新機動戦記ガンダムW~scarred Leo- 作:元ゴリラ
「痛い……っ、痛いよっ、痛いよぉっ!?」
鉄の棺の中でトワリは、そんな激痛に身体を苛まれていた。
ウイングガンダム・スターダストは無事だった。リーオーの自爆といえどガンダニュウム合金はとにかく堅牢、また内部の精密機器や任務遂行のために特に大事な部分は装甲も厚く作られている。それでも装甲表面はボロボロだったが、なんとか飛行を持続し帰還することはできた。
これがガンダム以外だったなら、今頃トワリは爆風の中で焼け死んでいただろう。それでも生きているのは、それだけガンダムというマシンが頑丈にできていたからだ。
それでも、モビルスーツ戦を続けることはできなかっただろう。仮に今バスターライフルを撃てば、ガンダムごと溶けてしまう。それだけの損傷を受けていた。いや、或いはこの状態でバスターライフルを撃てばジャムを起こしかねない。精密機器と熱光学機器の塊であるバスターライフルをあの状況で使うのは、ガスの充満した部屋でマッチを擦るようなものだ。そうなれば、きっとトワリは今こうして痛みを感じることもできなかったはずだ。
それに、コックピットは安全でも中の人間……つまりはトワリへの衝撃は軽いものではなかった。それが今、トワリが痛みにもがき叫んでいる理由である。爆発で起こる火炎には耐えられても、爆風で機体は大きく揺れ、衝撃でシートベルトが外れた。すると衝撃はそのままトワリを襲い、トワリはガンダムの中で何度もシェイクされてしまうことになった。
ヘルメットをしていなかったから、何度も頭を打った。コックピットの中はとにかく、硬い。鉄の塊に身体を思いっきりぶつけると痛い。ガンダムの開発者は、エアバッグのような気の利いたものは搭載しなかったらしい。トワリは知らなかったことだが、ガンダムとは本来片道切符の特攻兵器なのだ。特にガンダム01……ウイングガンダムと呼ばれたトワリの“スターダスト”の原型機は、パイロットの安全をまるで考慮に入れていなかった。その中でトワリは頭を強く打ち付け、肺が潰されんばかりに身体を上下させ、鞭打ち、擦り剥き、痣を残し……そしてなんとか操縦桿を掴むと、衝撃で脳震盪を起こしかけた今の自分ではこれ以上の操縦は無理と判断し自動操縦に切り替える。
そしてシートベルトを締め直すと、今度は大丈夫なようにガムテープで固定。
これで生きていられたのは、トワリの身体が普通ではないから。他の人間なら耐えられないGでも、怪我でも行動ができるように調整されている。それでも、痛いものは痛い。
スターダストは無事だが、左腕が吹き飛んだらしい。飛行中の重心が右に傾いている。そういえば、関節部をビームサーベルで焼かれていた。だから脆かったのか。そう、激痛の中でもトワリは思う。しかしそのせいで、低空飛行すればいつ墜落するかわからないこともわかってしまう。高度をこのまま、拠点へはほぼ墜落すれすれの着陸になる。そういう計算で空路を入力する。エンジンに損傷がなかったのが幸運だろう。これならば、今のままなら墜落の心配はない。あとは、拠点への着陸時にバランスを崩さないことを祈る。とにかく、自動操縦に任せている間トワリは全身を打つ痛みにもがき、苦しみ……その苦しみを和らげるように鎮痛剤を投与し、投与し、投与し、だけど幼い頃に受けた度重なる投薬実験で耐性ができているのかまるで効かず、さらに鎮痛剤を投与し、投与し、投与する。
「あっ……いっ……や、やぁ……」
薬を打つ度に思い出す。地獄のような日々。
あの頃の記憶が蘇る痛みにもがきながら、トワリの記憶は溢れ出す。幼い頃にテロで両親を失い、行く当てもなくストリートで物乞いをしていた日々。「汚らしいガキ」と大人たちに煙たがられ、なんとか盗んだパンを歳上の男の子たちに奪われて、仕方なく泥水を啜りネズミか昆虫の死骸に噛り付いていた日々を。そこから施設に保護されて、満足な食事と寝床を与えられた代わりに、身体を差し出した日々。兵士の筋力強化薬、残虐性の増幅薬、殺人行為への抵抗感を薄れさせる薬、それだけじゃない。人道的な観点から認可の降りないありとあらゆる禁止薬物。施設の人達は最初、「最強の兵士を作るための実験」と言っていたけれど違う。あれは実験をするための実験だった。そんな意味のない実験のために何本も何本も、何本も何本も何本もそれらを投与されて、同じ施設に保護された子供達同士で何度も何度も、何度も何度も何度も殺し合いをさせられた記憶。パンを奪った男の子の心臓にナイフを突き立てた時は、興奮した。自分よりも幼い女の子の頭を撃ち抜いて脳漿を見た時は、笑いが止まらなかった。だけどその度に、精神がすり減っていく。何回も何回も、何回も何回も何回も何回もそれを繰り返して、そしてある時、お姉ちゃんが助けてくれた。
