新機動戦記ガンダムW~scarred Leo-   作:元ゴリラ

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TIPS
トレーズ・クシュリナーダ
かつてのOZ総帥にして、世界国家連合の元首。
「EVE WAR」を巻き起こした張本人のうち一人。
人の闘う姿と歴史を尊んでいたが、同時に人を争いへと駆り立てる自らを悪と断じ、最後の戦いでアルトロンガンダムとの一騎打ちに敗れる。享年24歳。


獅子殺しの英雄

 そこは、暗闇だった。

 暗闇の中に、茫。と光が灯っている。蝋燭の火。燭台がテーブルの上に置かれている。その炎の中に浮かび上がるかのように、闇の中に男の顔が映し出された。

 美形、としか言いようがなかった。顔立ちはアーリア系。長く、整えられた眉毛に、慈悲に満ちた瞳。目鼻立ち、輪郭。そして立ち振る舞い。姿形だけでない。身に纏う衣服、醸し出す雰囲気、発される声、それら全てに品格の高さを伺わせる、まるで神が創った芸術品のような男。男は、正面に座る女を見据えながら駒を進める。男と女を挟むテーブルの上には、チェス盤があった。

 

「……まさか、君がそのように考えていたとはね」

 

 男の向かいに座る女……スピン・ノーリは男の進めた駒を見て、渋面を作る。どうやら、ゲームは男が有利らしい。

 

「……私と貴方の敵は同じ。違いますか?」

 

「違うね。いや、正確には私は“ロワゾ・ブルー”など最初から相手にしていない」

 

 男の語る言葉に、スピンは落胆するでもなく駒を進める。今、男はスピン・ノーリと対話と遊戯……その2つを持って彼女を見極めていた。

 男にとって、スピン・ノーリは今日までそこまで大きな存在ではなかった。

 いや、むしろ失望の対象だったと言っていい。父の仇に自らの首を差し出して、権力を得る姿は、美しいものではない。そう、男は思っていた。それが正しい姿であったとしても、彼女本来の無垢な魂を鎖で繋ぐ行為……そう、思っていた。

 しかし、どうやら自分は彼女を見くびっていたらしい。そう、これまでの対話で男はスピン・ノーリへの評価を改めていた。

 鎖に繋がれながらも、スピン・ノーリは魂まで飼慣らされてはいなかった。

 いずれ来る戦いの時を、彼女はしっかりと見据えていた。

 でなければ、こんなところで自分が彼女と会う運命はなかっただろう。しかし、男もまた既に自らの運命を、未来を見据えていた。その未来はスピン・ノーリと交わることはない。だから、ここでスピン・ノーリと対話したとして、己の運命が変わることはなかった。

 しかし、スピンの運命は、闘いはまだ終幕が見えていない。だからこそ、ここにきたのだろうと男は思う。だが、幸か不幸か己の次なる未来を占う力はもうここを飛び立ってしまっていた。

 

「……貴方にとって、“ロワゾ・ブルー”は敵に値しない。そういうことですか?」

 

 スピンが言う。「無論だね」と男は答え、彼の操るポーンはスピンのルークを取る。

 

「支配者を選定し、支配による長き平和を得る……。“ロワゾ・ブルー”はそうして今まで、世界を裏から支配していた。いや、支配していたつもりになっていたのだろう。だが、これからの時代に現れる支配者の素質を持つ者達は……彼らが操れるような器ではないということだよ」

 

 男の言葉に、スピンは眉をひそめる。それからしばらくして、スピンはまた駒を進めた。それが返答と理解して、男は続ける。

 

「今、人々に必要なものは支配者ではない。支配者のいない世界では、“ロワゾ・ブルー”は成り立たない」

 

「人は、支配者を求めると思いますが?」

 

「それこそが、“ロワゾ・ブルー”の見落としだ。獅子の女王よ」

 

 男のポーンが、スピンのビショップを落とす。しかし、それにより男のポーンはスピンのナイトに取られてしまう。その攻防に男は妖しく笑う。男は、徹底的に攻めるチェスを愉しんでいた。

 

「今、世界は激動の中にある。世界中で戦いが起きており、勝者は栄光を、敗者は歴史を作っている。そして勝者は支配者となり、世界に安寧をもたらす。それが、戦争だ」

 

「しかし、貴方はその立場から退いだ。支配者としての資質を持ちながら、貴方は支配者の責務を放棄した。そして、今なお貴方の支配を求めて戦う人々がいる。あなたが支配者にならないことで、戦争は激化している」

 

「そう。今人々は見せつけられている。心を失った戦争を」

 

 そう言う男の顔には、隠しきれない嫌悪の念が表れていた。

 

「バルベルデの動乱を覚えているかい?」

 

 スピンも、渋面を作る。

 

「当然です。妹が最前線に送られたのですから」

 

 スピンの妹……その人物には男も、心当たりがあった。

 

「ネメア特尉のことか……彼女は、あの地獄のような戦争を戦い抜いた。心を殺し、殺戮マシーンに成り下がることでのみ心を保てるような戦場で、彼女は誰よりも生き抜いて……人としての心すら摩耗し、機械のように敵を殺し続ける戦士となった」

 

 そう謳うように語る男を、スピンは睨む。その目には明らかな非難の色があった。無理もない、と男は思う。なにしろ自分こそがその戦場に最愛の妹を送り込んだ張本人なのだから。何を知ったような口をとでも思ったのだろう。しかし、そのような判断を下すことに男は常に心を痛めていた。だからこそ、自らがその立場を引き受けた。それは、ある意味では“ロワゾ・ブルー”の思惑通りだったのかもしれない。

“ロワゾ・ブルー”は歴史の表に立つことはない。しかし、歴史の裏で彼らの思惑が成就するように動いている。もしかしたら、バルベルデの動乱も“ロワゾ・ブルー”が手を引いていたのかもしれない。しかし、その真実に男は興味はなかった。

 男の興味は、裏で糸を引く卑怯者ではなく……目の前で起きている悲劇の方にあったからだ。

 

「私が支配者となることで根絶したかったのは、あのような心無い戦争なのだ。しかし、ロームフェラ財団はモビルドールを推奨することで、自ら戦争から心を奪った」

 

