新機動戦記ガンダムW~scarred Leo- 作:元ゴリラ
ネメア・ノーリは、個人で運送業を営んでいる。相棒のトレーラー「アイアス」で、広大な地球のあらゆる場所を移動して、依頼の荷物を運ぶ。それが彼女の仕事だ。今、ネメアがいるのはロンドン。AC195年に起きたOZ(オズ)のクーデター「オペレーション・デイブレイク」の最中にあってもここは大きな戦火を免れることに成功した数少ない街である。元々、イギリスはロームフェラ財団の影響が大きな土地であるというのもあったが、それ以上にロンドンは歴史と文化の街。伝統を重んじるロームフェラ財団は、そこを戦場にすることを嫌いロンドンの連合基地を無血降伏させることに成功したのも大きい。その裏には時のOZ総帥トレーズ・クリュリナーダの手引きによるところもあったと言われているが、ともかく……。
「…………遅いわね」
ネメアは、苛立ち混じりに煙草に火をつけた。既に依頼人の指定した場所、つまりはロンドンの郊外に到着してから1時間近くになろうとしていたことが原因である。
「ねえ、本当にここで合ってるの?」
ネメアは、助手席のシートに座る少女……つまりは今回の仕事における「荷物」に訊いた。
「…………………」
荷物……つまりネメアの隣に座る少女は、文庫本を手に持ったまま黙して語らない。
「……あーあ、どうしてこんな依頼受けちゃったんだか」
そう言って、ネメアは溜息の代わりに煙を吐く。愚痴を言ってもはじまらないのはわかっているが、こうも遅く何より依頼人との連絡手段もないというのであれば話が違う。
「…………ねえ、ネメア」
ずっと黙って本に目を落としていた少女は、文庫本のページを閉じると小さく呟いた。
「ほんとうのしあわせって、なんなのかしら」
そう言って、邪気のない瞳でネメアを見つめる少女。ネメアの青い双眸には、少女の黒い眼差しが映り込んでいた。それから数秒の後、ネメアは小さく口を開いた。
「……人間、それを探すために一生を費やしてるのかもね」
ツン、と煙草の匂いが鼻についた。ネメアはニコチンとタールの塊を灰皿に押し付けると、天を仰いだ。
…………
…………
…………
ネメアがその少女と出会ったのは、つい3日前のことだった。ネメアが根城にするヨーロッパの某所……。現在は没落したロームフェラ財団の領土内にある寂れたバーに、この少女は一人の男に連れられてやってきた。
「……一応、話を聞きましょうか」
少女を連れてきたのは、旧連合の士官服を着た軍人……いや、軍という組織が世界中で解体された今は元軍人だった。名前はフュンフ。比較的若い兵の多かったOZではなく、連合の士官服を着た推定40代の男。戦後は作業用モビルスーツでの工事現場監督をしているという。にしては、疑問の残る男だった。
まず、そんな男がなぜ自分に……つまりは地球圏統一国家の公認許可を得た運送業者ではなく、フリーの運び屋にものを依頼するのか。そしてもう1つが彼の連れてきた少女。最初は親子だと思ったが、すぐにその予想を撤回した。
なぜなら、フュンフは北欧系の顔立ちをしているが、その少女は日系の顔だったからだ。
可愛らしい女の子。というのが最初の印象だった。背丈は150あるかないか。特徴的な黒髪は艶やかで、まるで人形のように長い。瞳は赤みを帯びた黒色で、漆のよう。日本人形、というイメージを持ったが、涼しげなワンピースは少しだけその印象から人間味を持たせていた。
しかし、問題なのは彼女の外見ではなく。
「……この子をロンドンまで送ってほしい。ですって?」
その依頼にあると言っていい。
「……はい。この子は先の戦争で両親とはぐれてしまって、私が面倒を見ていたのですが、つい先日、両親が現在ロンドンにいることが発覚しまして」
女の子を一人、届ける。それはただの荷物ではなく意思があり、物を食べ、排泄し、睡眠する。つまりは命を持った存在であるというだけで面倒な仕事だった。
まだ、モビルスーツを数機運搬する方が手間がないとすら言える。本来ならば断るべき案件だが、それでも耳を傾けたのはこの少女に独特の魅力があったこと……つまりは好奇心と、報酬がそれこそ軍事用モビルスーツを運搬するのに匹敵するほどの額だったからだ。