けれど、お姉ちゃんは今トワリの隣にはいない。あの無感動な視線から救い上げてくれたひとはいない。お姉ちゃんがは私よりも「システム」が大事なんだ。人間じゃないのに。ああ、なら私もシステムになれば、お姉ちゃんは好きになってくれるかな。目的のための人形に。手段のための目的に。そうすればまた人間になれるのかな。でも人間は私をいじめる。だから嫌、嫌い。だから殺した。たくさん殺した。お姉ちゃんのお姉さんも。きっと死体も見つからない。違うの、お姉ちゃん。私のせいじゃないの。あいつがあんなこと言わなきゃ私だって。やめて。見ないで、私を見ないで。また薬が打ち込まれる。痛い、痒い、熱い。口からも薬を無理やり飲まされる。甘い、苦い、しょっぱい、ドロドロする、ザラザラする、やめないで。なんで、身体がおかしい。楽しい、嬉しい、激しい、違う。私はこんなの、ダメ。怖い、暗い、ううん明るい。自分が自分で無くなってしまう。私は人間、ううん人形。だって人形なら、痛いことされても怖いことされても平気だから。なのに、なのにお姉ちゃんは私を人間にして、にんげんにしてくれたのに。なのに。なのに今は。なのに今はどうして、お姉ちゃんは私を見てくれないの。
どうして。
「どうして、助けてくれないの。お姉ちゃん……」
フラッシュバックの中でトワリは、糸の切れた人形のように意識を失った。
…………
…………
…………
「……リ、トワリ」
トワリが意識を取り戻したのは、スターダストが不時着したルクセンブルクの教会。そこでガンダムのコックピットが開かれて差し込んだ朝の光に照らされてだった。
「……司祭様?」
青い修道服に身を包んだ女性が、コックピットからトワリを覗き込み、その赤毛を撫でていた。
「ええ、おはようございます」
そう、司祭様……シフル・ヴェルヌは微笑んだ。陽の光はシフルの黒髪を青く反射させて、青と白で整えられた修道服もシフルの美しさを引き立てている。だけどその笑みを見て、トワリは思い出す。
「私……」
トワリは、「システム」の回収という任務を受け、そしてガンダムで出撃したのだ。できることならば、お姉ちゃんも連れて行きたい。そんな欲をかいて出撃して……今トワリは無様を晒している。
「あ……、いや。ごめんなさい、司祭様」
どうしよう。トワリは自分のしたことを理解して愕然とする。「システム」は回収できず、組織の中でも大事な資金源だったスピンを殺して、しかも司祭様から預かった大事なガンダムを壊してしまった。
これは、司祭様への裏切りだ。髪を撫でるその手が、怖い。いつ拳骨に変わるのかと思うと、払いたくなる。だけど、そんなことをしたら拳骨では済まされない。
どんなおしおきをされるかわからない。トワリは身を屈ませ、手で頭を抑えようとするがうまく身体が動かない。鎮痛剤の過剰摂取による副作用で、身体が重い。
司祭様……シフル・ヴェルヌはそんなトワリを見てくすくすと笑う。まるで、ふわふわのぬいぐるみでも眺めているような目にトワリを慈しみの目で見ていた。
「可哀想なトワリ……あなたは何も悪くないですよ」
そして、慈しみの言葉を吐く。
「…………本当に?」
「ええ。悪いのは全てネメア・ノーリです。ネメアにいじめられたのでしょう?」
ネメア。その名前が出てきてトワリの動きが一瞬、固まる。
「お姉ちゃんが、私をいじめた……?」
そんなはずない。お姉ちゃんは優しくて、私にアイスクリームをくれた。
「そうですよ、トワリのお姉ちゃんだったネメアはもう、トワリがいらないんですって」
そんなはずない。お姉ちゃんは強くて、私をあの組織から助けてくれた。
「ネメアはトワリより、「システム」……レイナの方が大事なんですって。レイナのことが大好きだから、もうトワリはいらない」
そんなはずはない。だって政府に引き渡す前にお姉ちゃんは「また会える」って言ってくれた。
だからトワリは今まで頑張って生きてきたのに。
なのに、どうしてお姉ちゃんが自分を殺そうとするのか。まるで、理解できなかった。だけど、
