恋姫星霜譚   作:大島海峡

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孫堅(四):雨に願えば(四)(★)

 果たして、岸に追いついてきた孫堅軍の攻勢は、左近の読み通りに水陸前後からの挟撃となった。

 

 水流の中間、流れの分かれ目に出た時、すでに出撃してきたと思しき孫権、黄蓋の水軍が下って来て銅鑼を打ち鳴らし矢を射かけ、応射する黄忠隊の矢は指揮官以下いずれも名手にして技量精妙なれども、いかんせん数が足りない。

 

 不足の分はアーダンの耐久性と三成の鉄扇が防ぐも、それとて完全には相殺することは能わない。

 

 遠巻きに包囲を完成させつつ、着実にこちらの防御線を削りながら敵将孫仲謀の名で投降を呼びかける。

 もはやこれまでかと腹を括る一方で、左近に託した望みも捨てきれない。この状況まで読んでいた彼だ。その秘策も現在の展開を織り込んだうえでのものであるはずだった。

 

 問題は、その内容が如何なるものであるかだった。

 敵の攻勢の重点が激しさよりも堅実さに傾きつつある中、三成はあらためてそれを手を休めないままに推察し始めた。

 

 左近と自分とでは智の種と質とが違うことは良く弁えている。

 その上で、左近の言動を振り返ってその狙いを自分なりに探る。

 

 包囲される味方。

 精強ではあるものの戦略を覆すほどの数はなく、かつ水戦では役立たぬ騎兵を借り受け、かつそこにはアーダンやシグルドなど、主要な武将を含めない。

 

 では速攻奇襲というわけか。

 とすれば、どこに?

 誰に対して?

 何処から?

 

 その問いが組み合わさって一つの解へと結実した瞬間、稲妻のごときものが三成の脳天から足先にかけて襲った。さっと血の気が引いた。

 

「ま、待てっ! 待て左近ッ」

 

 衝動的に声をあげた三成に、同乗していた紫苑が瞠目した。

 つがえていた矢が意識が逸れたことによって軌道が敵より外れ、あらぬ方向の江面へと落下した。

 その着水の先、自分たちが離れた岸に、左近とその一隊を見た。

 狙うは中途に渡河した敵背後。

 

 総大将、孫文台の身柄であった。

 

 ~~~

 

 本陣、直撃されん。

 その報に触れた時、敵が動揺した。味方も当惑した。

 すべての陣営の衆目が、島左近一世一代の武略に集中した。その突撃に注視した。

 

 左近は乗船などしていなかった。

 三成とは別の船に乗ったと見せかけて空船を切り離し、自身は貸与された精兵と共に伏勢となって潜んでいたのだ。

 

 もはや退路などない。行動方針を一極化させた小集団は、勝勢にあった孫家を浮足立たせ、物理的な間隙を縫い、心理的な間隙を形成させた。

 そこを、突いた。

 

 鹿毛にまたがってみずから先鋒となった左近の揮う大太刀は、屈強な南方の強兵さえものともしない。

 その刀身に直接触れずとも、刃風が前方に並居る敵を封殺していく。

 

「悪いね、あんたらに付き合わせちまって」

 その風に紛れて呟いた言葉を、後続の騎兵は敏く拾い上げた。

 

「お気になさいますな、左近殿」

「むしろ感謝しております。よき死に場所を与えてくださったことに」

「このような場が与えられなんだら、荊州の諸氏豪族は戦らしい戦せずに故地を奪われたのかと天下に恥をさらしましょう」

「これをもって我らの気骨が証としましょうぞ、左近殿」

 

 と悲壮な響きを持たず、だが過度に息まくことをせず、静かに死の覚悟を示す彼らに、左近は強く頷いた。

 どうにもこの荊州という地というのは、左近の知る戦国の、こと和州の雰囲気に良く似ている。

 強くになびき、時流によって主を替える。国の央に在るがゆえの処世というものではあろう。

 だが、三成ほどに潔癖ではない左近は、知っている。

 

 それは確かに不義理ではあろう。だがその地に住まう士がすべてそうではあるまい。にも、意地がある。信念というものがある。

 かつての自分がそうであったとおり、地を出でて信念に生きんとする人々。

 

 彼らと命運を共にすることに、左近は誇りを抱いた。

 

「やめろ、左近!」

 

 離れた水平線で、三成が声をあげている。

 

「また俺のために死ぬというのか!? また俺を置いていくのかッ」

 

 普段の怜悧さをかなぐり捨てて、まるで父母に捨てられる子どものごとき上ずった声を遠く甲高く響かせる。ともすれば船を転覆させんがばかりに船縁に乗り出す彼を、紫苑が必死に押しとどめていた。

 

(まったく、隙を作って差し上げたのだから素直に逃げてくれればいいものを)

 そんな主君に、馬上左近は苦笑をこぼす。

 

 だが、その言霊の発する熱が、有り難い。

 この熱が、死んでいた己を甦らせた。

 かつて武田に棄てられ、筒井(つつい)を捨ててくすぶっていた時も、そして今も。

 

 途上、追いついてきた孫策が単身遮った。

 だが、全霊を乗せた左近の打ち放つ一閃は、彼女さえも寄せ付けぬ。

 すでに第一にして最大の目標は達成された。囲魏救趙。敵の急所を狙うことでその攻囲を外す。彼の主君たちを囲んでいた水軍もまた、宗主の危地に動転してその舳先を南へと転じた。

 孫子の裔に孫子の故事で一矢報いることは、痛快なことよ。

 

 太い頚を震わせて、左近は吼えた。

 

「石田三成が家臣島左近! 孫文台殿に注進すべく……今再び、一命捧げ奉る!」

 