「EVE WARS」の終戦から、軍事用の兵器製造は違法行為となっている。決して戦争で物事を解決しない。あの戦争で人々が戦いに疲弊し、世界中の厭戦ムードが強い時期ということもあり、それは多くの人々に支持された。一方で、この機に戦力を蓄えることでクーデターを起こそうとするものもいる。そういった人間に武器を運ぶことも、この仕事ではままあることだった。いや、地球圏統一国家の認可が降りた企業でない運び屋ともなれば、そういった違法・脱法行為への加担はしなければ生活が成り立たない。
そんな危険な仕事が、軍事用モビルスーツの運搬だ。関税や、警察にバレたら即アウト。当然、報酬は弾まなければ嘘だ。それと比べると、女の子を運ぶというのは面倒ではあるが、危険は少ない。
しかし、それが軍事用モビルスーツと同じだけの報酬が女の子の運搬にかかっているというのであれば、裏を勘ぐりたくなるものだ。「安全かつ金払いもいい」というのは理想だが、それを両手離しで喜べる人間は、運び屋には向いていない。
「それなら、あなたが行けばいいじゃない。私に頼む理由があるのかしら?」
ネメアは射抜くような目で、フュンフを見た。その瞳に気圧されることもなく、フュンフという男は話を続ける。
「…………私はこれから、コロニーに行かなければなりません。大きな事業がありまして」
「なら、なぜ私に頼んだのか。その答えを教えて頂戴」
「……彼女の、レイナのご両親からの依頼です。あなたに預け、ロンドンまで送ってほしいと」
一瞬、意味がわからなかった。その意味を理解して、今度は別の疑問が湧く。
「……この子の両親が、私に?」
知りもしない子の親など、知る由もない。ネメアがレイナと呼ばれた少女の方を見ると、レイナは、無感動な瞳をこちらに向けていた。
「……報酬として、金の他にあなたの過去に起きた事件。その犯人を教える。そう、言っていました」
依頼人……フュンフの言葉に、思わずネメアはソファから立ち上がった。
「…………どういうこと?」
過去。鮮血の色、火薬の匂い。耳に響く乾いた音。
「……これ以上は、知らされていません。しかし、あなたにはそれを知る義務がある。そう伝えてほしいと言われました」
「…………」
逡巡するネメア。フュンフはその様子を見て沈黙していた。そして、無感動な瞳で2人を見つめるレイナ。
「如何いたしますか、特尉」
「その呼び方はやめて」
ネメアは立ち上がり、フュンフの隣に座る少女……レイナのところまで行くと、視線を合わせるように屈む。
やはりその瞳は漆のように黒く、しかし、ネメアの青い瞳がしっかりと、映り込んでいた。
「…………あなたは、両親に会いたい?」
レイナはそれを聴くと、小さく口を開いた。
「わ、たしは……」
蚊の鳴くような声だった。しかし、それは鈴のように凛とした音だった。綺麗な声。それがネメアの、第一印象だった。
「わたしは、自分のことが知りたい……」
その言葉が何を意味しているのか、ネメアにはよくわからなかった。だけど、訊かなかった。 依頼人のプライベートを訊くなど、運び屋として失格だからだ。
「だから、お父さんとお母さんがいるなら、会いたいの……」
少なくとも、それは意志のある人間の声だった。日本人形などではない。たしかな人間の意志ある声。
レイナは、自分のことが知りたいと言った。
それは奇しくも、ネメアと同じ感情だった。
「……わかった。この依頼、ネメア・ノーリが引き受けるわ」
運命。という言葉をネメアは信じていない。しかし、この少女との出会いは偶然とは思えなかった。ならば、この先にネメアの求めている真実もあるのかもしれない。
らしくないことを考えている。そう思い、ネメアは苦笑した。
…………
…………
…………
AC 173年10月。ネメア・ノーリはロームフェラ財団に加盟するノーリ家の長女として生まれた。父はオルト・ノーリ。母はエキド・ノーリ。何不自由なく過ごす箱入り娘。それが、23歳のネメアが思う、当時のネメアの姿だった。
できることならば一生を箱入り娘として過ごしたかったとすら思う。しかし、現実はネメアが思うよりも遥かに残酷で、流転するものだった。
「パパ……パパ!?」
オルト・ノーリが銃弾に倒れたのは、ネメア10歳の誕生日だった。目の前で、倒れる父。赤黒い液体が流れ、冷たくなっていくのをネメアは見た。
「ね、ネメア…………」
父は何かを言おうとして、そしてそのまま息を引き取った。
