新機動戦記ガンダムW~scarred Leo-   作:元ゴリラ

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ボーナストラックPart1『彼女達のバレンタイン』

 冬の寒さはピークを超え、温かい春の訪れを予感させる白いアザレアが花壇には可愛らしく咲いていた。花壇の手入れをしているのは、エプロンドレスを着た女性。小柄で、朗らかな笑みを絶やさないこの花壇の主人。エリザの朝は、花の手入れから始まる。

 喫茶『ライオン』。ロンドンの郊外にひっそりと立つ小さな白いレストラン。エリザはそこの料理長兼、使用人。栗色の髪を靡かせた美人メイド。エリザは、ロンドンの街に突如現れた一輪の華だった。エリザ目当てにやってくる客も、ちらほらとついてきた。そんな客にスマイルを投げるだけで、虜にしてしまう。

 エリザはそんな、不思議な魅力のある女性だった。

 

「綺麗に咲いて、よかった……」

 

 小さく咲くアザレアを眺めながら、エリザは微笑む。今日は、エリザにとって特別な日だった。だからだろうか、こころなしか上機嫌。花壇を後にし、エリザはカレンダーの日付を確認する。

 2月14日。バレンタインデー。恋人達の日。旧世紀から変わらずに、この日を生きる人々は少し、浮き足立っている。正確には、この日を迎えるまで、2月14日を目前とした人々は表向き普段と変わらずに、しかしどことなく浮ついた空気を街の人々は醸し出していた。それは、エリザとて例外ではない。

 その日が恋人達の祝祭であると誰から聞いたのか、もしかしたらそんな話で盛り上がっている客の話を聞いていたのかもしれないレイナが「ネメアのために、チョコレートを作りたいの」とこっそり相談してきたのは数日前。そんな大事な相談をしてもらえるだなんてと舞い上がって、昨夜はレイナとふたりでこっそりと、チョコレート作りに励んでいた。レイナが、エリザの敬愛するネメアお嬢様と相思相愛なのはエリザの目から見ても疑う余地ひとつない。だけど、こうして気持ちを形にすることはとても大切だとエリザは思う。だから、レイナのそんな甲斐甲斐しい様子が堪らなく可愛かったのもあって……今日はエリザの気分も少し、浮ついていた。

 それに、エリザの心を騒がせるのは何もレイナの恋路だけではない。むしろ、こちらの方がエリザにとっては大事であるとも言える。

 カレンダーのすぐ下に立てかけられた、幼い姉妹の写真を見やる。その片方は、今も2階でレイナと夢うつつだろうネメア・ノーリだ。そして、もうひとり。エリザが心から仕え、そして愛する……大好きなスピン・ノーリ。

 2月14日。それはスピン・ノーリが帰ってくる日でもあった。

 あの事件の後、重要参考人であるスピンはずっと、「ロワゾ・ブルー」解体のため地球圏統一国家に貢献していた。その貢献が身を結び今日、ようやく身柄を解放されるのだ。スピンが帰ってくる。それだけで、エリザの胸は高鳴って、どきどきして、時計の針が進むのを心待ちにしている。

 喫茶ライオンは、本日臨時休業。大切な人を迎えるために。

 久しぶりの休みを満喫するお嬢様達はまだ、ベッドで眠っている。その間に、朝食の用意をとキッチンへ向かったエリザは、冷蔵庫を開く。エリザ専用の冷蔵庫。その中には、昨日レイナと一緒に作ったチョコレートがその時を待っている。

 特別な人に渡す、特別なチョコレート。スピンは甘いチョコレートを、ブラックコーヒーと一緒に食べるのが大好きな人だった。

 

「よろこんでくれるかな、スピン……」

 

 普段、厳しく自らを律する人だ。自分にも他人にも厳しくて、だけどその厳しさの裏にはいつも優しさがある人だ。だけど、エリザは知っている。あの人が当主としての顔でなく……ひとりの女性として見せてくれる笑顔は穏やかで、可愛らしいことを。

 大好きな笑顔を思い浮かべるだけで、もうエリザは胸いっぱいだった。

 

 

 

…………

…………

…………

 

 

 バレンタインデー。病院の診察室でトワリは、はじめてその存在を知った。

 

「大好きな人にチョコレートを贈る日、かぁ……」

 

