勇也の過去を聞いた二乃。彼の歩んできた人生に自分の母が大きくかかわっていたこと、そして、私も自分の大好きだった人を失ったときの気持ちはすごくわかる。零奈・・・母は闘病生活にも耐え、病気を克服し、教員にも復帰できて、これからずっと一緒だと思っていたのに、死んでしまった。
「それで、二乃ちゃん。もしよければなんだが・・・」
勇也が真剣にそう言うとポケットから取り出したのはカギだった。
「うちの店、使ってみないか?」
「・・・・・・」
二乃も話を聞いている限り、その可能性は考えなくはなかった。でも、上杉家の大切な場所だ。そんなところに入るなど、良いものなのだろうか・・・
「ありがとうございます・・・・考えさせてもらえませんか?」
「もちろん!それに、これは単なる提案だ。二乃ちゃんらしいお店を探してくれ!」
ひとまずは保留とした、正直、店の内装等を見たいとは思っていたが、二乃自身、今迷っている。あんな話を聞いた後というのもあるだろう。
「はぁ・・・」
その後は勇也と別れ、一人公園のベンチに座っていた。買い物の袋と一緒に背もたれに体を預ける。彼女の考えは自分のお店で上杉家のものを使用してもいいものなのかを考えている。あのお店は勇也が人生を犠牲にして、何年も守ってきたもの、それを私に託す理由がわからなかった。同じお店のビジョンだったから?レモンパイが美味しかったから?お母さんのお礼?
「なんで・・・私なんかに・・・」
二乃自身の考えではあるが、異分子が入るのは嫌いだ。最初に風太郎が家庭教師として来た時がそうだった。五つ子の家によくわからない男が入ってくるのは嫌で嫌で仕方がなかった。もちろん、それでいいことがあったのは認める。しかし、今私はそれの逆の立場になろうとしている。話を聞いただけでもわかる、上杉家の思い出、決意、意思、覚悟、どれも色濃く、固いもの。そんなところに入っていくのが・・・正直、怖い。料理人と言っても、学生レベル。プロの厨房と言ってもアルバイト。おまけに今は嗅覚が無い嗅覚障害者。子供のころから叶えたいと考えていたことだが、店を開くということが、自分には無理なんじゃないかと思う。
「・・・私って、大したことないのね」
そう悲観してしまう。そして、それを揶揄するように雨がぽつぽつと降りだした。傘を持ってきていない二乃だったが、自分の小ささを実感している。意外と雨に打たれているのが心地よくもあった。
「もう私には・・・」
俯いていると急に影が入り込み、雨が止んだ。いや、そうではない、誰かいる。
「何やってんだ?ずぶぬれだぞ?」
「フー君・・・どうして?」
傘に入れてくれたのは上杉風太郎だった。なぜ彼がこんなところにいるかはわからない。今は一花の手話の家庭教師を行っているのでタワーマンションにいるはずだ。
「家に忘れ物・・・と、お前が遅いから探しに来た」
時刻を確認してみるともうすでに夕方前だった。結構な時間この公園でボーっとしてたのだろう。
「これじゃ風邪ひくな・・・うちのほうが近い。二乃、少し歩くぞ」
そう言うと、持ってきてくれた傘を二人で使用し、体を温めるためにも近くにある上杉家に向かった。
「ただいま・・・親父!らいは!」
家に到着し、タオルを持ってきてもらおうとするが、誰もいない様子だった。
「悪い、ちょっと待ってろ」
そう言うと風太郎が一足先に上がり、家の中からバスタオルを持っくる。
「ほら、これ使え」
「・・・ありがと」
礼をいう二乃だったが、先ほどのことを引きずっているのか元気がない。二人は身体を拭き終えると、二乃には先にシャワー浴びる様に言った。
「・・・・・・」
無言でシャワーを浴びている中、二乃はこの下の階にお店があることしか考えてなかった。見たいきもちはあるが見てもいいものなのか、私にフー君ママの意思を継げるのか・・・そんなことを考えていると扉に人影が写った。
「二乃、着替え置いておく。俺のだが、我慢してくれ」
「ありがと、フー君・・・」
「・・・聞いてもいいか?何があったか」
やはり風太郎もおかしいことには気がついていた。普段だったら、失礼な話、二人きりーとか、初めてのフー君の家ーとか何かアクションがあるだろう。だが、終止公園のベンチの表情だった。
「・・・出たら、話すね」
そう言い終えると、風太郎は何も言わずに、その場を去っていった。
数分すると、風太郎が貸したジャージを身に纏った二乃が出てきた。以前五月にも貸したやつなので、サイズ等は大丈夫だろう。
「あ・・・」
二乃は何かを見つけると、それを見つめていた。その目線の先にあったのは母親の遺影だ。
「母さんだ・・・もう、亡くなったけどな」
