新機動戦記ガンダムW~scarred Leo-   作:元ゴリラ

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TIPS
ヒイロ・ユイ
コロニーの指導者。政治家であり思想家、哲学者でもある。
非武装、非支配によるコロニー独立を謳ったが、それを快く思わない者に暗殺された。
AC195年にコロニーが起こした戦争。5機の機動兵器ガンダムを地球へ送り込む破壊活動「オペレーション・メテオ」には、ヒイロ・ユイを暗殺した者達への報復の意味も込められていたというが、ガンダムの開発者がこの世から去り、ガンダムに乗った少年たちも歴史の表舞台から消えた今となっては真実は定かではない。


傾き揺れる天秤宮

 イギリスからドーバー海峡トンネルを通ると、そこはもうフランス領となる。

 フランス。旧世紀には度重なる植民戦争で領土を増やし、そして血塗られた革命を繰り返した国であり、その血脈はケルトとローマ、ゲルマンの文化が深く混じり合っている。また、ドイツやイタリア、ベルギーといった隣国とともにロームフェラ財団の大きな基盤となった国だ。

 ロームフェラ財団は旧世紀から続く文化と伝統を重んじ、その保全を大義名分として拡大した複合結社……その成り立ちもまた、フランスと似ている。何より聖職者や貴族といった中世の特権階級を優遇したロームフェラ財団のその姿勢は、古き良き伝統……或いは悪しき風習の名残でもあると言えた。

 フランスの町並みは、旧世紀から変わらない。伝統と格式を重んじるロームフェラ財団に保護された、ある種時代錯誤的な煉瓦造りの家屋は、そこがロームフェラ財団の管理下であったことを意味する。その町並みはしかし、戦火の爪痕も大きかった。車窓から見る景色の中にも多くの難民や、空襲の跡が見受けられた。l

 崩れ落ちた家屋の立ち並ぶ町並みの中を、「アイアス」は走る。ポツリと、ネメアが呟いた。

 

「このあたりには、旧OZの基地があったのよね……」

 

 軍事施設の付近だったから、その戦いの影響が戦わない人々にまで及んだ。戦争ではよくあることだった。しかし、それでもやるせない気持ちにはなる。

 何しろ、自分の故郷が自分の所属した軍のせいで戦場になったのだから。ネメアは別にOZやトレーズ、ロームフェラへの忠誠心が厚かったわけではない。しかし、そこで仲間を得て、共に戦うことに居心地のよさを感じていたのは実感としてある。

 大義名分を持って戦場に出ていた頃には、無視できたもの。それが今、眼前に広がっていた。

 

「ネメア……?」

 

 助手席でレイナは文庫本を読む手を止め、ネメアの方を見やる。その横顔から読み取れる感情は、複雑だった。

 憐憫か、後悔か、或いは別のものか。レイナには窺い知ることはできない。ただ一つわかることは、このフランスという土地がネメアにとって大事な場所だということ。そして、レイナにはそんな大事な土地がない。

 強いて言えば、フュンフと一年過ごした合衆国にはそれなりに思い入れがあると言っていい。しかし、その時もレイナにとってそこは仮の住処であり、故郷でも新天地でもない……そんな印象が拭えなかった。

 身体的特徴から、おそらくレイナの生まれはニホンという島国かもしれない。とは聞いたことがある。しかし、それも証拠となるものも日系と思われる身体の特徴。それとレイナという記憶の中にある名前だけであり、そんなものはこの時代なんの保証にもならない。

 

「ネメアは、この国で生まれたんだよね……」

 

 なら、私はどこで生まれたのだろう。フュンフが予想したようにニホンなのだろうか。それとも別のどこかなのだろうか。そして、それはいつになればはっきりするのだろうか。そんな思考がレイナの中で渦巻いていた。

 

「そ、少し遅くなっちゃったけど里帰りって言うのかな」

 

 ネメアは、気楽そうに振る舞う。しかし、そんな声にもどこかいつものドライさはない。無理をして、いつもの自分らしく振る舞おうとしている。それが、レイナにはわかった。

 

「…………煙草、吸わないの?」

 

「生憎ね、切らしちゃったの」

 

「そう…………」

 

 少しの間、沈黙が流れた。

 沈黙に困ってレイナが外を眺めると、リコリスの花が一面に、咲き誇っていた。

 

 

…………

…………

…………

 

 パリ。フランスの首都であるそこは、旧世紀から続く伝統と文化の街。一方で、常に流行の最先端を生み出し続け文化人の憧れとして定着する都市。パリ。それは芸術やファッション、グルメ、あらゆる文化の古と新が入り混じる混沌の街でもあった。

 かのロダン美術館やルーヴル美術館には旧世紀の著名な作家が遺した絵画や彫刻が保存され、雄大なセーヌ河がこの街に恵みを与えていた。そんなパリ1区。ルーヴル美術館のある区画にはロームフェラ財団の管理する領地がある。18世紀風の街並みが広がる、伝統と文化、流行の街パリにあって尚そこはある種の異世界だった。

 その異世界にの道を、さらに場違いなトレーラーが走る。そして、一つの城の前で停車した。

 

「何の用だ!」

 

 城の前に立っていた門番が、場違いなトレーラー……「アイアス」に詰め寄る。「アイアス」の運転席は窓を開き、中から薄いブロンド髪の女性がその顔を覗かせた。

 

「あら、リカルドじゃない。久しぶりね」

 