「…………味方の兵士が最前線に送られない。最も死亡率が高い場所に機械のコンピュータだけを送れるのは、人道的では?」

 

「たしかに、味方の死者は少なくなる。一方で、戦争という行為そのものが軽くなっていく。今行われているロームフェラの作戦はそのほとんどが、モビルドールによるものだ。彼らは戦争で失われるものに目を向けず、後に育つものまでも蹂躙してしまう。それは、少年兵を増やし難民に違法な改造を行って最強の兵団を作ろうとしたバルベルデと変わらない。それが、支配という行為で得られる平和の限界だと私は悟ったのだよ」

 

「…………」

 

 盤上では既に、大勢が決していた。スピンのキングは、四面を男の駒に囲まれている。スピンの手番で駒をどう動かそうと、あと5手で必ずスピンは王を取られてしまう。そういう状況に陥っていた、

 スピンは、キング自らで男のルークに引導を渡す。負けが見えて尚、最後まで戦い続けようとしている。その姿勢に男は、改めて好感を持った。

 

「……しかし、その支配に抗う者たちが現れた」

 

「……ガンダム、ですか」

 

「そうだ。彼らは決して勝てない戦いを続けている。彼ら自身が未来を見つけ、手に入れるために。自由を勝ち取るための戦いを、続けている。無垢なる者達だ」

 

 男は、言葉を続ける。その言葉の真意を、スピンは探ろうとするが理解が及ばない。

 

「無垢なる者は無軌道ではない。自由なのだ、心が。そして、真に無垢なる魂は人の心を動かすだろう」

 

「……貴方は、ガンダムが人の心に、支配へと抗う力を与えてくれると?」

 

 それは、あまりにも夢想がすぎる。そうスピンは言う。しかし男は、フッと笑うとスピンのキングを取り、その駒の底に手を入れる。パチン、と音を立てた王の駒。その中から1つの鍵を男は取り出した。

 

「君の友になることはできない。しかし、闘う姿を見せてくれた礼だ。牙を隠す者よ……君は、これをどう使うつもりかだけ、聞かせてもらおう」

 

 スピンは、男を真正面から見据えていた。そして、答える。

 

「私は既に、“ロワゾ・ブルー”に絡め取られてしまった人形にすぎん。いずれ、裁かれる時が来る。その時まで、妹と穏やかに……全てを忘れて過ごせるのならば、そうしたいさ。だが、それはきっと叶わない。私が共に生きたい人……私の妹……。そう、私の知る誰よりも気高い獅子はいずれ、“ロワゾ・ブルー”と戦うだろう。だから私が今望むのは、その時のためにネメアの剣を……獅子の牙を用意することだ」

 

 その答えを聞き、男は満足そうな笑みを浮かべる。そして、鍵をスピンの手に収めさせた。

 

「よろしい、ならば持っていくがいい。私がエピオンを造る過程で生み出したものだ。だが気をつけてほしい。それはエピオン同様、敗者のために用意したものだ」

 

 スピンは、鍵をポケットに入れて立ち上がる。

 

「妹は敗者です。強大な力に、時代という波に呑み込まれた敗者……。ですが、敗者こそが時代に楔を打ち込む。違いますか?」

 

 そう言って、不敵に笑った。その笑顔は飼い慣らされたペットのそれではなく、野生の中でしたたかに生きる獣の笑み。そう、男は感じた。

 

「成る程。ならば敗者である君達姉妹が、自らの宿命に勝利できることを願っている」

 

 男……かつてのOZ総帥トレーズ・クシュリナーダの言葉を聞き、スピン・ノーリは彼の屋敷を後にする。

 それがおよそ一年前。OZルクセンブルク基地での出来事だった。

 それを最後にスピン・ノーリとトレーズ・クシュリナーダは会うことはなく、その年の12月24日にトレーズは、平和への礎として、この戦争最後の戦死者としてその名を歴史に刻むことになる。

 

 そしてこの時スピンがトレーズから託された鍵は今、ノーリ家の別荘に保管されている。真の持ち主が、その鍵を開ける時を待ち続けている……。

 

 

…………

…………

………… 

 

 

 

 ルクセンブルクは、フランスの隣国にあたる小さな国である。ドイツ、フランス、ベルギーといった西洋強国に挟まれながらこの国は豊かな自然と文化、そして経済に恵まれていた。しかし、このルクセンブルクも、昨年の地球圏全土へと広がった戦火により大打撃を受けている。

 特に、旧OZ施設周辺はその被害も甚大であり、特にここはかのトレーズ・クシュリナーダがロームフェラ財団に幽閉された場所でもあった。ひとりの人間の影響力が、戦火を拡大させた。

 そんなルクセンブルクの森の中に、ノーリ家の別荘はひっそりと佇んでいる。場違いなトレーラー……「アイアス」が停車する。

 

「……ここも、変わらないのね」

 

 ノーリ家の別荘。それはネメアの、次なる巡礼地。運転席から見える景色は、ネメアの記憶を呼び戻す。そこにあるのは、幼い自分。

 

「ネメア……?」

 

「……私が最後にここにきた時のこと、思い出してた。まだ、パパとママがいて。お姉様と私と、エリザがいる」

 

 ネメア・ノーリという少女の、最も幸せだった時期。何度も帰りたいと思った、でももう帰れない時間。

 父も母も、姉ももうネメアにはいない。受け入れたはずなのに、その事実がネメアにのしかかる。しかし、センチメンタルに浸かっている時間はなかった。

 

「……ごめんね、心配した?」

 

「……ちょっとだけ。ネメア、お姉さんがあんなことになっても泣かなかったから」

 

 だから、ここで決壊してしまうのではないかと。そんな心配をしてくれたのだろうかとネメアは思う。やはり、レイナは優しくていい子だ。

 

「……ありがとう。でも、大丈夫」

 

 そう言ってネメアはレイナに笑いかける。思えば、レイナだけではない。自分自身も、レイナとともに過ごすうちに笑顔が多くなったとふとネメアは気づいた。

 一人で運び屋をやっていた頃には、想像もできなかった。こんなにも、自分は笑えるだなんて。それは全て、レイナがくれたものだ。そのことに感謝しつつ、ネメアはもう一人の家族に呼びかける。