優しそうな表情で、綺麗な遺影の埃を払う様にぱっぱと払う。写真を見ると、らいはに少し似ている。また風太郎の頭のぴょこんと跳ねている部分は母親譲りだった。
「・・・うん、知ってる」
ついさっき勇也に聞いた。
「教えたっけか?」
「・・・あのね」
今日の勇也とのことをすべて話した。両親は高校生で風太郎を生んだこと、夢のパン屋開業の前日に事故で亡くなってしまったこと、一時期、父親から避けられていたこと、零奈に会った事をきっかけにまた家族で再スタートしたこと。そして、自分の夢を語ったら一階のパン屋を使ってみないかと言われたこと・・・
「はぁ、親父。そう言う重い話をなんで話すかね・・・」
呆れるように、髪の毛をいじる風太郎。確かに、考えてみれば誰かに話していいものではないとも思う。
「でも、その・・・お店を貸してくれるって言うのはすごい魅力的だし・・・フー君パパはすごくいい提案をしてくれてるの・・・」
勇也は二乃のためを思って言ってくれているのはわかっている。だが、決められない。
「じゃあ、来いよ」
「え?」
そう言うと、無理矢理二乃を引っ張って外に出る。そして、下に降りると、風太郎は一階のパン屋のカギのシャッターを開け始める。
「固いな!」
その掛け声とともに、ガラララっとシャッターが開く。そして、扉を開ける。
「ほら、入れよ」
「・・・・・・」
風太郎に誘われるが、入っていいものなのかまだ悩んでしまっている。それを見た風太郎ある行動に出た。
「調子狂うな。らしくないぞ」
そう言って二乃の手を引き無理矢理中に入れた。中に入るとパン屋というよりも喫茶店に近い。カウンター席やテーブル席も用意されている。そして、長年使ってないという割には綺麗だ。
「こっちが裏で・・・」
そう言って厨房裏のほうに二乃を案内しようとするが、つかんでいた手は離れた。
「も、もういいよフー君。ありがと、見せてくれて」
無理矢理作った笑顔でそう答えるが、風太郎がそれに気がつかないわけがない。
「・・・親父に何を言われたかわからんが、二乃、一つお前に伝えておく」
そう言うと、彼女に向き合い、風太郎の考えを伝える。
「以前にここを貸してほしいって人は何人もいた、俺たちが使わない一階を貸せば、維持費も無くなり、お金も入って借金も減らせる。なのに、親父は拒否をした。でも、借金もほとんど返し終わっている今、親父が自分から二乃に使ってほしいと言った。そしてここは家族の思い出が詰まっている」
そう言い終えると風太郎はお店のカギ、そして、自宅のカギを置いて出て行った。おそらく、まだ見たいなら勝手に見て戸締りだけしておけということだろう。
「・・・・・・」
なぜだろう。先ほど風太郎がいったセリフを考えながらも、足は厨房へ向かっていった。興味もある。ただ、さっきの答えがもしかしたら裏にあるのではないかと考えてもいた。厨房裏に入るとパン系統の機械を中心に業務用のコンロ、フライヤー、グリルレンジやオーブン。ビザ釜まで存在した。
「すごい・・・」
これが店を開くということ、これらを駆使して商品を作って、売っていく。
「・・・これ」
次に目に入ったのはノート。その表紙にはレシピと書かれている。つまり、ここのメニューだ。何冊か読んでいくうちに、面白いものが目に入る。
「カレーパン、フー君のお気に入り・・・あ、子供のころの写真だ。可愛い」
カレーパンのページには赤ペンで風太郎一番人気と書かれていて、その横の写真に頬張っている子供の時の風太郎の写真があった。
「卵サンド、勇也・・・フー君パパのお気に入り・・・フフッ」
笑みがこぼれる。ドッキリ大成功という写真にはおそらく大量にマスタードを塗ったであろう卵サンドを口にした勇也とそれを見て笑う上杉家みんなの写真。
「らいはちゃん・・・一緒に作ったホットケーキ・・・」
今度はらいはのお気に入り、フー君ママと一緒に作ったであろう写真が乗せられている。顔をベーキングパウダーまみれにしている小さいらいはちゃんが可愛い。料理の才能は以前一緒に調理したけど昔からなんだ。
「・・・いいな、楽しそう」
レシピと共にみる家族写真。すごく楽しそう。そして、レシピの最後のページにあとがきの様なものが書いてあった。
次にこのレシピを見るのは誰だろう?風太郎?らいは?風太郎のお嫁さん?らいはのお婿さん?それともその兄弟姉妹?はたまた孫かな?なんて、言うけど、私は楽しくお店をやってくれる人がいいな。ここには私の家族の思い出がいっぱい詰まってます、ですが、私は気にせず、あなたらしくお店を盛り立ててください。そして、このお店でやってくれている・・・それはもう私たち上杉家の家族みたいなものです!レシピ良ければ参考にしてください!
