朝、目覚ましの音が鳴り響き、むくりと風太郎が体を起こす。昨日の酒の影響はなく逆に気持ちのいい朝だ。
「二乃起きろ」
「き、気持ち悪ぃ・・・」
対照的に、二乃は平均ぐらいの摂取量にも関わらず、二日酔いのようだ。顔も少し青白い。
「水持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「水素水がいい・・・うぷ」
「ねーよ」
美意識と健康志向の発言はさておき、水道から一杯の水を汲んでそれを渡す。
「今日は寝てろ」
そういって、水を飲み干した二乃は布団に潜り込み、楽な体制になるのを確認する。昨日は少し無理をさせ過ぎてしまったのかもと少し後悔しつつ、風太郎は別の部屋で着替え、五つ子のタワーマンションへ出発する準備をする。
「スペアキー置いとく、後で返してくれ」
そう言い残し、風太郎は中野家に向かおうと家を出る。すると、家の前に見覚えのある車が停まっていた。
「ヤッホー、フータロー君」
「上杉くんおはよう」
高級車である、一花の所属している事務所の社長の車が停まっておりすでに、助手席には一花が座って、にこやかに手をふっている。
「一花、今からいくのか?」
「うん。頑張るね」
「じゃあ、行って来い、良い報告が聞けるように待ってる」
そう言い残しその場を去ろうとする風太郎だったが、バシッと腕をつかまれる。
「はいこれ、着替えてきて」
「??」
一花が渡してきたのはスーツカバー、ガーメントケースだった。
「上杉君。悪いんだけど、同行をお願いしてもいいかしら?」
運転席の社長曰く、事務所で他に手話に心得のある人がいないらしく、申し訳ないが教師でもある風太郎も何かあった時のために同行をするのを提案した。
「もちろん、お給料も出すし、一花ちゃんが困ったら軽くフォローするくらいでいいわ」
「はい、こいつは俺の生徒ですから」
そう言うと自室に戻り、渡されたスーツを着てみる。袖を通しただけだが、素人目でもわかる高級なものだ。社会人としてのエチケット関係も身につけて、車に乗り込み目的の場所へ走り出した。
「はいこれ、フータロー君のスタッフ証」
そう言って一花に渡されたのは事務所のロゴが入った「営業マネージャー上杉風太郎」と書かれた首掛けの名札だ。
「ああ・・・なんだ?マネージャーみたいなことをすればいいのか?」
「マネージャーっていうよりかは付き人に近いかな?」
世間のマネージャーは特定の人物のマネジメントを行うという印象が強いらしいが、マネージャーが担当するのは一人とかではなく十人単位らしい。一人の人物だけの専属マネは大変珍しい。
「あ、フータロー君。ネクタイ曲がってるよ」
そう言うと急いでセッティングしていたせいか、身だしなみが少し疎かになっているのに一花がネクタイをしっかり締める。
「ふふ、送り出す新妻の気分♪」
「今度お義父さんにでもしてやれよ」
「うーん。お父さんはそう言うのしっかりしてるからね。というかドキドキした?」
「ドキドキ・・・まぁ、いつか四葉にやってもらいたいとは思った」
「・・・そっか。じゃあ、四葉にネクタイの結び方教えておくね」
「一花ちゃん。上杉君が臨時マネージャーで浮ついちゃう気持ちはわかるけど、台本の確認もしなさいよ」
「はい。すみません」
「・・・(浮ついてるの否定しろよ)」
そんな会話をしながら台本の最終チェックを開始し、番組のセリフや流れはすでにつかんでいるし手話においても間違えはない。だが、車の中でスキは無いよう確認し終えテレビ局へ到着した。
到着すると受付の方に事務所と名前、番組名を伝えると、そのスタジオの場所を説明してくれた。そのスタジに向かう際にテレビで活躍してる方とすれ違うたびに風太郎は緊張するが、社長と一花は全く動じていない様子だった。これが芸能界。一般では立ち入ることすらない新鮮な場所だ。
「じゃあ、一花ちゃん頑張ってね。上杉君、終わるまでエントランスでコーヒーでも飲みましょうか」
「はぁ、わかりました」
何か仕事が振られるのかと思ったが、役者のオーディション中は時間を持て余すので基本別の事を行う。しかし、今回は風太郎も一緒と言うことで、特にやることはない。
社長とエントランスの自販機でコーヒーを奢っていただきテーブルに座る。社長はパソコンや資料を取り出し、仕事を始める。風太郎は特にやることもないので、コーヒーを飲む。
「はぁ・・・妙な疲れだ」
決して何かをしたわけでもないが慣れない環境の為、精神的な疲れが出る。
「まぁ、この仕事はメンタルに来ることが多いわね。やりがいはあるけど」
社長につぶやきが聞こえたのか、パソコン越しにそう呟く。
