恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁紹(五):旭は二度昇る(後)

「皆さん! お待たせしましたわね! 体調も良くなってまいりましたので、お目見えを許してあげても良くってよ!」

 

 待ってないし見たくもない。

 そんな暗なるヤンの抗議もむなしく、我らが総大将閣下が軍議に戻ってた。

 

「君が彼女の勤労意欲を刺激したのかい」

 沸き立つ三羽烏、感涙にむせぶ審配の裏で、皮肉めいた口調で円を非難すると、彼女は静かに首を振った。

 

「あれでも空元気ですよ。むしろ、こちらを元気づけようとなさっているのです。とても軍議に口を挟むほどの精神的余裕は戻ってきてないですから、ご安心を」

 

 と、これまた鋭めの口調でヤンに返す。

 そう言われてしまえば、容姿に見合わずシニカルな毒舌家であるヤンであろうと、死人に鞭打つような言動はためらわれた。

 

 代わり、深いため息をつく。

 

「ようやく打開策が見つかったところだから、ここだけは大将らしく後ろに鎮座してもらいたいものなんだが」

「……あの義勇兵たちですか?」

 義仲主従を胡乱気に見やりながら、姫軍師は尋ねる。

「信頼にあたうるのですか」

 

 ヤンは肩をすくめて答えた。

 

「私の感受性には製造当初から武人の心得とやらに価値を見出す回路が組み込まれなかったようでね。ただ、今更自分たちを危険にさらしてでも罠にかけるほどの値打ちが我々にあるとも思えない。この場合は彼らの伊達と酔狂に甘んじるほか道はないように思えるんだ」

「悲しいことながら」

 

 裸の王様を遠望しつつ、円は嘆息した。

 

「この際だから聞いておくが、君こそ彼女をどうしたいんだい」

「勝者の座へと押し上げていただきたかった」

 

 円は即答した。ただし、過去形で。

 口を閉ざしたヤンに、少女は複雑そうに微笑み返した。

 

「でもこの状況でそんなものは奇跡に近い。そして奇跡というものは起こらないこと奇跡なんですよね」

「他人が勝手に期待を寄せる以上にね」

 

 自身の虚名を想いながら、シニカルに彼は首肯し返した。

 

「だから、ただ生きててほしいと思います」

 

 声を張って皆を一方的に叱咤激励する麗羽をじっと見据えたままに、円は静かに、そして母のごとく女性的で優しく、続けていく。

 

「好きなんです、彼女が。ワガママでもそれがつい許せてしまい、他人から土地やモノを無意識のうちに奪おうとも、あるいは奪われようとも、喜劇や笑い話にしてしまう。願わくばそういう方にこそ世をあまねく照らしていただきたかった」

 

 だがそれはすでに叶わぬ願いとなった。

 その王道の邁進に必要な車輪が、永久に欠けてしまった。

 

「だからせめて、賑やかな『余生』を送って欲しいんです。益体もない馬鹿話ではしゃいだり、持ち前の強運で賭け場で荒稼ぎしたり、果てには自分たちで競馬場でも開いたり……そんな人並みの幸福を求めることさえ、今の彼女たちには遠い夢なのでしょうか」

 

 細められた眼差しはまるで、三人の中に、もうひとり在るべき人を見出しているかのようでもあった。

 

 王道だ主君だののために忠を尽くす義理はない。

 カボチャを馬車に変え、ネズミを御者に変えるような奇跡は使えない。むしろ人として出来ることの方が相対的に見て少ないだろう。

 それでも、目の前でけつまずいた少女に手を差し伸べる程度には、良識のある人間でいたいと、ヤンはそう思った。

 

「まぁ、出来る限りのことはやってみせるよ」

 かつて魔術師と呼ばれた男は、一軍の将としてはかなり消極的な、そして彼にしてはわずかばかり積極的な決意表明を示した。

 

 ~~~

 

 かくして袁紹軍は仮復活を遂げた麗羽の号令と円、もといヤンの指揮の下、前進を開始した。

 最初に敵が見せたのは、困惑であった。よくてこれまで通りの持久戦、あるいは犠牲を覚悟の全面撤退というのが袁術三軍の総意ではないにせよ、多数を占める見解であった。

 

 そしてその心理的間隙を繕うよりも速く、先鋒が文字通りの矛先となって敵を穿った。

 苛烈極まる攻勢を担当するは、義仲主従である。

 

「ふっ、懐かしい。横田河原を思い出すわ!」

 

 三又の大得物を振るい荒ぶる主君を、古青江の愛刀を握って援護しながら兼平は苦笑をこぼした。

 あの時は、自分たちが敵城の正面に攻勢を仕掛け、主力を引きつけている隙に別動隊が山道を抜けて城を奇襲する、という策を採った。

 義仲が言っているのはそのことではあろう。

 が、実はその軍談の恐ろしきところは、別動隊を待っている間に敵正面の主力を殲滅してしまった、ということであろう。

 まさかとは思うが、それを再現しようとでも言うのか。

 そう思いたくなるほどに義仲の攻めはあまりに向こう見ず過ぎた。

 

「しかしよろしいのですかな。ともすればあの者ら、最新参の我らを矢面に立たせて捨て石とする肚やもしれませぬぞ」

「元より今更惜しむべき命でもあるまい。久しく忘れていたな。無我夢中で戦場を駆ける、かような戦を」

 

 憧憬とともに、兼平は主君を仰ぎ見た。

 そうであった。この仁は徹頭徹尾戦場の人であり、敗走からの逃避行はこの武人らしからぬ悲惨な最期であった。

 退嬰の都。そこに留まったがために木曽党の武は濁ってしまったと今にしては思う。

 

 最期まで共にあった兼平には消沈し切ったその肩が、今でも記憶にこびりついている。

 その鬱憤を晴らしたい、という無念が痛いほどに分かる。

 だが今、その発散の機を得た。征夷大将軍ではなく、一個の武人として戦場にふたたび立つことに彼は喜びを見出しているようだった。

 

「ふっ、今日はやけに鎧が軽いわ!」

 

 ならば己も供にしよう、改めて支えよう。

 再び武の一華を咲かせるべく、兼平もまた剣を奮う。

 