 ~~~

 

 さすがにそこは雪蓮であった。

 凡将であれば二つになるか無様に転がるところを、空中で我が身を切り返し刃風を受け流し、砂利を轢き潰すがごとく足裏で岸を滑る。

 

「ま、待ちなさいっ」

 

 だが少なからず動揺はあった。知らず、声調は上を向く。

 母を案じた。そして奇妙なことだが、手にかけんとしている左近を案じた。

 

 あの太刀筋は尋常なものではない。

 あの剛力は、人の域を捨てたそれであった。

 

 その追走を止めんと馬首を返してきた騎兵も、文弱の劉表軍とは思えぬ気勢でもって、敵わぬまでも雪蓮に食い下がってきている。

 

 とすればあの男は、この者らは、とうに命を捨てている。

 もう充分ではないか。降れば命までは取らぬばかりか、より厚く遇してやれるはずだ。

(なのに、何故?)

 劉表がごとき者のため、かくも見事な男たちが犬死せねばならぬのか。

 それは、何者の意志であるのか。

 

 と同時に、左近の旧主勝頼の戯言がいやでも思い浮かぶ。

 孫文台は本来の歴史であれば、劉表攻めの最中に圧死するという――

 

 そんなことは信じない。殺しても死なないような、自分の知る限り地上最強の女傑ではないか。

 だがもしや、その代わりが()()だというのか?

 歴史を正しく運行する。そのためにあの男は天より遣わされ、修羅と化したのではないか。

 

「……っ!」

 矢も楯もたまらず、雪蓮は左右より迫る二騎のうち、一騎手を斬り伏せそれが使っていたうちの軍馬一頭を奪うと、挟み込んでくる追撃部隊を振り切って左近の背を追った。

 

 敵をかき分けるようにして突っ切った先、あらためて左近の姿を視認した時にはすでに、炎蓮と撃ち合っていた。

 

 もはや技巧などない。

 力と力。剛と剛。命と命。天運と天運。

 それぞれの全てを懸けて、英傑は斬り結んでいる。

 

 やがてやがてそれは剣撃の領分に留まらず、鞍の上で組み打ち、もつれ合いながら落馬した。

 

 驚いた馬が駆け去っていくのも構わず、(かち)となった炎蓮、左近はなお南海(なんかい)覇王(はおう)と大剣で競り合う。

 

 知れず、雪蓮の足は止まっていた。

 追いついてきた敵に遮られたというのもあるが、ふたりの立ち合いは彼女をして介入を許さない、武神同士の闘争であった。

 

 言わんや他の者も、当然。

 岸に戻ってきた者もまだ渡り切っておらず引き返してきた者も。

 はたまた江上に在って包囲を解き、艪を急がせつつあった江陵襄陽方面軍も。

 皆、固唾を呑んで見守っていた。もし無思慮な者がたとえ忠義立てによる横槍を入れ左近を討ったとしても、母は決して喜ぶまい。

 激怒し、たとえそれが何者であろうとも斬り殺すであろう。

 

 一騎討ち。これこそがこの知勇兼備の名将の忠道に対する、最大の返礼であり、賞賛であり褒美であった。

 

 だが、再び拾った一命をこの策に擲つ左近のそれはやはり、尋常のものではない。

 さしもの炎蓮も直に受けるのは避け、かつその表情には強者との戦いにも関わらず喜色を浮かべる余裕さえもない。

 

「悪いね」

 対する左近、唇を吊り上げる程度にはまだ元気が余っている。

 いや、もはや余裕だのそういう段に彼はいないのだろう。

 

「こっちは命懸けなんでね、もう少し付き合っていただきましょう」

 との言い分に違わず。

 

 そして左近の剣が、大薙ぎに叩きつけられた。

 水面が弾け、砂利が飛ぶ。南海覇王がその切っ先を後退させた。

 ――打たれる!