 薬物依存症のリハビリ。その経過報告のためドクター・フィフスの下には2週間に一回、通っている。今日は、ネメアやエリザの付き添いなしでひとりで行くことができた。それは大きな成長だった。

 

 「元々は旧世紀の264年。聖ヴァレンティヌスが由来の記念日だったの。それが少しずつ変化して、恋人達が愛を誓う日になって、一説では日本のお菓子メーカーが『チョコレートを贈ろう』ってキャンペーンを行ったことでチョコレートが一般的なプレゼントとして定着したとも言われているの」

 

 そう教えてくれた後で、フィフスはトワリにチョコスナックを一箱、トワリへと渡す。

 

「で、今では色々と変容して身近な人へ感謝って意味もあるわ」

 

 受け取ったチョコスナックを口の中に移しながら、今トワリはロンドンの街を散策している。

 

「チョコレート。かぁ……」

 

 チョコレート。それはトワリにとって特別なお菓子だった。

 かつて『ロワゾ・ブルー』の兵士だった頃、トワリは違法な薬物を大量に投与され身体能力の強化や、残虐性の増幅といった改造を受けていた。それはトワリにとって、苦痛そのものの記憶だ。それでも耐えられたのは司祭様……シフル・ヴェルヌが自分を、正確には最強の戦闘マシーンを必要としてくれたこと。そしていつかお姉ちゃんが、ネメアが迎えに来てくれると信じていたから、耐えられた。

 そしてネメアが迎えに来てくれて、トワリの身体に投与された多数の薬物から脱却するために今、こうしてリハビリを続けている。「どうしても薬がほしくなったら、これを食べること」とチョコレートを渡してくれたエリザのおかげで、リハビリは順調だった。

 チョコレートだけじゃない。トワリにとって、ネメアと、エリザと、それにスピンやレイナと一緒に食べたものは全部、トワリにとって特別な食べ物だった。

 冷たくて甘いアイスクリームも、温かいスープも、こんがりとしたガレットも、全部トワリにとっては特別な、大好物。だけど、今まで全部トワリは貰う側だった。

 

「…………うん」

 

 財布の中身を確認する。お小遣いは多くはないが、使う機会もなかったのでそこそこある。最初にトワリは、大好きなネメアお姉ちゃんの顔を思い浮かべた。それから、スピンやエリザ。それに普段は喧嘩してばかりだけど、レイナのことも。

 操り人形として戦って死ぬしか道のなかった自分に、人間として生きる道をくれた大好きな家族のことを思い、トワリは小さなスーパーに足を運んでいた。

 

「これからも、みんなで一緒に暮らしたいな……」

 

 そんな細やかな願いを込めてトワリは、大きな缶に入ったチョコレートを手に取っていた。

 

 

 

…………

…………

…………

 

 

 ロンドン行きの電車の中。背の高い、深い色のサングラスをした女性が座席に座り景色を眺めていた。

 午後の陽射しは強く、そして鋭い。しかしその右目が映すものは、闇だった。光ひとつ差さない闇に閉ざされた右目は、薄い眼帯に守られている。深いサングラスは紫外線を避けるためだけではなく、その開かない眼窩を隠すためのものでもあった。一方で女性の左目は、のどかな街並みと広く、深い青色を映す。その視界の違和感にも随分慣れたものだ。そう思って女性……スピン・ノーリは、深く息を吐いた。

 

「疲れた、な……」

 

 『青い鳥事件』そう名付けられたあの秋の戦いから既に、3ヶ月が過ぎている。その間、スピンは戦い続けた。『ロワゾ・ブルー』を、終わらせるために。それは、政治や司法、警察の戦いだった。何よりも、個人の闘争のためにモビルスーツまで持ち出したことを帳消しにするには、統一国家に従うしかなかった。

 そして先日、ようやく『ロワゾ・ブルー』はその力を完全に失った。スピン・ノーリの、ノーリ家当主としての最後の役目が終わったのだ。

 左目を閉じて、座席にもたれ掛かりながらスピンは身体を休める。休みながら、これまでのことを思い返していた。パリの屋敷は既に、取り壊しが始まっているらしい。今度、両親の墓参りに行こうとネメアと話して決めた。父には、戦いが終わったことを告げるために。母には、新しく出来た妹達を紹介するために。

