恋姫星霜譚   作:大島海峡

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袁紹(六・終):笑いの殿堂(後)

 袁本初の葬儀は盛大に行われた。

 こんな荒地ではその規模に限りはあるが、それでも曹孟徳が幼馴染として旧敵としてできる弔いは、せめて故人の自尊心を満たす程度には仕遂げたという自負はある。

 

「まさか、柳琳の葬儀より袁紹の方を先にすることになるとは思いませんでしたな」

 と、介添えの秋蘭が言ったが、これは彼女なりの精一杯の苦言であるような気がした。

 だが、順序を間違っているとは思わない。

 戦略的には己こそが麗羽の遺領の後継者であると公に喧伝するために必要な行いであり、心情的には、

 

「柳琳の弔いは、こんな場と時では行って良いものではないわ」

 というものだった。

 それは、自らの苦い過ちとして深く噛みしめながら執り行うべきだと思っている。

 

 秋蘭のほかにも、この間に冀州で得た新参の将を華琳は呼び寄せていた。

 言わずもがな、青州の鎮定のための人選である。

 

 一人は于禁文則(ぶんそく)。これは黄巾に心成らずも組み込まれていたところをその瓦解に従い公孫賛に降ったが、今また曹操に天下人の機運満ちるを悟り、敗走中の公孫賛軍より脱した。そして以前李乾(りけん)なる侠徒に身を寄せていたことを縁として、その姪の李典を通じて帰順してきた。

 

 そしてもう一人。河北に伏して悠々自適にここまで情勢を静観し続けていた男。

 それがにわかに、かつ太々しく、曹軍に合流した。そしてやや持て余していたところに、今回の袁紹軍吸収の事業に名乗り出て来た。

 

 冀州の留守居は、曹仁である。

 将としての質には今なお不安が残つ。義経なる機動の将に翻弄され、後手にさらされ鄴城を失陥しかけることしばしばだと言う。そのたびに、司馬懿に貸与した一軍が巧みに補助してくれて事なきを得ている。

 

 が、どうにもあの従妹、格上相手に苦境を立ち回っていた方が成長する向きがあると知った。

 実際、趙雲を相手取っていた頃よりも、少し腰を据えた武を覚えつつある。

 

 ……そして、多忙を極めていた方が、彼女としても愛妹の傷心を少しは和らがせることもできるだろう。

 

「それで」

 頭の中で手早く整理を終えた華琳は、喪服の袁紹の旧臣たちを顧みた。

 

「結局、どうするの? 袁術に与することが出来ずとも、公孫賛になら」

「それこそ、まさかだろ」

 

 少なからず目を赤く腫らした文醜が言った。

 

「あいつらは、麗羽様の仇だ……と言いたいんだけど、撃った土方ってヤツとその部隊は、とうに全滅しちまったんだろう?」

「だったら、仇を報じてくれた曹操さんに……いえ、曹操様にお仕えするのが道理です」

「別に麗羽のためじゃない」

「それでも、恩には報います」

 唱和のごとく言い添えた顔良。常の頑強な鎧の内に秘められていた、女性らしい肩に腕を置いた文醜は「そーそー」と相槌を打った。

 

「つまりは、麗羽の遺言でもあるけど、自分たちの意志で、この曹孟徳に従うと」

「アンタが何すんのかはしんないけど、そのうちとんでもないコトしよーってのはまぁ分かる。賭けはでっかく賭けて、ドハデに負けるのが良い! それに一枚噛ませてくれってことさ」

「いや、負けたらだめだから……」

 

 やや喜劇じみた軽い応酬は、なるほど確かに麗羽の言う通り微笑を誘う。

 

「その言や良し。以後は、我が大博打に力を貸しなさい……斗詩、猪々子。と言っても、しばらくは于禁(沙和)らとともに青州の抑えに当たってもらう」

「はい」

「応さ!」

 

 二枚看板の拱手の誓いを受けた華琳は、寡黙を貫いている沮授へと視線を傾けた。

「さて、貴女には特別訊きたいことがあるのだけれども……その愁眉、何のことかは察しがついているようね」

「さて、二度も我が不手際と怠慢により主人を喪った愚物にして、何のことやら」

 

 こちらはやや険のある、というよりは卑屈気味な言い回しである。

 

「では問いましょうか……先の袁術軍との戦い、後半から際立った回天を見せた。如何なる者の仕業によるものか」

 

 実際に干戈を交えた秋蘭を一度顧みてから、言葉で追い詰めていく。

 

「貴女や田豊には、戦略眼はあっても応変の軍才と戦術には乏しい。それが急に方針を丸替えに出来るとは思い難い」

「はっきり言いますね……自覚はしていますが」

 

 偉才、唯才。

 それらを求める貪欲さからの、断定じみた物言いに根負けしたのか。

 息を一つ吐いて、

 