「お姉ちゃんは……私より、「システム」の方が大事で、私が「システム」を奪おうとするから、嫌いになっちゃったの?」
「ええ。お姉ちゃんは、トワリが嫌いだから殺そうとしたの」
ピキ、と何かがひび割れた気がした。トワリの中にある、大切な何かが。
「あは、あはははは…………」
人形でいれば、いつかお姉ちゃんが助けに来てくれて自分を人間にしてくれる。そう思うことで、“ロワゾ・ブルー”での活動を耐えてきた。自分があの施設で受けた様々な投薬実験。残虐性の増幅実験。研究者たちの間で「共喰い」と呼ばれていた被験者同士の殺し合い。それらの成果としての、完全なる兵士……兵器のパーツとしての自分。楽しんで殺しをする自分。それに耐えてきた。
作戦活動をすればそのあと必ず催す嘔吐にも、興奮すればするほど後で気分が沈んでいくことにも、それと……4歳まで育ててくれた顔も覚えていない両親から授かった僅かな道徳観が摩耗していく感覚にも。
いつかきっと、お姉ちゃんが助けに来てくれて、自分はお姉ちゃんと同じ人間になれると思っていたのに。
お姉ちゃんは、あの「システム」を選んだんだ。自分が何者なのかもわからない、人形ですらない不完全な「システム」を。
だから、私はいらないんだ。
「なら……私もお姉ちゃんなんかいらない」
思えばそうだ。「また会えるよ」と言って3年間もお姉ちゃんは会いにきてくれなかった。お姉ちゃんは最初から、自分のことなんかみてくれてなかったんだ。そんな簡単なことに、気づけなかっただなんて。
トワリは立ち上がる。もう、痛みは引いていた。元々、筋力強化剤を嫌と言っても無理やり投与され続けてきた身体だ。こんなのはもう、痛いのうちには入らない。
「お姉ちゃんから「システム」を奪って……泣かせてやる。それから、お姉ちゃんを私の人形にするんだ。それが……」
それが、復讐。自分を捨てた人への。
「ええ、ですから今日は休みましょう。ガンダムも修理しなければなりませんしね」
シフルがそう言って微笑む。その微笑みは安らかで、トワリの心に入り込む。
そうだ。何を怯えていたのだろう。とトワリは思った。たとえ殴られても、ぶたれても、蹴られても。いつでもトワリが求めれば微笑みをくれる優しい司祭様なのに。
司祭様の人形でいることが、一番幸せなことなのに。
「ああ……お姉ちゃんはこの幸せを、知らないんだ」
シフルの腕の中で、トワリはそうポツリと呟いた。だったらやっぱり、お姉ちゃんも連れ帰らなきゃ。一緒にお人形にならなきゃ。それは、とても愉快な想像だった。
…………
…………
…………
それと同じ頃、イギリス・ロンドン。ライトレード・イレブン警部は新聞を見て眉間に皺を寄せていた。
「…………あの跳ねっ返り娘、今度は何をやらかした」
新聞の見出しは、『パリでテロ発生。ロームフェラ系貴族の屋敷半壊』というもの。その写真には、たしかに「アイアス」の姿が映し出されていた。
「ネメア……一体何に巻き込まれてやがる」
ライトレード警部はあの後、気になっていくつか調べていた。ネメアの連れていた女の子……レイナのこと。それと死んだエリオット男爵や、レイナが動揺していたシャトル行方不明事件。調べてみれば見る程、キナ臭い。
エリオット男爵は、ロームフェラ財団の中ではやや地位の低い人物だった。しかし、どういうわけか常に一定の財力を所持し、時には上の地位にいる貴族に対しても発言権を有していたらしい。そこには、謎の金の動きがあった。しかし、その金を調べるとどこかで必ず線が途切れる。
シャトル行方不明事件の前後、L4コロニー中域には「ガンダム」の目撃情報があった。無関係かどうかは不明。尤も、ガンダムに似せたモビルスーツをどこかが作っている可能性も否定できないし、ガンダムの戦いが人々に与えた衝撃を考えれば都市伝説の類である可能性も然りだ。
しかし、レイナに関してはどうだ。レイナが検査を受けた病院で、カルテを見せてもらった。そこには、人間にはありえない症状がいくつか見られた。例えば、肋骨の一部がチタン。その奥には強い熱を発する何かがある。それが心臓と共生している。
レイナの主治医……ライトレードの娘でもあるフィフスは、それを「機械人間」と呼んでいた。フィフスも、レイナの症状に気になるところがあり、それに近い症例を探していた。
そして、このパリのテロ事件。ネメアは……或いはレイナは、そのどちらもが大きなヤマを踏んでいる。刑事の勘がそう告げている。
