恋姫星霜譚   作:大島海峡

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去り行く星々
韓遂(一):涼州再相克(前)


 雍州。

 董卓と停戦して後、西へ返った馬家軍は、鳳徳、ヘクトル、そして療養中の馬超を欠きつつも猛攻を仕掛け長安を奪還。逃げる韓遂軍を追撃する途にあった。

 

 だが、さしたる抵抗もなく逃げ散った韓遂軍は、その撤退の最中にも断続的な攻撃を仕掛けてくる。その一撃離脱の時機の巧みなこと。距離感の狡猾なこと。

 今日も今日とて遠く地平の果てに、土煙が消えていく。

 

「んもー! なんで追いつけないの~!?」

 と不満の声をあげるのは、蒼である。

 無理もなかろうと碧は内心で答えた。

 

 涼州馬(アシ)は同じ。出だしは向こうの方が早い。となれば、追いつける道理もなし。

 行動を読んで先回りすれば捕捉も出来ようが、まるで弄ぶがごとき動きは、常にこちらの意表を突くことを前提に動いているかのようだった。

 それら一つ一つには法則性を見いだせずにいる。

 

「叔母さまの軍、以前とはだいぶ動きが違いますね……」

「でも、ちょっと面白いかも」

 鰯と蒲公英の言葉に、碧は「そだね」と短く返す。だが、反応の薄さとは裏腹に娘の漏らした所感に大いに同意はしていた。

 姉妹の契りを結ぶ前も、そして後も、これまでは騎兵同士の単純なぶつかり合いでしかなかった。そこに多少の変化を織り交ぜることはあっても、決着はつかず、和すれども同ぜずということをくり返してきた。

 

 だがそれが、韓遂には、金蘭には気に食わなかったのかもしれない。ただ時代の流れであると妥協をし続ける、その涼州人の、そして天下の馴れ合いが。

 董卓に与し、漢中を併呑しこちらの背を突いたのもそれが由来か。

 

 燻っていた金蘭に火付け役となったのが、やはり先に涼州に降り立った御遣いなのだろう。

 

「成公英以外に、良い軍師を得たようだな、金蘭」

 その変容に気が付いた馬休も馬岱も明敏と言えようが、前者は構想力に欠け、後者は天下の智者に比すれば目的性や展望に乏しい。

 

 輪虎はどうか。ヘクトル亡き今、唯一こちらに残った、天の御遣い。

 笑顔を絶えず見せつつも、自身の武の体現者、かつこの時代の傍観者という距離感を崩そうともしない。

 その彼でも、一定の目的を与えれば必ず果たすが、そういう資質なのかやる気の問題か、自分からは動こうとはしなかった。

 

「あ」

 その彼が、ハタと思いついたように目線を上げた。

「あー」

 碧も間の抜けた声をあげて、その視線の先を追った。

 

 そこに来ては、軍師ならずとも居らずとも、ここに至るまでの散発的な奇襲の意味を知る。

 気が付けば深入り。その窪地を囲む峰に、消えた数の馬影が、数を増して馬家軍を囲い込んでいた。

 数を減らし軍を破ることが目的ではなかったこの死地に、自覚させないままに引きずり込むための誘導。

 

 これも軍師ひとりの采配によるものか。

 ――否、構想あれども実行できなければ意味がない。

 

 金蘭に帰順した閻行(えんこう)、旗本八騎らしからぬ、軽妙な進撃、鮮やかな退却。

 それはやはり御遣いなのか、あるいは……

 

(ともあれ)