 ~~~

 

「袁紹軍の一部、さらに突出! その他部隊も全面攻勢に出ていますっ!」

 

 袁術軍はそれを進退窮まった末の無謀な攻勢だと哂った。

 だが、その余裕が次第に焦りと転じるにはそれほど時間は要さなかった。

 勝勢への奢り、そして敵将への見くびり。それが表面化したうえで、さらに将の質においても劣り始めた。

 いや、最初から劣っていたことが露見したのだろうと、唯一その顛末を視野に入れていた王騎は中央に戻りつつ思った。

 

 ここまで敵が消極的な方策を採っていたのは、指揮する将が彼我の力量差を見誤らないようにして、無難な戦い方をあえて選んでいたのだろう。

 

 だがその見積もりも終わったがゆえに、実は自分たちの方が個々の将の指揮能力の正確さと個人的武勇が上と判断したがゆえに、部分的にではなく面での攻撃に転じたのだ。

 こちらと噛み合わせるかのように、斜線陣を敷き、要所の利を捨てて押し出してくる。

 勇を誇り矛を振るっていた紀霊も、文醜の大剣とかち合った結果、じりじりと退き始めた。

 

 ――だが、あの突出した将についてはどうか。

 王騎は後詰め要請を無視して思考する。

 どちらかと言えば、武による戦局の転覆に対しては、あの骨細の知略型は懐疑的かつ慎重的に思える。

 

 相反する将質、自陣の二将が切り崩されても徹頭徹尾守勢に回った合理的な判断を下す。

 となれば、敵の策はおのずと見えてくる。

 あれを捨て駒とし、彼らが穿った穴より一点突破を図る腹積もりだろう。

 

 そう判断を下した王騎は、自身も黒馬の腹を蹴って駈けた。

 

