ヴァイオレット・エヴァーガーデンと旦那様   作:瑞穂国

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結婚式のお話前の閑話休題二つ目。

時系列的には一つ目のお話よりも前のお話となっております。


少佐の罪と罰、戦闘人形の「生きてほしい」

――罪に罰があるのなら、それは罪を思い出すことだろう。

 

 

 

 罪は時と場所を選ばない。幸せな時間、穏やかな空間、その只中に突如として現れて、この身を苛んでいく。目の前の景色を歪ませる。その感覚を、痛いほど、知っている。

 それは確かな罰。罪を罪と知りながら、それを正すことを怠った、私への罰。右目と右腕だけでは足りない。ふとした瞬間に襲い来るこの痛みこそが罰。

 大切だと思いながら。愛してると告げながら。その両腕を奪い、消えることのない傷を残し、そしてその罪を償うことなく逃げた、彼女に対する罪。

 一生、消えることはない。これは火傷だ。私が生きる限り、残り続ける。私が生きる限り、背負い続ける。罪へ当然のように付き従う、報いで罰。

 

「……少佐は、なぜ、悲しい顔をされているのですか」

 

 朝靄を払う音色が、私の意識を現実へと戻す。玲瓏な声に呼ばれて、私はヴァイオレットを見た。スカイブルーの瞳が、かすかに光を揺らして、私を見ている。そこへ映る私は、幾筋も眉間に皺を寄せて、苦しげに唇を噛み、そして今にも泣き出しそうだった。

 ヴァイオレットは、私のシャツのボタンを、留めてくれていた。隻眼隻腕の私が散々苦労していた朝の支度を、ヴァイオレットは嫌な顔一つせず、手伝ってくれる。

 ただ――ボタンを留める、その手は。私の袖を引いた、あの手ではなく。私の手を取った、あの手ではなく。私を救おうとした、あの手ではなく。ヴァイオレットの顔と同じ、陶器のような白亜の手ではなく。美しい光沢を帯びた、しかしどうしようもなく冷たく硬い印象の、鈍色の手。

 ヴァイオレットの瞳を直視できず、私は目元を震わせて、俯く他なかった。唇を噛み締め、涙だけは堪える。

 これは私の罪だ。ヴァイオレットの前で泣く資格など、私にはない。

 

「……君の、腕は……もう、どこにも、ないんだな」

 

 最後のボタンに手をかけたヴァイオレットが、ぴたりと、動きを止める。碧い瞳に、どんな感情が揺れているのか、私には確かめることができなかった。

 怖かった。ずっと、怖かった。私を「しょうさ」と呼んだ少女が。言葉を覚えていく少女が。私へ温もりをくれた少女が。私の瞳を「美しい」と評した少女が。いつか、失われてしまうのではないかと、怖かった。

 それを自覚していながら、私は「武器」としてヴァイオレットを使い続けた。傷ついて欲しくないと言いながら、彼女を戦場へ駆りだし続けた。ヴァイオレットの、あまりにも純粋で無垢な信頼に、甘えて。

 望めばいつでも――あるいは初めから、彼女を傷つけずに済んだのに。私はそうしなかった。

 今でも、怖い。そうやって、ヴァイオレットを傷つけた私が、彼女の側にいることで、また彼女を傷つけるのではと、そう思うと怖い。

 もう、二度と、ヴァイオレットに傷ついてほしくない。

 

「……少佐も」

 

 カタリと、微かに震えながら、ヴァイオレットが手を動かす。ボタンを離した銀の指先が、そっと、私の胸元に触れた。あたかも触れるのを怖がるように、その動きは静かで慎重だ。

 

「少佐も、火傷を、していらっしゃるのですね」

 

 呟いたヴァイオレットが俯く。さらりと垂れ下がった前髪の合間に見えたのは、震える睫毛と、揺れる瞳。彼女が唇を噛み締めるのに合わせて、指先がシャツを摘まむ。

 赤い唇が、わなないている。

 

「以前、社長がおっしゃっておりました。私は、たくさんの火傷をしている、と。いつかそれに気づく時が来る、と」

「……それは、つまり」

 

 友人が――ヴァイオレットを見守ってきたホッジンズが、彼女に何を言わんとしたのか。あまりに抽象的な「火傷」という響きが、今の私には痛いほど理解できた。

 

「火傷を、しておりました。……私は、この火傷を背負って、生きていかねばならないのです。この先、一生」

 

 震える瞼の下に、碧い瞳が隠れる。

 言葉は出てこない。幼かったヴァイオレットに、ただ命令されることしか知らなかったヴァイオレットに、その火傷を背負わせたのは紛れもない私だ。私以外の何物でもない。彼女を苦しめているのは、私なのだ。

 その火傷は、本来、私が背負わなければならないものだったのに。

 

「……すまない……すまない、ヴァイオレット」

 

 言葉はそれしか出てこなかった。ただ、彼女に首を垂れるしかなかった。いくら乞うても許されるものではない。

 罪は消せない。この先、一生。

 

