恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉表(七):新編 夏口の戦い ー公子の慟哭―

 今までそれなりに抵抗をしていた劉表軍が、にわかに後方から崩れ立った。

 最初は罠を警戒していた孫軍ではあったが、その理由が判明するのにさほど時を要さなかった。

 いつの間にか手勢を率いて後方に回り込んでいた潘璋が、蔡瑁を討ち取ったという。

「そう」

 届けられたその無残な亡骸とともに報を受け取った孫策雪蓮は、複雑な苦笑を浮かべた。

 

 夏口港を完全に占拠して軍勢を落ち着かせた後、亡骸を手ずから曳いてきた潘璋に上官たる蓮華が問うて曰く、

「本陣深くに籠っていた蔡瑁を、如何にして討ったのか」

「元は劉表方ゆえ、顔見知りに手引きしてもらったんです」

「蔡瑁は討てたのにも関わらず、至近にいたであろう劉表を捕殺できなかったというのは理解し難い」

「いやぁ、これでも旧主殺しは気が進まず。それにこの蔡瑁とて中々の男。決死の抵抗激しく、ついつい脱出を許しちまいまして」

「……その手引きした者に然るべき褒美を与えなくてはならない。その者は何処へ?」

「それが自分の行いを恥じて顔見せすることが出来ないと申しまして。こちらから手間賃を与えて郷里に帰しましたとも。えーと確か荊州の……いや、并州つってたかな?」

「ふざけるな!」

 

 のらくらと遁辞をかます潘璋に、蓮華の堪忍袋の緒が切れた。

 

「真実有益な協力者が居たとしても、その存在を秘匿して持ち場を離れ、己のみ功を貪る! これは蔡瑁の首程度では補えぬ軍律違反だ! そもそも貴様の行動の全てが疑わしい! 貴様のような野党崩れ、もはや孫家には不要!」

「やめなさい、蓮華」

「しかし……っ!」

「面白い娘じゃない」

 

 雪蓮ごのみの、肝の図太い小娘だった。蓮華の剣先が睫毛を掠めても、身じろぎ一つしない。

 いかに傲岸な態度、不透明な言動であったとしても話には一応の筋が通っているし、確たる不正の証はない。こうして成果を挙げて戦局を一気にこちら側に傾かせる機を作ったのも確かだ。それを敢えて斬れば家名を貶めるだけのこと。

 

 それでも蓮華が自身の正義と綱紀に従って彼女を処断しようとするのであれば、止めはしなかった。

 だがおそらくは、妹を今駆り立てるものは、私憤。それも潘璋に対してではなく、薄荷を逃してしまった己自身へ向けられたもの。

 

「……ま、たしかに貴女が仲謀のそば近くにいれば、その縄術で公績のやつをふん縛れたかもね」

 と両者に迂遠な釘を刺すと、やや苦み走った様子で少女たちは緩やかに、互いに距離を取った。

 

 そして青髪の貴公子が本陣に連れてこられたのは、事後処理の半ばのことであった。

 最初に整然とした動きを取り戻し、かつ軍の中核たる周瑜と孫静軍の攻勢にも最後まで耐えていたのは、この天の御遣いの部隊であった。

 

 進退きわまって、劉表も行方をくらました末の、自ら進んでの投降であった。

 ゆえに、その身が縄目の恥を受けることはなかったが、身元を割り出すために晒された首級を見た、彼の顔色が変じた。

 さながら店先に並ぶ青果のごとく、一際太く雄々しい首は鎮座していた。

 孫静配下、魚沼宇水なる士が討ったというその男の首を見た時、青年のうなじから上から血の気が抜けた。

 唇と睫毛をわななかせ、周囲の人間を力なく押しのけながらその頭部の前に転がり出る。

 

「ああ……あぁぁあああ……」

 

 震える喉から発せられるのは呻き声ばかりで言葉らしい言葉は出ない。

 だが臓腑から絞り出したがごときその慟哭は、彼らの間柄がたまさかくくりつけられた紐のようなものではないことは、明らかだった。

 

「……どういう関係?」

「アーダン。(シグルド)の旗本だ。そしてこの世界で唯一の、同郷の士でもある」

「そう」

 

 雪蓮は、つとめて平静を振る舞って答えた三成からそれとなく視線を外した。

 彼とて境遇は同じだ。左近という右腕を喪っている。

 