「ネ、ネメアお嬢様……! これは、失礼を……」

 

「いいのよ、突然でごめんなさい。お姉様に挨拶したいのだけど」

 

「はっ、かしこまりました!」

 

 リカルドと呼ばれた門番の男は、城の門を開ける。「アイアス」は門をくぐる。

 

「…………ネメアって、本当に貴族のお嬢様だったんだ」

 

 呆然と、レイナが呟いた。

 

「なに、今まで信じてなかったの?」

 

 茶化すようにネメアが言うと、「ううん、でもびっくりした」とレイナは笑う。しかし、ネメアはそんな自宅の敷地を見回しながら目を細める。

 

「…………ここは、あまり変わらないわね」

 

 トレーラーを停車させながら、ネメアが言った。

 

「そうなの?」

 

「ええ。あそこの花壇はね、使用人のエリザが毎日手入れしてくれていつも綺麗なの。今はリンドウが咲いているでしょう?」

 そう言って、ネメアは青紫色のリンドウが一面に咲く花畑を指差す。その光景はどこか神秘的で、レイナも思わず心を奪われるほどだった。

 

「すごい……」

 

 それは、絵本で読んだ光景に似ている。白雪姫と小人たちの童話。毒林檎を食べて眠りに落ちた白雪姫を入れた棺が、挿絵の中ではこのような花畑の中に置かれていたのを思い出す。

 

「もっと近くで見てみる?」

 

 悪戯っぽく、ネメアが笑った。

 

「いいの?」

 

 少しだけ不安そうに、レイナ。

 

「当然よ、私が許可します」

 

 わざとらしく、ネメアは腕を組み頷いた。

 

「じゃあ……」

 

 「アイアス」から降りて、レイナは運転席の方で立ち尽くすネメアへ回り込む。

 

「一緒に、行こう?」

 

 そう言って、レイナは小さな手を差し出した。

 

「…………」

 

 きょとん、とするネメア。

 

「……ダメ?」

 

 レイナは、そんなネメアを見て不安そうに首をかしげる。それが、なんだかおかしくて。

 

「ふふっ、ふふふっ」

 

 ネメアは、思わず笑みを零した。

 

「…………レイナは、優しいね」

 

 差し出しされたその手を握って、ネメア。

 

「……でも、機械人間だよ?」

 

 ああ、そういうことか。とネメアは納得した。

 

「……ごめんね、レイナには帰る場所がないのに。不安にさせちゃったよね」

 

 握るレイナの手は、温かい。機械なんかではない。とネメアは思う。

 この温かさは、命の温かさだ。機械の熱ではない。

 少なくとも、ネメアの知る誰よりも温かくて優しい手。それをレイナは持っている。

 それで、ネメアにとっては十分なのに。レイナは、その手の中に機械が混じっていることを気にしている。いや、機械であることにすら実感がわけない自分を気にしている。

 それがネメアには痛々しく、同時に美しく、それでもネメアのことを気にして、心配してくれている優しさが愛おしかった。

 

「…………ありがとう」

 

「え? 」

 

 当のレイナは、気づいていないのかもしれない。モビルスーツに乗っているときはあれだけの高速処理をできるのに、そうでない時のレイナは、少し不器用な普通の女の子だ。無口で、人見知りで。だけどとても優しい普通の女の子。

 

「……ねえ、レイナ」

 

 だから、どうしてもレイナに伝えたい。

 

「え、なあに?」

 

「……人間じゃない。なんて言ってごめんね」

 

 たとえ、身体の一部が機械でも。コンピュータがどこかに埋め込まれていても。機械人間でも。レイナはこんなにも、人間らしいのに。

 

「……ううん、いいの」

 

 そう言って、レイナは笑った。

 

「私の身体はたしかに普通じゃないのかもしれない。だけど、それでネメアを助けられるなら、それでいい……」

 

 秋風が、涼しかった。一面の青いリンドウが、綺麗だった。だけどネメアには何よりも、隣で笑う少女の笑顔が愛おしかった。

 

…………

…………

…………

 

「……どうぞ、お入りください」

 

 門番をしていたリカルドに案内され、ネメアとレイナは屋敷へと通される。その屋敷は見るからに年代物の調度品で彩られており、レイナの目でみてもそれが一般的な家庭にあるそれとは違うことがわかる。特に、応接室に飾られていた何枚もの肖像画はそれこそ、レイナにとっては物語の中でしか知らないものだった。

 物珍しそうにそれらを見回すレイナと対照的に、ネメアの方は真っ直ぐ前を見据えている。ただ、二人はそんな時にあっても手を繋ぎながら歩いていた。

 そして、ある扉の前で立ち止まる。

「ここに、誰がいるの?」

 

 レイナの問いに、ネメアは神妙な面持ちで答えた。

 

「スピン・ノーリ……。現ノーリ家の当主であり、私のお姉様よ」

 

「ネメアの、お姉さん……」

 

 おねえさん。レイナは口の中でその言葉を反芻する。

 それはどこか不思議な響きだった。

 ただ、ネメアのお姉さんとはどんな人なのだろうか。そして、自分にはきょうだいがいるのだろうか。と、漠然とそんな想像を広げていた。

 

「お姉様、よろしいでしょうか」

 

 いつになく緊張した面持ちのネメアが、声を上げる。いつもの心地よいハスキーボイスが心なしか、高くなっているようにレイナには聞こえた。

 

「…………開いている。入れ」

 