 

 

「それでも、生きていて、欲しいのです」

 

 

 

 静かな声は、しかしそれまでになく強く、確かな願いでできていた。

 碧い瞳に、見つめられている。揺らめくサファイアの光は、その縁へ大きな水溜りを作っていた。それでも決して、逸らすことなく、私を見つめている。儚く、切なく、けれど強い光を宿して、そこにある。

 

「社長は、こうもおっしゃいました。自動手記人形として私がしてきたことも消えないのだ、と」

 

 ヴァイオレットは、震えている。それでも、彼女は立っている。願いと祈りを込めて私のシャツを強く摘まみ、震えながら、立っている。

 ……声が、出ない。ヴァイオレットは、何も特別な少女ではなかった。戦闘の技量は、常人よりもあったかもしれない。けれど、その心は、同じ年頃の少女と変わらず、繊細だ。それを、私は最終決戦の前夜に思い知らされた。

 傷つき、悲しみ、涙し――それでも、一生懸命に生きようとした。火傷を背負ってなお、生きようとした。

 こつりと、ヴァイオレットが額を私へこすりつける。

 

「生きて、欲しいのです。それでも少佐に、生きていて欲しいのです。私の側に、いて欲しいのです」

 

 私の胸にいるのは、一生懸命に生きた、一人の女性。一生懸命に生きている、一人の女性。

 彼女の名は――

 

「ヴァイオレット」

 

 震える体を、抱き締める。

 私という男は、どこまでも、どうしようもない。ヴァイオレットを傷つけたくないと言いながら、こうして彼女を震えさせている。余計な心配をさせて、その心を傷つけた。

 やはり、私という男は、ヴァイオレットには相応しくない。

 

「少佐っ、少佐っ」

 

 それでも、私を呼び続ける彼女を。

 側にいて欲しいと言う彼女を。

 鈍色の手で一生懸命に私のシャツを摘まむ彼女を。

 どうしようもなく、愛している。

 どうしたって、離れることはできない。

 ヴァイオレットのいない世界など、考えられない。

 けれども、この罪は消えず。

 この罰は永遠に続くだろう。

 

 

 

 それでも、私は君と、生きていたい。

 

 

 

「ヴァイオレット。すまない。余計なことを言った。……君をまた、傷つけた」

 

 震える指でシャツを握り締めながら、ヴァイオレットは首を振る。白いワンピースの背を撫でた。どうか少しでも早く、その震えが収まるようにと、願って。

 小さな白い耳に、可能な限り誠実に聞こえるよう、言葉へ心を込めて、語りかける。

 

「私は君と生きていきたい。――だから今度こそ、君をちゃんと守る。君が、もう二度と傷つかないように、ちゃんと守る。君を二度と傷つけないように、ちゃんと守る」

 

 罪を犯し。罰を背負い。なお彼女と生きたいと願う私。ならば、今度はちゃんと、彼女を傷つけないように、守る。

 胸元のヴァイオレットが、ようやく、顔を上げてくれた。一筋涙を伝わせ、「本当ですか」と問いかける彼女に、私は神妙に頷いて答えた。

 空の色を写し取る瞳が、揺れる。幾千もの煌めきに、心を奪われる。

 

「――では、私も、少佐をお守りします。少佐が、もう、何も失わないように、お守りします。ちゃんと、お守りします」

 

 潤んだ瞳でそう告げて、ヴァイオレットはまた、私の胸へ身を預けた。機械仕掛けの手が、私を離すまいとしている。

 残った左腕で、ヴァイオレットを抱き寄せる。力の限りに、その体を抱き締める。けれど今の私では、どうしても、彼女を包むことはできない。彼女を包む右腕が、私にはない。

 まずは、そこから始めよう。昇る朝陽に、私はそう決意した。

 

 

 

「動かしてみとくれ」

 

 ルーペを押し上げた初老の男性が、私を見つめてそう言った。それまでされるがままだった私はその言葉に頷き、()()へ意識を集中する。

 インテンス以来、空白となっていた私の右腕。そこへは今、光沢をまとった銀色の、機械仕掛け(オートメイル)の腕が装着されている。ヴァイオレットの義手も製作したという、ライデンでも評判の義手職人製だ。

 親指を動かすイメージをする。すると、キリキリと軋みながら、畳んでいた親指が動いた。続いて人差し指、中指。一本ずつ、指を開いていく。それを、今度はもっと連続して、滑らかに。

 一通り腕の動きを試して、職人の顔を窺った。彼は満足そうに首肯して、私を見る。

 

「あとは、あんたの努力次第だね」

「――はい。ありがとうございます」

 

 一言お礼を言って頭を下げると、職人は小さく手を挙げて答えるだけで、すぐに別の仕事に取り掛かってしまった。ただ、その口の端が愉快そうに持ち上がっているのだけ、わかった。

 

「少佐」

 

 装着室から出ると、待っていたヴァイオレットがこちらへ駆け寄ってくる。それから、もう一人。

 

「……それで、よかったんだな」

 

