恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁紹(四):魔術師と怪鳥(三)

「……明快な自己アピールどうもありがとう」

 ヤンのところまで届く大音声に、彼は呆れたような調子で返した。

 その派手なパフォーマンスでその為人は瞭然である。

 

 個人的な武勇や武勲を徒に誇り、それを頼みに戦場を突き進み、それによって命を奪うことを栄誉とし、躊躇わず兵を酷使する。

 ヤンがもっとも嫌悪すべき、そして実は苦手とすべき相手である。

 策謀を噛み破らんと犠牲を度外視して猛攻を仕掛けてくる相手は、損耗を嫌う彼のような指揮官にとっては交戦したくないタイプである。

 こと、とりわけ数的不利に陥っているこの状況においては。

 

「新手のようですね。それも、前情報がない、おそらくは天の御遣い」

「だが、分かりやすい相手ではある」

「と言うと?」

「あれを聞いただろう? あの敵は過去の武勲に過剰とも言えるプライドを持ち、新参者ということは、それを誇示する手段を強く求めている。つまりは正々堂々、こちらの強者か、でなければ袁紹殿の首級を。この場合敗走した先陣には目もくれずにこちらに向かってきているのだから、前者と見ていいだろう」

 

 未知の敵に対して泰然と言い放ったヤンに、円は変わらず半信半疑の様子を見せる。

 もっとも、好かれようとも思わない。

 過剰に持ち上げられたり、逆に命令に不服従を示されるわけでもない、適当な距離感と言えた。

 

 敵軍の速度自体は遅い。

 屈強な兵たちに己を賞美させつつ、体重を感じさせない軽やかな馬捌きで悠然と接近してくる。だが、罠を警戒してのこととも思えない。むしろ罠だろうと力押しであろうとかかって来いという挑発的な様子さえ見受けられる。

 

 その軍が加速したのは、互いの先鋒の顔が目視できるようになってからのことだった。

 

「使わずに済めば良かったんだが」

 そうぼやきながらヤンは、傍らの箱を脇目に見つめた。

 

「李通に代わって我が方の中央を指揮する将は?」

審配(しんぱい)です。性狷介にして袁紹様、というよりも袁家そのものの盲従者ですが、退き際を見誤る愚か者ではありません」

「では、かねての打ち合わせどおり、本陣は重装歩兵を前衛へと押し出しつつ、さらに後退。中央は折を見て左右に分かれて敵を分断。無論、君の名で」

「しかし、如何せん急ごしらえの訓令ですし、あの勢いと重厚です。ともすればそのまま中央突破されるおそれがありますが」

「やってくれないと困るが……」

 

 そんなことはヤンにしても重々承知していた。将兵は質量いずれをとっても不足。そも、勝ち目などとうにあろうはずもない。

 

「最悪、敵を勝ちに奢らせ中央を明け渡しさえしてくれればそれで良い」

 時間稼ぎ。敵軍の進撃の遅滞。その最大目標を過たらなければ、なんとかなるはずだ。

 ヤンは息を吐いた。

 

 ~~~

 

 汗明は大楚、いや大陸最強を自認する武人である。

 強国秦を代表する六将のうち一人を一合のもとに撤退せしめてより()()()()不敗。

 自身のごとき超越者が産み落とされたのは、天意の気まぐれと放言して憚らず、それはむしろ誇りではなく悲運であった、というのがこの男の弁であった。

 

 ゆえに強敵が自身と対すべく名乗りをあげぬ現状においても、不満や誉れというよりも当然のものとして受け入れている。むしろそのような()()()()をしている者がいたとすれば、彼はそれを正すべく得物を振るっていただろう。

 

 敵の中央がどっと崩れた。真一文字に汗明は陣太鼓とともに前進を続ける。

 不自然なのは左右に分かたれた敵であろう。

 だが彼は構わず進む。進めば、弩による斉射が彼を襲った。

 

「つまらぬ」

 

 ――他愛なし。ただ振り払って推すのみ。

 自分に小手先の戦術を向ける愚を哂い、手にした大錘を一薙ぎ。それでもってすべての矢を撃ち落とす。

 だがそれとは別に、火箭がより高い曲線を描いて飛来する。

 大方足下には連中が落としたとおぼしきいくつかの木の函。それを標として、高みに上った弓兵が必死に射ていた。

 

 明らかにその軌道上に自分の身体はない。見せかけ。陽動。すべてが愚行に過ぎぬ。

 ならば一息にその無駄な努力を省いてやるのが最低限の慈悲というものであろう。

 そう意気込んだ刹那であった。

 強く馬が踏みしめた蹄のあたり、燃える鏃が筺体に突き立つ。

 

 ――次の瞬間、異様な発光が彼の身体を覆い包んだ。

 

