八幡の大学生活がロックでポップなのは間違っている。 作:桔梗
暖かな湯気と、紅茶の香りが部屋に満ち、傾き始めた夕日が窓辺に差し込む。
穏やかな春の陽だまりがそこに生まれていた。
その暖かさに、俺は背筋を寒くし、顔を青くする。
なるほど、これが青い春かと、俺はまた新たな季節が訪れたことをひしひしと実感していた。
ああ、やはりだ。
やはりと言わざるを得ない。
__やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
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そして物語は、一年の時を経て、またしても紡がれる。
『運命の出会いなど存在しない。あるのは、必然と互いが想う努力のみだ。』
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顔を淡いピンク色に染める花々は、同じように新たな春が訪れたことを告げる。
窓から差し込むボヤッとした自然光が、慣れ親しんだ自室を優しく温め続ける。
『優しく』などとらしくないことを感じてしまうのは、ひとえに、この部屋との別れが今日であるからだ。つまり、大学生になる俺は東京で一人暮らしを始めるのだ。
俺は感傷に浸りながら、感慨深く部屋を見渡す。
と、ノートが散乱する机の上に、芯が出たままのシャーペンが置かれていた。
所々傷が付き、ペン先の塗装は経年劣化で剥がれてしまっていた。
勉強漬けの毎日が、昨日のことのように思い出される。始めての模試で、数学が絶望的だったこと。その後雪ノ下姉妹に、一日中、缶詰状態で勉強させられたこと。
……雪ノ下姉妹のスパルタ教育は思い出したく無かった。
「お兄ちゃーん!そろそろ時間だよー!」
一階から小町の声が響く。気が付いたらもう出発の時間だ。
「はいよー!」
こちらも同じ声量で返す。
名残惜しさを胸に押し込め、俺はスッと立ち上がりドアノブに手を掛ける。
ガチャという音が、主を失った部屋で、誰にも聞かれることなく響いた。
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家から駅へ。何度も通った道を踏みしめる。
目を瞑っていても、その道の光景はありありと浮かぶ。中でもこの大通り、この一箇所だけ、特に。
俺が由比ヶ浜の犬を庇い、車に引かれた場所。
俺の高校生活ボッチが確定した瞬間でもあり、奉仕部三人の関係が初めて前に進んだ場所でもある。
どこもかしこも、あの一年の思い出で溢れていた。
一つ一つに過去が宿っている。
別れは済ませたはずなのに、足にかかる重力は何倍も大きい。
それでも、時間は無情にも過ぎていく。
見慣れた駅。
慣れた手付きで改札を抜け、電車へ乗り込み、手頃な席へ座る__
ピロン!
いつもは微動だにしないスマホが、鳴った。
『お兄ちゃん頑張ってね!小町もこっちで頑張るから!あっ、今の小町的にポイント高い!』
メールと一緒に、昨日全員で撮った集合写真も添付されている。
あぁ、俺は当たり前だった一番大切なものを、見落としていたのか。
電車がゆっくり、ゆっくりと力に乗るように、濫觴の予感も少しずつ動き出す。
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あれから一時間。途中に乗り換えを挟み、ついに東京へ来た。
駅構内は千葉とさほど変わらないものの、駅前の活気は流石東京で、とにかく若者が多い。しかもビルに掛かる広告の量が異常。あの広告見て商品買おうとか思う人っているのだろうか。
しばし圧倒されていたが、それでは都民の方々に田舎者と馬鹿にされてしまう恐れがある。(ない)
なんなら既に服装やら髪型で馬鹿にされているのかもしれない。(ない)
そこで俺は、多少改善されてきた目付きを、高二と時くらいまで悪くしてみた。これなら誰も近寄れまい!(大いにある)
などと意味のないことを妄想し続けていたが、残念ながら誰にも届くことはないので、ぼちぼち新居へ向かい始める。
上空から見れば、この新たな街の景観は、千葉と大して変わらないだろう。
それでも、肌で感じる街の雰囲気は、ここが全く別の土地だと主張してくた。
俺はその違い一つ一つを、好奇心という名の歯で噛みしめる。何度も何度も噛んでこそ、本来の味と風味を楽しめるものだ。
そうして着いたのは、新居のマンション。
何度か内見に来ているので、特に感動することはない。しかも必要な荷物はあらかた揃っており、今すぐに生活レベルになっている。おかけで今日の引越しも楽で助かってはいるのだが。
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大学は春休みなので、今の時期、普通の大学生はとにかく暇だ。
しかし俺には、緊急を用するある課題があった。
それは、バイトである。
両親いわく、生活費と学費出すが、それ以外の金は自分で稼げとのこと。当然、大学生がそれで生活していける訳はない。どうしようかな。ほんと。
どうしようもない俺は、考えるのを止めて今日運ばれて来た荷物の中からギターを取り出した。長く続けていた訳でも、才能がある訳でもないが、この一年、雪ノ下に教えてもらいながら勉強の合間によく弄っていた。
このギターと初めて出会ったのは、物心つく前の幼い頃。確か父親の部屋に興味本位で忍び込んだ時だ。当時は、この厳ついフォルムが怪物のように見えて怖かったのを覚えている。
それからしばらくはギターの存在などすっかり忘れていたが、中学に入って一年が過ぎた頃、クラスの女子に恋をした。どうにか自分をよく見せようと親父に頼んでギターの練習を始めた。
だが、そのような浅ましい心で継続するはずもなく、結局その女子にも振られ、残ったのは怯懦の心だけだった。
それでも今は、それも青春の一ページだと認められるようになった。間違いなく、あの部活とあの恩師と、それに小悪魔な後輩と魔王なOBがいたあの一年間で。
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過去を回想しながらでは、当然ギターに集中できるわけもなく。俺は何秒か目を瞑り、分散していた意識を一つに向ける。
そして何度も何度もギターを弾く。
部屋は決して暑くないが、俺は少しの汗をかいていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
ギターの音に混じって、ぐぅ。という音が俺の腹から聞えた。
その音はどこか間が抜けていて、思わず俺は笑みをこぼす。顔を上げ、慣れない位置にある時計を見ると、時刻は十二時半の過ぎを指していた。
昼飯ついでに散歩でもするか。と長い間座って固まった腰を、よっこせと起こす。
あわよくばバイト先見つけられないかな。と淡い期待を抱き、俺は再びドアを開く。