あの時、父が何を言おうとしたのかは結局今もわかっていない。そして、父を殺した犯人も。ただ、父は地球とコロニーの融和政策に取り組む政治家で、ロームフェラ財団の主流派の間では疎まれていたと、聞いたことがある。
その活動を快く思わないものによる犯行だろう。そう結論づけられ、そしてしばらくして捜査は打ち切られた。どうして打ち切られたのか、最初はわからなかった。けれど、ロームフェラ財団を敵に回すのがどれだけ恐ろしい行為か、少しでも想像力のある人間ならすぐにわかった。
最初は、それが悔しかった。警察とか、司法とか、そういった本来人を守るためのものが、巨悪に負けたことが。父が目指していた平和が踏みにじられたことが。そして何より、ネメアの家族……ノーリ家もまた、そんなロームフェラ財団の一員であるということが。
ネメアは、箱入り娘であることをやめた。猛勉強を、鍛錬を自らに課した。それから数年後、ネメアは軍人となっていた。ロームフェラ財団の施設武装組織・OZ。表向き地球圏統一連合のスペシャル・モビルスーツ・チーム。通称「スペシャルズ」として連合軍の中に身を潜めつつ、旧態依然とした連合から政権の主流を虎視眈々と狙うロームフェラ財団の私兵へと成り下がった。全ては、父の仇について調べるため。財団の中枢へより近づくことで、復讐の機会を得ようとしてのことだった。
ロームフェラの代表デルマイユ・カタロニア。或いは後にOZの総帥となるトレーズ・クシュリナーダ。それとも違う誰かなのか。あの時のネメアにとってそれを掴み、復讐を果たすこと。それだけが全てだった。
ネメアは歳若く、男性社会の軍隊において女性とは異物であり、あえて言葉を選ばずに表現するならば、舐められることも少なくはなかった。特に旧態依然とした地球圏統一連合においてはその傾向は強かったと記憶している。しかし、トレーズ・クリュリナーダは年齢や性別に拘らず能力によって人材を評価し、またOZという組織の士官にはそんなトレーズの信奉者も多かったため……特にトレーズが重用した側近のレディ・アン特佐が女性だったこともあるだろう。OZという組織内部においてはネメアも、性別を理由に冷遇されることはなかった。
戦場で功績を上げ、ロームフェラやトレーズからの信頼を勝ち取る。そうすればいずれ、父の仇に近づける。ネメアはそう、考えていた。
その人生設計が崩れたのは、それからすぐのことだった。
連合内の軍縮、和平派を一層する「オペレーション・デイブレイク」を成功させ、地球圏統一連合から政治、軍事の主導権を奪ったOZは、反乱分子の鎮圧へと乗り出した。その時ネメアは、モビルスーツ小隊を率いて作戦に参加していた。シンガポール宇宙基地。OZ最新の宇宙ステーションのひとつ。ここに反乱分子が向かっているとの情報を受け、防衛任務に出撃したのだ。
鎮圧目標は、「オペレーション・デイブレイク」以前からOZの存在を嗅ぎつけテロ行為を繰り返してきたコロニーの特攻兵。コードネームをガンダム02、ガンダム04と言った。
情報によれば、単機でOZのモビルスーツ部隊を壊滅させる力を持つガンダム。彼らは、軍事力で統治されたスペースコロニー側の反乱の証であり、しかしコロニー側がOZを迎え入れたことにより、彼らは後ろ盾をなくした戦士となっていた。
それでも、戦いをやめなかったのは彼らが戦うことしか知らなかったからだろう。そう、今のネメアは思う。しかし、当時のネメアにはそんなことは関係なかった。
復讐の邪魔をするのならば、コロニーも、ガンダムも、和平も関係がなかったからだ。
「特尉、ガンダムです!」
部下の青年将校がそう言うのと同時、周囲では既に爆炎が巻き起こり戦闘が始まったことは誰もが理解していた。ガンダム02。高いステルス性と攻撃力の高いビーム鎌を持つ奇襲戦法を得意とする機体。データにはそう記されていた。
「ガンダムを相手に無傷で勝てると思うな。各員、突撃!」
ガンダムは、OZの主力モビルスーツ・リーオーをはるかに凌ぐ性能を有していた。それでも人型であり、中にパイロットが乗っているのならばやりようはある。思えば、それはネメアがガンダムという存在を、それに乗るパイロットを過小評価していた故の作戦ミスだったのかもしれない。たとえ犠牲を払おうと、ガンダムさえ倒せればそれでよい。そう考えていた。