新聞をデスクに起き、コートを羽織る。もし、これが大事件ならばそれは、ライトレード・イレブンの刑事人生の汚点だ。
「どこへ行くのですか、警部」
部下のポットー刑事が、ライトレードを呼び止める。
「事件だ。どうしても確かめなきゃならんことがある」
「自分もお伴します」
「いいや、来るな。これは俺の独断だ」
帽子を被り、刑事課の扉を開こうとすると、外から誰かがドアノブを握っているのか引く力と押す力が妙な具合に引っ張られる。ライトレードがドアノブを離すと、大きな力でドアが開け放たれた。
「あっ、わっ、わぁっ!?」
尻餅をついて転んでいたのは、黒縁眼鏡をかけた白衣の女性。
「…………何しに来た」
「あっ……パパ!」
ドクター・フィフス。本名フィフスート・イレブン。ライトレード・イレブン警部の娘にして、件の少女……レイナの診察をした医者だった。
…………
…………
…………
4年前のある日のことだった。作戦名「オペレーション・サープレス」犯罪組織の温床であるバルベルデ共和国への武力介入が、ネメアの軍人として初めて経験した実戦だった。熱帯のジャングルに四方を囲まれた先に、バルベルデ政府の大統領執務室がある。そして、その周辺には軍事基地や、研究施設。その多くが地球圏統一連合に指名手配された国際犯罪組織の温床であり、それこそがバルベルデの資金源……そんなものを連合が許すはずもなく、スペシャルズ所属のネメアにも出撃命令が下ったのだ。
「銃を降ろしなさい!」
爆弾を投下されて丸腰になった格納庫にゲリラが入り込み、ネメアはモビルスーツに乗る前から対人戦になっていた。ネメアの愛機……車輪のついたリーオーの前で、ネメアはゲリラと銃を向けあっていた。
銃を持つゲリラは、女の子だった。黒い髪が印象的な、小さい女の子。子供にまで武器を持たせて、こんな特攻兵のような扱いをする。それはネメアが目の当たりにした戦争の現実。ネメアは、女の子が引き金を引こうとしたその瞬間、女の子の頭部を撃ち抜いていた。
人の頭が破裂する光景を、ネメアははじめて見た。女の子の黒曜石のような瞳が血の赤に塗れて飛び出し、黒い髪は無残に焼け焦げ、血と脳みそと唾液と歯と骨と肉とが飛び散った瞬間が、ネメアの目に焼き付いて離れない。
そのままリーオーに乗って出撃する時、女の子の死骸を踏み潰した。モビルスーツという巨大な鉄の塊では、動かないものを避けるのにも無理があった。
そして、ネメアは戦った。歩兵部隊にマシンガンをぶちかました。モビルスーツをビームサーベルで焼き切った。戦車砲をかいくぐりながら、ビームライフルを打ち付けた。そして、敵の拠点施設の一つに突入し、人体実験の被験者とされていた身寄りのない子供達を確保。研究者達を一斉に摘発した。
ネメアのバルベルデでの戦いぶりは、新兵ながら多くの兵たちの注目を浴びた。結果、エースパイロットの一人として、ネメアはOZスペシャルズに名を残すことになった。
だけど。だけどあの時もし女の子を撃てなければ。きっとネメアは出撃すらままならず死んでいただろう。あの時ネメアが殺した黒髪の女の子の、理由もわからないまま握る銃の重さを時々、ネメアは考える。あの子を殺した。それは、ネメアが選んだ選択だった。
あのジャングルの暑さを、思い出す。10月の涼しげな秋風に、揺られながら…………。
ネメア・ノーリが目を覚ましたのは、屋敷のベッドの上だった。
「私は……」
あのガンダムとの戦いで、スカードを失った。姉を、スピンを喪った。屋敷も半壊しており、現在封鎖されている。地元警察が忙しなく現場を検証しようとしたが、すぐに捜査は打ち切られた。それは、父の時と少し似ていた。
あれから一夜が明けて、朝が来た。いや、時計を見ればもう午後。どうやら、随分と眠ってしまったらしい。ベッドから起きあがると、下着姿のままネメアは窓の外を見やる。
「お姉様……」
見えるのは、崩れた屋敷の半分。父の書斎と、姉がそこにあった。瓦礫に巻き込まれてエリザの花壇も潰されてしまった。思い出が去来しては、消えていく。父のこと、姉のこと。
と、とんな時だった。
「ネメア、起きてる?」
コンコン、と音がする。それと、鈴のような可愛らしい声。
「ええ、起きてるわ」
そう答えると、ドアノブを回してレイナが入ってきた。
「あのね、エリザさんが食事を用意してくれて…………あっ!?」
