恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉表(七):新編 夏口の戦い ー善悪の盾ー(★)

 孫静幼台は、言うまでもなく覇王孫堅の妹であるが、その在り方は姿形からしてまず大きく異なっている。

 歳を経てもなお女として迫力と魅力ををいや増すばかりの姉から生命力を吸い上げられたがごとく、骨ばった痩せ型で、そのせいで実年齢よりも老けてみえる。

 性格も正反対で、暴力的かつ豪放な炎蓮に対してこちらはきわめて消極的で常識的だ。

 よく言って奔放、悪く言えば身勝手な孫家軍閥においてこれは得難い気質ではあるのだが。

 同じ常識家であっても、むしろ炎蓮と距離が近しいのは、面と向かって小言諫言がぶつけられる雷火である。

 孫静はそのように正面切って姉の方針には逆らうことができず、いつも物陰でぶつぶつと恨み節を呟くばかりであった。

 

 そんな彼女だが、荊州の命運を分ける戦とあってはいつまでも遠く後方に補給に専念しているわけにはいかず、前線との兵站の確立のために、戦場に駆り出されていた。

 むろん、戦闘自体が姪たちに任せきりで、本艦に腰を据えたまま。そして近衛の兵で己を護り、かつしっかりと副官付きではあるが。

 

 姉よりあてがわれたその男というのが、またうさんくさい。

 南方の蛮族を思わせる粗末な衣の上下に、大亀の肉を削いで作り上げたがごとき大盾。

 たまさか見つけた天の御遣いということではあるが、槍というにはあまりに短い柄の得物を小脇に抱え、くつくつと、湯を煮るがごとき異音を喉から零す。

 

「そろそろ、首筋が寒くなってきたか。孫幼台」

「……黙れ」

「孫権に続き、孫策も上陸を果たした。いかに目付け役と言えど、このまま前線にも出ず傍観することが、姉上の目にはどう見えるか……よろしければ、敵将の首の一つや二つ代わりに獲ってきてやっても良いのだぞ、んん?」

「無用だ」

 絡むような言い草に、孫静はぴしゃりと跳ね除けるように返した。

 

「そもそも、盲人が戦場において物の役に立つものか」

 ……と、強めの正論を最後に言い添えて。

 

 そう、この男は先天的なものか後天的なものかは知れず、視力を失っているらしい。

 あるいは吹かしかもしれぬが、実際今現在においては布で双眸を塞いでいるのだから、視力があろうとなかろうとその視界は塞がれているはずだった。

 だがその指摘に対し、

 

「いやいや、いやいや……」

 と不気味な薄笑いとともに否定を入れた。

 

「よく視えておるとも。我が『心眼』をもってすれば、凡人の肉眼よりもずっとな」

 と男は細長の異相を孫静に寄せた。自らの目元の隠しをまくり上げると、孫静は悲鳴をあげそうになった。

 生々しい、斬傷の痕。その真一文字に刻まれたその古傷の深さから察するに、どう考えてもその時に受けた一太刀は眼球にまで達している。

 

「姉上や姪御に、お主は引け目を持っている。が、その横暴ぶりを苦々しく思っている。さりとて己にとって代わる器量などあるべくもなし、それがお主の苦しみに拍車をかける……生きれば生きるほどに袋小路に追い詰められていく、大した生き地獄もあったものよ」

「黙れ!」

 

 揶揄とも本物の同情ともつかぬその言葉を振り払うべく、孫静は袖で空を切った。

 だがその軌道上にすでにその盲人の姿はない。直後、彼女の眼下でしぶきがあがり、彼は浜に着地していたのが見えた。

 

「もっとも、許しなどなくとも行くがな……古今の強者の集う、本物の戦場だ。さすがの私も血の滾りを抑えられん」

 そして五感満足のものと変わらない、堂々とした足取りで、兵たちの喚声の中へと飛び込んでいった。

 

 孫静は憚ることなく舌打ちした。

 いんちきな占い師と同じだ。当たり障りのない、広く意味を持たせられる言葉を弄び、あたかもそれが心の内を読み、的中しているかのように振る舞う。

 その程度のことは彼女にも分かっている。

 ――だが。

 

(姉上は、何故あのような胡乱な者を私に……)

 