 数秒後、ネメアとよく似た女性の低い声が返ってきて。

 ネメアは、その扉に手をかけた。

 

…………

…………

…………

 

 数十分ほど、時間は遡る。

 

「ネメアが戻った?」

 

 スピン・ノーリがその報告を聞いたのは、不躾なトレーラー……つまりは「アイアス」がノーリ家の領地に停車しているのを何事かと見つめていた時のことだ。

 

「そうか……あれはネメアの」

 

 180はあろう長身に、薄めのブロンド髪を長く伸ばした女性……スピンは、背後でネメアの帰還を報告した門番へ目配せする。門番……リカルドとはもう10年以上の付き合いだ。それだけで、リカルドにはスピンが何を言いたいかを察することができた。

 

「かしこまりました。ネメアお嬢様をお通し致します」

 

 一礼し、リカルドはスピンの執務室を後にする。残ったのは、スピン・ノーリ。ネメア・ノーリのただ一人の姉であり、戦後弱体化したロームフェラ財団で現在最も強い発言権を持つ、ノーリ家当主。

 

「…………獅子の帰還か」

 

 デスクに座り、スピンは引き出しを開く。そこから一冊の本を取り出す。豪奢な装丁がなされたそれは、一見して高級品とわかるもの。スピンは、その本の幼い兄妹と青い鳥が描かれた表紙をを指でなぞった。その表情からは、何を考えているのかは窺い知れない。

 ノーリ家は、貴族としての歴史は浅い。ロームフェラ財団が成立したのは旧世紀の1954年だが、ノーリ家は21世紀に入ってからの新参者。しかし、ノーリ家は現在のロームフェラ財団内部において、大きな権力を有していた。

 財団は、戦争責任を負い大きく弱体化した。巨大な権力を持っていた財閥の多くは、その財産の多くを没収された。デルマイユ公爵を中心としたカタロニア家などがそうだ。そんな中で戦争責任の多くを回避したノーリ家は、結果として現在のロームフェラ財団の中では力の強い家となった。

 全ては、彼女……スピン・ノーリの手腕によるものだ。

 スピン・ノーリは父オルトの死後、実質的にノーリ家の後継者となった。彼女は常にロームフェラの主流派に同調しつつ、しかしカタロニア家を中心とした派閥の影に隠れていた。

 その方針は、地球と宇宙の和平と対話による交渉を謳った父・オルトの思想と真逆のものであった。父の仇はロームフェラ主流派である可能性が高いと、誰もがそう予測していた。そのロームフェラ主流派への恭順。それはスピンにとっても苦渋の決断だったのかもしれない。しかし、結果として戦争利潤を得つつ財団内での地位を盤石にした。

 スピンが、ロームフェラ財団の没落を読んでいたのかはわからない。

 しかし、現実としてスピン・ノーリは現在のロームフェラ財団において大きな影響力を手に入れた。それは、スピンの能力の高さを物語っている。

 そのスピンにとって、妹のネメア・ノーリという存在は無視できるものではなかった。

 

 スピンは、幼い頃より父に厳しく育てられた。ノブレス・オブ・リージュ……高貴なるもの務め。父は、二人の娘に気高き獅子の名前を与えた。

 これからの時代を生き抜くものは、優しい心を持つ者だと父は言った。その優しさは弱く、脆いものだとも。スピンは、その弱く優しい人々を守れる人になりなさい。そう父、オルト・ノーリから教わった。

 そして、スピンにとって「弱く、優しい人」とはつまり妹……ネメアのことだった。

 ネメアは、本を読むのが好きな内気な女の子だった。使用人のエリザにとてもよく懐いていて、エリザの手入れした花壇を眺めながら、絵本を読み聞かせてあげたこともある。それは常に鍛錬を怠らず厳しく生きたスピンにとって、数少ない安らかな思い出でもあった。いや、そんな幼い思い出の中にはいつもネメアがいた。

 ネメアの笑顔を守ることこそが、姉として……そして男児のいないノーリ家の時期当主として為すべきことだと、スピンは思った。

 父が死に、母が病に臥せった時。必然的にノーリ家はスピンのものとなった。

 スピンは、残された家族を……ネメアを自らの手で守ろうと誓い、そしてあらゆる艱難辛苦に耐えて、耐え抜いた。

 経済学を学び、人の上に立つための帝王学を身につけ、若くして財閥の代表となることに誰も異論を挟まない才女となった。

 全ては、ネメアに幸福な人生を。この世界でただ幸せだけを享受できる人間などいないことは、その時すでにスピンにはわかっていた。だが、それでも。スピンは亡き家族の分までネメアを守ろうと決めた。それだけが、スピンの願いだった。

 しかし……ネメアは自らの意思で、箱入り娘であることをやめた。

 ネメア10歳の誕生日。父オルトの死を目撃してしまった可哀想な妹は、その日以来笑わなくなった。

 いつも持っていた童話の本は置き捨てられ、ネメアは替わりに銃を握るようになった。

 そうして、ネメアは自らの意志で軍学校へ入り、モビルスーツ乗りになった。

 それが、スピンにはたまらなく悲しく……そして、OZという組織が解体された後にもネメアは、ノーリ家には帰ってこなかった。

 

 そのネメアが、帰ってきた。それは、スピンにとっても大きな事件だった。

 

 

…………

…………

…………

 

「…………お久しぶりです。お姉様」

 