そう言いかけながら、顔を真っ赤にしてレイナは視線をずらす。その様子を見てようやく、ネメアは自分が下着姿のままなのを思い出した。
「ああ、ごめんなさい。すぐに着替えるわ」
いつも「アイアス」のシャワー室でほとんど見てたのに、どうして今更恥ずかしがるんだろう。と不思議に思いながらも、ネメアは折りたたまれていた着替え……おそらく、エリザが用意してくれたものだ。姉が……スピンが着ていたものかもしれない。赤い、紅葉柄の薄手のセーターと、ロングスカート。こんな女の子みたいな格好をスピンが好んでいたのかと思うと、少々可笑しくなる。
「う、うん……わたし、待ってるから」
レイナはそう言って、ドアの前で立っていた。背中で息をしているのがわかる。よほど、焦ったのかもしれない。
「いいのよ、先に行っても」
ネメアがそう言うと、レイナはぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、ネメアと……一緒に行きたいの」
「……そっか。じゃあ、待ってて」
「うん……」
姉の私服は思っていた以上に女の子女の子していて、普段ジーンズとジャケットで通しているネメアにとっては懐かしくて、恥ずかしかった。だけど、早く着替えて、レイナのところに行こう。そうネメアが思うのに、今の会話は十分だった。
…………
…………
…………
「ルクセンブルク、ですか」
昼食を取りながらエリザが最初に聞いたのは、ここから近いとも遠いとも言い切れない国の名前だった。
「ええ、父が残した最後のメモには、こう記されていたの」
スパゲティを小さくナイフで切りフォークの上に乗せた後、ネメアは煙草の缶に入っていた最後の紙片を取り出し、テーブルに広げる。レイナは、そんなネメアの動きを見ながら怪訝そうにくるくるとフォークを回し、スパゲティを絡め取って口に入れる。
“彼らの生まれた地、ルクセンブルク。そこに真実は眠っている”
ネメアの広げたそれを拾い上げ、エリザは思案する。敵はガンダムまでもを手中に収めている。それを相手にするには、自分たちだけでは危険ではないか。しかし、ネメアの目を見ればすでに行く気であることは見てとれる。ならば、とエリザは口を開いた。
「お嬢様。でしたらルクセンブルクで寄っていただきたい場所があります」
「寄り道?」
ネメアが切り取ったスパゲティを口の中に入れて、噛み締めて飲み込むのを見届けてから、エリザは続ける。
「ええ、お嬢様。ルクセンブルクに、ノーリ家の別荘があったのを覚えていますか?」
ネメアは少しの間顎に手を乗せて、考えるような仕草をする。しかし、すぐに思い当たって口を開いた。
「覚えているわ。小さい頃に何度かパパとママ、お姉様とエリザとで行ったわよね」
たしか、森の奥にある小さな屋敷。そうネメアは付け加える、エリザにとってもそこでスピン、ネメアと共に遊んだ記憶はとても大事な思い出だった。
「そこに戦時中、スピンお嬢様は何度か足を運んでいました。護衛も付けず、お一人で」
「…………お姉様が?」
「はい。スピンお嬢様が何をして、何を考えていたのかは存じません。しかし、“ロワゾ・ブルー”に関わることである可能性は高いように思います」
エリザとネメアがナイフで切ったスパゲティをフォークに乗せて食べるのを交互に見ながら、レイナは不思議そうにフォークを回してスパゲティを搦めとる。
「…………だとすれば、何かあるかもしれないわね。いいわ、ルクセンブルクではまず、そこに寄りましょう」
ネメアは布巾を手に取り、レイナの口元についたソースを軽く拭く。
「……エリザさんのお料理、美味しい」
「うん。エリザはね、私の料理の先生だもの。それに、私がいない間にもずっとお姉様の食事を作ってたんでしょう。前よりもおいしくなってる」
「ありがとうございます。今日はネメアお嬢様と、レイナちゃんのために、腕によりをかけました。よければ、こちらのオニオンスープもどうぞ」
今日のエリザの献立は、バターで炒めた玉葱をじっくりと煮込んだオニオンスープと、ハムとチーズを挟んでこんがりと焼いたガレット。そして、スピンのお気に入りだったナポリ風のスパゲティ。
ネメアがスープを一口飲んで、「懐かしくて、温かい味」と呟いた。レイナもそれに続いて、一口。
「……おいしい」
「ありがとうございます」
レイナの口にも合ったようで、一安心。
「……でも、不思議。フュンフのところで食べたスパゲティは、お皿の中でもうソースと絡めてあって、フォークで巻いて食べてたの」
