恋姫星霜譚   作:大島海峡

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韓遂(二):総て是玉関の情(前)

 逆噴射による高順の特攻が、地表を抉る。黒い煙を巻き上がらせる。

 だが、手ごたえはない。逃げ場も逃げ時もなかったはずだ。

 

「あっぶないなぁ」

 

 少年とも少女ともつかぬ類の声が、その頭上より落ちてくる。同時に、断続的な風音も。

 天を仰げば、そこに美貌の軍師はいた。

 

「てか、それはさすがに反則でしょ」

 

 呆れたように彼は言う。

 だが破城から言わせれば彼が捧げ持ったそれこそだ。

 

 円盤に取り付けられた針が高速で回転し、如何なる原理かそれが彼に浮遊の力を与えている。

 自分のそれとは違い反動が発生せず、しかも長い時間滞空している。

 

 だが、まだ射程内だ。

 そう見切りをつけた猛将の周囲に、その近侍の武者どもが槍穂を押し出して殺到する。

 

「陥陣……突撃!」

 

 爆風で彼らを弾き飛ばし、破城は再び天へと自身を打ち上げた。

 天に挑みかからんばかりに突き出した槍穂が、軍師の足裏を掠める。全身で螺旋を描いて再浮上する彼に対して、直線的かつ最短距離を突き抜けて急追する。

 

 〜〜〜

 

 重力を無視して天へと打ち上がっていく両将の様を、地上の将兵悉く唖然と見送っていた。

 

 韓遂方においては防戦に心血を注がなくてはならないはずの張嶷がはたと手を止め中空を見上げ、

「すごい、あの二人……飛びながら戦ってる」

 と我知らず呟いた。

 

 対する馬騰陣営においても

「何アレェ?」

 と碧が頓狂な声をあげるのに、次女が反応して曰く、

「ちなみに長安戦ではあの武器? を頑張ってヘクトル殿と輪虎が抑えてました」

「……」

「すごく、がんばってました」

「………そっか、頑張ってたか」

 

 あの男、元の世界では巨龍を相手取って奮戦していたという。実のところまさかと疑ってかかっていた碧だったが、あれ相手に戦っていたとなると、あながち大ボラというわけでもなさそうだった。

 

「なぁ蒼、お前のよく買う読本にあぁいうの出てきそうじゃないか?」

「出ないよ」

「いやでもいそうだろ、お母ちゃんが幕舎で片づけた中にそんなのあった気も」

「ないよ」

 

 ふだんはおっとりした喋り方の蒼が、ピシャリと拒むような、強い口調で返した。

 母には分からぬが、そこにおいては微細だが絶対的な線引きが娘の中には存在するのだろう。

 

 歳や年代による感性の違いか。娘たちとの間に溝を感じる碧であった。

 

 そしてその手短な対話の中で軽く名の挙がった輪虎もまた、その光景を目撃して助攻の苛烈さは弛まぬままに意識をそちらへと傾けた。

 

 彼の生きた中華では、敵陣を遊泳する鮫がごとくに食い破る超人はいたが、彼らとて飛空はできなかったであろう。

 それを知る『廉頗の飛槍』が何を想ったか。余人が分かる限りの反応と言えばただぽつりと、

 

呉鳳明(ごほうめい)でも、さすがにアレは無理だろうなぁ」

 などという、かつての亡命先の上将の名を挙げて独語したぐらいのものであった。

 

 

 

 ……等々。

 

 

 反応は各々様々。もしこの場に仮に、揚州に身を寄せる大斧遣いの少女などいれば、彼女にしては珍しく喜悦と興奮を露わにして空を飛ぶ人間を望んだであろうが、それはありえぬ仮定の話。

 

 敵味方が見守る中、彼らが手出しできない領域にあって熾烈な空中戦を展開していた軍師半兵衛と猛将高順であったが、その滞空にも限度はある。

 

 先にその兆しを見せたのは、高順であった。

 多用に過ぎた炸薬はあとわずか。着地の制動に必要な分を加味すれば、限界は実量よりさらに下回る。

 

 ならばせめて一矢。

 せめて一槍。

 せめて一突。

 せめて一発。

 

 高順には字がない。郷里がない。親がなく、主もいない。

 并州人であるというらしいのだが、半端に分かる出生地が涼州人が多くを占める董卓陣営においては肩身を狭い思いをしていた。

 同郷ではあっても呂布張遼ほどに花も実もなく、またそれよりもはるかな小者の李粛(りしゅく)のごとく愛嬌を振りまけぬ。よっていまいち信に置けぬとして賈駆よりは留守居を命ぜられたがその任さえも果たせなかった。

 

 そんな彼女に、馬騰は涼州の民となれば良かろうと言った。

 あるいはそれは戯言であったのかもしれぬが、それでも十分であった。

 涼州人として、馬騰の客将として、せめて最後の一義を貫き果たす。

 

 最後の、一世一代の点火。

 

「陥陣……突撃!!」

 

 高順ここに在りという想念を込めて吼え尽す。

 瞬間、軍師がふわりと身を翻す。

 柳に風がごとく、腰をひねり破城が熾した火の粉を払い、爆炎の間隙を舞った。

 

 その身の裏……破城にとっては死角より、例の羅針盤が水平になって旋回していたのが現れた。

 外輪には無数の刃歯。

 ついおそろかになった首筋を回転するそらが削る……ことはなかった。

 途端に引っ込められ、代わり脇腹に打撃が加えられて身体の軌道を変えさせられる。

 

 ――加減を、された?

 

 理解できぬままに、決死の覚悟も気抜けし、あとはただ落ちるのみ。

 ただ向こうも向こうで、飛ぶのに使っていたそれを武器として用いたのだから、空中での支えを失って落下していく。

 とうてい助かる高さではあるまい。

 

(情けなし)

 

 恩義さえまともに返せず、敵の手にかかるでもなくただ徒死するか。

 返す返すも無念ではあるが、戦場においてはそういう死に方をするのもまた武人としての覚悟のうちだ。

 そう思い至って、従容と死を受け入れようとする破城ではあったが、その次の瞬間、小柄な身柄を救う腕があった。

 

 その者、獣の尾がごとくに髪を結い上げ、悍馬にまたがり、その背骨に負担がいかぬように、落下の衝撃を片腕のみで受け切った。

 だが彼女とて、張魯の施した方々の固定器具がまだ取れてはいない。呂布に受けた傷の癒えぬままである。

 

「ごめん、アタシのために無理させた」

 

 言葉を交わすのはこれが初である。そもそも、自分は彼女の……馬超の意識があるかなしかという時点において僚友となった。

 にもかかわらず、西涼を代表する姫将が自分を認めて、奇跡的に拾った命を

もう一度投げ打ってまで自分を救ったのだ。

 

「帰ろう、朋友(とも)

 

 あるいはそれは、去りし誰ぞの影を重ねたがゆえかもしれない。

 だが破城はその逞しさに、気高さに、度量に深く感じ入りつつ、頷き身を委ねたのであった。

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