 

「エリザ、どう?」

 

 少し前に降車して周辺と、別荘の中を調べていたメイドのエリザだ。ルクセンブルクが“ロワゾ・ブルー”の拠点であり、ノーリ家も“ロワゾ・ブルー”の一員であった以上、ここも安全地帯であるとは言い難い。そこで、自分が斥候と偵察をとエリザ自ら提案してくれたのだ。エリザの身体能力の高さは、パリで見せつけられた。何かあってもエリザなら自力で「アイアス」まで戻れる。そう判断してネメアはその提案を許可した。

 そんな危険を犯してでもここに立ち寄ったのは、スピンがここで何をしていたのかを調べるためである。スピンが何か、“ロワゾ・ブルー”に繋がるヒントを残しているかもしれない。それは希望的観測ではあったが、今はそれに縋るくらいしかできることがないのも事実だった。

 

「問題ありません。周囲に怪しい人影も……最近別荘内に人が出入りした形跡もありません。今なら、大丈夫です」

 

 そんなエリザの返事を確認して、ネメアは「アイアス」を車庫に入れて、レイナと2人で別荘へと足を運んでいった。

 

 

 

「お待ちしておりましたお嬢様、レイナちゃん。既に紅茶の用意ができております」

 

 先に別荘へ侵入していたエリザは、既にリビングの掃除を終わらせ、ティーカップを3つ用意していた。「アイアス」を降りたのは一時間前だ。その間に周辺と内部の調査を終わらせて、掃除とティータイムの準備までしていたらしい。

 

「……相変わらずの早業ね」

 

「ノーリ家のお屋敷よりは、遥かに掃除の手間はありませんから」

 

 そう言って恭しくスカートの裾を持ち上げて一礼する。エリザは、ネメアの目から見ても驚くほど優秀で、エレガントなメイドだった。

 

「でも、残念だけどお茶はもう少し先にしたいわね。何か見つけた?」

 

 その優秀なメイドに命じたのは、調査である。ここで優雅にティータイムするよりも前に、やることがあった。

 

「ええ、こちらを」

 

 エリザが懐から取り出したのは、小さな鍵。

 

「……これは?」

 

「ここの合鍵ではありません。テーブルに、わざとらしく置かれていました。おそらく……」

 

「……お姉様ね」

 

 スピン・ノーリは無意味なことは嫌う人間だった。ならば、その鍵にも必ず意味がある。

 

「わかった。エリザの心当たりには、この鍵を使う場所はないのよね」

 

「はい。ですので、これはお嬢様とレイナちゃんが来てから改めて調査すべきと思いまして」

 

 そのためにはまず、休息を。そう言ってエリザは、カップに紅茶を注いだ。

 

…………

…………

…………

 

 

 荘厳な青い教会。そのチャペルは“ロワゾ・ブルー”の構成員達の間で「祈りの間」と呼ばれていた。理由は単純。そこでいつも、司祭様が祈りを捧げているからだ。

 “ロワゾ・ブルー”の歴史は血と謀略の歴史である。旧世紀から今日まで、“ロワゾ・ブルー”は数多の人間を殺し、貶め、罠にかけ……そうして人類を守ってきた。その犠牲者への、慰霊。それは、現“ロワゾ・ブルー”代表であるシフル・ヴェルヌの務めである。故に、今日もシフルは祈りを捧げていた。犠牲となった者達へ。スピン・ノーリは組織の構成員として、よく働いてくれた。しかし、彼女は最後の最期で姉妹の絆を断つことができなかった。だから、死んだ。

 それは仕方のないことだとシフルは思う。故に、トワリを責めることも、スピンを罵倒することもしない。ただ、犠牲として胸に刻む。そして、死後の幸福を祈る。祈ることだけが、生者が死者に対してできることだから。

 

「……そうですか。ネメア・ノーリはルクセンブルクに」

 

 ルクセンブルクには、ノーリ家の別荘があった。そこにトレーラーを停泊させていると、組織の構成員からの連絡。

 

「……トレーズの遺産ですか」

 

 噂に聞いたことがある。スピン・ノーリはかのトレーズ・クシュリナーダから“遺産”を受け取っていると。それが何を意味し、どういうものかは知らなかった。いや、その噂そのものが組織の中でスピンに反感を持つ一部の人間が吹聴した法螺話というのが、シフルの見解だった。なぜならトレーズはスピンを快く思っていなかったはずだから。

 しかし、ネメアが向かったとなれば話が変わってくる。

 

「……トレンタを向かわせなさい」

 

 トレンタ。その名前を聞いて、構成員の男は眉をひそめた。

 

「よろしいのですか。あのような者に……まだトワリの方がいいのでは」

 

 そう男が言うのも、無理はないだろう。しかし、決断は既に下されている。

 

「トワリには過酷な任務の連続を任せてしまいましたから、オーバーホールが必要でしょう。それに、トレンタは優秀です」

 

 そう、トレンタは優秀だ。なんといっても彼には思想というものがない。ただ、本能のままに戦いを楽しんでくれる。そして、ネメアという獣を狩り出すのに必要なのは、トワリのようなペットよりもトレンタのような狩人だとシフルはこれまでの戦いで痛感していた。それ故に、未だに「システム」を回収できずにいる。それは、シフルの判断ミスだ。そのミスのせいでスピンは死に、トワリは精神に異常をきたした。

 全てはネメアにも資格がある故のことだった。次なる支配者。オルトの寵児であり、スピンの妹。彼女には、乱世の中でこそ輝く獣の女帝たる資質がある。そう、トレーズ・クシュリナーダやミリアルド・ピースクラフトと同じように。

 しかし、獣の女帝の首に鎖を繋ぐのは容易ではない。ならば狩り立て、四肢を撃ち抜く。そして「システム」を引き離す。そのためには、狩人こそが最適な人材だと言える。

 

「……わかりました。トレンタにすぐ向かわせます」

 

「ネメア・ノーリは相打ちとはいえガンダムを打ち破るほどの実力を持っています。油断はできません。“カルキノス”を使っても良いと伝えなさい」

 

 その言葉に、男は一つ頷いて「祈りの間」を後にする。残されたのは、シフル・ヴェルヌただ一人。

 