 その事実自体が、あの男に言われたかのような心境へと彼女を追い詰めていく。

 すなわち、自分は姉に粗略な者として扱われているのではないか、と。

 いや、己のことのみならばまだ良い。天の御遣いのみに限った話ではない。

 あの男や甘寧のごとき新参者を重用し、それで公績(こうせき)のごとき譜代の臣に見限られては元も子もないではないか。

 

「やけにうるさいが、何かあったのか?」

「……貴様の同郷が、私の護衛の任を放棄して前線に行ったのだがな、石田」

「時代も、そしておそらく場所も在り方も違う。あんな男と一緒にされては困る」

 そして近寄ってきた石田三成。つい先ごろ敵であった奴輩に内情を伝え管理させるなど、正気の沙汰ではない。唯一の自分の身の置き場さえ、姉は奪おうとしているのか。

 

 その理由について、炎蓮は言明しない。

 元より他人に理解を求めようとしないきらいはあったが、昨今は特に周囲に説明の手間を面倒がっている。孤高の覇者だ。人を統べる獅子の王だ。

 

 ――炎蓮にとって、家族とは、何だ?

 ――いや、諸人にとって孫家とは、何だ?

 

 ~~~

 

「分散するな! 一つ塊となって戦えっ!」

 シグルドは中央に在って、孫軍後続の流入を阻止し続けていた。

「はぁっ!」

 と自ら宝剣を振るえば、さしもの南方の強兵どもといって太刀打ちできる者はなく、その地点のみが、早急に敵の襲来に万全の体制で迎え撃つことができたし、かつ今もってなお、一切の綻びなく陣を堅持し続けていた。

 

 だが、兵を叱咤する声は枯れていた。枯れてしぼみ、いずれは己が存在もろともに消え入ってしまいそうなほどに、自身で感じられた。

 原因は分かっている。荊南で劉表らに見捨てられ、かつ己も焔耶や左近を見殺しにして生き延びてしまってよりずっと、内で渦巻き続ける疑問。

 

 ――いったいこれは、誰のための献身だ。

 ――いったい何のために、部下たちに死力を尽くせと命じているのか。

 

 その心の間隙に、逡巡の波間に、潮騒がごとく敵兵が寄せる。

「くっ!」

 やがてその剣筋も鈍くなりつつあり、ついには二頭目の馬よりも引きずり下ろされた。

 

「敵将だ!」

「組み打てっ」

「首を獲れ」

 

 落馬したシグルドを狙い、目を血走らせた雑兵たちが殺到する。馬乗りになったのは、彼よりも年若い少年兵である。恐怖に駆り立てられたためか。乱世に臨んでの功名心ゆえか。その双眸や押さえつけようとする必死そのものだ。

 殺すな、という声が何処ぞで聞こえた気がした。

 それは味方による助命か、天の御遣いの身命を惜しんだ敵将のものか、あるいは……最後の一線は越えてはならぬという己の内なる声だったのか。

 

 もう戦う意義など見失った。

 捕らえられるなり殺されるなりして、それでこの無意味な戦の終結が早まるのであればそれも良かろうと、ふと力を抜く。

 だが、シグルドに折り重なっていた敵兵らは、横合いから突如として加えられた重圧によって吹き飛ばされた。

 従者アーダンがまとめて彼らを突き飛ばしたのだ。

 

「どこぞのヒョロ男じゃあるまいし、悩まないで下さいよ。こんな戦場(ところ)で」

 などと諌めつつ、敵兵をまとめ抱いて主人から突き放す。

 

「でも、左近のやつと同じです、俺も。自分の主が危険になれば、体を張る。迷ってるなら命を張る。なんでディアドラ様やキュアン様たちじゃなくおれだったのか、今ならなんとなく分かります」

 

 言うが早いか、それをアーダンは実行に移した。

 数人がかりで押し返そうとする兵たちを逆にさらに押しやっていく。

 

「あぁ、そうだ。ちゃんとあの時、告げられなかったことを、言わせてください」

 そしてその強面に子供じみた、澄んだ笑みを称えた彼は、はにかみながら最後にシグルドに伝えた。

 

「シグルド様……あなたにお仕えできて、悔いのない一生でしたよ」

 

 主人の安全を確保すべく、さらに多くの兵を受け持ち、もつれ込みながら先へ、先へ。

「待て! 待ってくれっ、アーダン!」

 シグルドは声を限りなく大にして呼びかける。一度は萎えた脚に力を込めて立ち上がったが、すでに彼らの間を敵味方の乱戦が埋めていた。

 決してアーダンの足は速くはないが、それでも追いつくことができなかった。

 

 〜〜〜

 

「お、おぉぉォォッ!!」

 剛声をあげて、アーダンは敵の側面に回った歩兵隊を単騎で押しのけた。

 見知った顔もあるゆえ、彼らは孫家に鞍替えした荊州兵たちであっただろう。

