「ふん、まさか丸投げとはな」
だが榎本、大鳥のごとき者とは違い、作戦実行に応え得る現実的な兵数を供出してくれただけ、いくらかはマシと言わざるをえまい。
北海包囲軍……否撤退軍に先んじて、土方
「それで、どうするつもりなのだ?」
「なに、少しからかってやるだけさ」
追従する緋縅の鎧武者の問いに、かつての新選組副長はこともなげに答えた。
「曹操軍本陣に達する時には夜半となっているだろう。それに、敵としちゃあ今去就を決めかねているとタカを括っているはずだ。そこで仕掛ける」
「夜討ちか。さほど敵に痛打を与えることにはならぬと思うが」
「だから断髪的にこれを繰り返す。こちらの戦意高揚と敵の士気落としも兼ねてな。それにより少なくとも本隊が離脱する時間は稼げるはずだ」
加えて言えば、敵はこちらは騎馬主体の軍団と勘違いしているだろう。よも、馬で越せぬ難所より攻めくるはずもなしと。だからこの歩兵の集団は、敵にとって有効となり得るはずだった。
欲を言えば全軍でこの奇襲に出れば乾坤一擲、一気に形勢逆転し片がつく公算が高いのだが、そこまでの勇断を今の白蓮に求めるのは酷というものか。
「そういうのは、あんたが得意とするところだろう。
――
その名を口にするおかしさを、土方は冷笑に紛らわせた。
講談で語られたどおりの、英雄然とした雄姿。颯爽としたたたずまい。
自身が焦がれてやまぬ、『武士』の源流とも言うべきかの御曹司と肩を並べる我が身の滑稽さに。
もし今蘇った自分の姿を見たら、朋友たちは笑うだろうか、羨ましがるだろうか。
……あるいは同様にこの大陸のどこぞに流れ落ちており、敵として対峙する日が来るのだろうか。
だが、答えは土方の予想を外すものだった。
「あのような蛮行は、二度と御免だ。仲間たちも危険に晒した」
と、苦々しい面持ちで首を振る。
「意外だな、あんたほどの英雄が。勇躍して事に挑んだものだと思っていた」
「戦を楽しんだことなど一度もない。今でも戦は怖い」
だが、と草の根を脚でかき分け、息をつき、そこで一度語を切った。
「それでも、源氏として、武士として、演じねばならぬこともある」
「演じる……」
「いくさ人として、そなたにも覚えがあるのではないのか、土方」
(嫌なところを突いてきやがる)
土方は内心で苦笑した。
如何にも仰せご尤も。自分は元を辿れば源平藤橘いずれの家流などからも声をかけられることさえ程遠い、多摩の百姓、薬売り。
それがたまさか動乱の時流に乗って、会津藩お預かり新選組の副長として京師を取締まり、果てには蝦夷の臨時政府の陸軍奉行並だ。
自分は意地と好き好んで戦地に身を置いてきたが、一方でやはりどこかでそういう己を、武士としての理想の生きざまを演じてきたのやもしれぬ。
(だが、あぁ、そうか)
皆、同じなのであろう。皆、士なのだ。
志半ばで病に斃れた者も。自らの正道を訴えるために敵方に投降した者も。袂を別った者たちも。
先に挙げた者たちにしても、その言い分は正しかった。
死んで務めを全うする者のみではなく、生きて責任を果たす者はたしかに必要だったのだ。
皆、英断の裏に怯懦があった。恥辱にまみれる勇気があった。
そして皆演じきったのだろう。
そして蘇ろうとも己は進む。自らが張り倒す意地と士道の果てに。
「……そろそろだな」
すでに暮色。眼下には黄河を前にした敵の営地が見えて、そろそろと篝火が焚かれつつあった。
だが疲れは感じない。むしろおのが生に一つの答えを得て、その背から荷がひとつ外れたがごとき軽さであった。
「かかれっ」
号令一下、土方の指揮する部隊は一気に坂を駆け下り、森を抜け出た。
