序章:天星の甍
夜天である。
都鄙の有様を見渡せる丘にて、その麓の草原を、遊山のごとく手燭も持たずに彼女は歩いている。
少女である。少なくとも、その姿かたちを取った者である。
そしてその孤影は、少し平坦になったあたりで足を止めて空を見上げた。
星が、ひときわ大きく輝きを放った。いや、夜の
「ひとつ」
流れていく。
「ふたつ、みっつ、よっつ」
数えていく。増えていく。綾を成すかのごとく、色とりどりの輝きが。
燃えるような紅蓮の星。はたまた青く清らかな星。
鋭き剣のごとき鉄色の閃き。鈍く黒く、夜闇よりも淀んだ昏きもの。
そのいずれかを、未だ伏する英雄たちも
ある者はそこに天意を見出すだろう。
ある者は、乱世の兆しと見て武心を猛らせるだろう。
ある者は未だ天命を知らぬままに仰天するだろう。
ある者は不吉と眉をひそめ、またある者はただ好奇の眼差しで仰ぐだろう。
やがてその勢いも量も目で追えなくなり、口頭で数えるのを女は止めた。
それでも夜空を昼のごとくに塗り替えていく星々を、見つめ続けていた。
「いやん、キレイ★ お願いごとしちゃおうかしらン?」
見上げる女の背に、異様な気配が突如浮いて出た。
褐色の肌を惜しみなく曝け出した、というかほぼ全裸。
たくましい声帯から発せられる、猫撫であやすがごとき音調。
当人の常識か、でなければ自分の認識能力か世界そのものを疑いたくなるような風体をしている。
突如とした驚きはしない。同類……という言葉は用いたくはないが、それでも同位の存在には違いない。
幾度となく分岐する並行世界。何百回と消滅しては繰り返される時間軸。それを見届け、交わり、楽しみ、慈しむ役割を与えられた存在。
道化とは嗤うまい。ただ、振り向いてその姿を直視することがためらわれるだけだ。
「いよいよ始まるのね、貴女の世界が」
「わたしのではない。皆の、世界」
顧みないままに女は言い、漢女はそれに寄り添うように並び立った。
「あぶれた可能性。世界から
少女のような者は、鳴禽のごとく小さく囀り、そしてようやく彼女(?)の方を見た。というよりも、去っていく気配を察知した。
「きっと、あの星の中に『彼』はいないのよね」
ほふぅ、といちいち大仰な吐息をついて背より問われる。
「『彼』の物語は革命世界において完結している。そもそも、アレは容れ物に過ぎない。正史世界の人々の願望や欲望の。あるいは嫉妬や憎悪と言ったものの」
「でもそういうドロッドロしたものもキラッキラしたのも、好きなのよ。だから、ここで私は降りるわ」
三国志を代表する女性の名を冠した『慈しむ者』は、それこそ原型となった『彼女』が呂布や王允を恋い慕うかのように呟いた。
「それじゃあ、頑張ってねン」
「私が頑張るのではない。観測する者。人を見る者。だからこそ私は『この役割』を与えられた」
機械的に自己判断を下した彼女に、漢女は分厚い唇に最後に穏やかな笑いを含めていった。
「それでも、貴女は最後まで見届けるのでしょう?
――伝承に曰く。
天下の政道に過ちが生じ世が乱れし時、数多の星が天を駆ける。
天外の世、外つ国より弾かれし異能の者たちを乗せて、地に堕ちる。
その先は口伝によって広められるうち、時代とともに解釈が分岐していった。
彼らは世を救うために現れたのだとも、あるいは王朝を正すために天帝より遣わされたのだと。
……あるいは、地上をさらに混沌へ陥れる、凶つ星であるとも。
しかしていずれにおいても彼らは、こう総称される。
――『天の御遣い』と。