 そうして今、ネメアは数年ぶりに姉・スピンと対面していた。

 

「ああ、7年と8ヶ月ぶりだな」

 

 そう言ってネメアを見るスピン・ノーリという女性の視線や見た目から、レイナはどんな人なのかを推し量ろうとした。しかし、できなかった。

 特徴がないのではない。特徴が多すぎて整理できなかった。

 白くて綺麗な肌と青い瞳。そして薄い金色の髪はなるほどネメアとの血の繋がりを伺わせる。それに、身に纏った衣類はたしかに豪奢な飾りがつけられており、それは貴族の人間であることはわかった。

 しかし、それはネメアから聞いていた情報と何も変わらない。レイナが不可解に感じたのは、その視線だった。

 

「…………?」

 

 愛情とも、憎悪とも、羨望とも、悲哀ともとれる視線。それが今ネメアに突き刺さっている。ネメアは、その視線を一身に受けて、目をそらさずに姉と対峙していた。

 この人は、ネメアの何なんだろう。それが、レイナの受けた第一印象。

 優しい姉なのか、厳しい姉なのか。ネメアを愛しているのか、憎んでいるのかわからない。その違和感はレイナを警戒させた。

 

「……その少女は?」

 

 スピンと、目があった。

 

「!?」

 

 ゾッとする感覚、というものをレイナはその時はじめて感じた。あえて言うのならば、氷。まるであちらの方こそが機械人間なのかと思うほどの冷徹な瞳だった。

 先ほど見たネメアに対する感情の渦はなんだったのかと思うほどの冷徹さを、瞬時にこちらに向ける。あんなことは、機械人間のレイナにだってできない。

 それがどういう心の動きでそうなっているのかを、レイナには皆目見当がつかなかった。

 

「この子は、レイナ。今は故あってこの子と旅をしています」

 

 ネメアはしかし、そんなスピンの様子を意にも返さない。

 

「それで、里帰りというわけか。フッ……」

 

 スピンが笑う。その笑いも、レイナには不可解に見える。

 

「お前がこの屋敷を出てから、色々なことがあったよ」

 

「ええ、存じております。OZはロームフェラの傘下でしたから。ノーリ家のことも多少は」

 

 二人の会話は、本当に姉妹の会話なのだろうか。レイナはそんな風に考えてしまう。少なくとも、絵本や童話の中の兄弟姉妹というものは仲良く助け合って暮らしていた。二人からは、少なくとも「仲良く」という部分がまるで見えない。

 

「そうか……。なら、母上が逝ったことももう耳には入っているな」

 

「……はい」

 

 その一瞬だけ、ネメアの瞳に翳りができたのをレイナは見逃さなかった。

 ネメアの手を握る小さな手に、力が入る。一方で、スピンはそんなネメアの変化に興味がないのか言葉を続けた。

 

「……墓参りにきたというわけではあるまい。要件を伝えろ」

 

 それはやはり、事務的な……レイナが冷徹と感じた瞳と声だった。

 

「エリオット男爵のことは、ご存知ですか?」

 

 ネメアは、それに臆することもなく話を切り出した。

 

「ああ……事故で亡くなったと聞いている」

 

「事故? 違います。あれは事件……テロでした。彼女……レイナは、エリオット男爵を殺した何者かに追われています」

 

「ほう」

 

 事件。テロ。殺し。そんな衝撃的な言葉にもスピンという女性は動じない。そのまま、続きを促す。

 

「エリオット男爵は、父と旧知の仲でした。おそらく……」

 

「その敵とやらが、父上の仇であると?」

 

「…………はい」

 

 スピンは、少しの間腕を組み、その甲に顎を乗せるような仕草をする。それは、何か考え事をしている時の仕草のようにレイナには見えた。或いは、ネメアが煙草を吸うのと同じようなものなのだろうか。

 

「…………お姉様、身勝手は承知です。ですが、私はどうしても知りたいのです。あの事件の真実を」

 

 そのネメアの言葉を聞いた時にピク、とスピンの眉が動いたのを、たしかにレイナは見た。

 

「……まあ、いいだろう。父の書斎はあの頃のまま残っている。そこにならエリオット男爵に関する資料も残っているだろう」

 

 スピンがそう言って、小さく笑う。

 

「あ……!」

 

 思わず、声を出してしまうレイナ。

 

「ありがとう、お姉様」

 

 ネメアも破顔して、胸を撫で下ろした。

 

「エリザをつけてやろう、好きに使え。それと…………終わったら、墓参りくらいには顔を出しなさい」

 

 スピンはそう言って締めくくり、ネメアとレイナは一礼してスピンの執務室を出る。そして今は件の書斎へと向かっていた。

 

「…………ネメア、さっきの人が、ネメアのお姉さんなの?」

 

 その途中、長い廊下を歩きながらレイナは問う。

 

「ええ、そうよ。お姉様はね……なんていうのかしら。意地っ張りなのよ」

 

 意地っ張り。あまりにも意外な言葉が出てきてレイナは首を傾げた。その様子を見て、ふふっとネメアは笑う。

 

「お姉様は次期当主として強くあれと教えられた。だからかしらね、ああいう風な態度を取るのは。まあ、私みたいな放蕩家出娘に対して相当ご立腹だったのもあると思うけど、とにかく……弱みを見せたがらないのよ。その結果、ああいう態度を取っちゃうめんどくさい人」

 

 たぶんあれが、お姉様の考える「強い人間」の姿なんだと思う。そうネメアは付け加えた。

 