そのためには、部下を鼓舞しなければならない。ネメアはそう考え、真っ先にガンダムの前に躍り出た。そして、次の瞬間、愛機リーオーは真っ二つになり、ネメアは命からがら爆発の中を脱出するので精一杯だった。
計器類の破片が、背中に突き刺さり、鮮血が飛び出した。痛いとか、熱いとかそういう感覚すら遠くなり、次第に寒くなっていく。友軍に助けられ、意識を取り戻した時にはもう、世界は再び流転していた。
戦争の主力は、無人兵器モビルドールへと姿を変えていた。モビルドールは、中にパイロットが乗ることなく、プログラムされたデータ通りに目標を破壊する兵器。それをロームフェラ財団は「人道的な兵器」と称し、OZの新たな主力として軍備を増強していった。
最初は、安心した。もうあんな怖い思いをしなくてもいいのか、と。それから段々と腹が立った。それは言ってしまえば、職を追われる苛立ちだ。
五体満足で戦線に復帰できた時、戦場の主役はモビルドールになっていた。その場所は、それまで自分たち兵士がいた場所だ。機械人形なんかに、奪われてしまったのか。そう、思った。
それからしばらくして、ロームフェラ財団はモビルドールに異を唱えたトレーズから権限を剥奪。そして、トレーズ派を名乗る兵士達とロームフェラ財団派での内紛に発展した。
ネメアは、OZを抜けた。激変する世界の中で、もう復讐も真実もどうでもよくなっていた。ただ、自由になりたいと思った。
それでも、世界中は戦場だった。トレーズ派とロームフェラの内紛は激しさを増し、完全平和主義を唱える国サンクキングダムは戦場と化し、そしてロームフェラ財団は没落し、世界国家連合の総統となったトレーズと、宇宙革命軍ホワイトファングの決戦……現在「EVE WARS」と呼ばれる最終戦争に突入した。
そんな激変し、戦いばかりが過激化する世界の中でネメアがはじめたのが、運び屋だ。武器や弾薬、兵隊の運搬をしたこともあれば、避難民を乗せたこともある。少なくとも、それで仕事がなくなるということは終戦から半年経った現在でもなかった。
元OZ所属モビルスーツ乗りという経歴も、それなりには役に立った。例えば現在、ネメアが愛用するトレーラー「アイアス」も、かつての仲間から頂いたものである。
それでも自由になれたと思ったことは一度としてない。ネメアは今も、あらゆるものに囚われている。ロームフェラ、OZ、戦場。それに、復讐と真実。それらは結局、この23年の歳月の中でネメアを作り上げたものであり、そこから完全に自由になることはできなかった。
…………
…………
…………
だから、ネメアはあの依頼を引き受けた。もし、依頼人が父の仇について知っているのならば、今度こそ自由になれるかもしれない。そんな気持ちがあった。しかし、指定された日付、場所、時間に待ち人は現れない。それが、ネメアを苛立たせた。
「…………そういえば、聞いてなかったわね。あんたのご両親ってどんな人なの?」
その苛立ちを紛らわせるようにネメアは、レイナに訊いてみた。依頼主の個人情報を聞くなんて本来やってはいけないことだけれど、それでも訊かずにはいられない。
なにせ、その依頼主……レイナの両親について、ネメアは何も知らないのだ。子供が話せる程度のことでいい。少しくらい聞いてもバチは当たらないだろう。どうせ、時間潰しの慰みなのだ。しかし、レイナは、困ったように口を閉ざしてしまう。
「……まったく、無口で無愛想。美人が台無しね」
レイナとともに過ごした数日間、ずっとレイナはこうだった。ずっと黙って本を読んでいるかと思えば、口を開くとたどたどしくて、言いたいことがはっきりしない。随分と甘やかされた子供なのだろうか、と思う。ともすれば、父を喪う前のネメアのように。
それが、ネメアを余計に苛立たせる。仕方なく2本目の煙草に手を出そうとしたその時、
「わからないの」
そう、小さな声が呟いた。
「……どういうこと?」
依頼を受けた時には気にしないことにした言葉を思い出す。「わたしは、自分のことが知りたい」とたしかにレイナは言っていた。それと関係があるのだろうか。
「…………わ、たし、気付いた時にはフュンフおじさんのところにいて。サンクキングダムで保護したって、おじさんは言ってた。けど、どうしてサンクキングダムにいたのかも、何もわからない、の」
それは、不安そうな声だった。
「……記憶喪失。そういうこと?」
コクリ、とレイナは首肯する。
「…………だから、ご両親のことも知らない。そうなのね」