「上杉君がうちでマネージャーやるんだったら即採用よ」
「ははは・・・」
正直何もしてないのに疲れてしまっている。社長の言う通りやりがいはあるのだろうが、自分にはできそうにないと考えている。
「あ、社長お疲れ様です」
「あら、お疲れ様。あなたも今日ここだったわね」
「はい!CMなので、すごく気合い入りました!この前のグラビアで目にかけてくれたみたいで」
風太郎にとっては見知らぬ女性だが、社長の事務所の所属タレントとのことで先ほどCMの撮影が終わったらしい。ちなみにCMのギャラは桁が違うとのこと。
「確か、下着の会社だったかしら」
「はい!可愛いのです!私、もう数セット欲しいですよ!」
そう言ってタレントはその会社のカタログを社長に見せる。彼女の表情を見ていると一花だけでなくいろんなタレントに社長が慕われているのがわかる。そんな会話にに入れずにいた風太郎のほうに彼女が目をやる。
「お疲れ様です。新任の方ですか?」
「はい、上杉と申します。」
そう言って席を立ち深々と挨拶をする。
「あ、そんなかしこまらなくて大丈夫ですよ!」
ニコニコとした表情で座るように言う。愛想も良く礼儀正しい人だ。
「よろしければコレどうぞ」
そういって渡されたのはグラビア雑誌。表紙には彼女が写っていた。そんな人が今目の前にいるのは考え方によっては運がいいのではないかと思う。
「もし、お仕事ご一緒することがあればよろしくお願いしますね」
「あ、ああ、どうも・・・」
彼女が芸能人だということを改めて認識すると少し緊張してしまっているが、ひとまず頂いた雑誌に目をやる。
「・・・どうです?」
「・・・いいと思います」
「えー。もう少しないです?酷評とかでも全然受け入れますので!」
これと言ったアドバイスも出来るはずもない。なので素人目線で思ったことを言うしかない。早速彼女のページを見つけた。キャッチコピーに【おバカタレントの初挑戦グラビア】と書かれていた。
「おバカタレント?」
先ほど挨拶をかわす際にはそんな雰囲気を微塵も感じなかったが、テレビでは主ににバラエティでおバカキャラとして活躍をしているタレントだったらしい。
「芸能人って高飛車なイメージは多いけど基本常識人よ。うちの事務所はそう言った礼儀、マナー、社会人としての基本の研修を行ってるからね。特に、今は実力あっても人間的にそう言うのが出来なくて、仕事がなくなるってパターンもあるからね」
とのことらしい、とりあえず、隣で感想を求められているので、再びグラビア雑誌を眺めている。
「・・・全体的に明るくていいと思います。ですが、明るめの元気ハツラツって感じだけでなく、大人っぽさ?って言うんですか?そう言うギャップとか好きな人もいるかも・・・」
正直グラビア雑誌など目にしたことなかったが、言えるのはそれしかなかった。本当に単なる素人の意見だが、それを彼女は感心したように見ている。
「それ、カメラマンさんにも言われたんですよね。あんまうまくいかずに没りましたけど、プロと同じ意見出るなんて流石ですね!・・・あ、すみません、ちょっとトイレに・・・」
カメラマンも突っ込んだと言うことは、意外と感想は的から外れてはいなかったらしい。しかし、うまくできずに今回はこれに収まってしまったとのこと。また何かアドバイスができるのではないかと再び雑誌に目をやっていると社長が目で後ろを向けとアイコンタクトをしている。
「フータロー君。オーディション頑張っている間に・・・何してんの?」
少しお怒りにも見える、彼女が頑張っている間にエントランスでグラビア雑誌を必死に読んでいる姿はいいものではないのだろう。
「へんたーい」
「バッ、ちげーよ!」
慌てて隠す姿がまた滑稽にも見えてしまったが、ちょうどいいタイミングで彼女が戻ってきた。
「すみませんお待たせしま・・・中野さん!お疲れ様です!」
「あ、お疲れ様」
「・・・そうだ一花。この子に大人っぽくグラビアやんのってどうするかアドバイスというか、コツとかってあるか?」
「え?うーん・・・まぁ、男を誘惑する魔性の女がイメージかな?あと、ウブな人をからかう。恥ずかしがらずに自身過剰とか・・・というかフータロー君、ちゃんとマネジメントしてるじゃん」
「・・・なんとなく思ったことが、偶然当たっただけだ」
「うん。こういうのというか芸術系って点数がないからね、その辺はフィーリングしかないよ」
そんな遠慮のない二人の関係に疑問の表情を浮かべている彼女だが、社長がフォローに入る。
「上杉君は一花ちゃんの同級生。おそらくあんな気を許せているのは家族以外には彼だけなんじゃないかしら?」