 ~~~

 

 火が吹き上がる。膨張し、結合し、連鎖する。なまじ一塊となっていた敵の軍勢は、兵馬武具荷駄一切合切が火中に巻き込まれる悲劇に招かれる結果となった。

 その様子を、円はしばし現世の光景だとは信じられない様子であった。

 

「きゃあっ!? い、一体何事ですの!?」

 麗羽に至っては敵が大挙して押し寄せてくるよりも激的に、かつ年相応に怯えている。

 

「なんだったのですか、あの函の中身は?」

黒色火薬(ブラックパウダー)。私も知識としては知っているが、使ったのは初めてだ」

「どういう代物なんです?」

「用途は色々あるけど、弾丸の推進剤……あぁいや、要するに火の威力を倍化させるものと言った方が良いのか」

 

 概念のないものを説明することは難しい。盲人に空の青さを説明することが難しいように。初めて自転車に乗る幼児にその操縦方法を伝授することが難しいように。

 

「チェスと一緒に出てきてね。ススか何かと勘違いした陳琳(ちんりん)殿に捨てる様に言われてたんだけど、念のため取っておいたんだ。銃にも必要なものだよ」

「……銃。あの袁術軍に配備され始めた兵器ですか。であれば、もっと有意義な使い方ができたんじゃ」

「だが現状その銃を持っていない。だから取っていたは良いものの、正直持て余していたんだ。食べられないしね」

 

 ニトログリセリンは口にすると甘い味がするというらしいが本当だろうか……などと思考が脱線しそうになるも、まだ円は納得がいっていない様子でさらに尋ねる。

 

「……いや、単純にそれを材料に停戦交渉の余地があったんじゃないかと」

 

 ヤン、しばし沈思して曰く

「なるほど、それはちょっと思いつかなかった」

 

 韜晦して見せたが、実際ヤンもそのことは考慮に入れないでもなかった。

 ただ個人的な嗜好(ワガママ)を言わせてもらえれば、そんな死の商人の真似事はしたくない。

 まだ銃も火薬も、大量に数を揃えるには、現在の文明においては過ぎた代物だ。

 そもそも、このまま勝てばそのまま奪えるものを敢えて取引するほど、敵は奉仕精神を持ってはいまい。

 

「いずれにしてもこれきりだよ。今回は敵の追手に火薬の知識を持つ者がいなかったことが幸いしただけだ。次からは敵も対応して」

 

 そう言いかけたヤンの口が止まる。

 その『突発的火計』の成功に沸いていた兵士たちも、火の渦を突き破って孤影が立ち上ってきた瞬間、喝采が潮目のごとく引いていった。

 

「卑怯千万」

 男は、軍馬は失いつつも色も強さも変わらぬ大音声とともに、言った。

 

「――などとは言うまい。貴様らがこの汗明を打ち倒すには、このような外道を用いるよりなかろう。その卑小さを許し、受け入れようではないか」

 

 ――化け物か。

 総身軍勢を焼かれてもなお泰然としている巨漢。彼に慄きながら円が掠れた声で呟いた。そして目線で、この並々ならぬ生命力を持つ相手を打倒しうる秘策を求める。

 

「いや、今までの食い扶持分ぐらいの仕事はしたと思うんだが」

 ヤンは肩をすくめた。さすがに円も苛立ちを覚えたらしく、眦が吊り上がる。

 

 だが、あえてそれに気付かぬ体で、彼は眼下で吠える男を見た。

 時間は、稼いだ。来るとしたらそろそろだ。

 

 そう見立てた瞬間、高らかな馬のいななきが轟いた。

 北方に由来する名馬は本来恐れるべき炎を突っ切り、自身を操る騎士を敵のすぐ背後まで回り込んでいた。

 

「はぁっ!」

 

 黒衣をはためかせ、その彼……キュアンが繰り出した一槍は、不意を打たれて顧みる汗明の鎧の縫い目、脇腹を鋭く貫いた。


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