ああ、成る程。とエリザは苦笑する。先程から不思議そうにネメアとエリザを交互に見ていたのは、この食べ方が不思議だったのか。と納得する。
「ああ、これはフランス風というやつです。茹でたパスタをもう一度温めて、別のお皿に分けられたソースをかける。それからナイフとフォークで食べるというのもですね。レイナちゃん的には、少々柔らか過ぎましたか?」
「ううん。トマトのソースも、小さなベーコンも、とってもおいしい」
そういって笑うレイナは、抱きしめたくなるほどかわいい。しかし、エリザはその衝動をグッとこらえて、改めてネメアに向き直る。
「出発するのなら、早い方がいいでしょう。準備が終わり次第、ここを出ましょう」
「そうね……物資をアイアスに積んで、ガソリンを補給したらここを発つわ。世話になったわね、エリザ」
そう言うネメアの瞳には、少しだけ寂しさの色が見て取れた。
前の時には、なかった色だ。
エリザを置いて、軍学校に行った時。
挨拶もなく、OZスペシャルズに入隊したネメア。
復讐のための戦いに身を投じたお嬢様は、もうここにはいない。
それに少しだけ安心して、だけどエリザは首を横に振った。
「お嬢様……私も、連れていってはくださいませんか」
「え?」
意外そうな顔をするネメア。どうもこのお嬢様は、自分がどれだけ想われているのか理解していないらしい。……全く、これはレイナちゃんも大変だ。とエリザは心の中で肩を竦めつつ、言葉を続ける。
「理由は3つ。ひとつは、お嬢様とレイナちゃんが戦いに集中できるように、私が家事全般をサポートします。もうひとつ、敵は私にとっては愛する人の……スピンお嬢様の仇でもあります。私にも、戦う権利がある。それと……」
一拍、エリザは深呼吸する。この言葉を、ずっと言いたかった。
「お嬢様は、前の戦いには私を連れて行ってくれなかった。それが、この8年間ずっと、悔しかった」
お仕えする立場なのに、いや、それ以上に親友だと思っていたのに。なのに、置いていかれた。思えば、スピンもだ。スピンも大事な秘密を抱えたまま、エリザに何も言わなかった。
「私は、お嬢様のメイドです。あなたの道具として命を捧げる覚悟はできています」
人間として、狂っているのかもしれない。とエリザは思う。エリザにとって何よりも大事なもの。それこそがスピンと、ネメアだ。2人の幸せのために一生を使いたい。そんな風に思ってしまっていた。自らの価値を自らの幸福よりも、他者の幸福に見出していた。それはきっと、人間として狂ってしまっているからだろう。
「どうか、私の命をお使いください」
だけど、きっとそれこそがメイドとしてのエリザの幸福なのだ。そう、エリザは理解した。愛する人のために命を捧げられるなんて。ああ、なんて幸福な人生なのだろう。だから、それがほしい。
テーブルの向かい側に、ネメアは座っている。その隣にはレイナ。主人の……スピンの席は空席だ。そのネメアは、エリザを正面から見据えている。
「……わかった。一緒に行きましょう」
そう、たしかに呟いた。
それを聞いて、エリザの表情はパッと明るくなる。
「あ、ありがとうございまーっ!」
「だけど、ひとつだけ訂正させて」
人差し指をエリザの口元に寄せて、ネメアはエリザの言葉を遮った。
「あなたは、私の道具じゃない。だから、あなたの命を使うわけじゃない」
「お嬢様……?」
「あなたは、私の友人で、大事な家族。だから一緒に行くの」
家族。かぞく。口の中で、エリザはその言葉を何度も反芻する。
「家族……」
レイナが、その言葉を小さく漏らした。
「レイナもよ」
「えっ?」
「私と、レイナ。それにエリザ。私たちは誰一人血も繋がってない。だけど……」
そこで、ネメアは言葉を切った。何か、言葉を迷っているのかもしれない。しかし、なんとかネメアは言葉を続ける。
「私達はここでこうして、一緒のご飯を食べている。そして、これからも、私たちは一緒にご飯を食べる。だから、家族」
そう言い切ってから、ネメアは紅茶を口に含む。それが照れ隠しなのは、エリザは長い付き合いで知っていた。
「……お嬢様」
「ネメア……」
エリザと、レイナからネメアは視線を向けられている。どことなく、ネメアの頬は紅潮しているようにも見えた。
「……だから、エリザの命を使うなんてしない。私とレイナと、エリザも生きて3人で生きる。私たちの戦いは、そのための戦い」