 艶やかな黒髪を三つ編みにした男性が――兄さんが、ヴァイオレットの後に続いて私のもとへやって来る。義手職人のところへ案内してくれたのは、兄さんだ。

 元々、少し前の手紙で、兄さんは私に義手の装着を勧めていた。義手の装着を決めて、ライデンへ行くと連絡したら、わざわざ駅まで迎えに来てくれた。

 深い緑の目が、新品の私の義手を見つめている。細めた目が、そのまま私の目を見た。

 

「うまく使えよ。その、右手」

「――ああ。わかった」

 

 うまく使え。兄さんがそこへどんな意味合いを込めているのかを、何となく、理解できた。

 

「うまく使うよ。……ちゃんと、使うよ」

「……そうか」

 

 相変わらず、兄さんの言葉は短く、少ない。手紙の方が、余程たくさんのことを語ってくれる。

 

――「女一人、抱きかかえてやれないでどうする」

 

 ややぶっきらぼうなその言い回しが、何とも兄さんらしいと思った。

 

「――それじゃあな。お袋の墓参りくらいは、していけよ」

 

 踵を返した兄さんは、軽く片手を挙げて去ろうとする。広く大きな背中に、ヴァイオレットがぺこりと頭を下げた。

 

「ありがとうございました、大佐」

 

 兄さんが一瞬足を止めて、振り返る。エメラルドの瞳が私とヴァイオレットを見て、すぐに明後日の方を向いた。

 

「いや……案内をしただけだろう」

「はい。ありがとうございました」

 

 やはりぺこりとお辞儀をするヴァイオレットへ、兄さんはやや微妙な表情を浮かべた。小さく溜め息を吐くと、また片手を挙げて、去っていく。

 

「兄さんは、行かないのか。墓参り」

「この前行ったばかりだ。それに、恋人二人の逢引きを邪魔するほど、野暮ではないんでな」

 

 そう背中で言い残して、兄さんは車上の人となった。その姿が見えなくなるまで見送り、改めてヴァイオレットと向き合う。

 キラキラと瞳を輝かせ、ヴァイオレットは私の右腕を見ていた。

 

「少佐に、右腕があります」

「ああ。どう、だろうか」

 

 尋ねながら、右腕を動かしてみる。肘のところで捻り、畳んで、伸ばして。指を順に開き、握る。左手ほど滑らかな動きはできない。ヴァイオレットのように使いこなすには、それなりに時間と努力が必要だ。

 右腕を見つめていたヴァイオレットが、おもむろに自分の右手の手袋を外した。現れるのは、彼女の手。ライデンの光を浴びて輝く、ヴァイオレットの手。

 その手を、ヴァイオレットは私の右手へと伸ばす。鈍色の指先が触れ合って、カチリと、高い音がした。

 ヴァイオレットが微笑む。碧い瞳に陽光を映してきらめかせ、薔薇色の頬と薄桃の唇を綻ばせて、私へ笑いかける。

 

「少佐とお揃いです」

 

 嬉しくて仕方ないという風な表情が、たまらなく愛おしい。

 

「ヴァイオレット」

 

 名前を呼ぶ。手を伸ばす。残された生身の左手と、装着したばかりの機械の右手、その両方を伸ばす。

 ヴァイオレットの背中へ、手が届く。そのまま、ゆっくりと、彼女を抱き締める。義手の加減はまだうまくできないから、慎重に。

 

「少佐……?」

 

 驚き戸惑った様子で、腕の中のヴァイオレットが私を呼んだ。

 その背中に、私の腕が回っている。左腕と、右腕。その両方で、今度こそ、彼女を包むことができる。

 

 

 

「ずっと、こうしたかった」

 

 

 

 この右腕は、君を守るためにある。

 君を傷つけないためにある。

 

 

 

 君と生きるためにある。

 

 

 

 それは、例えば料理をすること。

 例えば洗濯をすること。

 もしかしたら手を繋ぐことで。

 君に触れることで。

 そして、心から、君を抱き締めること。

 

「君を守る。君と生きていく」

 

 誓うように、約束をするように、ヴァイオレットの耳へ囁く。

 

「――はい」

 

 ヴァイオレットの返事は短い。けれどその、短い返事に、彼女の全てが詰まっているような気がした。

 ヴァイオレットがシャツを摘まむ。不思議と、その機械仕掛けの指先から、温もりを感じていた。

 一分ほどそうした後、ヴァイオレットを解放する。薔薇色の頬を、ヴァイオレットはすぐに両の手で隠してしまった。嬉しさと恥ずかしさと戸惑いをない交ぜにした表情で、私と義手と地面を、視線がぐるぐると行ったり来たりしていた。

 ライデンの街へ、二人して歩き出す。まずは、母の墓参りをしよう。それから、ホッジンズのところへも顔を出さなければ。そんな予定を話しながら、石畳の上を二人で並んで歩く。

 私たちの間で、機械仕掛けの小指が絡まり、歩調に合わせて揺れていた。

 

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