コクリ、とレイナは首肯する。
「…………からかってるんじゃないでしょうね?」
ブンブン、とレイナは首を横に振った。
「…………そう」
ネメアは、それ以上は何も聞かないことにした。知りたい気持ちは山々だが、それを自分が聞くのは違う。レイナの人生にとって、自分は一時の止まり木でしかない。自分にとってもレイナも、この仕事の間だけの関係だ。
ならば、お互いに何も触れない方がいい。そう思ったからだ。これ以上触れるということは、互いの人生に影響を与え合ってしまうことになる。
…………これ以上、何かの影響で自分を縛り付けられるのは、ごめんだった。
…………
…………
…………
その時が来たのは、夕暮れを過ぎた頃だった。モーター音が「アイアス」に近づいているのを感じ、ネメアはサイドミラーを確認する。そこには旧連合軍が使用していたジープが一台、映し出されていた。
「…………あれが、あんたのご両親なのかしらね」
だとしたら、レイナは軍関係者の息女ということになるのかもしれない。そういうところまで、自分と似ている。しかし、どうも様子がおかしい。ジープはまるで、逃げるようにスピード上げている。止まる気配が見えない。それにネメアが気付いた時、「アイアス」のレーダーにありえないものが感知されているのをネメアは見た。
「熱源反応?……モビルスーツ!?」
サイドミラー越しではわかりづらい。咄嗟にネメアは窓を開き、後ろを確認する。黄昏に染まる空に、確かにそれはいた。
緑色の装甲を持つ、人型の巨兵。型式番号OZ–06MSリーオー。地球圏統一連合の、OZの主力として地球と宇宙を埋め尽くしたモビルスーツだ。それが、マシンガンを構えてジープを追っている。これは、ただ事ではない。窓を閉めてハンドルを握ると、トレーラーのエンジンをかける。
「ネメア……?」
「逃げるわよ……!?」
「アイアス」がその車輪を動かすと同時に、爆炎が背後で上がった。どうやら、ジープは断末魔を上げたらしい。
「クソッ……!?」
もう少しで、真実にたどり着けるかもしれなかったのに。ネメアは舌打ちする。何より、もしあのジープに乗っていたのが本当にレイナの親だというのなら……。
「レイナ、後ろを見ないで」
とにかく、この場を離れるしかない。アクセルを踏み、スピードを上げる。しかし、リーオーはこちらを確認すると、マシンガンの銃口を「アイアス」に合わせていた。
「!?」
どうやら、目的は不明だがあのリーオーは、自分たちも消そうとしている。それが最初からターゲットとして数に入れられていたのか、それとも「目撃者を消す」という理由なのかはわからないが、それだけは判断できた。
「どいつもこいつも……どうしてこうっ!」
とにかく、あのリーオーを撒かなければ。あるいは一瞬でも気を引くことができれば。そう考えてスピードを上げる。
「ネメア、ダメっ!」
突如、レイナが叫んだ。
「何が!?」
半ば怒鳴るように、ネメアも叫ぶ。
「そっちにも、いるっ!?」
レイナがそう叫んだ時、上空からトレーラーに衝撃が走る。と同時に新たな熱源反応。
「エアリーズ!?」
OZ–07MSAエアリーズ。陸戦型のリーオーでは不可能な空中遊撃戦を可能とする機体。その青い体躯が、夜空に舞っていた。エアリーズまで用意されていたということは間違いない。敵は最初から、自分たちまで含めて消そうとしていたということだろう。そうネメアは判断する。
少し走ればロンドンの市街地。もし逃げれば敵は市街地への攻撃を避けるだろうか。いや、そうしなかった場合、どんな被害が起きるかわからない。だから市街地は避けたい。しかし、そうなるとあとのルートはテムズ川へ飛び込むくらいしか残されていない。
リーオーもエアリーズも、ビームライフルやバズーカを携帯してはいないようだった。ならば、「アイアス」を落とすには多少時間がかかる。
ならば、やるしかない。ネメアは「アイアス」を自動操縦に切り替えるとシートベルトを解除する。
「あんたも来なさい」
「ネメア?」
きょとん、とするレイナの瞳を見据えながら、レイナは続ける。
「あんたも、ここで自分が何者かわからずに死ぬのは嫌でしょ。嫌じゃないなら……好きにしなさい」
一瞬の、間があった。そしてレイナは頷いて、ネメアの後に続く。そして、運転席から奥へ、積み荷へ向かい駆け出した。
…………