無理をする必要はない。あくまで威力偵察を兼ねた、挑発行動だ。これを連続して行い、渡河を徹底して妨害するのが、第一前提である。
――前提で、あった。
土方隊と、義経主従が顔を出した瞬間、矢の嵐が彼らを襲った。
死角となる森から打って出たはずの彼らだがしかし、視界が限定され死角を作っていたのは彼らも同様であった。
森の口、その左右に伏せられていた弓騎兵がたちまちのうちに半包囲に展開、彼らに間断なく矢を撃ち込んでいく。先頭が潰されたのだから、後続が進退ままならず往生するのは道理であった。
動揺は停滞として顕れ、次々と注がれる飛来物の好餌となっていく。さながら、
(
その後ろ備を率いている者が何者かは知らぬ。『曹』の軍旗を掲げているが、曹一門か、あるいはそこに所属する新手か。
重い衝撃を肚に覚えつつ、土方は膝をついた。
「土方ッ」
義経が駆け寄らんとするのを制止した。
狼狽し、寄ったとして最早どうにかできる段階にはなかった。
「……恰好ひとつつかなくて悪いんだが、こっからはあんたが指揮してくれ」
と苦笑まじりにこぼすのを、前立てを振りかざして義経は声をあげた。
「何を言っている!? そなたが」
だがその言葉は、暮れなずむ中に融けて消えた。土方の状態、腹の中央に突き立った矢。
それが薄闇の中で浮き彫りになったがゆえに。
「腸をやられた……もう駄目だ。せめて敗将らしく、意地を張り倒させてくれ」
あるいはこの致命傷がなければ、再起の目処のひとつも立てただろうが、とかく武運がなかったということだ。
あらためて弁慶に目線を投げた。
「言うまでもないことだが、そいつを頼む。あんたも二度の仁王立ちは御免こうむりたいところだろう」
元より寡黙であるゆえ、この豪傑とは、会話らしい会話をしたことがなかった。今もってなお、皮肉に対する返しもなければ、離別の辞さえ伝え合わない。
「……承った」
それでも士魂で通じ合う。ゆえにそもそも、あえて多くを語らう必要もなかった。
弁慶の丸太のごとき腕に、半ば強引に牽引されて、源氏の御曹司は来た道を引き返していった。
残されたのは幕末の死にぞこないただ独り。腰より抜き放つは、譲渡したはずの和泉守兼定。
殺到するは騎兵。鎧武者。刀に槍に矢石。
――皮肉と言えばこの末期もまた皮肉であろう。
武士の矜持を貫くため、戦い抜くため、「これも時代だ」と切り捨ててきたものたちが今、洋装に転じた己を殺そうとしている。
「まぁこれはこれで、似合いの最期だろう」
敵とも味方とも知れぬ銃弾に射抜かれるより、余程。
こぼした土方歳三は、指揮官としては独特の目利きを持つ才児であったが、今剣客に、バラガキに戻った。
遊ぶがごとくに大上段に剣を振り抜き、飛び上がってその重量で騎馬武者の首を狩り落とす。剣も使い足を使い、何なら己が流す血さえも利用する。
作法に囚われないその剣技が、功名目当ての雑兵たちを屠っていく。一時は曹操方も辟易したかのように包囲が緩んだが、やはり衆寡敵せず。生命力の摩耗とともに太刀筋も鈍くなり、やがて囲まれて膾のごとくに切り刻まれた。
みずからの血潮に沈む土方を黒い軍服が、闇が、雑草が、棺のごとくに包み込む。
幕を下ろしつつある二度目の生涯。先頭に立靡いた一旗を見、ようやくにして最後の敵の正体に気づく。
(なるほどこいつは、相手が悪い)
ともすれば関羽より張飛より、あるいは諸葛亮よりも厄介な存在。
それが、この『終わらせる者』の正体であった。
ああ、それでもやはり。
仰ぎ見るのはやはり、北の空か。
童子のごとく、土方歳三は永の眠りに就いた。
その骸に爪先を向けて立つ、可憐な影あり。その背の軍旗には、まだ真新しさの残る墨色で、
『司馬』
の二字が染め抜かれていた。
【土方歳三/風雲幕末伝……戦死】