せの通りに残存兵力を取りまとめ中継となり、顔良殿文醜殿キュアン殿、教経殿らとともにこちらに向かっていたでしょう。しかし、ますます中央の軍は混乱し、統制が出来ていない」

「……なにを、おっしゃってますの」

「はっきり言います。田豊は、真直くんはすでに死」

「そんなはずはありませんわっ!」

 

 袁本初の高笑いが止んだ。今まで浮ついていた彼女から聞いたことのないような声が空気を切り裂いた。

 

「だって……だってつい先ほどまで話していたではありませんか……直接顔を見せて、まあいつものようになんだか困ってらして……そうですわ。きっとまた、どこかでお腹を痛めてうずくまってるんでしょう。まったく真直さんは無駄に苦労性なんですから……」

 

 そうは言うものの、言葉を重ねるたびに無理が生じ、語気も弱まって縋るような類のものへと推移していく。それが虚勢であることはもはや誰の目にも明らかであった。

(まぁ、そりゃ察しがつくだろうさ)

 男はお嬢様の取り乱しように比して、冷ややかな眼差しで見送っていた。

 

 そしていい加減にこうも悟ったところだろう。

 戦争とは、名声や意地でやるようなゲームではないということを。

 軽はずみに軍を動かせば、すぐ隣に立っていた友人が気が付いた時には死んでいるなどそう珍しいことではないのだと。

 

 とはいえ、彼の属していた軍や国家は、彼女を批判できるような性質のものでもない。上官や政治家も、閉口したくなるような理由で開戦継戦を主張する者が大半であった。その点矢面に立つ分まだ救いようがあると言えなくもない。

 

 さて、と男は他人事のように状況をあらためて顧みた。

 軍は分断。実質的な指揮官が戦死。この調子では孤立していた水軍も駄目だろう。

 

(目標を正面にいると誤認させて側面より戦略的な奇襲で中央を突破、分断。残った前後の勢力を各個に殲滅……いつぞや私が()()()ようなことを)

 

 そのうえ総司令官は戦意喪失の現実逃避ときた。

 

 もはや退く以外の選択肢しか残ってはいないが、問題はそのタイミングと方法だろう。

 

(……私は、どうするかな)

 いつもなら、そう、かつてならそう愚痴をこぼして顧みれば、少なからず諫める者がいたが、今彼は軍中で一兵も指揮する立場にないし、その義理もない。

 

 だが、とふと懐中に収めた駒を、ビショップとルークの駒を取り出してじっと眺める。その奥に、真直を視た。

 かつての残影。いつもは報われずに浮かばれずにいた彼女が、机上においてのみ生き生きとその手並みと表情を、年相応に輝かせていた。

 

 次の瞬間、知れずため息がこぼれた。と同時に、自分がどうしたいか、どうすべきかを否が応にも認めざるを得なくなった。

 彼は車の上で立ち上がり、円に顔と目を寄せた。

 

「円」

 そっと名を呼ぶと彼女は素直に顧みる。

 

「それとミス李通も呼んできてくれ。……この状況をどうにか打開できるかもしれない。偉そうなことを言えば、私なら。だが君の名と権限で軍を動かしてほしい。私はどうやら、袁紹嬢には疎まれているらしいからね。それでも受け入れられなかったら、まぁお手上げだけど」

「……ようやく、ですか」

 

 喜ばれるとは期待していなかったが、円はむしろ受け入れがたいというよりは非難めいた口調と目つきである。ようやく言うより何を今更と言いたかったに違いない。

 

 勝手だと思う反面、心情としては理解できる。回天の策があるというのならそれはすなわちこの状況をある程度予測できていたと言うことであり、事実男は敵の戦略パターンの一つとして考慮していた。

 もう少し早くにそれを伝え、動けていれば、友は死なずに済んだかもしれないと。

 

 だが彼女があえてその非難を明らかにしないのは、他ならぬ戦略戦術決定の場から彼を遠ざけたのが、強く推挙できなかったというのが他ならぬ田豊や自分であったという手前があるからであろう。

 遠慮することなく言わせてもらえれば、呼ばれたことも拾われるだけ拾われて放置されていたことも、そして今頼られることも、すべてが勝手な都合だ。

 

「あぁ、ようやくだよ」

 とはいえ、今この戦局でしゃしゃり出るのは自分でもどうかと思ったから、苦い顔をしつつも彼はあえて暗黙の非難を甘受した。

 すぐに円の方でも感情を引っ込めて、頼むがごとく深く頭を垂れた。

 

「分かりました……天の御遣いとして、その手腕に期待にさせてもらいます。『楊殿』」

 

 今までまったく良い所を見ていない男に実質的な指揮権を移譲するにあたり、円としてはその立場を名目として持ち出すほかないのだが、その呼ばわれ方にヤンは良い気分がしない。

 

 思えば、彼の前世は虚名だらけの人生だった。

 『エルファシルの英雄』から始まり、『魔術師』、『不敗』、『奇跡(ミラクル)』……そして最期に『血まみれ(ブラッディ)』。

 本人からは遠くかけ離れた異名でまるで悪趣味な着せ替え人形のように飾り立て、やりたくもない仕事に従事させられ続けた。

 

 そう考えると、虚名を含めて実のないものを追い求めて道化となった麗羽と自分とは、案外通じるところがあるのかもしれない。かつての『魔術師』はそう自嘲した。

 

「……スタンプ帳に血の手形を押させられ続け、ようやくそれが満了したと思えば、もう一冊と来たか。まったく我ながら因果な人生だな、まったく」

 

 嘆いてみせても同情した敵が兵を退いてくれるわけでもない。

 運命かどうかは知ったことではないが、とりあえず逃れられるものでもない。

 

 腹を括って、もとい観念して彼……『不敗の魔術師』ヤン・ウェンリーは、ベレー帽を正した。

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