「ああ、もうすぐですねレイナ……」

 

 もうすぐ、その時が来る。その時が近づいている。それを第六感が告げている。シフルは、高揚する気持ちを抑えきれず立ち上がり、目を開く。そこにあるのは、漆黒の瞳。

 

「私の可愛いレイナ。我が娘……もうすぐ、逢えますね……」

 

 呟きは青い輝きの中に消える。そして、再びシフル・ヴェルヌは祈りを捧げる。時は近い。レイナが戻ってきたその時こそ、新たなる支配者がこの世に降臨する準備が整う。そうすれば、この世界に再び秩序が齎されるだろう。シフルは祈る。その時のために。

 

 

…………

…………

…………

 

 

 ティータイムを終えて、ネメア、レイナ、エリザの3人は例の鍵に対応する場所を探していた。鍵は、レトロな銀の鍵。デジタルやダイヤルではなく、鍵穴に入れて回すタイプ。しかし、エリザが見たとおりそれらしき場所は見当たらない。

 

「…………一体、なんなのかしらね。これ」

 

 ネメアが呟く。

 

「なにって?」

 

 そう返したのはレイナ。ネメアは、鍵を弄びながら答える。

 

「何の鍵かってこと。この屋敷は行楽用の別荘だから、見ての通りそこまで広くない。当然、調度品や部屋も最低限のものしかない。だから、鍵自体が不思議な異物ってこと」

 

 たしかに、隠し部屋があるようにはレイナにも見えなかった。或いは、その鍵はこの別荘で使うものではないのかもしれない。と考える。

 

「うーん…………地下、とか?」

 

 地下室なら、一見してわからない。安直な発想ではあるが、言うだけならタダだろう。とレイナは思った。

 

「そういえば、地下室や隠し部屋なんかは風の通り道があるので、そこから風の音が聞こえるなんて話もありますね」

 

 と、エリザ。ネメアはそれを聞くと、ポケットから新調した煙草を取り出し火を点ける。

 

「お嬢様、お煙草は身体に毒ですよ」

 

 エリザがそれを咎めるが、ネメアは煙草を口に咥え吸いながら室内を歩き回る。

 

「ネメア……?」

 

 怪訝そうに、レイナ。ネメアは無言で歩き回り、そしてテーブルの前で足を止めた。

 

「……煙の向きが露骨に変わった。テーブルの下」

 

 ネメアが言うと、エリザがテーブルをどかす。するとたしかに、テーブルの足に隠されて鍵穴があった。ネメアがしゃがみ、銀の鍵を入れる。

 

「……ぴったりね」

 

 ガシャり。音を立てて鍵が回り床のタイルをずらす。そこには、地下へと続く階段が伸びていた。

 

「…………ほんとにあった」

 

 呆然と呟くレイナ。

 

「レイナのおかげよ」

 

 煙草を携帯灰皿に捨てながらネメアが言う。

 

「ネメアも、探偵みたいでかっこよかったよ」

 

「ありがと。……昔見た映画でね。こうやって地下室を探り当てるシーンがあったの思い出したの。行きましょう」

 

 そう言って、右手を差し出すネメア。

 

「うん……」

 

 その手を取り、レイナ。

 

「では、私が殿を務めます」

 

 エリザがそう言って、3人は地下へと続く階段を降りていく。

 

「…………暗いわね。レイナ、足下に気をつけて」

 

 言いながらネメアは腕時計に付いていたライトを点ける。仄かな光が、暗い階段に射し込んだ。

 

「うん、大丈夫」

 

 ゆっくりと、階段を降りていくレイナ。こころなしか足取りがたどたどしいのはやはり、階段を踏み外さないようにしているからだろう。

 一歩、また一歩と地下へと進む3人。階段を降りるたびに、鉄の匂いが強くなっていく。まるで、工場のようだとネメアは感じた。或いは、モビルスーツの格納庫はいつも、こんな鉄と油の匂いが充満していたのを思い出す。違うといえば、格納庫はいつも整備士やパイロットの声で溢れていたが、ここは静寂に包まれていること。そして、階段を降り切る。

 

「…………これは、扉?」

 

 階段を降りると、そこにはさらに大きな扉。鉄の匂いは、その先から感じる。そして、扉の前には、生体認証キーが存在していた。指紋と、網膜がパスとなっている鍵。

 

「……スピンお嬢様しか、入れないのでしょうか」

 

 エリザが言う。ありえない話ではなかった。

 

「……ダメで元々ね」

 

 ネメアが手形になっているパッドに右手を置き、カメラに目を合わせる。システムはその指紋を解析し、網膜を解読していく。十数秒後、コンピューターが出した結論は、「承認」。大きな鉄の扉は、ゆっくりと開かれた。

 

「……お姉様、いつの間に私の指紋と網膜を」

 

 呆れたようにネメアが呟く。しかし、それはつまりこの先にあるものは、あのスピン・ノーリがネメアのために用意したものということになる。ドクン、と心臓の鼓動を感じた。

 

「お姉様……参ります」

 

 そうして、ネメア達はその先に足を踏み入れた。

 

 

…………

…………

…………

 

 

「……スカード?」

 

 最初にネメアが見つけたのは、黒いリーオーだった。左肩にラウンドシールドを装備し、脚部にローラーがついている。傷だらけの獅子。スカード・リーオー。

 

「これ、ネメアの……」

 

 スカード・リーオー。パリでの戦いで失われたネメアの愛機。違いがあるとすれば、ラウンドシールドに大きく獅子の紋章が描かれていること。それは、ノーリ家の家紋であり、OZ時代のネメアが特尉の称号を得た時に使用を許可されたパーソナルマーク。

 つまり、ネメアのための機体。

 

「リーオーだけではありません。見てください」

 

 エリザが指差すそこには、ハンガーに立てかけられたモビルスーツが二機存在していた。いずれも、リーオーではない。特徴的な外見をしている。

 一体は、左肩にラウンドシールドを付けたモビルスーツ。その特徴はスカードに似ていたが、リーオーよりもさらに華奢な見た目をしていた。機体色は緑色。しかし中央部は青く、胸に独特なシンボルが存在している。