「左右の橋蕤、李豊に伝令! 三方より敵先鋒を速攻で斬り潰し、敵の目論見を端諸から摘むとしましょうか」

 

 ~~~

 

 敵の陣形に変容が生じた。

 キュアン、顔良の反抗を避けた中央付近の兵が、先駆するあの大男に続くのが、麓まで降りて来たヤンの本陣からも見て取れた。

 おそらくは量と質とをもって木曽勢を圧殺するつもりだろう。おそらくあの敵総大将の力量には、我が方のいずれも太刀打ちできない。

 

「例の物は?」

 ヤンは円に尋ね、そして答えはすでに返ってきた。

 

「わたしの元同僚に麴義(きくぎ)という(もの)がいます。あまり誉められた性格ではありませんが、そう言った代物に対しての腕は確かです。あれの扱いは『見ればわかる』とのことで、新しい玩具を得て喜んでいますが、実態は出たとこ勝負と言ったところでしょう」

「そいつは重畳」

 

 と言いつつヤンもまたその効果については半信半疑と言ったところだ。

 もっとも、使えるのであれば結果として人死にが少なくなるのだからそれに越したことはない。

 

「木曽軍、敵総大将の突撃を受けて苦戦中! 救援を求めています!」

 

 やはりあのせめぎ合いは、敵にとって戯れであったのか。

 本気、あるいは力をさらに引き出せば、木曽義仲さえも勝ち得ぬ相手であるらしい。すぐに凶報がもたらされた。

 

「まだだ」

 

 ヤンは強く厳命する。

 ともすれば見捨てるのか。そんな疑惑の眼差しが向けられてもなお、彼は黙秘を続けていた。

 自分の判断を信じて針の筵に座り切れるかどうかが、指揮官に求められる資質のひとつであろう。

 

 やがて、さらに敵の後詰が動いた。

 『李』の旗。『橋』の旗。それらが左右よりさらに押し包まんと翼を広げた。

 そしてこの瞬間、魔術師は立ち上がった。

 

「今だ!」

 

 ずっと焦れていたのか。それとも自身でもここだと見当をつけていたのか。

 沮授へ、麴義へ、その伝令は電流のごとく浸透した。

 李通を護衛とする麴義隊は前線へ急進。そして例の代物を敵味方へと披歴した。

 

 それは、白檀で組まれた四足の筺体。その前面は掘り抜かれ、中で矢が横列を成してつがえられていた。

 

 目標は中央の敵総大将に非ず。突破すべきは難敵控える中央にあらず。

 ――包囲せんとするその折れ目。陣容の整わぬその箇所、そのタイミング。

 

「ウワハハハ! ようやく出番かッ、石弓機、発射ァ!」

 その猛者の号令と指導のもと、レバーとおぼしき部位の引かれたその兵器は、無数の剛矢が直線的に飛来していき、やがて敵の左軍に穴を開けた。

 

 ――古来、戦においては自軍を勝利に導く将こそが華であったろう。

 またそれと同様に、敗色濃厚な戦場において輝きを放つ将器というのもまた確かに存在し、そしてこの場合袁紹軍がそうだった。

 

「皆、進みなさい!!」

 麗羽が檄を飛ばす。

「これは退却ではありませんッ、喪った者たちの分も背負って、それぞれの未来をつなぐための転身と心得なさい!」

 

「承知! 

 まず一番に離脱したのが、手前の李通、麴義。次に渾身の力で敵を退けた義仲たちであった。

 その突破力でもってさらに穴を拡充し、そのあとに続いたのがキュアン隊だ。

 

「恥じる必要はない! 生き抜いて故国に戻れっ、これに勝る武勲、勝利などありはしない!」

 とキュアンが吼えて剛槍を振るい、エスリン夫人もみずから剣を執って健闘した。

 さらに突破口を広げていく。

 

「しゃあっ! ここが命の賭け時だ!」

「せめて麗羽様と文ちゃんだけでも、なんとしてでも生かしてみせる!!」

 と猛獣の咆哮とともに文醜が、そして顔良が、本陣の離脱まで殿を買って出て敵の追撃を退けていく。

 

 円みずからが手綱を取って猛進した戦車にしたたかに背と頭を打ちつけてひっくり返ったヤンは苦笑する。

 ――仮に穴を開けたとして、そこに各々の意志力が伴わなければ成功しなかった。

 そこに在ったのはやはりあの派手な御令嬢の、憎み切れない人徳……

 

『できればこの人を、こんなところで無念とともに死なせたくない』

 

 という想いが確かにあったからだろう。

 

 ~~~

 

(まさか、私が読み違えるとは)

 

 針鼠のごとくに矢だらけになって転がる橋蕤の骸を見下しながら、王騎は苦笑した。

 この時代に来て、智において勇において、自身と渡り合える武将など、敵にも、そして味方にもついぞ見なかった。

 それがゆえに、やはり無意識のうちに驕っていた。

 だからこんな単純な手に引っかかったのだ。汗明のことを、嘲笑できまい。

 

 完全に読み違えていた。まさか土壇場になって計算を捨てて情を取り、確信よりも不確定要素を重んじて打って出るとは思わなかった。

 いや、今までがそうとは思わせないための演技であったのか。

 読み切ったと踏んでいたあの智将の貌が、最後の最後で見えなくなっていた。

 

 とにかく、底の知れない将であったと言えるだろう。

 

「少しばかり楽しみが増えましたね」

 次こそは万全で戦う。そして確実に完勝してみせる。

 児の反抗期を目の当たりにした母のごとくに、感傷と充足感を噛みしめて王騎は呟いた。

 

 とうに戦が終わった後になって、ようやく張勲がやってきた。

 もう少し早くに来ていれば、こちらの前線を突破した部隊を挟撃できただろうに。

 

「もう、なんで勝手に本軍を動かしてるんですかぁ」

 と、自分が気もそぞろに許可を出したことも忘れたかのように、咎めつつ。

 

「それで、敵はどうしたんです?」

「ンフフフ、反撃を受けて逃げられちゃいましたァ」

 

 悪びれることなく、それでも明確に自分の非を認めて王騎は言った。

 えー、と張勲は唇を尖らせる。

 

「ほんっっと王騎さんは口と図体だけなんですからっ」

 

 そこで実際に行われた激闘や読み合いなどまるで読み取る能力などなく、表面的に顕れた単純な結果のみで袁術軍の参謀はプリプリと怒りながら辛辣に王騎を酷評した。

 

 彼の指揮下で戦い、その将帥ぶりと無双の武を目の当たりにしていた者は皆さっと血の気を引かせたが、その空気の変化さえまるで斟酌する様子がない。

 

 序列として異見できそうなのが実三牙であろうが、口下手で不愛想な彼女は猛犬のごとき面立ちのまま冷汗を飛ばしておろおろとするばかりだ。

 

「いや、すみませんねェ」

 一方で王騎もまた自身がしてやられたとは承知していたのと、祭り上げられるばかりであった自分が下に見られるというのがなんだか新鮮な体験であったので、謝罪と共にこの女道化の思い違いぶりを愉しんでいたのだった。

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