「…………そうなんだ」

 

 どうしてそんな風にしているのか、全くレイナには理解できない。

 

「……あれでもね、いいお姉様だったのよ。エリザの花壇で、私に青い鳥の童話を読み聞かせてくれたり、私がどうしても椎茸が苦手なのを知ってて、いつも私の分を食べてくれて……私はお姉様が椎茸が好きなんだと思ってたけど、お姉様も本当は苦手だったんだって、あとでエリザに聞いたわ」

 

 そんな思い出話の中にいるスピンは、先ほど会ったスピン・ノーリという人物の印象からは遠く離れている。それが益々、レイナを混乱させた。

 

「ただ……パパが死んでから、お姉様は私に対してもああいう風に、冷たい態度を取るようになった。それがね、なんだかとても辛くて。見たくなかった」

 

「ネメア……」

 

 広くて長い廊下の突き当たりに、写真が飾られていた。幼い女の子二人のはにかんだ笑顔の映った写真。それが、当時のスピンとネメアであることはレイナにも想像ができた。その写真の中ではスピンは優しくネメアの手を握っていて、ネメアは恥ずかしそうに笑っている。

 その手を握る優しい顔は、レイナの知るネメアにそっくりで。ようやく、二人が姉妹であることが呑み込めた。

 

「……ネメア、お姉さんに会うのが怖かったんだ」

 

「……うん。もしかしたら、昔のお姉様に戻ってるかもしれないと期待もしてたけど、相変わらずだった」

 

 ネメアの話を聞きながら、ふとレイナは思った。

 

「……ねえ、ネメア」

 

「ん?」

 

「ネメア、お仕事の時はお姉さんみたいにしてるよね」

 

 「運び屋」ネメア・ノーリ。今のように共に旅をするパートナーではなく、運び屋とその荷物だった頃。ネメアはあまり、レイナと関わろうとはしなかった。

 だからクールな女性だとレイナは感じていたのだけれど、今思うとあの時のネメアは意識的にそう在ろうとしていたように思う。

 そして、もしスピンがレイナに向けた冷徹な視線と、ネメアに向けた複雑な感情の入り乱れた視線が、意識してそうしてできたものだとしたら。きっとスピンはネメアに対して深い愛情を抱いているのかもしれない。それを押し留めて冷徹に徹しようとした結果があれだったのかもしれない。

 だから。

 

「もしかしたら……ネメアとお姉さん、似た者同士なのかも」

 

 それは決してネメアへの慰めの言葉などではなく、純粋な感想だった。だとしたら、あの時一瞬だけネメアに見せた笑顔も、納得がいく。

 スピン・ノーリという女性は、レイナの大好きなネメアとやはり姉妹なのだろう。と。

 

「……そうかもね」

 

 ネメアはそんなレイナの言葉を聞いて、薄い笑みを浮かべるだけだった。

 

 

…………

…………

…………

 

 

「ああ! お嬢様! 本当にネメアお嬢様なのですね!」

 

 オルト・ノーリの書斎に二人が入った時、真っ先に出迎えたのはそんな甲高い声と暑苦しい抱擁だった。

 

「まあ! まあ! こんなに大きくなって!」

 

 エプロンドレスを着た栗毛色の髪の女性。それがネメアの口にしていたエリザである。

 

「ひ、久しぶりねエリザ……変わらないみたいね」

 

 エリザの歳はネメアよりも少し上……スピンと同じくらいだろうか。しかし、全体的な雰囲気は小さく、どことなく丸顔なのもあって幼く見えているだけで実際にはもう少し年上なのかもしれない。とレイナは思う。そんなエリザは、よほどネメアの帰還が嬉しいのか熱い抱擁をしばらく続けており、ネメアも少し困っているようだった。

 

「ネ、ネメア……?」

 

 レイナも、この女性……エリザの勢いに少々気圧されている。と、そこでエリザもレイナの方に視線が動いた。そして、ネメアに抱きついていた腕をほどき、わなわなと震わせている。

 

「ど、どうしました……?」

 

 おそるおそるレイナが聞く。ネメアはといえば、なぜだか肩をすくめていた。

 

「か……」

 

 ようやく、エリザの口から言葉が出た。しかし、何を言っているのか少々わかりずらい。

 

「か?」

 

「かわいい!? 」

 

 そして、そう叫んだかと思えば今度はレイナの肩に手を回していた。

 

「あなたがレイナちゃん? スピンお嬢様から伺っていましたが、まさかこんなにかわいい子をお嬢様が連れてるだなんて!」

 

 そう、興奮したようにまくし立てるエリザ。レイナは「え? え?」と困惑している。

 

「エリザはね……とにかくかわいいものが好きなの。レイナ、気に入られたみたいね」

 

「え、ええ……?」

 

 それからしばらく、エリザはレイナを猫可愛がり……満足したあたりで本題に取り掛かった。

 

「……エリオット男爵のことですか」

 

「ええ、エリザも覚えているでしょう。お父様の書斎になら何かあるかもしれないと思って」

 

「そうですね……旦那様の書物や日記はたしかにここに全て残っておりますが」

 

 エリザは自信なさげに、書棚を見やる。そこには、膨大な量の紙の山。

 

「大変な仕事だしあるという確証もないわ。でも……」

 

 それでも、手伝ってほしい。そう言おうとしたネメアの口に、エリザはそっと指を添えた。

 