…………
…………
「妙だぞ」
リーオーに乗る男は、突然目標のトレーラーが緩慢な動作になったことに違和感を覚えた。先ほどまではなんとしても逃げようとする意思を感じた。しかし、今はそれがない。まるで、モビルドールのような動き……しかしモビルドールと違い相手を破壊する意思のない、つまりは脅威となり得ない動きに切り替えたトレーラーを追いながら、マシンガンを掃射する。マシンガンは、今まで苦労したのが嘘のようにタイヤに命中し、トレーラーはそのままバランス感覚を失い横転した。
「なんだったんだ。ともかく、目的のものを回収せねば」
彼はあくまで、与えられた任務に忠実に動いているだけだった。それが彼の所属する“組織”にとって重大な任務であると知らされていたからだ。ゆっくりと、トレーラーに近づくリーオー。そして、運転席をモニターで確認する。
「誰もいない……?」
それを認識した時、トレーラーの荷台が開かれた。
現れたのは、黒いモビルスーツだった。OZ–06MSリーオー。男の乗るのと同じモビルスーツ。
「な、なんだ……? リーオーだと」
男の乗るリーオーとの違いは、黒い外装と、その左肩に円形のラウンドシールドを装備していること。それと、足だった。
そのリーオーの足には、小さなローラーが仕込まれていた。それはOZ陸上部隊で流行った改造だった。基地や都市を制圧する任務において、二足歩行やキャタピラよりも小回りが効くという理由で採用されたローラーダッシュ。しかしそれは他のリーオーと足並みを揃えるのが難しく、二足歩行との使い分けが難しく、何よりもそういったパイロットの練度を要求する装備はモビルドールの登場と同時に緩やかに廃れていった。そんな装備だった。
「車リーオーだと……時代遅れの骨董品じゃないか」
車リーオー。そう、あだ名されていたカスタマイズ。ノーマルのリーオーよりも小回りが利き、速度も出る、しかしそれ故に足回りが脆い、時代遅れの機体。
それが、今目の前にいる。
「そんな骨董品で、何ができる!」
緑のリーオーは、そんな骨董品に向かってマシンガンを斉射した。
…………
…………
…………
黒いリーオーのコクピット。そのシートにネメアは座っていた。
「また、あんたに乗ることになるなんてね、スカード」
傷だらけの獅子座(スカード・リーオー)そう名付けられた黒い機体は、ネメアの愛機だった。OZに在籍していた当時の機体を、ジャンク品で復元したもの。
戦後、兵器の建造禁止の条約が締結されて以来、軍事用モビルスーツは高級品になった。しかしリーオーは、作業用モビルスーツとしても一定の需要を持っている。
武装さえ積まなければ、購入することができる。そしてラウンドシールドなどの武装は、闇市で用意した。
これはそんな、継ぎ接ぎで現役時代の機体を再現したもの。あの日、ガンダムによって失われた愛機への未練。故に“スカード”。
今でも、時々考える。もしあの時、ガンダムとの戦いの中で死ぬことができたなら。父の仇。復讐。真実。戦場にいる間はそんなことを忘れられた。ただ純粋に戦士として死ぬことができたのかもしれない、と。
だけど、それはできなかった。だから今、こうして生きている。そして、もう純粋な戦士としては生きられない。
「レイナ、シートベルトは?」
今ネメアの後ろには、過去を失った小さな少女がいる。それを守りながら戦う以上、戦士としての死に様に拘ることなどできはしない。
「…………うん」
レイナのか細い声を認めると、傷だらけの獅子座は、本来のリーオーには存在しないモーター音をかき鳴らし、動き出す。眼前にいる緑色のリーオーがマシンガンの照準を合わせた瞬間に動き出し、その弾丸を躱す。OZでパイロットをしていた頃の感覚が、戻ってくる。
スカードは左肩のシールドを前に出しながら、そのままリーオーの背後へと回り込む。そして、シールドに格納されたモビルスーツサイズの手斧……維持費のかかるビームサーベルのような高級品は、ネメアの収入では手が出なかった。を取り出し、緑の装甲と装甲の間を斬りつける。手斧の攻撃は、リーオーの肩を斬り落とすには至らなかった。しかし、大きく傷が付き、内部の精密機器が露出している。
「あとは、あそこを狙えば……」
