ご了承くださいませ。
再戦の火蓋は、ごくごく平凡な競り合いから始まった。
何しろ、互いに前情報のない未知の敵とのぶつかり合いだ。手探りで相手の性質を探り合い、かつ自分たちの手の内を隠匿するというのが欠かすべからざる戦術的努力であった。
最初に動いたのは、かつ敵の相を見抜いたのは、袁術軍が先であった。
小競り合いの後、一度退き体勢を整えていく。それに合わせて袁紹軍も不完全であった隊列の調整に注力した。
袁紹軍が稜線に沿って陣を形成したのに対し、袁術軍が採ったのは、斜傾した横形陣。俯瞰すれば飛行する雁の群れにも見えることから、基本的な八陣のうち雁行陣と呼ばれる形態であった。
だが、それは攻勢に出る部隊の援護や柔軟な防御に向いた性質のものだ。攻め方が単軍で成すような陣形ではあるまい。
汗明とやらとは明らかに動きが違う、明確な思慮を持った兵の動作。それがヤンにわずかな逡巡と慎重さへと傾斜させ、前衛は自律的な判断のもとに攻勢に出た。
先走ったのは、その指揮官代行に疑問を抱く張南、焦触らであった。
両翼の彼らが動くのに引きずられる形で、中央の審配、顔良、文醜らもこれに続く。
「いけないな。すぐに後退命令を」
と言って伝令を飛ばしたが、先に動いたニ将は嗤った。
「先にはすぐに退却すべしと主張しておきながら、今やろうとしている戦術は持久戦ではないか。朝令暮改もはなはだしい。沮授殿もその名代も、田豊殿のごとき才腕には遠く及ばぬ」
ヤンがそのことを聞きつければ、朝決めた戦術が暮れにも正しいとは限らないと反論したであろう。
だがその反論も、嘲笑も、互いに交わされることがなかった。
袁術軍は雁行の構えに合わせて、逆撃に出た袁紹軍前衛の間隔も不揃いなものとなった。
敵将が攻勢をかけてきたのはその瞬間であった。
中央の抑えはそのままに、左右に孤立した部隊を急襲した。しかも左翼張南を襲ったのは、追撃軍の総大将と思しき大柄の怪人であった。
軽騎五十ばかりのみを動かした彼は黒鹿毛を疾駆させるや一合さえ刃を鳴らさぬままに張南を両断し、残存兵力もほぼ独力でこれを制圧し、なお横撃を止めぬ。その対応に追われる中、中央と敵左翼も前線を押し上げてきた。
やがて、焦触もその左将紀霊の三尖刀の餌食になったという凶報がもたらされるのに、時間はかからなかった。
まるで散髪でもするかのように、敵総大将自身が鋏となって、伸びた戦線を横合いから刈り取っていく。
「キュアン隊に伝令。敵左翼の部隊を防ぎ、背後に待機させた李通隊でその後背を突いてくれ。決して深追いせず、追い払ったらすぐに顔良隊への援護を。その間に文醜隊に中央を立て直させ、しかる後に反転して敵右翼を左右から挟撃。これで時間を稼ぐ」
すぐさま新たな指示を飛ばしながら、車上のヤンは頭を掻く。
やはり艦隊戦とは勝手が違う。将兵の人間性が、露骨に戦局に反映される。
何より強く痛感するのは、指揮官と幕僚の不足であった。自身の案を諮り、かつこの世界の尺度に作戦を調整するための理解者兼助言者であった沮授もまた、後方へと引き下がっている。
自身の奢り、大量殺戮者としての業。それを自覚しつつも歯がゆい思いだけは拭いがたい。
未だ残存する幾千の兵に囲まれながらもしかし、彼は孤独だった。
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王騎には、敵将の孤独が分かる。焦燥が読み取れる。そして目論見の大略が分かる。
おそらくこの知略型の権化のごとき将は、こちらの後詰を引き出すことが目的だったのだろう。
もしこれ以上余計な手出しをしてくる者が増えれば、その分この限定された戦場は動きが不自由なものとなるし、そもそも指揮系統が滅茶苦茶なこの軍は混乱することになる。
だが、その意図を将兵のうち理解に及んでいる者がいない。
敵を打ち負かすことしか、あるいは逃げることしか頭にない連中ばかりであろう。そして彼らに厳命できるほどに、この臨時の指揮者は権限を持っていない。
かつては、彼の指示を良く汲み取る補佐役でもいたのだろうか。あるいはある程度――たとえば軍船のような――将の武力よりも判断力と指揮能力が重きを占める戦場が主であったのか。
この将の描く図と現場とで、若干の齟齬が生じていることまで王騎は見抜いていた。
同情はする。共感もする。何しろ歯がゆいのは己も同じだ。
七乃の名代として率いているのは袁術軍の生え抜き。もとい増長させ放題の、武将とさえ言えない雑草どもだ。
かろうじて見るべき点があるのが意固地さと退かん気のある紀霊……実三牙と、あとは中央の橋蕤《きょうずい》の凡庸と堅実の中間ぐらいの資質ぐらいであろう。
だが、その彼女たちが敵の中軍以降、その地の利を生かした機動戦に翻弄されつつある。敵先鋒の失態から生じた間隙が埋められつつある。このままいけば自分の右陣のみ孤立するだろう。
それに合わせて退く……というのが常道ではあったが、敵の理に従属する、つまらない選択でもあろう。
ゆえに王騎は猛進した。強襲した。
丘陵を一息に上りあがり、敵の司令部側面に回り込む。
元よりこの惰弱な軍容に、自身の武で負かす者がいようはずもない。
驚き群がる敵兵を一喝のもとに薙ぎ払い、大きく本陣へと躍り出た。
そして血路を開いた先に、かの将を見出した。
次の瞬間王騎の分厚い胸の内に意外の念が去来した。
線の細い男である。
今まで、ついぞ見ることのなかった型の将ではある。
王騎の国、そして世では、いかな智将であれ他を圧する武技と、それを含めて己こそが天下一だという自負は将軍にとって欠かすべからざるものであった。
だが車上の男は偽首か、影武者かさえ疑いたくなるほどにそれらが欠落していた。
しかしそれでも、王騎には判る。
この骨細子だ。眼を見れば瞭然である。
幾万の兵の命の重さを知る男の眼だ。しかも、王騎の武威を浴びても泰然と構えたまま、逃げようとも抗おうともせず、
この中華に落ちて後、初めて人に関心を持った。
――その興ゆえに、怪鳥は目の前に割り込んできた駿馬への対応が後手に回った。
閃いたのは三叉の矛。
それを受けた時、確かな手ごたえを王騎は感じた。
そして慣れた、いや懐かしくさえ思える感触である。
武人としての絶対的な矜持と自負。それこそが彼の知る闘将たる者の在り方そのものであった。
――近くに潜んでいることは気配で察知していた。
いずれ来るとは思っていた。
だが、こうも愚直に、関わりのないはずの敗軍に加勢するとは思わなかった。
その不意もまた、愉しい。
「名は?」
狼か、野良犬か。雪野か枯野か。
そんな荒涼とした雰囲気を抱く漢に、王騎は唇を吊り上げた。
似たような猛者を侍従としたその男もまた、傲然と笑い返して馬上、矛で虚空を裂いた。
「