「わかっております。私は、ネメアお嬢様のメイドです。たとえ蜘蛛の糸を手繰るようなものでも……今度こそ、お供させてください」

 

「……ごめんなさい」

 

 エリザは「いいんですよ」と言いながら、書棚へと向かう。

 

「日記や、お仕事の記録の類をお運びします。お嬢様とレイナちゃんは、そこで待っていてください」

 

 そう言って、にこやかな笑顔を浮かべたエリザは奥へと消えていった。

 

「エリザさんって、すごい人なのね……」

 

 それがレイナの、エリザへの第一印象だった。よくわからないけれど、すごい人。

 何がどうすごいというのを説明できないが、とにかくすごい。そう思った。

 

「ええ、すごいでしょ。エリザはね、私の幼馴染み。物心ついた時からうちのメイドだったわ」

 

「え?」

 

 だとすると、エリザがメイドとして働き始めた時は10にも満たなかったのではなかろうか。

 

「元々、エリザは暴動のひどかったコロニーで両親を失った難民だったの。それで、人身売買組織に捕まってたところを連合に保護されて、お父様が身元引き受け人になった。だから最初の頃は家政婦としての仕事も見よう見まねだし、勉強しながらだったわ。だけど、花を育てるのは大人よりも上手かった。両親はコロニーで植物の栽培をできるようにするための研究をしていたみたいで……血なのかもね」

 

 懐かしむように、ネメアは語る。

 

「だけど、性格はあの頃からああなの。物怖じしなくて、いつも私を引っ張ってくれる。内気で本ばかり読んでた私にできたはじめての友達」

 

 ともだち。ネメアの。それはレイナにとって不思議な響きだった。レイナには、友達と呼べるような存在はいない。だから、友達という存在も、物語の中でしか知らない。だけど、ここにはネメアという女性の歴史がある。

 スピンも、エリザも。ネメアという人間を作ってきた歴史だ。

 

「わたしは……」

 

 ネメアの何になるのだろうか。ふと、そんなことを思った。今は、一緒に旅をするパートナーだ。だけど、それが終わった時にはどうなっているのだろうか。

 きっと、今の関係のままではいられなくなる。もし、自分もネメアの歴史になれるのならば、それがいい。できるなら、ずっと忘れないでいてほしい。

 たとえ、その時に自分がいなくても。ネメアの自由を奪うよりも、ネメアの自由のために死ねる方がきっと、幸せなことだと思った。

 

「わたしは、ネメアの……」

 ならばネメアはわたしの何なのだろう。今のネメアは、共に旅するパートナーだ。だけど、旅が終わった時、ネメアはわたしにとってどういう存在になるのだろうか。と、そんなことも考えてしまっていた。

 これでは堂々巡りだ。レイナはそう思考の渦を断ち切って、デスクから立ち上がり書棚を見やる。そこには、レイナにはよくわからない、難しそうな本が並んでいた。その背表紙を眺めながら、レイナは歩く。タイトルから既に頭痛がしそうなその本の数々を見ながら、ふと気になるタイトルの本を見つけた。

 それは他の本よりも背が薄く、パラパラとめくることもできそうな本だった。薄さで言えば、今レイナのポシェットに入っている童話作家の文庫本の方が厚みがある気がする。しかし、しっかりとした装丁はその本が高級品であることを物語っていた。

 

 タイトルは、『宇宙の心』という。

 作者の名前は、ヒイロ・ユイ。

 

「…………」

 

 不思議な魅力のあるタイトルだった。レイナは、その本を手に取り、パラパラとめくり始める。

 

 

『人が宇宙に進出して既に100年が過ぎ、200年が迫ろうとしている。しかし、人は軍事力を持って他者を支配することでしか平和を維持することができないでいる。それは、後の世に恥ずべき行為ではないだろうか。人類は、支配と闘争という枷から解き放たれてはじめて真の自由を得ることができるものと、私は信じている』

 

 

 真の自由。支配と闘争からの解放。この本は、ヒイロ・ユイという人物の語ったそれについて記された本だった。思想書、あるいは哲学書というものだろうか。

 不思議な本だった。この本は、人の本質は弱者であり、闘争とは人が強く在ろうとする、在らねばならないとする心の弱さに起因するものであると記されていた。そして、支配とは闘争に勝利したものが行う権利と義務であり、弱者は正しく支配されることに喜びを感じるものである。とも。

 しかし支配という制度はやがて支配者の腐敗を生み、腐敗に憤ったものは支配者に戦いを挑み、革命を起こす。

 支配による平和は常に、平和の腐敗と戦争の悲劇と、革命の凱歌という歴史を生む。その終わらない円舞曲を終わらせるために、人は支配という軛から解き放たれるべきだ。と、この本は記している。

 

「…………」

 

 不思議な本だった。その内容そのものは、思想と哲学。だが、その言葉の一つ一つにはどこか、詩的なものを感じる。それは、「宇宙の心」というタイトルから感じる響きにも影響されているのかもしれない。

 

「なあに、あんたこういう本も読むの?」

 

 と、レイナがその本に視線を集中させていた時。気づけばネメアがすぐ近くまできていたことに、レイナは本を眺めるのに夢中で気づかなかったらしい。

 

「ネメアは、読んだことあるの……?」

 

「うん。昔一度だけ、その本をパパから借りて読んだわ。だけど正直、よくわからなかった。レイナはわかる?」

 