「ですが、ものぐさな御仁ですから、素直に貴公に従いますかどうか」

「あぁ、それについては」

 と、華琳は背後から歩み寄ってきた、自分より二回り近く大柄な中年男を顧みた。

「何かしら、手立てがあるそうよ」

 

 ~~~

 

(どちらが上等なのだろうか)

 権力者の走狗となって民衆や部下を苦役に従事させることと、個人的な倫理観のために責任を放棄して知己の横死を坐視することと。

 

 それは、ヤンが軍人として身を置く以上、常について回っていた命題であった。

 そして、真直と麗羽の死に際して、また強烈に蘇ってきた感傷でもある。

 

 そこに、円がやって来た。

 総大将が倒れてのちの守城から葬儀の手伝い、曹操への指揮権の返上まで、文武何れにおいても八面六臂の活躍の末にようやく肩の荷を下ろした少女は、憔悴し切った様子で自室の床に座り込んだヤンを黙して見下ろしていた。

 

「私を非難でもしに来たかい?」

「愚痴の一つでも言おうとは思ったんですけど、止めました。背を丸めてしょげ返っている三十そこそこの指揮官を罵倒する趣味はありません」

「好きでなったんじゃ無い」

 

 三十路にも、指揮官にも。

 だがそれを言っても詮のないことなので、むっつり黙ったままでいると、

 

「寧ろ、こちらが詫びたいですし、どっちかと言えば自分を責めてます」

 と円は自嘲した。

「きちんと袁紹様に打ち明けて、完全に貴方を参謀として信任してもらえれば、もっと効率よく防戦が出来たはず。そうなれば、麗羽さまも」

「にわかに宗旨替えできるような精神的軟性の持ち主なら、こんなことにはなっていないと思うけどね」

 皮肉とも慰めともとれる言いぐさを意図的にした。受け取り方は本人次第だ。

 

 その反応を伺う前に、もう一組の客が来た。

 出入り口の壁をノックする、その風習を持つ人たちはこの陣営においては一組の夫婦のみであった。

 

「やぁ、どうも」

 

 そのキュアンとエスリンを迎え入れたヤンではあったが、出立直前の旅装といういで立ちに、やや面食らってしまった。

 

「私たちはお暇させていただきます」

 切り出したのはエスリンである。

「それはまた……突然ですね」

 

 こういう時に即断で「お元気で」と手を差し出せる者は稀であるし、出来たとして著しく情緒面に問題を抱えた人間であるだろう。

 大概の場合は、本人がその仔細が語るのを待ち、ヤンもその凡例に倣って、キュアンの言葉を待った。

 

「袁紹公が亡くなられたし、義仲殿も嵐のように去っていった。曲がりなりにも戦は終わった。薄情なようだが、これ以上は泥沼に浸かるようなものだ。曹操殿のやり口にも賛同は出来ないしな」

「そうですね、それが良いかと思います」

 

 ヤンも正直にそれを認めた。叶うことならば、自分も帯同したいところだが、円の険しい眼差しがそれを妨げていた。

 

「沮授殿、後事をすべて貴女に押し付けてしまったばかりか、旅費まで工面してもらって」

「円で構いません……こちらこそ我らの私戦に巻き込んでしまい、すいませんでした。そのお金はせめてもの感謝の証です」

 

 差し出された手を、ややぎこちなく円は彼らを模倣するかたちで差し伸ばした。夫婦はその手を厚く掴み取った。

 

「……ご武運を、イェン」

 名状し難い諸々の感情をその一言に乗せて、キュアンたちは今度はヤンへと目を向けた。

 

「貴公とも、もっと色々語るべきことがあったろうに、なかなか機に恵まれなかったな……だが最後の戦、共に戦えて良かった」

 

 今まで見たことも向けられたこともないような、美しい微笑とともに差し伸べられた手を、ヤンもまた、やはりぎこちなく笑い、たどたどしく握り返してもう片方の手で頭を掻いた。

 

 むしろ距離を取っていたのは彼の方だった。

 住む世界も時代も違い過ぎたし、あまりに正道然とした彼らと自分の価値観は相容れないだろうと言う見立てから、一方的な苦手意識を持っていたのも確かだ。

 こうして握手している今も、良い歳をした大人がテーマパークかヒーローショーで着ぐるみ相手にしているような面映さがある。

 

(だが、悪い人じゃない。良くも悪くも純良な方たちなんだろうな)

 そう思うと、途端に名残惜しくもなるのが人情というものか。

 しかし無理にこの場に押し留める権利などあろうはずもないし、する気も起きない。夫婦旅行に第三者が同道する無粋さも、我が身をもってよく知っている。

 

「ええと、こういう場合に言って良いかは分かりませんが……願わくば、実りある第二の人生を。プリンスキュアン、プリンセスエスリン」

 

