恋姫星霜譚   作:大島海峡

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韓遂(一):涼州再相克(中)

 ――語る者の言葉にも依るであろうが。

 兵法とは、味方をいかに効率の良く運用するか、敵をいかに効率悪く動かさせるか、という二点こそが礎石となる学術であろう。

 

 人数の多寡というのは、たしかに軽視すべからざる重大事であるが、結局のところはより良い効率性を求めるだけのひとつの要素に他ならず、そしてそれをより深く弁えた者こそが利と理を得るのである。

 

 今回の場合において弁えたる者とは、今回の図を企み、今また矮躯を前線へと押し上げた軍師、竹中半兵衛であり、その手並をわずかな妬心とともに遠望する成公英であり、また表裏比興の群雄韓遂である。

 一点突破という目標にのみ絞った馬軍は、それこそ、彼らの用意した狩場に迷い込んだ獣に過ぎぬ。

 

 勝敗は、始まる前より決していた。

 

 とはいえ、それを知る術などない。いや、自分たちの行動が敵に予測され、かつ望む通りに移動させられるなどと知覚させないところに、韓遂方の用兵の妙がある。

 

 馬騰は何となくにキナ臭いものを本能と経験とで嗅ぎ取りながらも、選択の余地など既になかった。

 攻めよ。碧は号令を掲げる。痛みの伴う高揚と動悸。濁る声。そこに忍び寄る死の影を悟られまいとしながら。

 

 起伏の多い土地である。

 馬騰らとしては、一文字に斬り行ったつもりであったが、その道程は実のところ湾曲と収縮をくり返し、折れた先に何が待ち受けているとの知れず。

 歩兵を主体とした軍容であればまたもし多様な動かし方も出来たであろう。もしくは精強な涼州軍馬であれば、多少の難路は踏破できたであろう。

 

 だが、人はえてして易き道を好む。まして、疲労した今となっては、漠然とした理由からあえて道と則を外れて奇手に奔ることは躊躇われた。

 

 しかしそれもまた、軍師の読むところであった。

 

 ――第一手。

 馬超不在にして鳳徳戦死ともなれば、先手は自然馬岱である。

 だが、代役にして実のところは絶妙の人選でもあった。

 ただ愚直に突き入る翠よりかは、柔軟性と判断力に優れる。敵の策謀の気配にも敏感である。

 

 対するは、張翼である。

「ばびゅん」

 妙な音を口ずさみ、直槍をもって元気よく馬軍の出鼻に衝き込んでくる。

 だが、この程度の先手働きを読めぬようでは将とは言えぬ。みずから先頭に立った蒲公英は、影閃(えいせん)をもって難なくその奇襲を受け止め、代わり溌剌とした逆撃に転じた。

 

 さすがに張翼はこれはたまらぬと退いた。いや、その判断はいっそ小気味よいほどに鮮やかだ。

 馬軍はそれを追う。どのみちその先にしか道はない。

 

 果たして、逃げた先の横合い。馬忠張嶷の二将が重歩兵をもってその行く手をふさぐ。

 蒲公英は、柳眉をしかめた。それをこそ敵伏兵と読んでいた。

 ――否、読まされていた。

 

 敵味方ともに正史においては劉備死後の蜀を支えた輔臣ではあるが、この外史にとっては互いに無名新参ゆえに名も知らぬ。だが将質は互いに理解していた。

 

 堅実にして重厚。縦陣大盾をもって隘路を防がれれば、いかに精強な騎兵といっても時が要る。時をかければ包囲される。

 その常道を知ればこそ、蒲公英はそれを避けた。

 

 ――あるいは翠であれば、我が武威をもってして無理にでもこじ開けたであろう。あるいはそれが、正答であったやもしれぬ。

 だがその是非を極められる者は、当代においては無いであろう。

 

 馬軍は順調に敵陣を突破していく。その策謀を打破していく。

 ()()()()()()()()()()

 

 一見して順調に見えたその流れに変化が生じたのは、第三波の時だった。

 若草色の髪がふいに視界の片隅に紛れ込んだ時、ぞっとするような風音が蒲公英の耳朶を襲った。

 

「馬岱殿、お覚悟」

 遅れて声がやってくる。だが、かえってその声により、蒲公英は奇手を遮ることに成功した。

 

 だが、その年若い敵将には自身の迂闊さを呪う様子も、小賢しい敵と思うような様子もなく、爽快な面持ちと敬意をもって蒲公英を眩いばかりに細めて目で見返していた。

 と同時に

(面白い)

 と、蒲公英も自信に仕掛けてきた少女を初見より好ましく思った。

 

 馬上にあって捧げ持っているのは、鉤鎌槍(こうれんそう)。その通名のごとく、呂布の方天画戟を彷彿とさせる、槍先とは別に湾曲した刃が添えられた武器である。

 これは宋代に流行した長柄物なのだが、時代を超越して火砲さえ飛ぶ外史において、多少の技術の齟齬など問題ではあるまい。

 