そう、言い切った。
「…………はいっ!」
生きるために。これから、お嬢様とレイナちゃんと。それは、天命だった。
生きるために戦う。生きるために生き抜く。それが、愛する人のための命の使い方。
「我儘をお許しください、スピンお嬢様……」
エリザは、そこにいない主人の席へ視線を向けてそう、呟いた。
…………
…………
…………
「アイアス」に積めるだけの物資を積み込んだ後、ネメアはレイナを連れて屋敷のとある部屋へやってきた。
「ここは、生き残ったのね……」
ネメアの寝室。小さい頃は、スピンと一緒に眠っていた部屋。そこには童話や児童文学の本が本棚に並んでおり、学習机もネメアが最後に見た時と変わらない。
ぬいぐるみや、お人形は本棚の横にある箱の中に眠っていた。パパが死んだ後、自分で片付けたものだ。
「ネメア……?」
不思議そうに、レイナが小首を傾げる。エリザが最後の支度を済ませている間に、自分を連れて何をする気なのだろう、と。
「レイナ、ちょっといい?」
「うん……」
ネメアに連れられるままにレイナは部屋の中に入っていく。そして、ネメアは衣装棚を開き、その中から一着のドレスを取り出した。それは、真珠のような輝きを放ったドレス。きめの細かい刺繍がいくつも組み合わさり、不思議な光を見せる。
「わぁ……!」
思わず、レイナは瞳を輝かせた。
「着てみたい?」
悪戯っぽく、ネメアは笑う。
「いいの?」
「うん、これね……お姉様からの15歳の誕生日プレゼントだったの。だけど、私は一度も着ないで家を出て行ったまま、大人になっちゃった。だから、レイナに着てほしい」
それが、せめてもの姉への手向け。姉の望んだ妹にはついになれなかった。だけど、姉が自分を愛してくれていたことは、知っている。
だからせめて、あの頃の少女だった自分を。スピンお姉様が愛してくれた自分を。
今ネメアが愛してやまない少女に、着てほしい。
そのために、この部屋に戻ってきた。世間知らずの箱入り娘だった自分の世界に。
「うん……」
レイナは、神妙に頷いて、ドレスを手に取る。
「……着るの、難しそう」
「手伝うわ」
「……お願い」
そう言って、レイナは今着ている服を1枚、1枚脱いでいく。その様子を見るのは少しだけネメアも気恥ずかしかった。やがて雪のような白くて、美しい、そして傷ひとつない珠のような背中が、ネメアの前に広がった。
レイナはドレスを自分で着てみて、やはり背中のファスナーがうまく閉められないらしい。ネメアがそれを優しく閉じながら、囁いた。
「……綺麗だね、レイナの背中」
「……そうなの?」
「うん……。私はね、前に大怪我して、その傷跡がまだ残ってる」
OZ時代にガンダムとの戦いで生き残った時、背中に刺さった破片はネメアに、沢山の傷を残した。それは、エリザにも伝えていない。
「…………でも、ネメアの背中はあったかいよ」
レイナが、ポツリと呟いた。
「……あったかい?」
「うん。だって、私が一緒に戦えるのは、ネメアの背中を感じるから。だから、私は戦うのが怖くない。ネメアが必死に戦ってる時に、私は後ろにいる。だけど、ネメアの背中が私を守ってくれるから、怖くないの」
恥ずかしいことを真顔で言う子だな、とネメアは思った。だけど、
「……ありがとう」
悪い気持ちは、しなかった。
「さ、できたよ」
最後に小さなティアラを頭に乗せて、ドレスアップ完了。衣装棚の裏にある大きな立て鏡に、レイナのその小さな身体が映し出される。そこに映っていたのは、寡黙な日本人形という、当初のレイナの印象が大きく揺らぐものだった。
頰を赤らめ、恥ずかしそうに微笑む白い顔。黒曜石のような瞳はくりっくりで可愛らしく、艶やかな黒髪は腰のあたりまで綺麗に伸び、その美貌を支えている。
ドレスを着たお姫様が、たしかにそこにいた。
「……やっぱり、似合うじゃない」
「……本当に?」
「本当よ。レイナは……綺麗で、可愛い」
ネメアは、レイナの細い肩を抱く。ドレスで露出した肩は華奢で、力を入れれば砕けてしまいそう。ネメアはその肩を優しく、抱きしめる。
レイナは、その肩を抱く手に優しく、自分の右手を重ねる。
その瞬間は、時間が止まっているようにすら感じられた。永遠の一瞬。その中に確かに、二人はいた。
「……これからが、本当の旅なんだね」
「ええ。敵の正体もわかった。きっとその先に、レイナの記憶につながるものもある」