 というヤンの送別の辞は、戦乱の世には少し場違いで間の抜けた、とぼけた感じのものだった。

 やや目を丸くした二人だったが、やがて苦笑を見合わせてから、

「あなたも、ヤン」

 エスリンが返した。

「どうか、ご無事で……遠き空の友人よ」

 とこれはキュアンの別辞だったが、芝居がかった台詞回しに比して、その表情は歳相応に溌剌としたものだった。

 

(しかし『ご武運を』と『ご無事で』ね)

 どうやら自分の生命は、十以上も歳下の少女の方よりも危ぶまれるほどの線の細さらしかった。

 

 〜〜〜

 

 旅人たちが去っていくのを見届けてからも、少女軍師はなおヤンの部屋に留まり続けていた。その滞在の理由を、ヤンは自身の身の振り方と併せ考えた時、何とはなしに察していた。

 

「で、私はいつ解放してくれるのかな」

「おめでとうございます、新都督どの」

 

 一縷の望みを賭けた問いは、祝辞とともに打ち砕かれた。

 

「曹公直々のお声がかりです。『先に我が軍と袁術軍を退けた兵法家、その者に軍政に当たらしめよ』と」

「冗談じゃないっ」

 

 割り当てられたベッドの上に身を投げ出しながらヤンは憤った。

 

「何であの夫婦や旭将軍は許されて、私は牢番よろしく居座り続けなきゃいけない? もう給料分の役割は徐州で果たしただろうに」

「そりゃ、貴方が夏侯淵を出し抜いたから一際興味を持たれたんですよ。もちろん、あの方々も曹操殿に認知される寸手のところでした。自分は、曹操を好きにはなれない。麗羽さまをここまで追い込んだ一人がこれからご主人様? それこそ冗談じゃない。彼女に兵力や人材が集約されることは極力避けたいし、許されるなら背後から矢が飛んできても自分が出奔したいぐらいですよ」

 

 中性的、というよりかは男性的寄りの所作で腕を組み、壁にもたれかかりながら、

「……けど、誰かが責任を取らなければならない。後始末をしなければならないんだ」

 と、自身に言い聞かせるように呟いた。

 それなら君一人で取れ、と言えるだけの酷薄さを持っていれば、どれほど楽であったことか。

 

「そもそも、国境を越える意味も力もないでしょう。ヤン殿」

「失礼な」

 

 これでもサバイバル訓練ぐらいは士官学校時代にやったことがある、はずだ。自活する術ぐらいいくらでもある……そう言い返せたのならどれほど良かったか。食用植物の見分け方も夜戦料理の術も、もはや記憶に遠い。現役時代もきちんとやれていたかさえ怪しい。

 食い扶持を稼ぐにも、先立つものも得られる術もないときた。

 ここを出たところで野垂れ死か落武者狩りが関の山だ。そう円の目が言っているし、多分に自覚のあることだった。

 

「ただ、実は国元の弟に匿って貰おうとも思ったんですけど、その前に先手を打たれました」

「へぇ、そうなのかい」

 ヤンの眼差しは拗ねた子どものごとく、猜疑心に満ちていた。

「言い訳じゃなく本気でね。繰り返しますが先手を打たれました。『例の御仁は受容性の人で逆に主体性というものがない。故に先んじて役職に就かせて責任を負わせれば、それを無下に出来る人間ではない』と進言した者がいたみたいで」

「知った風なことを言う」

 ヤンは毒づいた。

「その男と于禁殿が、あちらからの出向兼目付役です。強いて辞退したいのなら、そっちに掛け合ってください」

 円はそう言ってから退出し、それとは入れ違いに件のヤンを陥れたという男が挨拶にやって来た。

 

「どうぞ、ただし『辞令書を受け取れ』という辞令書は来ていないから、読むかどうかは分からないがね」

 その男の太々しい顔つきを目にした瞬間だった。

 ヤンの脳から送られた信号は理性に咀嚼されることなく脊髄を直通し、さながら解剖された検体の四肢に電流が流し込まれるがごとく、意図せず彼を不貞寝から起こさせた。

 

曹操(こちら)側の人員のリストと、彼らのここまでの実績です。どうぞ、お納めください。()()

 簡易的な敬礼。挨拶や前置きを飛ばし、本題。

 有無を言わさない一連の流れに感情が追いつかず、事務的に承諾しつつ、きわめて理性的に手渡される書類群をベルトコンベヤーのように収めていく。

 

 驚き、困惑、呆れ、喜び、疑惑、怒り、悲しみ。

 それら複合的な情緒が追いついてくるのは、それらに九割がた目を通した頃合いで、しかも最初に言い放ったのは、

 

 

 

()()

 

 

 

 ――という、ごくごくシンプルかつフラットな確認だった。

 伊達男はニヤリと口端を吊り上げて、あらためて靴底を揃えて敬礼した。

 

 

【袁紹……滅亡】


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