 侮りはしなかった。むしろ、こちらの中枢に、敬慕すべき親類たちには接近を許してはならない強敵だ。

(だったら)

 からかいついでに、引きはがしてやろうと、あえて呼吸や距離感覚を無視し、理合を崩して強引な攻めに出た。

 

 逆に吊り出すべく、そのまま若き敵将の鼻先を通過し、奥へと駆け入らんとする。

 

 ――が。

 

 転瞬、喉のあたりに蒲公英はいやなものを感じ取った。

 音もなく、最低限の動きで、月光にも似た閃きが蒲公英の喉輪を襲った。

「あっぶな!」

 率直に声を漏らし、蒲公英はのけぞった。

 

 偽逃を企図した蒲公英隊の動きをその一閃でもって封じた。

 そして、人馬一体、将兵一体となって苛烈に攻め入りつつも、あえてその陣に一穴を開けて明示させつつ、その中に押し込まんとする。

 

 ――訂正。

 やっぱり、可愛げなどない。若さに似ぬ狡猾さである。あるいは指揮する軍師の令をよく実行しただけなのかもしれないが、それとて本人の底意地の悪さ、周到さと執念深さがなければ成し得ぬことだ。

 

 おそらくは御遣いなどではなく『現地人』であろうが、噂のその又聞きに思い当たるフシを耳にしたことがあった。

 

 曰く、天水に麒麟児あり。

 幼くして兵書に通じ、長じては諸武芸を修め、清廉実直、孝心に厚い英才。

 姓を姜、名を維、字を伯約(はくやく)と。

 