 妹達は今、ロンドンで小さなレストランを開いているという。そのレストランを守るために、これからスピンは戦うことになるだろう。だが、それは今までのような孤独な戦場ではなかった。

 守るべき妹達と、愛するエリザのための戦いだった。

 

「エリザ……」

 

 随分と、寂しい思いをさせてしまった。それを申し訳なく思う反面、スピンの心は期待に胸を躍らせていた。2月14日。バレンタインデー。この日に家族の……エリザの下へ帰れるという幸運にスピンは、心から神に、そして父や母……ロームフェラに名を連ねた偉大な先達に感謝した。

 旧世紀の祝祭。コロニー建設時代初期の紛争で多くの国家は、あらゆるものを失った。アフターコロニー197現在、地球上では基督教を信仰するものが多い。スピンも、そのひとりだ。無論、それ以外の宗教や民族文化を信仰する者もいるが、多くはコロニー国家建設に伴い移民を余儀なくされたもの達だ。

 L5コロニー群などは、現在も儒教や神道の教えが強く残っているとスピンは聞いたことがある。事実、L5コロニーから送り込まれたガンダム05・シェンロンガンダムは、そういった精神性が機体のデザインに垣間見えるものだったし、またL4コロニーから送り込まれたガンダム04・ガンダムサンドロックの背後関係には中東国家の支援があったと聞く。

 彼らは、己れの文化を、宗教を守るために闘っていたのかもしれない。そんなことをこの期間で、スピンは考えていた。そして、だからこそ今自らが信仰する文化を守ってきたロームフェラ財団の存在には、大きな意味があったとも思う。

 ふと視線を電車内に移せば、男女や親子、友人同士で会話を弾ませるものがいる。耳をすませば、バレンタイン、チョコレート。そんな言葉が聞こえてくる。

 それは、文化の保護のために尽力した古きロームフェラの先達から譲り受けてきた文化だ。ロームフェラはいつしか形を変え、既得権益の拡大のために腐敗した。しかし、その根底にあったものが伝統や文化の保護と、継承であったことまでは、否定したくない。

 何よりも、自分だって浮き足立っているのだから。この気持ちの昂りを、どれだけ歴史に目を向けたところで否定など出来はしない。そう結論づけて、スピンはフッと表情を和らげた。それから、上着のポケットに手を入れるとそこにある四角いケースを握り締める。

 

「普段の私なら、気恥ずかしくてできなかっただろう。だが、こうして祭りの気風のせいにできる」

 

 それを指に嵌めたエリザはきっと、素敵なのだろう。そう、確信しながらスピンは、ロンドンまでの道のりを揺られていた。

 

 

…………

…………

…………

 

 

 ロンドンの街並みを、トレーラーが走る。「イリアス」と名付けられたそれは先代の「アイアス」に比べて小さい。モビルスーツや武器、兵士を運ぶ必要がない民生品なのだから当然だ。その「イリアス」のハンドルを握りながら、ネメア・ノーリは心なしか、浮き足立っていた。

 

「お姉様、もうそろそろ着く頃かしら」

 

 助手席に座る少女に、声をかける。長い黒髪が艶やかで、白い肌。長いスカートのワンピースの上に、カーディガンを羽織り、小さなポーチをみにつけた少女。名前は、レイナ。ネメアの古い友達であり、父の仇でもある女性……レイナ・ヴェルヌの妹であり、ネメアと共に彼女の母シフルを殺した共犯者。そして何より、ネメアにとって何よりも大切な宝物。

 

「う、うんっ。スピンさんに会うの、久しぶりだよね」

 

 そのレイナも、どことなく態度がよそよそしい。理由は、わかっていた。

 バレンタインデー。恋人達の日。レイナはきっと、何かを期待しているのだとネメアは思う。何しろ、ふたりで過ごす中ではじめてのバレンタインだ。クリスマスイヴは大きな事件が起きてしまい、ムードも何もなかった。だからバレンタインにレイナが何かを期待するとしても、それは当然のことだとネメアは思う。

 当然、ネメアは用意している。とっておきのプレゼントを。しかし、渡すタイミングが掴めない。

 正確には、心の準備ができていない。

 今ネメアの上着のポケットには、レイナのために用意したプレゼントがその時を待っている。アイオライトの、ネックレス。この日のために買った特別なものだ。しかし、いざ渡す時になってみてどうしても、勇気が出ないネメアだった。