 ううん、とレイナは首を振る。

 

「でも、なんとなく……優しい人が書いた本なんだなって感じた」

 

「優しい人?」

 

 レイナはページをパラパラとめくりながら、適当な一文を見つけてそれを指し、ネメアの顔を見上げながら言った。

 

「例えば、この辺。『宇宙に出た人々を支配するのは、宇宙という孤独な自由が怖いからだろう。そして、それを受け入れるのも自由への恐れ故である』って部分とか。きっとこの人は……」

 

 自由というものについて誰よりも深く考え抜いた人。その自由に苦しんだことのある人。だからこそ、支配に立ち向かった人。それはまるで。

 

「ネメアに、似てるのかも……」

 

 だから、優しい文章だと思ったのかもしれない。そう、レイナは結論づけた。

 しかし、ネメアの方はそれを聞いても釈然としないよう様子で首を傾げている。

 

「私は、革命家なんかじゃないわ。それに……全ての人が自由に生きられる世界なんて信じてない」

 

 と、吐き捨てるように呟いた。

 

「ネメア……?」

 

「その本の作者……ヒイロ・ユイはね、非武装と完全平和を唱えて暗殺されたの」

 

「え……?」

 

 レイナは一瞬、意味がわからなかった。宇宙の心。支配からの脱却。自由。それと暗殺という言葉が繋がらない。そして、数秒を要してようやく意味がわかった。

 支配をする側からすれば、この本は危険なんだと。

 支配から脱した自由を人々が選ぶことを、支配者は望まないのだ。

 だとすれば、この本自体が終わらない円舞曲の一部に組み込まれてしまったということだろうか。

 

「……私のパパは、この本に記されていたことを実践しようとしていた」

 

 だから、殺されたのかもしれない。と、ネメアは呟いた。

 

「……ごめんなさい」

 

「いいのよ。その本、気に入ったなら持っていってもいいわよ。私も……読み返したいし」

 

 それだけ言って、ネメアは踵を返しデスクへと戻っていった。レイナは、しばらくの間呆然と立ち尽くし……ネメアの下へ駆けていく。

 レイナが戻った時には、既にエリザがいくつかの書類の山をデスクに置いていて、ネメアはそれに目を通し始めていた。

 

 

…………

…………

…………

 

 

 それから、4時間ほど経った。

 ネメアとエリザは、父の書類に目を通し続けていた。エリザは適度にコーヒーを用意したり、軽食を用意したりなどしてくれていたが、それ以外の時間は全て。ネメアも、それをいただいている時間以外はずっと作業だ。

 しかし、エリオット男爵という名前は一向に出てこない。

 或いは他にヒントがあるのかもしれないが、父オルトのパソコンはパスワードがかかっており、それを見つけなければパソコンも触れない。

 せめて何かあれば、と血眼になって探している。まさに蜘蛛の糸を手繰るような作業だった。しかし、それでもそれらしいヒントすら見当たらない。

 

「……ン」

 

 さすがに、目が疲れてきた。ネメアは瞼を擦りまた父の書類に目を落とす。

 だが、気の遠くなる作業だ。

 

「…………少し、休みますかお嬢様」

 

「もう少し……エリザは休憩してもいいわよ」

 

「では、お茶でも入れてきます。レイナちゃんも、一緒に来ます?」

 

「え……?」

 

 エリオット男爵のことも、ネメアの父のことも知らないレイナは2人が読み終えた資料を整理する作業を担当していた。しかし、呼び止められてつい、ネメアの方を見る。

 

「エリザと一緒なら、心配ないわ。大丈夫よレイナ」

 

 書類からレイナに視線を合わせて、そう薄く微笑むネメア。

 

「それじゃあ……行ってくる」

 

「気をつけてね」

 

 エリザの後について、オルトの書斎を後にするレイナ。こうして、書斎にはネメア一人だけが残された。

 

「……………………」

 

 沈黙。ただ、作業のように父の書類を、日記を読み進める。その行為はまるで墓泥棒のようだ。と、ネメアは思う。

 

「……私は、親不孝者だよね」

 

 誰もいない空間で、ただネメアは呟いた。

 でも、だから。親不孝者は親不孝者なりにやり遂げなければならない。

 これはもう、自分だけの復讐ではなくなっているのだから。

 ネメアは、ポーチの中に入れていた携帯端末を起動し、ニュース・サイトのある1ページを睨みつける。

 

『L4宙域『X17654コロニー・バレンタイン』でのシャトル消失事故』

 

 レイナが眠っている間に、少し調べていた。その消失したシャトルの乗客名簿にはたしかに、フュンフの名前が記されていた。

 

「レイナ……」

 

 レイナは、ネメアとヒイロ・ユイは似てるのかもしれないと言った。けれどそれは買いかぶりだ。自由を求めて、しがらみ全てを捨てて、それでも今ネメアは、レイナという存在に雁字搦めになっている。

 敵は、間違いなくレイナを狙っている。

 だから、レイナの関係者を殺している。

 ネメアも当然、狙われている。

 敵がなぜレイナを狙っているのかは、わからない。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 敵の正体を掴むために必要だから、今こうして調べているだけだ。

 個人的な感情でのみ断ずるのならば……レイナを泣かせたことが許せない。

 それはある意味、自分の自由よりも大事なことかもしれなかった。

 

「レイナ……」

 