チタニウム合金を両断するには作業用の手斧では手に余る。しかし、リーオーは装甲の強弱をあえて部分部分につけることで、装甲の厚い部分で敵の攻撃を受け耐えるというコンセプトで組まれた機体だ。故に、装甲の弱い部分を狙うことで、手斧でも十分なダメージを与えることができる。
肩関節にダメージを受けたリーオーはマシンガンで狙おうとするも、そのマシンガンを持つ肩が弱っているせいでうまく狙いをつけられないでいた。そのまま狙っても、体積の大きなシールドに阻まれる。
「ならば……!」
リーオーは、マシンガンを捨てるともう片方の腕に隠し持っていたビームサーベルを構え、スカードと対峙する。
「リーチはあっちが上、か」
ビームサーベルのスイッチをすぐには入れない分、相手も素人ではなさそうだとネメアは判断した。ビームサーベルの本来の用途とは、振り抜き様に展開することで一瞬の間に生える熱量の刃である。初撃を与えたのはスカードだが、まだ理はあちらにあると言っていい。何しろ、スカードにはビームサーベルなんて高価な武器はないのだから。
「それに……」
スカードの背後から、エアリーズがミサイルを放つ。リーオー以上に厄介なのがこのエアリーズだ。今、スカードが装備している武器はこの手斧のみ。空中飛行可能なエアリーズに対して有効打が何もない。
ミサイルをローラーダッシュで避けながら、ネメアはこの状況を打破する方法を考えていた。まず、リーオーを倒す。そして、どうにかしてエアリーズを撃破する。この順番でしか活はないだろう。しかし、どうやって?
「ネメア、避けて!」
レイナが、叫んだ。その瞬間にエアリーズは背後からマシンガンを掃射する。
「このっ!」
弾道軌道を読みながら回避すると、その先にはリーオー。ビームサーベルの光が、ネメアの眼前に飛び込んだ。
「南無三!?」
サーベルの刃を受けて、シールドが融ける。その瞬間をエアリーズは見逃さない。マシンガンの雨がスカードを襲う。その瞬間に後方へ離れたリーオー。しかし、避けようとすればまたビームサーベルが飛んでくるだろう。
詰みと言ってもよかった。それだけの劣勢。ネメア自身が多少腕に覚えがあったたとしても、相手は十分に装備したモビルスーツ二機。この不利は、覆らない。
「ネメア、リーオーに突っ込んで」
突然、レイナが声をあげた。
「何よ、急に」
「早くっ!」
有無を言わさなさい、強い声。今まで、蚊の鳴くような声で囁いていた女の子とは思えない声色。
「…………ええい、ままよっ!」
どの道、このまま何もしなければやられるのだから。最善手が思いつかないのだから。
ネメアは、その言葉に全ての命をベッドした。
突如ローラーを回し突っ込む黒いリーオー……スカード。それはまるで、ヤケになったかのような動きだった。緑のリーオーは、ビームサーベルのスイッチを入れて迎撃する。振り抜き、スカードの頭部めがけてそれを振り上げた瞬間だった。
「今っ!」
「…………こういう、ことね!?」
スカードの手に持つ手斧は、丁度リーオーの腕部。その関節部に届く距離にあった。一撃、斧で腕を切り潰したまま、ローラーのスピードのままにリーオーへと突撃する。チタニウムの装甲は、そう簡単には潰れない。しかし、猛スピードで地面に押し付けられれば中の人間は無事では済まない。死なないにしても、軽い脳震盪を起こすだろう。左手を捥がれ、右肩を傷めたリーオーは、もう足くらいしか武器はない。しかし、その脚部もスカードの突撃に巻き込まれてロクに使えない。
そのまま力任せに押し倒され、リーオーは沈黙した。
「残るは、上!」
スカードは、先程リーオーが捨てたマシンガンを拾うとそのままエアリーズを迎撃する。それをエアリーズは回避し、空中からのミサイル攻撃が再び、スカードを襲った。
「ネメア、左!」
レイナがそう叫ぶ。左へ避けると、右側から次々とミサイルの爆炎が巻き起こる。
「あんた、見えてるの?」
超人的なパイロットには、人間の反射神経を超えた速度で弾道計算や戦術予測を行うものもいたという。ガンダムのパイロットたちや、OZのゼクス・マーキス特佐らがそうだった。そう、風の噂で聞いたことがある。レイナはまるで彼らのように、この戦場を読み切っていた。
それは、レイナが彼らのように超人的な訓練が施されたパイロットということなのだろうか。そんなことをふと思うが、それ以上の推測を立てる暇もなくエアリーズは攻撃を続け、レイナはその動きを見切り、ネメアはレイナに言われるままに操縦する。