 もう一体は、白かった。シールドだけでなく、何も装備していない。しかし、緑色のガンダムよりもずっしりとした体格をしていた。

 そして最大の特徴は、二体ともに共通する人間の目のような形をしたカメラアイと、口のように見える排気ダクト。そして、V字のツノ。

 見間違えようもない。この頭部のシルエットは、OZのモビルスーツにはない特徴だった。

 

「ガンダムが、二機……?」

 

 ガンダム。ネメアに辛酸を舐めさせた忌まわしき機体。

 そして、支配者に立ち向かった反抗の象徴。

 ガンダム。ネメアは口の中でその言葉の響きを反芻する。

 

「どうして、お姉様がこんなものを……?」

 

 わからない。しかし、由来がどうあれリーオー1機とガンダムタイプ2機がたしかに、ネメアのために用意されていた。

 

「……モビルスーツだけじゃなくて、装備もたくさんある」

 

 辺りを見回しながら、レイナが言う。確かに、「アイアス」の中に残っていたものと合わせて見ても軽い戦争が起こせるくらいの武器弾薬がそこにはあった。

 

「……戦争、か」

 

 できることなら、二度と関わりたくないと思っていた言葉だ。だが、今ネメアがしていることはたしかに戦争なのだと思う。国家間のものではない。個人と、結社。勝率のあまりにも低い戦争。

 

「……とりあえず、ガンダムの起動テストをしてみましょう。本当にガンダムなら、たしかに心強いからね」

 

「うん」

 

 そう言って、ネメアとレイナは緑色のガンダムタイプの前に行く。エレベーターが設置されていて、自動でコクピットの付近で止まる。まったく、地下室にこれだけの設備があるなんて。そう、ネメアは苦笑する。

 

「こちらにモニターがありますね。お嬢様、私が計測します」

 

 エリザが手早くコンピューターを操作し、緑色のガンダムの計器類を確認する。

 

「……アビリティレベル、オール100オーバー。間違いありません。これはガンダムです」

 

 アビリティレベル。戦闘用モビルスーツの性能を大まかな基準で表すパラメーターだ。AC195時点での最も一般的なモビルスーツ・リーオーをオール100とした場合どれだけ優れていて、どれだけ劣っているかを表している。

 

「問題は、私がガンダムを乗りこなせるかね」

 

 そう言って、ネメアはコクピットのハッチを開き、操縦席に座る。レイナも続いて、後部に手を置く。あとで後部座席を用意しよう。とネメアは思った。ハッチを閉じ、リーオーと同じ要領で機体のエンジンを入れる。

 

「こちらネメア、ガンダムの起動実験を開始します」

 

 ガンダムの、人間の目のようカメラアイが輝いた。

 

「エンジン出力……すごい。この機体、とんでもないパワーですお嬢様」

 

 ガンダムは、正常に起動したらしい。それを外でモニタリングしているエリザは、その機体出力に驚いている。少なくとも、リーオーなどでは相手にならないだろう。しかし、ネメアからの応答がない。

 

「……お嬢様?」

 

 怪訝そうに、エリザは通信を続ける。

 

「…………エリザ」

 

 ネメアの声が、帰ってきた。しかし、そこに喜びの色はない。むしろ、困惑の色が強い。

 

「おかしいのよこの機体。モニターが存在しない」

 

「え……?」

 

…………

…………

…………

 

 

 ガンダムのコクピットの中で、ネメアは困惑していた。

 まず、この機体にはモニターがない。カメラが捉えているものが、ネメアの目には映らない。一方で、ネメアの眼前にはマップモニターのようなものだけが存在していた。暗闇の中で、それだけが光っている。これは、シミュレーションゲームなどで多くの敵と味方を表示し駒を進める……チェス盤のようなものにネメアには見えた。

 だが、チェス盤を眺めながら戦争ができるのは指示を出す人間だけだ。兵隊はチェス盤の上で戦う。ネメアには、この機体の動かし方が全くわからない。

 

「どうなってるの、これ……?」

 

 ネメアの困惑をよそに、後ろから荒い息遣いが聞こえる。

 

「レイナ…………?」

 

 振り返るとレイナの頬は紅潮し、息が荒い。心なしか焦点も合っていない。

 

「レイナッ!?」

 

「ネ、メア……。おかしいの。たくさんの映像と、声が聞こえてきて。私に、何かをさせようとしてる……」

 

 咄嗟に、ネメアはガンダムの電源を落としてハッチを開ける。レイナを抱きかかえたまま、ガンダムの外へと出た。

 

「お嬢様、レイナちゃん!?」

 

 エリザが咄嗟に駆け寄り、ネメアはレイナの身体を近くに降ろす。

 

「エリザ、解熱剤を。レイナを休ませてあげて」

 

「はいっ。レイナちゃん、もう少し我慢してくださいね」

 

 エリザが、そう言った直後だった。けたたましいサイレンの音が、地下室に響く。エリザがガンダムのアビリティチェックをしていたモニターに、外の様子が映し出された。そこには、多数のリーオー。

 

「“ロワゾ・ブルー”……!」

 

 自分が来ていた上着のジャケットをレイナにかけて、ネメアは立ち上がる。

 

「エリザ、レイナをお願い」

 

「お嬢様……?」

 

「スカードで出る。私が、レイナを守る」

 

 そう言って、黒いリーオーの前まで行き、エレベーターでコクピットまで上がり、ネメアはその慣れた機体を操作する。

 

「お嬢様……ご武運を」

 

 レイナを抱きかかえて、エリザはリーオーを見送る。リーオーが歩き出し、コンベアの前まで行くと、光が射す。それは月の光だった。そこからエレベーター式に黒いリーオー、スカードは上がっていく。その途中、マシンガンとバズーカ。そしてマントのような装備がスカードに搭載された。

 マシンガンとバズーカ。どちらも実弾兵器。スカードの戦い方を心得た装備だ。何よりも、バルベルデでネメアが愛用した装備。

 

「お姉様、私のことをずっと見てたのね……」

 

 マントの方はよくわからないが、これもスピンが用意したものならば、絶対に有用な装備だろう。そう、ネメアは判断する。

 

「待っててね、レイナ。すぐに終わらせるから。ネメア・ノーリ、出るっ!」

 