 やがて信号が停車を指示し、「イリアス」は静かに動きを止める。

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 奇妙な沈黙だった。ネメアがまだ「運び屋」をしていて、レイナが「荷物」だった頃を思い出す。あの頃のレイナは無口で無愛想で、ずっと本ばかり読んでいる子で。あの頃のネメアが今のネメアを見たら、どう思うだろう。ふと、ネメアはそんなことを思った。今こうしてレイナのためにプレゼントまで用意している自分を見て、何を言うのだろうか。それは、ある種の逃避だった。

 

「…………ねえ、ネメア」

 

 やがて、レイナの方から口を開く。

 

「……なあに」

 

 レイナはいつになくもじもじとしていて、ネメアはしばらくの間無言でレイナの言葉を待った。やがて、意を決したようにレイナはポツ、ポツと話し始める。

 

「ネメアは、わたしがはじめて出会った時からずっと、私のことを守って……助けてくれた。フュンフが死んだ時も、支えてくれた。私が機械人間だって知っても、機械としてじゃなくて、レイナっていう一人の女の子として、私に接してくれた」

 

 レイナの言葉を聞きながら、ネメアは思い出していた。あの旅のことを。それは、傷だらけの女達が必死に、生きる為に闘い続けた日々。

 或いは、孤独なこころがたしかな、安らぎを得るための儀式。

 操り人形のピノキオが人間になって、はじめて自分の意志で大切な人の側にいたいと願った、そんな旅路だった。

 そして旅はまだ、続いている。

 

「あの本にあったほんとうのしあわせがなんなのか、まだわからない。けど、ネメアと一緒にいると……胸が温かくて、しあわせな気持ちになる。それは、ほんとう。だから……」

 

 そういってレイナは、ポーチから小さな小包を取り出してネメアへと渡す。小包は可愛らしいピンク色の包装紙に包まって、ハート型のシールには、「わたしのネメアへ」とレイナの肉筆で書かれていた。

 それが何なのか、ネメアはすぐに思い至る。

 

「……チョコレート?」

 

「うん。わたしの、しあわせなきもち。どうすればネメアに伝えられるのかなって思って、それで、バレンタインデーっていうのを知って……エリザさんに教えてもらいながら、作ったの」

 

 レイナの頰は、りんごのように紅潮している。ネメアは、そんなレイナの赤らんだ顔をしばらく見つめてそして、

 

「うん、ありがとう」

 

 そう言ってチョコレートを受け取り、レイナの唇にそっと、自分の朱色を重ねた。

 

「ンっ……ウン……」

 

 唇を離し、深呼吸をひとつ。レイナの顔はさらに真っ赤になっていて、心なしか瞳も潤んでいる。

 

「……全く、私がヘタレてちゃ世話ないよね」

 

「え?」

 

 呟くネメアに、不思議そうに首を傾げるレイナ。

 

「……私からも、受け取ってほしいものがあるの」

 

 少しだけバツが悪そうに、ネメアは言った。それを聞いて、レイナは、「え、えぇっ!?」とっびっくりしたような声をあげる。

 

「……私の特別な気持ち。受け取ってくれるよね?」

 

 そう言ってポケットから小さな箱を取り出し、レイナの手に預けるとネメアはウインクしてみせた。

 レイナは、ぎこちなく頷くとゆっくりとその箱を開けてみせる。

 

「…………わぁっ!」

 

 そこに入っているのは、金のチェーンと外装に嵌め込まれた、ひし形の青く耀く宝石。

 宝石は、光に当たって更に深い輝きを増して煌めいている。

 レイナは、今までこんな綺麗な青を見たことがなかった。

 或いは、バルベルデの海はこんな風に綺麗だったのかもしれないがあの時はそんなことに目を向ける心の余裕もなかった。

 

「青って、私達にとってはどうしても嫌な思い出がある色でしょう。だけど……これから、もっとたくさんの幸せな青で、思い出を塗り替えていきたい。だから、アイオライトにしたの」

 

「ネメア……」

 

 やがて、信号が青を示しゆっくりと「イリアス」は動き始めた。花屋の店先に小さなスノードロップが並んでいるのが見えた。

 浮き足立った、だけどとても幸せそうな人々の行き交う道を、ふたりを乗せたトレーラーは走る。

 これからの、日々のために。

 

 

 

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