 よって戦意は低く、猛牛にも似た勢いに気圧されて転がり逃げていく。

 

 だが、逃げるその背をアーダンから遮るようにして、怪人が現れた。

 亀の甲羅を負い、鉄球と短槍を両端に取り付けた武器を手にした兵士。異国の文字と思しき紋様の目隠しを巻き、胸元の開いたローブのようなものを纏った、痩せぎすの男。

 

「あのような雑魚どもを追い回しても楽しくもあるまい。次は私と遊んでもらおう」

「……誰だ、あんた」

魚沼(うおぬま)宇水(うすい)。人呼んで『盲剣』の宇水」

「そうかい、俺は」

「あぁ、聞くまでもなく分かる」

 

 名乗りに応じて自身も名と所属を伝えようとするアーダンを制し、

 

不二(ふじ)ほどに規格外ではないが、安慈(あんじ)程度には肉体が出来上がっておる。夷腕坊(いわんぼう)は……まぁ例外として。そしてその体躯に自信を持っておると」

 アーダンには知り得ぬ者らの名を出し、腰を曲げて彼の相貌を占うがごとくに覗き込む。

 そして見えぬはずのアーダンの肉体と、その精神的指向性を言い当てて、少なからぬ動揺を与えた。

 だがそれを気取られてはならぬ。ゆえに強気に押し出し、無理やりにでも笑ってみせる。

 

「おれも、お前みたいなのを良く知ってるぜ」

 

 当然、アーダンには男の素性に見当もつかないが、それでもこの男がどう生きてきたか、どんな人間なのかは一目して判別がつく。

 戦場でいくらでも見てきた。

 この江夏の地に足を踏み入れることも、敵方ながらも闊達な孫家にもそぐわぬ凶漢。

 

「臭いで判るんだよ……お前は、血に酔ったクソ野郎だ」

「ふん、世迷言を。一たび剣を取ればいずれも行き着くは修羅道よ。善悪の区別などあるものか」

 

 互いが相容れぬ生き物だと知れた以上、会話らしい会話はそれで打ち切りとなった。

 重装と軽装。だが盾と盾。

 それぞれ得物を構えて対峙する。

 

「ぬあっ」

 先手を打って仕掛けたのはアーダンであった。

 厚い刃肉の一端でも当たれば、薄い衣と肌と骨を断ち切ったであろう。

 だが、その間を阻んだのは、亀甲の盾である。

 ――いや、それさえもアーダンの剛力剛剣をもってすれば、破壊できるはずだった。

 

 にも関わらず、その盾を破ることは能わなかった。

 

 くり出す必殺剣は表層の曲面を上滑りし、いなされていく。

 それによって生じた隙に打ち込む余裕はあったはずだが、宇水はあえてそれをせず、代わり、

「ほれほれどうした。盲人相手に加減でもしてくれているのかな」

 だの、

「私とは頭ひとつほども違うその身体は、無駄に肥え太らせただけのものか?」

 などと口撃を飛ばしてくる。

 

「野郎ッ」

 騎士の立ち合いとも刺客とのやり取りとも、あまりに違うその技術に翻弄されるアーダンは、乾坤一擲の刺突を繰り出した。

 肥満と揶揄されたその体重を載せた一撃である。干した亀の甲羅程度、容易に貫けようというものだ。

 

 だが、渾身の突きもむなしく、亀甲をわずかに削るのみ。

 それどころか跳ね上げられたその盾によって、あらぬ方向に剣先は飛び、それに引きずられる形で、アーダンの体形は伸びきった。

 

「いらっしゃーい」

 

 そして胴の下に潜りまれた……否、誘い込まれた。凶漢の唇が、ニィ、と吊り上がる。

 

 ――宝剣宝玉百花繚乱

 

 その技の名を、アーダンは確かにそう耳にした。

 おぼろげなのは、次の刹那には彼の五体のあまねくを激痛が襲ったからだ。

 鉄球が(メイル)が歪むほどにアーダンを叩き据え、またその間隙には槍穂がねじ込まれる。

 

 砦を、村々を、城を耐えず我が身を盾に護り抜いてきてなお、一度もあげなかった苦悶の声を、たまりかねてアーダンはあげた。

 無数の暴力の洗礼を浴びるアーダンの身体、その腹に、トドメの刺突がねじ込まれ、腸にまで達した。

 

「介者剣法、なる術理を知っているかね?」

 本人の意志とは関係なく倒れ伏すアーダンの頭上から、哂いを含んだ声が落ちてくる。

「西洋にはない理論かもしれんが、刃は甲冑の筋目に通すもの。そして鎧そのものには斬撃よりも金砕棒などによる打撃こそが有効」

 すなわち、と言い添えて、宇水は続けた。

「どのような世界に生きていたかは知らんが、そのことを弁えず力押ししか知らぬようなお主が、私に勝てる道理などないのだよ……木偶殿」

 その悪態にはもはや答える言葉もなく、地響きの轟音とともに完全に倒れ伏した。

 その掌の裏より、指輪がこぼれ落ちて、剣盾とともに泥に浸かった。

 