 月夜に、漆黒の外套を羽織る黒いリーオーが発進した。

 

 

…………

…………

…………

 

 

 リーオーの数は3機。動きから察するに、モビルドールだろう。懐かしの相棒のカメラモニターで、ネメアは考える。

 周辺は木々に囲まれている。このような場所でビーム兵器を使うのは、御法度だった。ビームの熱で周囲の空気がイオン化し、それが火災の原因になる。

 同様に、モビルスーツを爆発させるわけにもいかない。的確に、機能だけを停止させる。それは、バルベルデ時代のジャングル戦でも鉄則のひとつだった。

 懐かしい空気。しかし、今の自分はバルベルデでの自分とは違う。今は、守るものがある。

 

「……大切なひとを守るための戦いって、落ち着く」

 

 これは、あの地獄のバルベルデでの殺し合いではない。あの時殺した少女の顔を一瞬、思い出した。今思うと、その顔はレイナに少しだけ似ていた。

 

「……だから、レイナに興味を持ったのかもしれない」

 

 あの子の願いを叶えるのが、罪滅ぼしになると思って。でも、今は違う。

 

「私は、レイナが好き」

 

 レイナのことを思うと、一緒にいたいと思う。それを恋と呼んでいいのかはわからない。ただ、ひとつだけ言えることがある。

 敵は、レイナを狙っている。

 レイナを、奪おうとしている。

 父を、姉を奪った奴らが今度は、レイナまで。

 例えそれが仕組まれた運命だったとしても、関係ない。

 バズーカ砲が、リーオーの一機を的確に撃ち抜く。動力部への被弾はしていない。ただ、頭部カメラを潰す。機械的な動き故に、モビルドールの動きは完璧だった。完璧だから、動きが読める。それは、ネメア自身強くなっているのか、それともこのスピンが用意したスカードが、ネメアの強さをより引き立てているのか。或いは。

 

「レイナは、誰にも渡さない!」

 

 スカードのローラーが回転し、加速する。モビルドールは完璧な動きでマシンガンの斉射をするが、その次々がマントに弾かれる。

 

「……なるほど、そういうこと」

 

 このマントの正体を、ネメアは理解する。繊維としてはカーボンだ。柔らかく、しなやか。しかしその中にガンダニュウムが織り込まれている。

 ガンダニュウムカーボン。このカーボンを着ている間、スカードはガンダムと同レベルの装甲を手に入れることができる。

 ——それは、トレーズ・クシュリナーダが考案したリーオー用の強化パーツだった。しかし、希少なガンダニュウム合金の殆どをOZはモビルドール・ビルゴの開発に使用し、トレーズが再び歴史の表舞台に立った時には用意できなかった幻の装備である。

 

「ガンダム相手には子供騙し。でも、モビルドールごときが相手なら!」

 

 銃弾の雨をかいくぐり、命中した部分はガンダニュウムカーボンに弾かれ、モビルドールはスカードの接近を許してしまう。そして、

 

「落ちなさい!」

 

 マシンガンを四角形のカメラに直接ぶち込む。視界を奪われた機械は、判断を行う材料を失い沈黙する。そして、もう一機のリーオーがマシンガンを打つ前に蹴り上げ、態勢を崩したところにバズーカ砲をぶちかました。

 

「これで、終わり……?」

 

 ネメアは周囲を警戒する。レーダーには反応はない。しかし、あの青いガンダム01の姿が見えない。

 

「スカードの自爆で、死んでくれた……? いや……」

 

 ガンダムが、あの程度で破壊できるとは思えない。それでも、打撃は与えたということだろうか。レーダーに何も映っていないということは、今回はこれだけか……そう、ネメアが判断した瞬間、ネメアは殺気を感じてローラーを加速させる。バキン、という音とともに、スカードのラウンドシールドがねじ切れた。

 

…………

…………

…………

 

 ネメアの前に現れたのは、巨大な鋏を持つモビルスーツだった。機体色は、赤。赤い身体と巨大な鋏は、蟹を連想する。

 

「キャンサー……? 違う、あれは水中用モビルスーツだったはず」

 

 蟹座を意味するキャンサーは、たしかにOZに存在していた。しかし、この機体をネメアは知らない。巨大な鋏を持った、人型のモビルスーツなど。しいて言えば、ガンダム02に似ている気がした。あちらもビーム鎌を持ち、レーダーに映らない特殊なジャミング機能を持っている。

 

「ククク……」

 

 リーオーの集音器が、そのモビルスーツの機体の周波数をキャッチした。中の声が聞こえる。男の声だった。

 

「…………」

 

 バズーカを構え、無言で発射する。敵の声を聞いてやる道理はない。しかし、バズーカの弾丸は赤い、蟹バサミのモビルスーツを傷つけることはなかった。機体の周囲に、黒い球が3つ展開されている。そして、その3つが囲んだ周辺に磁場が発生し、弾丸の威力が殺される。

 

「何よ、それ……!?」

 

「知らないのか? こいつはなぁ、プラネイト・ディフェンサーって優れものだぜ!」

 

 男の声が返ってくる。プラネイト・ディフェンサー。かつてOZで開発された“最強の盾”の名を冠するモビルスーツ・メリクリウスに実験的に装備された電磁シールド。その機能は後に量産モビルドール・ビルゴへと受け継がれ、驚異の防御力で従来のモビルスーツを圧倒した。しかし、その現物を見るのはネメアもはじめてである。

 

「だったらまず、あのシールドを破壊するしかない……!」

 

「できるのかぁ? こんな森林地帯で、ビームサーベルを抜くかいお嬢ちゃんよぉ!」

 

 蟹バサミのモビルスーツは、その巨大な鋏を構えてスカードに突撃する。

 

「あんなのに挟まれたら、ひとたまりもない!?」

 

 ローラーで逃げるスカードだが、推力はどうやら蟹バサミの方が上らしい。みるみるうちに追いつかれる。

 

「もらった!」

 

 バズーカを持っていた左腕を、捻じ切られる。

 

「くっ……!?」

 

「すげえなぁ、今俺は思いっきり腹を狙ったんだぜ。ははは!」

 

 男の声が、不快にネメアを刺激する。

 

「黙れ!」

 