 雪蓮が呪縛から解かれたごとく、駈けだした。

 

 

 

「――命懸け?」

 

 

 

 厳密には、駈けだそうとした。

 だが出来なかった。身体が凍り付いた。ついぞ江南では感じない、寒波のようなものが彼女を襲った。

 そしてそれを発したのは敵将島左近にあらず。他ならぬ、孫文台であった。

 

「まるで、こっちがそうではないかのごとき言いざまよ」

 

 瞬間、桃色の髪が浮き上がり、その頭頂が左近の鼻先に叩きつけられた。

 左近の鼻柱が折れ、血が噴き出した。

 

「ナメんじゃねぇ。いつ何時だろうと、戦してようとも殺し合いしてようとも、釣り糸を垂らしていようと男を貪る夜半であろうと、貴様との斬り合い、その一合一合すべてにもっ! 命なんざ使い果たす覚悟なんぞとうにできておるわっ! 家を守り孫家の誇りを天下に示し、すべてを喰らい覇業に乗り出すと決めた瞬間からなぁ!」

 

 大器と武心、双方の面が混合された荒々しさと荘厳さを兼ね備えた口調でもってまくし立てながら、体を崩した左近を斬り立てていく。

 瞬く間に形勢は逆転し、左近の腕部に数創の裂傷が刻まれる。

 

 だが、左近にも今更怯む道理がない。痛みも感じぬかのごとく反撃を繰り広げ、陣風は色づいた母の肌を切り裂いていく。

 目を覆いたくなるような、烈しくも痛ましい応酬が繰り広げられた末に。

 

 左近は、背に大刀をかついだ。

 

「――なら、天下を(おお)う覇王の気概に、挑んでみましょうか」

 おそらく最後になるであろう軽口とともに、左近が地を蹴った。炎蓮が足をめり込ませてそれを迎える形をとる。

 やはりそこは男女の身体の違いというか、左近がそもそも大柄というべきか。

 体格上においてはやはり彼が勝り、頭上より剣を打ち下す。

 

 東西ふたつに分かれていた影が融合した。

 小鳥の羽音さえ許されないがごとき静寂が、戦場一帯を支配していた。

 

 やがて、左近の上体が孫堅の身を覆い包んだ。

 母様、と声をあげたのは三姉妹のいずれであったのか。

 だがその左近の胸のうちで、何かが蠢く。その胸を貫き背より出でた南海覇王の剣先が、旭日を照り返す。

 勝者は、母であった。

 左近の一撃を支えていた腕でもって彼の図体を押し上げる。

 

「やはり、俺の軍略……『天下人』には、届かないか」

 生前に由来するものか、血の泡まじりに横顔に自嘲を浮かべてはいるが、一方でどこか満足げだった。満足げに……彼は二度目の生涯の幕を、瞼とともに下した。

 

 さもあろう、かように気持ちよく競わせれば、たとえ敗けたとしても武人の本懐であろう。

 ともすれば、嫉妬さえしてしまえるほどに。

 

 その左近の身が炎蓮より離れる直後、その耳元に唇を寄せた。何事かを囁いたかのように見える。それがどれほどの長さの『遺言』であったのかも、陰影の関係で知るべくもない。

 炎蓮は一語も発さなかった。わずかに眉を動かしたのみであった。

 

「――あぁ足りねぇな。まるで至らん」

 母はそう吐き捨てた。

 

「次は、()()()()()()()()()()()()()()……忠心(こころ)が後方に向いていて、オレに勝てるものかよ」

 

 とはいえ、と大義そうに左近の亡骸を投げ下ろし、折れたと思しき左腕を熱っぽく見遣った。

 

「このオレの耳元で睦言を囁いた漢は、久方ぶりよ」

 武人としての充足感か、三女を産み落としてなお枯れぬ女としての色情か。

 母の吐息はどこか嬉しげであった。

 

 だが次の瞬間には、

「何をしてやがるガキども。追え、どこまでも追え。追ってすべてを踏み潰せ」

 と諸将兵を我に立ち返らせる、冷厳な命を下した。

 

 その追うべき河の先、左近の名を呼ぶ声は遠ざかりつつもいつまでも悲痛な調べとともに響いていた。

 

 

【島左近/戦国無双……戦死】

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