高機動を誇るエアリーズの攻撃を躱せているのはレイナの先読みと、スカードのローラーダッシュのおかげだった。
「ネメア、15秒後に全部の火力を集中させて」
「…………わかった!」
もう、ネメアもレイナの言葉を疑うことすらしなかった。そしてきっかり15秒後、それは起きた。
エアリーズは、マシンガンの弾丸を再装填する。長期戦の中で起きた弾切れ。それが、唯一の勝機。
「そこだ……っ!」
モビルスーツの携帯武器は、激戦区での使用が想定される以上速やかな弾丸装填が求められる。マシンガンは火力こそビームライフルやバズーカに劣るが、それが可能な武器だった。故に、その一瞬にネメアが照準を定めることができたのは。
レイナの、予言のおかげだった。
スカードがリーオーから奪ったマシンガンが火を吹き、エアリーズのエンジン部に命中する。バランス感覚を失ったエアリーズは、墜落するように高度を下げていく。
傷だらけの獅子座はエアリーズへと接近し、そして手斧を投擲。爆煙を上げて墜落するエアリーズを見送った。
…………
…………
…………
そして、残ったのは横転した「アイアス」と沈黙したリーオー。そしてスカード。
「終わった……の?」
コクピットで汗を拭いながら、ネメアが呟く。
「レイナ、あんたのおかげで……」
生き延びることができた。そう、お礼を言おうとして、振り向いた。しかし、レイナは虚ろな瞳のまま、譫言のように何かを呟き続けていた。
レイナの意識に、語りかけるものがあった。
——宇宙は、静寂に満ちている。
それは、レイナの知らない声だった。
いや、知っている声かもしれない。
——戦う意志を持つ者が、静寂を乱す。
それは、懐かしい声だった。
記憶のないレイナが懐かしいと感じる、女性のような声。
まるで、青く澄み渡る、深い海のように慈悲深い声が言うのだ。
——宇宙の静寂を乱す、全てのものを殺せ。
——あなたの命を奪う可能性がある、全てのものを殺せ。
——生きとし生ける、全てのものを殺せ。
それは、甘い囁きだった。
委ねれば、きっと気持ちのいい囁きだ。
自分の意思を捨て去り、声の言う通りに動く人形になれるのなら、どれだけ楽だろう。と、そんな誘惑がレイナを魅了していく。
しかし、現実のレイナはまるで壊れたブリキのように、意味のわからない言葉を吐き続けて呻いていた。
「私たちが生き延びる可能性は限りなく低い。その為の最善策は戦う意志を持つ全ての人間の排除排斥鎮圧粛清。そのためには戦って戦って戦って屍を積み上げてそしてそのためには違う戦いは終わった違う戦いは続いているだからだけどそのためにモビルスーツはあって私は私で私が私のそして…………」
呟きつづけて、突然レイナは沈黙する。
それは、抵抗だったのかもしれない。
深い海と一つになることへの。
青色に溶けていくことへの。
「…………レイナ?」
恐る恐る、声をかけるネメア。
「私、は……」
蚊の鳴くような、小さな声が返ってきた。それから、数秒の後。
「私は一体、何なの!?」
それは、慟哭だった。
「どうして、どうして私の中から声が聞こえるの、私に何を見せてるの、教えて。誰か教えてよぉっ!?」
雨が、降り出していた。静かな雨音が機体越しに響く中で、少女の嗚咽だけが、木霊していた。
TIPS
ネメア・ノーリ
23歳。女性。北欧系。ロームフェラ財団に名を連ねる貴族の生まれだったが、父オルト・ノーリが目の前で暗殺されたことを機に、戦いの道へ。秘密結社OZへ入隊し、騎士称号である特尉を授かる。ロームフェラの手駒でもあるOZで父を暗殺した黒幕について探っていたが、事実を知っているであろう人物の多くは先の戦争で死に、自らも疲れてしまっていた。軍を離脱した後は運び屋をはじめて、ドロップアウト生活をしていたところに、諦めていた過去の真実に繋がる出会いをする。
気に入らないことがあると煙草に手を出す癖があるヘビースモーカー。古い映画を観るのが好き。
スカード・リーオー
ネメアの愛機とする黒いリーオー。一時期OZの陸戦部隊で流行した、脚部にローラーを装備することで都市部や基地での小回りと、初速の加速を重視する改造が施された「車リーオー」
作業用MSとして民間に売り払われたリーオーをネメアが購入し、OZ所属時代のそれと同じように改造を施しているが、武装はラウンドシールドとMS用の手斧のみという貧弱な機体。