 戯れあい最早無用。徹底的に殺し尽す。そんな金蘭の冷たい布告を、碧は聞いた気がした。

 

 ~~~

 

半兵衛(はんべえ)

 一見して美少年、下手をすれば少女にしか見えぬその男の名を、金蘭は背越しに呼んだ。

 

「姜維、王平(おうへい)張翼(ちょうよく)張嶷(ちょうぎょく)馬忠(ばちゅう)

 謀臣の脇に居並ぶ新参の将らの名を呼んだ。

 

「前線は引き続きお前たちに任す。撫で斬りにせよ」

 撫で斬り。その言葉に、半兵衛は細い眉をわずかに動かした。

 彼女のはためく袍が、あの『魔王』の外套を想起させた。

 

「お待ちください! 我らはすでに連戦に継ぐ連戦で疲弊しきっています! それに、この大兵に遊兵を作らず囲い込んでこそ初めてこの策は意味を為すのです!」

「それは我らも同じこと。それに万一そちらが討ち漏らすことのないよう動じず包囲を維持することも、また必要ではありませんか?」

「あたしたちが、仕損じるとでも!?」

「疲弊していると、そう言ったのは貴女でしょう? それに新参と古参では、連携が取れぬが道理。下手に合流せず、それぞれの領分で動くことこそが最善手であるかと」

 

 食って掛かる姜維だったが、成公英はにべなくそれをいなす。

 麒麟児はそれ以上何も言えなかった。成公英が反論を許さないのは人生経験による老獪さというのあろうが、それ以上に赫光の故地は韓遂軍に抑えられている。命に反すれば、そこに住まう母の命が危うくなろう。

 それを汲んで竹中(たけなか)半兵衛は弟子を下がらせた。

 

「叛くか? 半兵衛」

 

 謀臣の方針に諾否を示さぬまま、金蘭は短く問うた。

 命に叛くか。自分に叛くか。あるいは己自身に叛くか。

 そこには複雑な意味合いが込められている気がした。そこもまた、かの織田信長には似ている。もっとも、あの魔王ほどに、魑魅魍魎のごとき深い闇や信念があるわけでもないだろうが。

 

「やれば良いんでしょ? どーせそう来るとは思ったから、段取りはしてあるよ」

「いやー! 苦労しますねぇ、軍師殿も!」

 

 いつになく大きな声量でそう言ったのは楊秋であった。

 小兎を思わせる小動物的な体躯から発せられたその労いには、言葉とは裏腹に浮ついたものを感じさせた。

 それは揶揄というよりかは、自分は矢面に立たずホッとした、といったところだろう。

 付き合ってみてわかるのは、この少女が病的なまでの自己保身の体現者であるということだった。

 

「貴女も行くのよ、北流(ぺいるう)、ここまでマトモに戦いもせずずっと逃げ回ってただけなんだから」

 成公英は冷ややかにそう命じられ、ピィッとこれまた楊秋は小動物的な悲鳴を発した。

 一方で半兵衛らに対しては、

「それでは、よろしくお願いしますね……『軍師殿』」

 と殊更に慇懃無礼に言ってのける。

 

 忠実であるがゆえか、あるいは嫉妬か。

 成公英の半兵衛ら天の御遣いに対する風当たりは、ことさらに強い。

 

「そんなんだから、ロイエンタールさんに愛想尽かされるんだよ」

 遠のく主従の背を眺めつつ、聞こえても良い、という体で半兵衛はぼやいた。

 

 去り際、韓遂の護衛も務める武人、閻行が

「悪いな」

 と短く二人に代わって謝したことぐらいが、せめてもの救いというべきか。

 

「どうします、いっそ叛いちゃいます?」

 と張嶷が物騒なことをだしぬけに言う。

 深い緑の髪を両端に結わえた、この中でもひときわ若年の少女である。

 

「いやぁ、なんか叛いたら叛いたであの人喜ばせることになっちゃいそうでさぁ」

 と一応は乗りつつも、半兵衛は消極的な姿勢を見せた。

 本当に、諾と従っても苦痛。かと言って金蘭の本懐を果たしてやるのも苦痛。

 

「あれっすか、いわゆる無敵の人ってヤツすか」

 と馬忠が乗る。様々な色を編んだ特異な髪。やや男性的に傾いた美貌に見合う、これまた独特の表現である。

「うーん、まぁそれはよくわかんないけど、そんな感じ」

 と、適当にいなしつつ、棒立ちになって放心している楊秋の肩をポンと叩く。

 

「どどど、どうしてアタシが巻き込まれてんですかぁっ?! 敵は錦馬でしょ!? 対馬超最終兵器の閻行()ちゃんが出るのが道理じゃないですか!」

 

 我を取り戻すや、半兵衛の身体を逆に揺さぶり返す楊秋の悲痛な訴えに、赫光が割り込んで答えた。

 

「ここまでの戦いで、馬超の姿は確認できていません。彼女が健在であれば、その性質から、またその無事を見せるべく陣頭に立っているはずです。おそらく呂布との交戦の傷がまだ癒えていないのでしょう」

「あー……紅葉ちゃん……死んじゃったんでしたっけ……馬超、翠ちゃんも?」

「死んだとまではいかずとも、戦える状態にないことは確かだろうね」

 

 半兵衛が赫光の言葉を継いだ。

 いくらか肩の強張りが溶けた様子の楊秋の脇をすり抜け、黒髪を切り揃えた少女が顔を出した。

 

「なに、どうしたの王平(黙契)さん」

 

 元来、無表情で寡黙、自分の名を含めて四文字以上の筆談も出来ない彼女が見せる尋常ならざる様子を察した半兵衛が尋ねる。

 千手観音のごとくわたわたと四方八方に手を動かし、必死に身振り手振りで合図を送って来る彼女に、さしもの半兵衛も苦笑する。旧知にして彼女の勝手を知ったる張翼が、すらりと伸びた背と髪を翻して、

 

「先手を取らんと馬騰がばびゅんと動き始めました。ずんずんとこちらに向かって来てます。ぱぱっと中央突破のうえ、離脱を図る模様です」

 

 擬音を多用し解読する。

 

「それじゃ、こっちも片をつけようか。……ぱぱっとね」

 北伐でもさせる気かという新参組の面々もまた、韓遂たちに負けず劣らず個性派ぞろいである。

 

 いつの時代も、いずこの世界でも、『若い子』の感性には追いつくのに苦労させられる。

 しみじみと噛みしめつつ半兵衛は、腰と背を大きく伸ばして前線に進み出た。

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