「ねえ、ネメア……。あの約束、覚えてる?」
もしも、レイナの記憶が戻った時。レイナがネメアの敵だったとしたら。
ネメアの自由を奪うものだとしたら。
「私を殺してくれるのはネメアだって、信じてるから」
「…………」
沈黙が、流れた。それは、優しく、冷たい沈黙だった。
まるで銃声が響いた後、全ての世界が息を殺すような沈黙。
そうして、永遠の時間はやがて終わりを告げる。
2人は、「アイアス」へと戻り、エリザを加えてノーリ家を後にした。
…………
…………
…………
「どうなってやがる……!」
自家用車を運転しながら、ライトレード警部は毒づいていた。助手席には、フィフス。フィフスは、いくつかの資料をまとめた紙の束をめくりながら、ライトレードに説明していた。しかしそれはライトレードにも、説明をしているフィフスにも理解が及ばないものであり、それが事実だとしてもそれが何を意味しているのかがわからない。
「……レイナちゃんの身体が特別なのはわかった。だが、それはどういうことだ?」
レイナの身体が機械と混ざっているサイボーグだというのは、理解できる。しかし、だとしたらそのような身体になっている理由が必要だった。
自然界に機械を、コンピューターを体の中に宿して生まれてくる人間はいない。誰かが、何らかの意図を持ってそうレイナを改造したことになる。
「……もしかしたら、レイナちゃんの熱反応に似たパターンの反応をする機械がこの世にあるかもしれない。そう思って調べて、出てきたの」
それは、レイナの秘密を解き明かすヒントだ。しかしその詳細を聞けば聞くほど、わけがわからない。ともかく、この事実をネメアに伝えなければ。そう思いライトレードは、車をフランスへと走らせていた。
「なら、あの女の子……レイナちゃんは一体、なんなんだ?」
「種別としては人間、それは間違いないわ。あの子は機械が混じってても人間よ。心臓は動いていたし、脈もあった。血も通っている。細部の筋肉や眼球の一部が機械で強化されているけれど、ベースとなっているのは人間。それは、医者としてのプライドにかけて保証するわ」
だとしたら、レイナをそんな身体にした人間はなんのために。
なんのためにそんなものをレイナにつけたのかわからない。
「フィフス、もう一度言ってみろ。レイナちゃんの熱症状とよく似た事例を」
もし、レイナにそれと同じものがついているのだとしたら、それをつけたやつは人間じゃない。悪魔だ。ライトレードはそう断じる。
「Zoning and Emotional Range Omitted System……つまり領域化及び情動域欠落化装置。人間の脳領域を支配してあらゆる情報を瞬時に脳へ直接流し込み、そして通常の人間には耐えられない衝撃や痛みを麻痺させることで遮断、或いは欺瞞する装置。あの戦争で作られたガンダムのひとつが搭載していたそれの反応と、システム被験パイロットの脳波信号に、レイナちゃんとの共通点が見られたわ」
フィフスには、旧OZの軍事施設で取られたその資料を幸運にも所持している友人がいた。彼女は旧連合の軍人で、現在は統一国家の裏方仕事をしているらしい。
去年の戦争では、独断でガンダムの支援を行なっていたという。彼女にレイナのカルテを見せた結果、興味を持った彼女はそのシステム……彼女達の間では『ゼロシステム』と呼ばれているらしいそれのデータの一部をフィフスに貸してくれた。
当然、軍事利用をしないという条件付きで。
「レイナちゃんのそれが、ゼロシステムと同じものである証拠はないの。でも……それと関係がある可能性は低くはない。だから……」
「わかってる」
ライトレードはアクセルを踏み、スピードを上げていく。
ネメアが何を追い、何に追われているのかはわからない。しかし、ネメアが傍らに置く少女は間違いなく、危険。
嫌な予感を振り払うように、ライトレードの運転する車は夜の道路を駆け抜ける。もう、ネメアのいないパリを目指し。ただ、走っていた。
TIPS
ゼロシステム
ウイングガンダムゼロに搭載されていたマン・マシン・インターフェイス。パイロットの脳に直接あらゆる情報を流し込み、その中の未来を遂行させる。また、本来人間には耐えきれない衝撃や重力でもそれによる負荷を欺瞞し作戦遂行を可能にする。しかし、戦場にあるあらゆる可能性を一度に見るということに人間の意識は耐えきれず、多くの場合は廃人と化してしまう。