 ~~~

 

「ふん、他愛もない」

 抗するすべなく横臥した巨漢を『見下ろし』、宇水は低く嘲りを落とした。

 ()()もあることゆえ、一挙に勝負を決めるべくつい本気でやってしまったが、これならばもう少し玩弄することもできたものを。

 

 ――心眼。

 それこそが光に代わりて彼が得た超知覚。

 実際は異様に発達した聴覚で、筋肉の収縮や鼓動の変化によって相手の心理、肉体的状況を正確に把握するといった代物なのだが、その特異能力を持つ己が、ただ自身の頑強さのみ押し出してくる相手に敗けるべくもなかったのだ、と彼は結論付けた。

 

 手槍(ローチン)甲羅(ティンベー)を納めた彼は、久方ぶりの勝利の味に酔いながら、その場を立ち去り、新たな標的を物色し始めた。

 

 その、矢先である。

 彼の耳が、かすかな水音を捉えた。

 そして直後の瞬間、

「ガァッ!!」

 という咆哮とともに、倒したはずのその木偶が起き上がった。

 

「なっ……!?」

 宇水が愕然としたのは無理らしからぬことだった。

 心臓音は確かに止まったはずだ。呼吸も倒れてからずっと、してはいなかったはずだ。

 

 再び剣を突き出した男は、勢いを殺さず宇水を掴みかかる。

 慌てて構え直した宇水ではあったが、一足出遅れた。

 

 

 最初から、勝り続ける必要などなかった。あえて競り合う必要もなく、勝利は得られたはずだった。

 ――そう、死したはずの男の背に飛び降りてきた、華奢な者がそうしたように。

 

 足の軽やかさからして、女。それも、相当に身軽、いや軽すぎる。つい先ごろまで病んでいた者の体重であった。

 おそらくは孫家と同じく寄宿する剣士。アレクサンドラ=アルシャーヴィンなどという、舌を噛みそうな名の異人の小娘。

 

 彼女のくり出す二筋の剣風は、挟み込むようにして大男のうなじより首を刈り取った。

 頭部を切り離されて均衡を喪った彼の肉体は、宇水の横をすり抜けてふたたび地へと沈んだ。

 

「大丈夫かい?」

 腰の引けた恰好となった宇水に、少女が手を差しだしたようだった。

「……要らん、余計な世話だ」

 示しがつかずに、宇水は憮然と声を放って突き放した。

「そうか、それは申し訳ないことをした」

 額面通りに受け取ったか、あるいは皮肉のつもりか。

 平常そのものの心音を立てる娘は、肩をすくめてみせたようだった。

 

 そう、余計な世話だ。

 この男は己の秘技『宝剣宝玉百花繚乱』を受けた時点で、やはりとうに死んでいた。

 死したはずの肉体が動いたのは、人間として事切れる間際に脳が送った遺命を、果て往く肉体が実行に移しただけに過ぎぬ。

 だから、たとえ一瞬時遅れを取ろうとも、自分が不意を打たれて殺されることなど、あろうはずもないのだ。

 そして少女の一閃は、せめてもの苦痛を取り除かんとする、いわば慈悲であったのだろう。

 

 その甘さに、忌々しげに宇水は舌打ちした。

 

 

 

【アーダン/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜……戦死】

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