 マシンガンはしかし、プラネイト・ディフェンサーが完全に無力化してしまう。

 

「まだやる気かお嬢ちゃん。気に入った!」

 

 蟹バサミは一歩、一歩とスカードに近づき、鋏を構える。

 

「四肢をもぎ取って達磨にしてやるよ……このトレンタ様と、カルキノスがなぁっ!」

 

 男の、舌舐めずりが聞こえた。

 

…………

…………

…………

 

「ネメア……!」

 

 嫌な空気を感じて、レイナは目を覚ました。額にはどっと汗が滲んでいる。どうやら、あのガンダムのコクピットで倒れてしまったらしい。

 

「レイナちゃん、まだ動いちゃだめです!」

 

 エリザが言うよりも早く、レイナは立ち上がりよろよろと歩き出す。

 

「わ、たしが行かなきゃ……」

 

 見えたのだ。あの時、ガンダムのコクピットの中で。

 

「ネメアが、死んじゃう……」

 

 そんなのは、絶対に嫌だ。

 

「レイナちゃん……何をっ!?」

 

 よろよろと、力なくレイナは、緑色のガンダムのコクピットを開いていた。コクピットの中なら、大丈夫。そんな確信がある。

 エリザの制止する声を無視して、レイナは緑のガンダムの中に入っていく。そして、ハッチが閉じ、カメラアイに光が灯る。

 

「…………ネメアは、何も見えないって言ってた。でも、見える」

 

 緑色のガンダムのコクピットの中、レイナは操縦桿を握り、マップモニタの点滅を眺めていた。ピピピピピピと、音が聞こえる。それが、ガンダムのマップモニタの音なのか、自分の頭に直接響いている声なのかわからない。だが、レイナの脳裏にはたしかに映像が見えている。

 赤い、巨大な蟹バサミを持ったモビルスーツに、レイナのスカードが追い詰められている。そして、四肢を捻じ切られ、最後にコックピットを潰される。そうしたら、ネメアは死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。いなくなる。この世から消える。そうしたら、わたしはまたひとりぼっち。ダメ、嫌。わたしを、私を殺してくれるのはネメアなの。大好きなネメアがいなくなったら、私は。

 

「いや……こんなの……ダメ……」

 

 だから、わたしがネメアを助けなきゃ。私があれを倒す。ネメアの代わりに、わたしが戦う。ネメアは、わたしに人殺しなんかさせないって言ってくれた。わたしの綺麗な手は、人を殺すための手じゃないって。だけど、違う。

 レイナの脳裏には確かに、見えていた。自分が撃ち殺した人の顔が。

 だから。

 

「わたしも……私も戦えるよ、ネメア」

 

 エリザの声が、遠くで聞こえる。行ってはダメだと言っているのかもしれない。だけど、もう遅い。

 

「レイナちゃん、ダメです! あなたはまだ……」

 

 エリザの声が聞こえた。管制でこちらに通信を試みているらしい。

 

「なら、エリザさんはネメアが死んでもいいんですか……?」

 

 あんなにネメアのことが好きなのに。薄情な人だ。そう、レイナは感じた。いや、エリザの言葉に何も感じなかった。ただ、今は戦わなければという命令が聞こえる。それは、心地いい。

 

「ですが、まだそのガンダムのテストも終わってないし、レイナちゃんに操縦なんて……」

 

「邪魔しないで……」

 

 うるさい。うるさいうるさい煩い五月蝿い。そのノイズを振り切るように、レイナはガンダムを歩かせる。思ったより、簡単じゃないか。頭の中に操縦方法が何かを通して……それが自分の中にある機械が教えてくれているのか、それともこのガンダムが教えてくれるのかはわからないが伝わる。だから脳が勝手に理解してくれる。これなら大丈夫。これならネメアを助けられる。

 レイナの脳に、機体名がダウンロードされる。これは自分の機械部分が行なっているのか、ガンダムがやっているのかレイナには理解できない。しかし、

 

「……ヘラクレス。そっか、ガンダムヘラクレスって言うんだ」

 

 その名前を、たしかにレイナは理解した。

 そうして、ネメアの乗るガンダム……ガンダムヘラクレスが、スカードと同じエレベーターを通り、出撃した。

 

…………

…………

…………

 

 既に、スカードは満身創痍となっていた。両腕を破損し、丸腰。なんとか生きていられるのは小回りのきくローラーと、ガンダニュウムカーボンのおかげだろう。しかし、そのカーボンマントがついに引きちぎられる。

 

「ハハハハハ! 次はその足を落としてやる!」

 

 興奮気味な男の声が、ネメアに響く。あと、できることは自爆くらい。しかし、ここで自爆すればエリザや、レイナまで巻き込んでしまうだろう。

 

「こんな……奴に……」

 

 殺される。そうしたらエリザも、レイナもきっとこの男の毒牙にかかる。なんとかしなければ。でも、どうやって。自分がこの男に泣いて跪けば、エリザとレイナは見逃してくれるだろうか。いや、そもそも敵の目的はレイナだ。

 

「クソッ……」

 

 ネメアが毒づいた、その時だった。緑色のモビルスーツが、赤いモビルスーツとスカードの間に割り込んできたのは。そのモビルスーツを、ネメアは知っている。あの、どう操縦すればいいのかわからないガンダムだ。それが今、動いている。

 

「どう、やって……」

 

「なんだ、ガンダムタイプ……。なるほどな、シフルが言ってた、トレーズの遺産とやらはこれか!」

 

 赤いモビルスーツ……カルキノスに乗る、トレンタという男は、丸腰のスカードからガンダムにターゲットを変更した、巨大な蟹バサミでガンダムを挟み込む。ガンダムは、丸腰の両手でそれを受け止めていた。

 

「はははっ!  もらったなぁ、ガンダムさんよぉっ!?」

 

 蟹バサミが熱を放ち、ジリジリとガンダムを挟む力を強めていく。しかし、

 

「…………ネメアを、いじめないで」

 

 ガンダムの両手が、熱を帯びる。それを一瞬、ネメアはカルキノスの鋏の熱が伝わっているのかと思った。しかし、違う。

 ガンダムの手自体が、灼熱のような熱を放っているのだ。そして、その熱が一瞬で冷たくなっていく。熱気と冷気。その両方を一度に送り込んでいる。

 