 おそらくは彼女の描いた図であろう、と蒲公英は踏んだ。その彼女を抑えてさえいれば、指揮系統に間隙が生じると。

 ――だが真実はそうではなく、知らぬ顔で敵陣の奥底より、四本目の刃は着実に馬軍の背に忍び寄りつつあった。

 

 ~~~

 

 最後尾にあってその姫将はぼんやりと虚空を仰いでいた。

 着崩した衣と鎧。乱雑に幘を巻き、その隙間より銀髪がはみ出ている。

 

 茫洋と開かれた瞳はこの地形にて唯一切り開かれた空をそのまま取り入れたがごとくに、蒼い。

 それが、張繍であった。

 

 あまりに場違いなその佇まいに、いつものことながら配下の士卒はいずれもそこはかとない不安に駆られる。と同時に、なんだかんだで、意図してかどうか知らず、最終的に良い方へと導くこともまた知っていたのだった。

 

 ただこの時ばかりは、さすがに意を探りかねたし、探らざるを得なかった。

 何しろ、前線よりの状況報告が絶えて久しい。押し出すべきか。このまま起伏の口にて待機を続けるべきか。せめてその去就を明らかにして欲しいと彼らは願っていた。これではまるで、

 

 そこに、敵方より鏑矢が上がる。白く塗られたそれが、頭上に陣したまま動作せぬ韓遂本隊よる突き抜けて天を穿つ。やはり敵には何らかの策があったのではないか。そのための何事かの合図だと彼らとて察するところである。

 

 だが、張繍は変わらずぼんやりその方角に視点と角度を固定させたままであった。ただ「あ」と短く息をこぼしたぐらいであった。

 だが、その矢の軌道を見届けた後で、

 

「じゃあ、行くね」

 と寝ぼけまなこの下に微笑を称え、おもむろに告げて言った。

 

「目標、馬家後軍、馬休馬鉄の隊」

 

 下した命はふわふわとした態度とは裏腹に明快であった。

 だが、その対象とするところに、一同は唖然となった。

 

「す、すると……董中郎将を見限り、今また韓遂軍に寝返ると!?」

 

 そう確認してきた配下にあどけなく少女は小首を傾げて見せた。むしろその者の正気を問わんとさえする風でさえある。

 

「だって、成公英から合図来たし」

 

 ……そこに至って、彼らは鏑矢の意味を知った。

 

 ――初手から謀を頓挫させた董卓を見限れ。

 ――しかるのちに東征する西涼軍閥に就き、その動向を逐一報告せよ。

 ――そして来るべき決戦時、我が意に従い馬家の背後を襲え。

 

 それが韓遂の謀主、成公英よりの密命であった。

 それを知っていたのは、彼女と彼女の意を受けたごく一部の間諜のみであった。

 これは秘中の秘であったから……と言うのではなく、絶望的に言葉が不足していた結果に他ならぬが、それが幸いして、ぼんやりとした人畜無害のごとき降将の内心去就などは、韓遂を追っていた碧たちの意識の外にあったのだ。

 

 順調に戦を運んでいたはずだった。それが敵の狙いの内であったとしても、今ひとたび馬蹄を打ち鳴らして攻めかかることで、それらをひっくり返しつつあるはずだった。

 だが戦略において手落ちのあった軍が、戦術において状況を覆えすことなど稀である。

 

 包囲を恐れて一点突破を図っていた馬軍はしかし、逆に右往左往の果てに今、敵の真芯で孤立していた。

 

 〜〜〜

 

「も、申し上げます! 張繍軍、離反! 我らの背後に攻めて参りました!」

「なんですって……っ!」

 

 その報に触れた馬休こと鶸は歯噛みした。

 惚けた様子でいたあの娘。何という恥知らずか、人面獣心か。

 

 だがいくら恨み節を唱えたところで、そのまま相手が呪殺できようはずもない。

 

「参ったな」

 量の多い髪をまさぐるようにしながらぼやいたのは、母であった。

 

「母様!? 危険ですっ、いますぐ中央にお戻りに……」

「安全なところなど、すでにどこにもないよ」

 

 やや諦観にも似たぼやき。聞きたくもなかった弱気な発言に、母姉譲りの凛々しい眉もつい下がるというものだ。

 

「ですが……」

 この場には、いまいち信の置けぬ者たちも控えておりますゆえ。

 出かかった言葉ではあったが、当人たちの前ではさすがに口にするのは躊躇われた。

 

 ひとりは何を考えているのか分からぬ異邦人。もうひとりは董卓配下の降将である。張繍のごとく、この不利に母の首を手土産にいつ鞍替えするか知れたものではなかった。

 

「輪虎」

 

 碧はその片割れに声をかけた。

 

「私としては、別にお前を疑っていたわけではなかった。ただ城攻めの最前線に立たせたうえで張遼の相手だ。連戦はきつかろうという、要らん老婆心だった。素直にお前に先鋒を任せて飛ばしていれば、多少なりとも勝ちの目があったのかな」

「まったくね」

 

 奢りに傾きがちではあるが、余計な気負いも虚飾もない、等身大に近い返答ではあった。

 とは言っても、すでに時遅し。蒼と蒲公英が東西に展開して戦っているが、すでに攻勢は防戦と持久戦にその色合いを変えつつあった。そこに止めと言わんばかりの張繍の転身である。

 四方八方で乱戦が続き、いずれここも突破される恐れがあった。もはや輪虎隊を投じてどうにかできる状況ではなくなってしまっていた。

 

 そこにおいて、もう片方も身じろぎした。

 腰かけていた岩縁から剥がれるや、天を仰ぎ見て、

 

「今日が晴れていて、よかった」

 と妙に落ち着き払った調子で言う。

 

 ――まさか死ぬには良い日だと続くのでは、と鶸は気を揉んだが、彼女の危惧が表面化するよりも先に彼女は視線を

 

「輪虎」

 

 へと注ぎ向けた。

 

「私から奪った武器は、どこですか」

「あぁ、アレなら僕には要らないオモチャだから」

 

 と、極限まで細めた目が橋渡しでもするかのごとく鶸へ投げられる。

 

「あれ、武器なんですか……?」

 西涼軍閥の後方管理官として、様々な武具物資を扱っていた馬休ではあるが、いったい彼女から鹵獲したものが何なのか、皆目見当もつかなかった。

 

 ちょうど手近な荷車に、それがあった。

 その衣を剥ぎ取ると、自重、硬い鉄音とともに地にその口が叩きつけられた。

 利器にあらず、鈍器にあらず、什器にあらず。

 こんなもので、一体何を行う気だというのだ? この死地において。

 

「往くのかね」

 碧が問う。

 

「はい。敵に風穴を穿ちに。これと自分なら、出来ます」

「お前自身はどうなる」

 

 碧の問いに、金髪を結わえた娘は答えなかった。

 その表情は硬い鉄面に覆われたようなものだが、そこから何がしかを汲み取ったらしく、碧は良い顔をしなかった。

 

「おいおい、勘弁してくれ。身内同士の争いに、客人にそこまでさせられるか」

「客ではない」

 

 母の言葉を、降将は即座に否定した。

 

「『涼州人』だ。貴女が、そう言いました。もう余所者では、ありません」

 捕らえられ、降るにあたって談笑まじりに言ったことを少女は憶えていて、それを逆手に取る形でそれ以上の反論を封じた。

 

「……ならば、なおのことだ。もう若者に先立たれるのだけは、御免こうむる……生きて帰れ」

 往年の鋭さ、真剣味をほんの少しだけ取り戻した涼州の獅子は、

 

 それにはやはり答えない。代わり、再び手にした鉄塊のごとき強硬な決意を語調に滲ませつつ、少女は背を獣のごとく少し丸めつつ地を踏みしめた。

 

 

 

「陥陣営、推して参る」

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