「そうなんですね・・・中野さんって完璧すぎて高嶺の花イメージありましたけど、今はラフな感じですね」
テレビでも事務所でもあんな楽しそうにしているのは見たことない。芝居では完璧にこなしているが、あれは本心なんだろう。
「それで、どうだったんだよ?」
「うん。大丈夫!・・・というか今回のディレクターさんは私を使うつもり満々だったらしくて、この後衣装合わせたり、共演者と読み合せて、収録もする。ちょっとハード」
「あら?今日撮るの?」
「はい。もともと番組の再放送をするところを急遽、新人ディレクターが受け持つことになったらしくて・・・」
仕事の話を始めたので風太郎も聞いてみるがスケジュールがぎゅうぎゅうに詰まっている。スケジュールの分数も端数スタートでの行動だ。
「うわー流石ですね。そんな詰めスケジュール私ならこなせませんよ」
「そういうものなのか?」
「中野さんはちょっとっていってますけど、かなりハードですよ。特に当日収録は」
とのことらしい。
「あ、次の現場いかなきゃなので、私は失礼します。上杉さん重ねてですが、一緒にお仕事する機会があったらよろしくお願いしますね!」
そう言って彼女はテレビ局を出て行った。今日限定のはずなので一緒に仕事する機会は訪れないだろうが、有名人に会えたので謎の優越感はある。
「というわけで上杉君、今後のスケジュールなんだけど・・・」
社長と一花から今後のスケジュールの確認を行う。風太郎がサポートするのは出演者の台本確認と収録中のサポート、衣装合わせ等はテレビ局の方と行うらしい。
「ふぅ、緊張してきた・・・」
「ふふ、でもフータロー君と一緒にお仕事できるとはね」
「俺もまさかこういった業界にかかわるとは思ってもなかった・・・」
「・・・フータロー君よろしくね。今日の私たちはビジネスパートナーだよ」
「・・・よろしくな。一花」
改めてパートナーという関係が五つ子とはしっくり来るのだろうと思った。
一方その頃、夏休みにも関わらず専門学校に呼び出された三玖は講師よりある資料を頂く。
「留学・・・ですか?」
「はい、中野さんは優秀な成績を修めています。留学の条件を満たしているので、スキルアップのためにいかがかと」
呼び出されたのは留学のお誘いだった。話を聞くと海外に出店している系列の調理場を担当できるとのこと。
「でも、私・・・」
彼女が思い止まるのも無理はない、今の三玖は味覚を感じない味覚障害者。そんな人がいっても迷惑ではないかとも考えていた。
「ですが、せっかくの機会ですので、前向きに検討してもらえれば・・・」
「ただいま」
ひとまず、留学の件は家に持ち帰り検討することにした。だが、乗り気ではないのは事実。しかし、学校が私を認めてくれていたのも事実。部屋に戻りもらった資料に目をやりながら考えていた。
「・・・フータロー」
彼に相談しよう。留学すべきなのかどうか・・・
「たーだいま・・・」
「あ、二乃・・・気分悪いの?」
「ちょっと、酔った。悪いんだけどお味噌汁作ってくれない?シジミのやつ」
「シジミはない」
上杉家に泊まっていた二乃帰ってきて、三玖の部屋に入りこんできた。すると、三玖の持っている資料に気がついた。
「あ、留学の推薦あんたも来たんだ」
「あんたもってことは・・・二乃もあったの?」
「ええ、ま、断ったけどね。今のあたしは留学よりもやりたいことがある。あんたはどうすんの?」
三玖は本日この通知があったが、二乃は以前から誘いがあったらしい、しかし、断ったとのこと。
「私はフータローに相談してみる。行くか行かないか」
「・・・ねぇ、三玖。あんたに一つ確認したいんだけど」
神妙な表情を浮かべている二乃に三玖は何かやってしまったかの焦った表情を浮かべている。
「フー君を頼りたい気持ちもわかる。フー君を通して、料理の世界に踏み入れたのも、味覚障害を乗り越えようとまた戻ってきてくれたのも・・・まぁ、その、嬉しいわ。でも、例えばフー君が留学したほうがいいって言ったら行くの?逆に、行くなって言われたら行かないの?」
「別に、そんなつもりは・・・」
「そう。分かってるならいいわ・・・でも、あんたの将来よ、自分でもよく考えるべき」
そう言うと、二乃は部屋を出て行き、当初の目的を忘れ自室に戻ったようだ。
「・・・自分の将来」
一花はタレントとして復帰。二乃も自分のやりたいことがすでにあるらしい。四葉はわからないけど、五月はまだ先生になることを諦めていない。私は・・・どうなんだろう。やりたいジャンルも決まっていない。私がやりたい料理って何だろう?
「・・・よし」
ひとまず、三玖はあることを考え、この件はあることをして判断をすることにした。