「楽しく・・・あなたらしく・・・」
この時、二乃はある勘違いをしてしまったことに気がつく。決して、意思を継ぐなんてそんなことは誰も頼んでいないと、私が勝手に思い込んでいただけだ。そして、亡くなっているのにそれを見据えたように私を迎え入れて・・・いいんですか?思い出の場所に私みたいな異分子が入って?私をこうやって迎え入れて・・・
それを見て二乃はある行動をする。買った買い物袋の中から材料を取り出し始める。偶然にも小麦粉やドライイーストを購入していたのでパンは焼けそうだ。そして、渡そうと思っていたが、渡せていない卵、カレールー、パン粉・・・
「ふぅ・・・お借りします!」
そう覚悟を決めるように、二乃は調理を開始した。
「よし、これだけやればいいだろう台本の手話はオッケーだ」
「ありがと、フータロー君。これで私も手話マスター!」
場所は中野家のタワーマンション。一花のテストを終えて軽く復習を終えたところだ。
「ほう?では続いて、漢字表記編と、熟語編やってみるか?」
そう言うとどこからかわからないが、取り出した手話参考書を見せびらかす。
「あ、うーん、今はいいです・・・」
「冗談だ。よく頑張ったよ」
これ以上詰め込むのはまずいだろう。逆にこの二日間でよくここまで覚えてくれた。手話検定の4級か5級のレベルは覚えられているだろう。
「それにしても、二乃遅いね。夕飯作れない」
調理台で夕食の準備をしている三玖が材料がなく、できることが少ないためそう呟く。
「も、もしかして迷子!?」
「二乃に至ってはあり得ませんよ・・・あ」
車いすに乗りながらあたふたとする四葉に呆れるような表情で言う。逆にそうであれば、この状況になっているのがおかしいと五月は気がついた。
「・・・まさか誘拐!?二乃ってチャラい男に騙されそうですし!」
さりげなく酷いことを言う五月だったが、その後ろで紙袋でコンっ五月の頭を叩いた。
「誰が騙されそうよ!」
「あ、二乃お帰り!」
「ただいま。悪いわね遅くなって」
「お帰り(あれ?二乃ってあんなジャージ持ってたっけ?)」
一花の思った通りそのままの格好で来てしまった。しかし、その理由は彼女の紙袋にあった。
「みんな、カレーパン作ったから食べて!」
そう言うと揚げてから少したってしまったカレーパンが人数分配られる。まだアツアツで美味しそうだ。
「作った?」
五つ子からしたら買い物に行っただけでなぜ作ったのかはわからないが、とりあえず一口いただく。
「あ、美味しい!」
「ホントだ!」
「これは甘口のカレーを使ってお子さんにも 食べやすい・・・」
各々の反応をして、三玖もぱくっと食べる。
「うん、おいしい。二乃の愛情」
「う、うるさいわね・・・」
味覚のない三玖だが、美味しいと感じてくれているようだった。そして、風太郎はどうなのかと様子を持てみる。
「・・・うまい」
そうつぶやいたと同時に、夢中になって食べ進める。
「すげー、懐かしい」
以前食べたことがあるような味。懐かしい味。
「はい、フー君。カギありがとう・・・失礼!」
カギを返すと同時にスマホのシャッター音が鳴る。そこには風太郎が満足そうにカレーパンを頬張っている写真だ。
「なんだよ急に」
「いいでしょ別に・・・あむ」
そう言いながら自分のカレーパンを食した。この写真は自分用・・・何年も更新されていなかったレシピの写真を更新することにした。レシピ通りに作っただけだが、十分おいしい。でも、もっと二乃らしくしたいという気持ちもある。
「あっちも食べてくれたかな・・・」
「ただいま!まだ帰ってない・・・ん?」
どこかへ行っていた勇也が自宅に戻ると、テーブルの上に何かが置かれていた。
「卵サンド・・・手紙?」
卵サンドと折りたたまれた白い紙。それを読んでみる。
フー君ママのレシピで作りました。よかったら食べてください。
※マスタードは大量に入ってませんのでご安心を。
お店の件、詳しくお話させてもらえないでしょうか?お返事待ってます。
その下に二乃の電話番号とアドレスが書いてあった。
そしてその前に作ってくれた卵サンドを一口いただく。
「・・・うまい」
全く同じではないが、近い味。彼女の頑張りがうかがえる。それでもっておいしい。
「・・・一緒に食べよう」
そう言うと半分にしたものを皿に乗っけて、遺影の前にお供えをする。
「・・・ありがとう、二乃ちゃん」
彼女に感謝をし、勇也と奥さんは彼女の決意を受け取った。