「な、なんだぁっ!?」

 

 カルキノスの蟹バサミが、みるみるうちに固まっていく。熱を奪われ、熱を送られ、中の精密機械が故障を起こしているのだ。その状態で力を入れられ、蟹バサミがショートを起こす。カルキノスは、咄嗟に鋏を捨ててガンダムから距離を取った。しかし、まるでその動きを予測していたかのようにガンダムの右腕から、鞭のようなものが伸びる。

 ヒートロッド。トレーズがガンダムエピオンに搭載した兵器。その試作版であり、こちらは伸縮型の鞭の形をしていた。それがカルキノスの腕に巻きつくと、高熱が機体を襲う。プラネイトディフェンサーの電磁シールドすら突き破る高熱。それはカルキノスの装甲や精密機器だけでなく、中のパイロットをも襲う。

 

「ぐ、グォォォォォォォッ!?」

 

 トレンタは、とっさの判断でカルキノスの腕をパージし、難を逃れる。しかし、次の瞬間にはもうカルキノスの眼前までガンダムは迫っていた。そして、ガンダムのツインアイが、トレンタの目の前でギラリと光る。

 

「こ、こいつは……ッ!?」

 

 怪物か。トレンタがそう言うよりも早く、ガンダムの高熱を伴う拳がカルキノスの胴体を貫く。たちまち、赤い体躯は爆炎に包まれる。

 周囲の木々に、カルキノスの爆炎が引火し、燃え広がる。それは、ネメアの恐れていた事態だった。

 

「…………レイナ?」

 

 ネメアは、確信していた。ガンダムのパイロットが誰なのか。あの動きは、レイナだ。レイナがモビルスーツの中で出す超人的な計算と未来予測。それを寸分のブレも起こさずにトレスすれば、あの動きができると。

 

「……ネメア」

 

 レイナの声はしかし、冷たかった。いつもの、優しい声ではない。まるで、心を殺してしまったかのような声。しかし、今はそれよりも。

 

「……消火活動を。このままだと周辺一帯」

 

 火事になる。そう言おうとした時、突然の雨が降り出した。予報にはない雨。まるでガンダムが、レイナが呼んだようにすら感じる。雨脚は強く、二人のモビルスーツを撃ちつける。この勢いなら、消防が来るよりも早く消火してくれるかもしれない。それにネメアが安堵したその時。

 

「……ごめんなさい。私、ネメアの傍にはいられない」

 

 そんな、声が聞こえた。

 

「え…………?」

 

 理解できない。というようにネメア。事実、どうしてそうなるのか理解できない。両腕を落とされたスカードで、ガンダムに近づこうとする。しかし、

 

「来ないで!」

 

 レイナの金切り声が、ネメアを止めた。

 

「レイナ……どうして……」

 

「私は、私が……私は!」

 

 思いつめたようなレイナの声が聞こえる。レイナが錯乱しているのだと、ネメアはすぐに理解した。今までにもあったことだ。ならば、

 

「レイナ! すぐにガンダムから降りて!」

 

 ネメアは叫ぶ。しかし、レイナは応えない。

 

「…………ごめんなさい。ネメア」

 

 そう言い残し、レイナは……ガンダムヘラクレスは歩き出す。森の奥深くへ。

 

「レイナ!?」

 

 追いかけようとして、足がもつれる。スカードの脚部が。ローラーに、土や石が挟まり詰まりを起こしたのだ。そのまま、バランスを崩してスカードは横転してしまう。ネメアがスカードから降りた時、もうレイナは見えなくなっていた。

 

「どうして……レイナ……」

 

 ネメアは、独り。レイナの消えた方を見つめることしかできなかった。

 

…………

…………

…………

 

 

 森の奥深くで、レイナは泣いていた。

 ガンダムヘラクレスに乗って戦っている時、まるで未来が見えるように自然と戦えた。訓練など一切していない自分が。ヘラクレスは、たくさんのものを見せてくれた。そして、その中には確かに、自分が人を撃ち殺した記憶があった。

 ずっと求めていた記憶。その1ページ。なのにちっとも嬉しくない。

 自分が人殺しだから。ネメアが綺麗と言ってくれた手が、もう血で汚れていたから。それに何も感じない機械人間だから。違う。そうではない。ヘラクレスが見せてくれた記憶の中にたしかに、いたのだ。

 ノーリ邸で見た、幼いネメアと瓜二つの少女が。

 少女は記憶の中で、泣いていた。

 

「パパ……パパ!!」

 

 自分が撃ち殺した男に寄り添い、泣いていた。

 

「ネ、ネメア……」

 

 男は確かに、そう言った。今のレイナが、一番好きな人の名前を。

 

「あ……ああ……ああ……!!」

 

 その時、レイナはたしかに理解した。理解してしまった。

 

「ごめんなさい……ネメア、ごめんなさい……」

 

 悪いのは、私。心のない機械人間の私。

 

「私が、ネメアのパパを殺したの……」

 

 森の奥深く、ヘラクレスのコクピットでレイナは独り、泣いていた。

 一番傍にいてほしい人は、いなかった。

 




TIPS
ガンダムヘラクレス
トレーズ・クシュリナーダがガンダムエピオンの前身として作ったガンダムを、スピン・ノーリが完成させたもの。緑色の体躯と、左肩のラウンドシールドが外見的な特徴だが、両腕のマニピュレーターは高熱と超低温を交互に繰り出し格闘戦において敵機の計器類を狂わせ、またエピオンのヒートロッドのプロトタイプでもある伸縮型のロッドを両腕に格納している。他、計12の対モビルスーツ戦想定武装を内蔵する決闘用モビルスーツ。



カルキノス
“ロワゾ・ブルー”が開発した強襲用モビルスーツ。そのコンセプトは旧OZのメリクリウス、コロニーが開発したガンダムデスサイズ、ガンダムサンドロックの特徴を受け継いだ格闘戦型モビルスーツで、ハイパー・ジャマーによる撹乱から、巨大なシザーハンドで敵機を破砕する。電磁シールド・プライネイトディフェンサーを装備しているが、機能中は電磁干渉が起こりジャミング能力を使用できないなどの弱点がある。
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