「ふん、なんという醜態だ。たかだか家臣ひとり死なせた程度でメソメソと」

 などと、遠巻きにその悲痛な有様を眺めつつぼやいたのは、叔母であった。

「伯符殿よ、あんな者が役に立つものか。早々に従卒めの後を追わせるがよろしかろう」

「ごめん、叔母さま……少し黙っててくれる?」

「なっ……!? おいっ、仮にも私は貴様の!」

 

 それ以上の雑言を、孫静は吐けなかった。

 覇王を継ぐ武気と眼力。若き雌虎のそれらが、敵将と言え相手を貶めることを良しとしなかった。

 そして、それは雪蓮のみではない。蓮華も、側近くの思春も祭も、彼女の痩躯を冷視していた。

 完全に孤立無援となった孫静は姉の影をちらつかせて虚勢を張ることもできずに、すごすごとさらに後方へと引き下がった。

 その後ろ姿に、雪蓮は息を吐きかけた。

 

 孫家の慎重派として、叔母が家中で窮屈な思いをしていることは十分に承知している。

 だがどうにもその屈折した思いを、今の如く反論のできないような相手に必要以上にぶつける傾向があった。それが、どうにも気に入らない。

 

「……しかし、あの男も捕縛できなかったのか」

「無理だったよ。僕が来た時には、すでに彼は死んでいた。暴れ狂うその骸を、せめて安らかにするのが精いっぱいだった」

 ぼやく蓮華に答えるサーシャ。その眼前でシグルドなる異国の勇者は、硬直した腕をアーダンの首へと懸命に伸ばして膝の上へと取り落とし、自身の青髪を千切れんばかりに引っ掴んで吼えるがごとくに嘆き続けている。

 

「あああぁぁぁ……ああぁぁぁああ!」

 聞くに堪えぬ。だがそれでも、最後までその悲嘆の響きを聞き届けねばならぬ。

 孫家がこの動乱の時代を泳ぎ切るには、きっとその数万倍の怨嗟を背負うことになるのだから。

 

 少々味の悪い幕引きとなったが、それでも残すは江夏、黄祖の手勢のみ。

 薄荷もきっとそこに居る。両名共に、逃がしはしない。

(まぁ奇妙な言い回しだけど、『母の仇だったかもしれない奴』だしね)

 そういう思いも新たに、進発を命じようとしたその矢先、斥候に差し向けていた朱羅が還ってきた。

 だがその慌てようは、常に消沈しているがごとき彼女らしからぬ。

 その小柄な体躯を鞠のように転がしつつ、息せき切って馳せ参じた。

 

 ぜえぜえと過呼吸になりかけている少女の、へろへろと伸ばされた腕より差し出された書簡をもぎ取り、その字面に目を通す。

「――なんですって……?」

 そして雪蓮もまた、その狼狽の理由を知るとともに、顔色を変えた。

 

 ~~~

 

「どういうこと?」

 江夏へ進む足を速めながら、道すがらに雪蓮は冥琳に問うた。

「恐らく、どこぞの愚か者が手引きしたのだろうな、()()を」

「黄祖」

 『どこぞの愚か者』の最有力候補者を名で呼ぶと、義妹は重々しく首を引いた。

 

「やってくれたわね、あの女。最初から勝負なんてする気なかったってわけ」

「しかも、選んだ相手も最高に性質(タチ)が悪い」

 まさしく劉表以上に、孫家に仇なすために存在しているかのような水将であった。

 

 伴う兵はそれほど多くはない。

 それもそのはず。江夏に赴く目的は攻落ではなくなった。その地の支配者が劉表からすげ替わっている。その連中に、雪蓮らは代表者として呼びつけられた。

 

「停戦交渉」

 の孫家側の代表として。

 

 江夏城と、その手前の河岸に佇む女を見た時、拳の振り下ろし場所を取り上げられて不機嫌な雪蓮の眉間の陰がますます濃いものとなった。

 それを知ってか知らずか、金髪の貴公子と長身の女軍師を連れて、その女はゆったりと余裕をかまして近づいてきた。

 

「いやぁー、荊州は文化の地って聞きましたけど、やっぱり荒れてるんですねぇ。お嬢様をお連れしなくて正解でした」

 

 雪蓮たちとは対照的に、にこやかでありながら彼女はどこか上滑りするような調子の声であいさつ代わりに言った。

 

「蛙たちが、鳴いたり跳ねたりわずらわしいこと」

 

 その女……張勲の背後の江夏城。

 その城壁には劉旗が取り外され、『黄』『袁』の二旗が並列して靡いていた。

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