 気づけば、ネメアの中でレイナはあまりにも大きな存在になっていた。

 レイナ。黒髪の綺麗な女の子。黒曜石のような瞳は吸い込まれそうになるほど魅力的で、か細い、だけど透き通るような声。

 共に過ごした時間はまだ少ない。けれど、これからも一緒に居たいと思ってしまうのに十分な日々。

 レイナを守るためなら、自分は喜んでまたこの手を血で染めてしまうだろう。

 そんな自分が、ヒイロ・ユイと似ているわけがない。

 父が尊敬する人物だったヒイロ・ユイは、こんなに堕落した人間ではなかったはずだから。

 

「…………私は」

 

 レイナといつまで、共に居られるのだろうか。

 1日でも、長くいたいと今は思う。だからこそ、あの時言った言葉をどうしても思い出してしまう。

 

『あんたを、殺す』

 

 その時が来た時、自分にレイナを殺せるのだろうか。

 その時が来なければいい。とは思っている。だけど、自分の中でレイナへの気持ちが大きくなれば大きくなるほど、あの言葉が呪いのように自分を縛り付ける。

 

「私は、自由がほしかっただけなのにね……」

 

 そのために選んだことが、全て自分を縛り付けてしまう。これはきっと性分なのだろう。自らの意思で戦いの道を選んだ時から、ずっと。

 そして、本当にレイナを殺して自由になれるのか。ネメアにはわからなかった。

 

「……本当、不甲斐ないわね。私って」

 

 ポケットを弄り、しかし煙草が切れていたのを思い出して舌打する。

 

「そういえば……」

 

 父も愛煙家だったことを思い出した。母からは身体に悪いから控えてと言われていたけれど、それでも1日1度は煙草を嗜む。ストレスからの逃避などではなく、純粋に煙草という嗜好品を嗜んでいたのが父だった。

 もしかしたら、まだ残っているかもしれない。父の吸っていた高級品の煙草。

 試しに、デスクの引き出しに手をかけてみる。引き出しには鍵がかかっていた。

 

「…………パパ、親不孝者でごめんね」

 

 ネメアは、ポケットから一本の針金を取り出して、鍵穴に入れる。それから慣れた手つきで針金を動かし、曲げてみてもう一度。ガシャン、という音がしっかりとネメアの耳に響いた。

 

「ビンゴ」

 

 若干の後ろめたさもあるが、他人の書類や日記を読み漁っていながら何を今更調子のいいことをとも思う。それに、もしかしたら何かヒントが隠れているかもしれない。そんなことを思いながら、ネメアは引き出しを引いてみた。

 中には、高級そうな万年筆と、ノートパソコン。手帳とそして……。

 

「やっぱり、あった」

 

 父オルトが愛煙していた煙草。今時珍しい天然物だ。化学薬品を混ぜて調合した、ネメアの普段吸っている合成モノの安物とは違う。

 おそらく、「アイアス」のメンテ費くらいなら賄えるであろう高級煙草。

 思わず手を伸ばすネメア。その装丁も紙箱ではなく、缶なのだ。質感が違う。

 

「いただきます、パパ」

 

 ああ、自分はなんて親不孝な娘なのだろう。そう思いつつも甘美で背徳的な誘惑に逆らえず、ネメアはその缶を開封した。

 

「何、これ……」

 

 その中に入っていたのは、紙巻き煙草のように巻かれた数枚の紙片。それが紐で結わかれていた。

 まさか。そんな予感と共に、ネメアは紐を解く。するすると、紐はまるで着物の帯のように解けていき、その紙は本来の姿を取り戻した。

 そこには、見覚えのある肉筆で言葉が記されている。

 見間違えようもない、父オルトの筆跡だった。

 

「“ロワゾ・ブルー”……?」

 

 青い鳥。それは昔スピンに読み聞かせてもらった童話の名前だ。それが、なぜ?

 

「……………………」

 

 おそるおそる、ネメアは2枚目の紙巻き紙片を持ち、紐に指をかける。

 するする、パラ。

 

「“ロームフェラ栄光の年よりロームフェラとともにありて、人の伝統と格式を守り続ける者”…………?」

 

 父に聞いたことがある。ロームフェラ財団が成立した旧世紀1954年のことを、財団の栄光の年と呼んでいると。

 

「…………まだ、わからない」

 

 真実には遠い。だけど、尻尾が見えてきた。紙巻きはあと2つある。それを開き、解読すれば……。

 

「そこまでだ」

 

 しかし、その行為は後頭部に突きつけられた冷たく硬い感触に遮られた。そして、冷徹を装う低い声。

 ネメアにはそれが、振り向かなくても誰かわかる。

 

「どうしたの、お姉様……?」

 

 スピン・ノーリ。両親を失ったネメアにとって、ただ一人の肉親だった。




TIPS
エリザ
30歳。北欧系の顔立ちをしているが、中東系の特徴も見えるため様々な人種と交わった血筋であることが伺える。
暴動の起きたコロニーの生まれで両親を失い、人身売買組織に囚われていたところをオルト・ノーリに保護される。
その後、ノーリ家にメイド見習いとして雇われスピン、ネメアとは親友でもあり、主従でもあるという間柄。
マイペースかつ豪胆な性格で、可愛いものが大好き。


スピン・ノーリ
26歳。現ノーリ家当主であり、ネメアの姉。
父に強くあれと教えられ、父の死後強くノーリ家を守り続けた才女。
ネメアを溺愛していたが、その愛情は悲しくもつれあっていく。
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